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第五十五話 甘酸っぱいケーキを

 ジークリンデの祖国に来てから早くも三日目となった。本日はお祖父さんとジークと三人で観光をしようという話になっている。夜はエメリヒとアイナに会いに行く予定だ。


 客間にて、ジークと二人でお祖父さんの準備を待つ。

 本日のジークの服装は、胸の下がきゅっと締まっていて、お腹の周囲に締め付けの無い、ふんわりとした柔らかな雰囲気のドレスを纏っている。勿論、これは妊娠しているかもしれないというジークの為にお祖父さんが準備をしてくれた品だ。


 そう。彼女のお腹の中には子供が居るかもしれないという。まだ、はっきりとした事実ではなかったが、考えればドキドキワクワクしてしまい、どうにも落ち着かない気分となる。

 気を抜くと、それがすぐ顔に出てしまうのか、ジークに顔がにやけていると何度も注意されていた。


 紅蓮の髪の毛は一つに結んで前に垂らしている。毛先には少しだけ癖があるのか、くるんと丸くなっていた。一年で随分伸びたものだと、暇なのを良い事にじっくりと観察をする。


 ちらちらと横目で盗み見る、ということをしないで堂々を見ていたので、当然ながらジークから指摘が入ってしまう。


「どうした?」

「いやあ、うちの奥さんってば可愛らしいなと、思いまして」

「……お前にだけは言われたくない」

「と、言いますと?」

「……黙秘する」

「?」


 どういう意味だと聞いたが、ジークは腕を組んで眉間に皺を寄せつつ、黙り込んでしまった。まあいいか、とすっかり冷えてしまったコーヒーを啜る。


「そういえば、お祖父さん、熊の毛皮着てこないよね?」

「まさか」


 祖父は自分達が手作りをした熊の外套を大いに気に入ってくれていた。そしてそれを事あるごとに着て現れ、テオポロンがよくしている、バサリと背中の毛皮をマントのように翻してから振り返るという動作を嬉しそうに真似していた。


 そんな話をしていると、祖父が部屋へとやって来る。格好はきちんとした外出用の服装だった。


「待たせたな」


 そんな事をいう祖父に、とんでもないことだと手を振った。ジークと自分の準備が無駄に早いだけである。


 祖父は帽子を脱いでから、紳士の挨拶をジークにして、さっと優雅な動作で淑女に手を差し出す。


「お義祖父様、今日はどちらに」

「行ってからの楽しみだ」

「左様でございましたか」


 祖父に手を引かれたジークは、ぎこちない様子で問いかけていた。


 さあくぞ! という祖父の一言で楽しい外出は始まる。

 祖父はジークに腕を貸してから、エスコート役を買って出ていた。

 自分の方にも振り返って、意地悪そうな表情を浮かべてから、「空いている腕を貸そうか?」と聞いてきたが、丁重にお断りをした。


 馬車に乗り込み、蒸気車と行き交う道路を眺めていると、すぐに目的地へと到着をする。


「お祖父さん、ここは?」

「世界最大級の動物園とやらだ」

「へえ!」


 首都の名前を関した巨大な施設は数十年前に出来たもので、世界の十本指に入るほどの大規模な場所らしい。入ってすぐにある東洋の文化を取り入れた、二頭の像が柱を支えているような意匠をしている入城門は圧巻の一言だ。


 園内は緑豊かな造りをしており、動物達ものびのびしているように思える。

 見た事の無い動物ばかりで、祖父に質問ばかりしてしまった。


「お祖父さん、あれは!?」

「なんだ、猿も知らんのか」


 動物園に居るのは知らない生き物ばかり。驚きの連続だ。

 ジークは子供の頃に何度か家族で来た事があるらしい。落ち着いているものだった。


 中でも驚いたのが白熊の展示。国の白熊とは姿が違う気がして、首を傾げる。


「あれは北極熊だな」

「ふうん」


 説明が書いてある板には北極圏に生息をする熊で、海の近くなどに生息をしていると書いてあった。これは父からも聞いていた情報だったので、別に驚くべきことではなかったが、目の前の白熊とテオポロンと共に森で見掛けた白熊とは姿・形が異なっていたので、不思議に思う。森に住んでいて冬眠をしないという点も、大きな疑問点。


