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第五十四話 ジークリンデの活動報告 その二

 祖国の港町へ到着をしたのがお昼過ぎ。国内でも大きい方に入る港は人でごった返していた。


「ジーク、お昼はどうする?」

「そうだな……」


 馬車の時間までは一時間半ほど。飲食店は混んでいるだろうと予測をする。


「なにか、市場で見繕うか」

「それがいいかも」


 港町の市場は『食品の玄関口』という呼び名に恥じることのない、豊富な品揃えがある。


「やっぱり実りの時季だねえ」

「ああ」


 入り口にある青果店には秋の果物が山のように積み上がっていて、リツは感嘆の声をあげている。


 杏に李、桃に梨、林檎。辺りは芳しく甘い香りに包まれていた。リツハルドは青い林檎を二個購入する。

 それから野菜、花、酒に雑貨など様々な店を軽く冷やかして回った。


 最後に行き着いたのは飲食物が売っている屋台街。まずはパン屋から物色をする。


「へえ、パンの種類もたくさんあるんだ」

「大きいものから小さなものまで、ざっと千種類以上はあると聞いた事がある」


 どれにすればいいか分からないというので、結び目クノーテンという細長い生地をくるりと纏めたように見える、癖の無い白パンを購入した。


 それから外せないのが腸詰めだろう。周囲に居るほとんどの人が淡黄色の辛みのある粉末香辛料の掛かったものを食べている。屋台といったらこれという程に人気の一品だ。


 最後にコーヒーを購入して、広場にある木製長椅子に座って食べる。


 クノーテンは焼きたてを持って来ていたからか、包んでいた紙からは温かさが伝わり、パンを半分に割ったらふわりと湯気が漂っていた。噛めば柔らかな食感と、ほのかな甘みもある。以前まではしっかりとした固い歯応えのパンが好きだったが、たまにリツがランゴ家の奥方に作るようにお願いしている白パンを食べているうちに好きになってしまった。


 『香辛料を振った(カリー・)腸詰めヴルスト』は食べやすいように切り分けられており、それを串で突くようになっている。上にはトマトソースが掛かっていて、ほどよい辛さと酸味が相俟って食が進んでしまうという。

 カリカリになるまで焼かれた腸詰めは噛めばプチリと皮が弾け、粗く挽いてある肉からはじわりと汁が溢れ出てくる。


「ジーク、これ、凄く美味しい」

「それは良かった」


 口直しには最初に買った林檎を食べる。少し固かったが食べれないことはない。


 リツも隣で林檎を齧る。そして一言。


「うわ、酸っぱい!」

「?」


 まだ熟れていない林檎を食べたのか。それともそういう品種なのか。確かに酸味はあるが、食べられない程のものではない。


「ジークの林檎、甘いの?」


 握った林檎を膝の上に置き、すっかり食べる気がなさそうなリツハルドは問い掛けてくる。


「いや、甘みはないが、食べられない程酸っぱくもない」


 こちらを食べるかと聞いてから、リツに林檎を渡す。私から受け取った林檎に齧りついていたが、口の中へ入れた瞬間に表情は引き攣ってしまった。


「これも、酸っぱい!!」

「それは悪かった」

「あれ、ジークって酸っぱい果物好きだったっけ?」

「……いや、別に」


 この国の林檎は元より酸味が強い。よって、食べ慣れた味である林檎の酸っぱさは慣れていたが、今日はちょっと感じ方が違う気がした。体の調子も普段と違う。この違和感は、ある可能性があった。


「ジ、ジーク、も、もしかして!?」

「待て、落ち着け。医者に診てもらわないと、まだ分からない」


 急にソワソワと落ち着きの無くなったリツハルドを諌めるが、今度は矯正下着を外した方がいいと言い出す。


「外していたら馬車に間に合わないし、服も入らなくなる。そこまで苦しいものではないから少しだけ我慢しろ」


 首都まで馬車で一時間。そこまで長い移動でもない。到着をすればリツの父方のご実家へ挨拶に行く。熊の毛皮を被って現れたお義祖父様からの熱烈な歓迎を受けた後、街で用事があると言って病院に向かった。


