第百八話 リツハルドの新たなる挑戦!
アルノーが生まれ、ジークの実家から帰った後のエピソードとなります。
本日も母は朝からよく働いている。
ルルポロンと一緒に朝食を作り、息子の子守りをしながらジャム作りをして、昨日ジークが釣って来ていた魚を捌いて干物を作り、昼食後は作業小屋の掃除を行う。
母と同居を始めて、思いの外暇を持て余すようになった。手伝いを申し出ても、休んでいていいよと言われる始末。働き過ぎではないかと指摘をしたが、これが普通だと言う母。
ジークにも母になんとか言うようにお願いをしたら、困った顔をされてしまう。
彼女曰く、母と自分は似た者親子らしい。
母みたいにふわふわぽやぽやしていないよ! と言えば、ジークは視線を逸らして明後日の方向を見る。
何を言いたかったのかと聞けば、母も自分も大変な働き者で、本人にはその自覚が全くない、ということだったらしい。
う~ん、働き者ねえ。
まあ、それはいいとして、暮らしに余裕が出来たことは大変結構なことである。
何か新しいことでも始めてみようと思って、何年か前から気になっていた父の研究が記された紙の束を書斎から引き抜いてきた。
表紙には『雪国での養蜂について』と記されている。
養蜂とは、蜂蜜や蜜蝋を取る為に蜂蜜を飼うこと。父の研究によれば、この地は蜜蜂が生息をする最北の地でもあるという。
村で蜂蜜と言えば外の商人から買い取る品、という認識だ。
森の中にも蜂の巣はいくつも見かけるが、蜂と戦えば被害の方が大きいので、手を出さない方がいいと言う認識でいた。
蜂蜜を食べたことがない村人も多いだろう。素晴らしく美味しいものなのに勿体ない。
個人的に蜂蜜は大好物でもある。
あつあつ焼きたてのパンケーキなどにバターを載せて、生地の熱でじんわりと溶け始めたところに蜂蜜をトローリと垂らしたり、焼きたてサクサクのスコーンを二つに割って、間にたっぷりと塗ったり、ああ、そう、温めたミルクに入れても美味しい。優しい甘さがたまらない。
とは言っても、ほとんど祖父の家で食べた記憶ばかりだ。
たま~に、テオポロンから蜂の巣を頂くこともあるけれど、あれは一体どういう方法で取っているのか。謎である。
貴重な蜂蜜を戴くのはありがたいお話であったが、突然蜂の巣を貰っても、どういう風に解体していいか分からず、中の蜂蜜や蜜蝋などを十分に活用出来なかったことが何度かあった。
蜂蜜を好きな時に好きなだけ食べることが出来たらと、祖父の家から帰って来たら遠い異国の贅沢な暮らしが恋しくなる時があった。
蜂蜜を買うお金で色んな品が買える。そう思えば、村に来る商人から高いお金を出して買うなど勿体ないように思えていたのだ。
なので、父の書斎から養蜂について書かれたものを発見した時は歓喜した。
でも、読み進めてみれば、面倒な手順があることが分かり、こんなことをしている暇はないと、そっと机の中に収納していたのだ。
季節は巡り巡って、ジークと出会い結婚をして子供も生まれ、母が帰って来てからは生活に余裕が出来た。
今こそ、養蜂に挑戦をすべき時機なのかもしれない。
父の研究書には、どこで調べて来たのか養蜂についての知識が文字と図解が共に記されていた。大変分かりやすいものである。
蜂蜜が採れるまでの流れとして、春先に巣箱を森の中に設置して、粗蝋の匂いと砂糖水を中に入れて蜂達をおびき寄せる。自分達の巣よりも快適な場所だと分かれば、引っ越しをして来てくれるのだ。
採蜜は雪が解けきって、春を迎えてしばらく経ったら行えるらしい。
意外にも、蜂蜜は秋まで採ることが出来るという。冬になれば、越冬の為にいろいろと手を尽くすことになる。驚いたことに、蜜蜂は冬を越せることが出来る虫なのだ。
その日から、時間を見つけては養蜂について学び、予算を算出したり、森に蜂の巣がどれだけあるのかと確認に行ったり、材料についての設計図などを作ったりとちまちまと計画を進めていた。
一応、家族にも報告をしておく。