「おい、どうかしたのか?」

「何でもないよ」


 祖父の問い掛けに対して、どうでもいい問題だと言いながら先へと向かう。


 動物園から出ると、昼食を摂る為にお店に行った後に帰宅となった。


 帰ってくればジークと二人して時間を持て余す事となる。エメリヒと会う約束をしているのは夜だ。なので、それまでする事はない。


 祖父は仕事があると行って出かけてしまった。伯父さんに爵位を譲っても、毎日忙しくしている仕事人だと執事さんが言っていた。


「ジーク、ちょっと出掛けて来るよ」

「どこに?」

「エメリヒの家に持って行く茶菓子を買いに」


 そう言ってから立ち上がると、ぐっと上着を掴まれる。


「ん?」

「私も行くから少し待て。化粧を直す」

「ジークは家に居てよ」


 動物園の中はかなり広かった。疲れているだろうと思い、そんな風に伝える。


「どうして置いて行く」

「だって……」


 今日のお出掛けだけでも結構動き回っている。無理はいけない。


「一人で行かせるのは、不安だ」

「そうは言ってもですね、言葉も問題ないし、街歩きは慣れているし」

「……違う。そういう意味ではない」

「……はて?」


 ジークは眉尻を下げながらこちらを見上げる。

 さて、奥さんは何を照れているのか。


 隣に座って、掴まれていた手の甲に自分の指先を重ねる。


「どういうことかな、ジークリンデ」

「……」

「言わないと分からないよ」


 そっぽを向いていたジークの頬を両手で包み込み、こちらに顔を向かせる。

 顰め面をしていたので、頬を撫でて落ち着くようにと宥めた。


 時間が経てば眉間に深く刻まれていたの皺も解れ、いつものジークに戻る。


「それで、どうしたの?」

「いや、別に重要なことではない、が」

「が?」

「動物園で、若い女性がリツを見ていたから」

「え、それだけ!?」

「……」

「おのぼりさんみたいだから、恥かしかったってこと!?」

「違う、馬鹿!!」

「あれ?」

「……」


 頬を軽く抓られるが、どういうことか分からなかった。


「見目の良い異性がいたら見てしまうだろう!? そういうことだ!!」

「ああ~」


 すっかり忘れていた。異国では見た目が良い方だったということを。


「一人で出掛けて、見知らぬ女性に声を掛けられてホイホイ付いていくかと心配だった訳ね! なるほど!」

「……」


 過去に、一目見ただけでジークを気に入って求婚した事があるので、そういう心配をされることは仕方が無いお話で。

 けれど、結婚をしてからは他の女性は目に入らなくなってしまった。これを分かって頂くのは難しいだろう。


「うーん」

「……」

「結婚をしてから、ずっと、ジークしか見ていなかったんだけどねえ」

「!」


 見開かれる灰色の目。


「……確かに。夜会には、綺麗な女性がたくさんいたが、リツは、誰も見ていなかった」

「でしょう?」


 意外にも、ジークは他の女性に目が行っていない事に気がついていたらしい。ありがたいお話だ。


「だったら、心配なんていらないよね?」

「……」


 ご理解頂けたかと思っていたが、表情を見ればそうでも無いことが分かる。


 縋るような顔を見せるジークを、ここに置いて出かけるということは出来ないな、と思ってしまった。


「そんな顔しないで、ジーク」

「どんな顔だ」

「……なんだか、そそる顔」

「……」


 だからと言って妊娠の可能性もあるので押し倒す訳にもいかないという。


「よし!!」

「?」


 頬を両手で強く打ち、気合を入れ直す。


「手土産は手作りのお菓子にしよう! ジークも手伝って!」

「!」


 勝手にジークの手を取り、立ち上がるように引っ張り上げる。


「ジークの一番好きなお菓子って何?」

「リツの作った生ベリーケーキ」

「……」


 真面目な顔をして、さらっとこんなことを言ってくるので、言われたこちらが照れてしまう。


「季節的に新鮮なベリーは無いだろうから、それ以外でお願いします」

「だったら、この国のお菓子なのだが、『黒きシュバルツ森のヴェルダーサクランボ酒キルシュケーキトルテ』というものがあって……」


 ジークの言うお菓子はサクランボのお酒を使ったものらしい。これならば季節も関係なく、厨房の人に聞きながら作れそうだと、製作する品目とした。


 調理場には、ケーキを作る材料も全て揃っており、作り方も熟知しているお菓子担当も居た。指導を受けながら、作り始める。


 まずスポンジは卵の白身を泡立てて、ふわりとした食感のものを作るという。生地にはチョコレートパウダーも混ぜる。

 生地を焼いている間はお酒と砂糖を煮込んで、ケーキに染み込ませる砂糖液シロップを作ったり、盛り付けや中身に使うさくらんぼの瓶詰めに酒を混ぜて風味を効かせたり、生クリームを泡立てたり。


 焼きあがったケーキは真ん中に包丁を入れて切り分ける。祖国のケーキは生地もどっしりみっちりしているのに対して、この国のケーキはふんわりと柔らかい。


 粗熱を取ってから、さくらんぼ酒のシロップを生地に染み込ませ、少しだけ放置。その後はクリームを表面に塗っていき、さくらんぼの果肉を散らしてからまた生クリームで覆う。もう一枚の生地を上に乗せてから、上下の継ぎ目が見えないように生クリームを全体に塗り込む。


 最後に軽く絞った生クリームにサクランボを乗せて、中心には薄く削った木屑のようなチョコレートを振れば完成となる。


「なかなか上手く出来たのではないでしょうか」

「ああ、美味しそうに見える」


 これを包んでもらい、エメリヒとアイナの家に持って行った。

 四人で食べたが、とても美味しかった。

 生地はサクランボの酒が効いていて、しっとりとしている。濃厚なチョコレートの味と、サクランボの酸味が不思議と良く合うという、甘いもの好きには堪らない一品だった。


 アイナは作り方を聞きたいといい、説明している間、ジークとエメリヒは何やら昔話に花を咲かせていた。


 楽しい夜は、あっという間に過ぎていく。


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