 医師の診断を受けたが、酸味のある物が食べられるようになったという情報だけならば何とも言えないと。元々月のものは不順だったので、参考にもならない。


「まあ、そんな訳だから、まだお義祖父様には言わない方がいいのかもしれない」

「そうだね」


 妊娠五ヶ月目位になれば聴診器でお腹の中の鼓動を聞いて調べる事も可能らしいが、今はまだはっきりと分からない期間だと医師は言う。

 五ヶ月目ともなればお腹もふくらんで来る時期だろうから、それ位になれば妊娠しているかは見て分かるだろう。


 とにかく、まだ不確定な情報なので喜ばないようにとリツハルドには注意をする。


 そんな風にすっかり落ち着きが無くなった夫に注意をしていたのに、夕食に出た赤ワインソース絡めの肉を食べた後に、急に気分が悪くなって席を外してしまった。


 ……俗に言う、悪阻というやつなのだろう。


「何故早く言わなかった!」


 夕食後、お義祖父様が心配をして医者を呼べと言っていたので、二人して止める事となった。


「お医者さんもまだはっきり懐妊しているとは言えないって診断があって」


 リツハルドが事情を詳しく説明をすれば、お義祖父さんも納得をしてくれた。


「なるほどな。まあ、二人が本当の夫婦になった事でも良しとするか」


 この時になってお義祖父様に仮夫婦だった事がバレていたのだと思い出す。


「……お義祖父様、その節は」

「気にするな。悪いのは死ぬほど鈍感な孫よ」


 ばつが悪いような表情をするリツハルド。そんな彼にお義祖父様は「お前は悪さをした犬か!」と言われていた。


 ◇◇◇


 二日目に行われる夜会には、体の締め付けないゆったりとしたドレスをお義祖父様が用意してくれた。さすがはわが祖国。私が着る事の出来る既製品は探せば存在するという。


 会場に入れば、口上と共に貴族としての名が読み上げられた。


 レヴォントレット伯爵夫人、と。


 夜会に行けば毎回お嬢さんに取り囲まれていたが、今回は誰も近付いて来ない。チラチラと視線は感じるが。


 それから沢山の知り合いに挨拶をした。皆、私の変化に驚いていた。


「いや、見た目もだけど、雰囲気も柔らかくなった」


 そんな風に言われて、今までの自分はどれだけ殺伐としていたのかと聞いてみたくなる。


 エメリヒは来ていなかった。軍関係の知り合いに聞けば、家で新妻が待っているので、勤務が終わったらすぐに居なくなるという。


 他にも何人かの知り合いと話すことになった。

 皆、私の姿を見て驚いていた。


 最後に話をしたのはリツハルドの友で、一年前に突然決まったこの結婚を心から祝福してくれる。


 一通り挨拶が終われば、会場の隅に移動をして、給仕から果実汁を受け取った。懐妊の可能性があるので、今から酒は控えようと決めているからだ。


「何をお祝いしようかな」


 リツハルドはグラスの中の液体をくるくると回しながら、こちらのお腹をチラリと見る。


「まだ不確定情報だ」

「ですよねえ」


 私のつれない言葉にリツは肩を落とす。


 しかしながら、意識をしてみれば何かが存在しているような気がしてならない。


「まあ、仮に、という形で祝っておこうか」

「!!」


 手にしていた杯を掲げ、祝いの言葉を口にする。


「新しい家族を祝して」


 軽く重ね合ったグラスはキンと澄んだ音を鳴らし、口に含んだ飲み物は今まで味わった事の無いような、素晴らしいものであった。


 それからはっきりと子供が居ると分かったのはお腹が膨らんでくるような時期でその数ヵ月間、私とリツハルドはソワソワとする毎日を過ごす事となる。


 新しい家族の誕生はそれから更に数ヵ月先の話で、この時の私達は子供が産まれることを夢のように思っていた。

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