「――と、いう訳で、養蜂を始めようかと思います」
一生懸命作った資料と共に新しい挑戦の報告をしたが、ジークと母はあまりいい顔をしなかった。
どうやら、お尻に攻撃針を持つ蜂との関わりを心配しているようで。
「リッちゃん、蜂さんに刺されたら大変だよ~」
「大丈夫。蜂は先制攻撃をしない生き物なんだ」
蜂は大変慎み深いというか、紳士、いや真摯な虫でもある。
基本的にこちらが大人しくしていれば、攻撃なんかしてこないのだ。
蜂が攻撃的になるのは、出会い頭に手荒なことをしたり、力ずくで従わせようとした場合に限定する。
本来、蜂は大人しく臆病な気性で、優しく接していれば害を与えることはない。こちらが気をつけていれば、危険なことなど一つもないのだ。
熱心に説明をすれば、最終的にジークも母も認めてくれた。
翌日から、早速巣箱作りに取り掛かることになった。
◇◇◇
養蜂は春先からのスタートになる。
今は秋で、計画はしばらく凍結をしなければならない。
その間、別の事業を始めてみることにした。
とは言っても、何の着想もない。頭の中は真っ白だったので、ジークに相談をしてみることにした。
「ねえ、ジーク、ちょっと相談があるんだけど」
「なんだ?」
新しい事業について。
それは、気分が塞ぎがちになる極夜の時でも営業出来るようなお店を開きたい、というものであった。
「なんかいい着想はないかなって」
一生懸命考えて、遊技盤などで遊ぶ喫茶店などを考えてみたが、なんだか微妙に思えて仕方がなかった。
気分が憂鬱になるのは村人だけでなく、城塞の軍人達も同様である。
「ジークは、軍人時代の息抜きとかって何をしていたの?」
「そうだな……」
規律の厳しい軍人さん達は、あまり派手な私生活を行えないと話す。
休日は公園に散歩に行ったり、甥のクラウスとテニスをしたりして過ごしていたとか。
「気分転換にスポーツはいいって聞くよね」
でもまあ、雪深い極夜の中、スポーツなんて出来る訳もなく。
「あとは、月に一度、酒場に行ったりした」
「!」
酒場! そうだ!
ちょっとした料理を出したり、お酒を飲んで楽しい気分になるお店とかいいかもしれない。
「酒場! いいかもしれない!」
「だが、極夜の期間中は食料の仕入れなど大変なのでは?」
「あ!」
そうだった。
極夜の期間は大変な思いをして作った保存食をちまちま消費しながら大人しく過ごす。
自分達にも生活があるので、お店を出してそれを振る舞う訳にもいかないのだ。
事業費は祖父から貰った金塊で賄おうと思っていた。
だが、いくらお金があっても、食料を売りに来る商人が来ない極夜の期間中は仕入れに問題が出てくる。
「酒場、いい着想だと思ったんだけどなあ~」
「……」
がっくりと肩を落としていれば、ジークが「あ!」と声を上げる。
何事かと聞きけば、いいものがあると言う。
「リツ、缶詰だ」
「缶詰って?」
缶詰とは食品を加工してから金属製の缶に詰め、空気を抜いて密封させた後、長期保存が出来るように熱して殺菌をさせたものらしい。
山の中での演習などをする時に、缶詰が軍用食として採用されていたと話す。
「へえ、そんなものがあるんだ~」
ジークの国では一般向けの商品も売ってあるとか。
異国の地では食事に関して料理人に任せきりだったので、売り場を覗くということすらしたことがなかった。
「そういえば、この国では見たことがないな」
「そうだね」
この辺りの商人は缶詰とやらを売りに来ない。
持って来たこともあっただろうが、保存食作りに誇りを持っている村人には売れなかったのだろう。
「缶詰は進んで食べようと思うものではないが、手を加えたら美味しくなるかもしれない」
「なるほど!」
缶詰。
村を救う品物となるのか。
まずは商人に相談をして、仕入れが可能か調べて貰うことにした。
10月7日一部訂正
人に慣れてきわめて温厚なのはニホンミツバチだけで、セイヨウミツバチは人に慣れないそうです。あわせて、本文の一部も訂正しております。