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缶詰戦争!? 前編

 缶詰とはブリキの缶の中に食品を詰めて蓋を閉じ、中の空気を抜いて密封した後、腐敗を防ぐ為に加熱をして殺菌をしてから長期保存が出来るようにしたものである。

 元々は軍の食糧問題解決の為に生み出されたものらしい。

 なんでも、缶詰は戦場で腐った物を食べて病気になったり、新鮮な食べ物が手に入らなくて栄養不足で倒れたりする兵士の為に異国の国王が懸賞金付きで解決策を募った結果生まれた物であると。

 初期の物は缶の蓋をはんだ付けしたものを、食べる時に熱で溶かして開けるという、少々面倒な方法を取っていたとか。それから数十年後に新しい缶が発明されてからは、金槌とたがねを使って簡単に開封出来る缶詰が出来たという。


 母にも酒場と缶詰の話をすれば賛成をしてくれた。


「缶詰があったら、極夜カーモスの前に頑張らなくてもいいしね」


 単価などは聞いていないが、酒場で缶詰の良さが広がってゆくゆくは土産屋兼商店で売ることが出来たらなあと考えている。

 村の少子化問題は深刻だ。もしかしたら、将来年寄りだらけになる可能性だってある。そんな時に、缶詰があったら大変便利なものになるだろう。


「明日、商人がいくつか持って来てくれるって」

「へえ、そうなんだ~」


 ぽやぽやとした様子で話を聞いていた母だったが、何かを思い出したのか突然真顔になる。


「どうかしたの?」

「缶詰、リッちゃん、缶詰って……」


 母は一生懸命机の上に絵を描くように指先を動かしていたが、何を書いてあるのか全くの不明であった。

 今の棚に置いてあった便箋とペンを渡せば、ふっくら膨らんだパンのようなものを描いていた。缶の中心には魚の絵が描いてある。

 そして、震える声で問いかけてきた。


「も、もしかして、缶詰ってこれなの!?」

「いや、ごめん、俺、缶詰見たことないんだ」

「そ、そうなんだ」

「ジークが知っているから、呼んでくるね」


 ジークは部屋にアルノーを寝かせに行った。もうそろそろ眠っている時間帯かもしれない。


 数分後。

 居間に連れて来たジークは、母の描いた缶詰の絵を見て首を傾げた。


「リンデちゃんの知っている缶詰って、これ?」

「いえ、私の知っている缶詰は、このように膨らんでいませんでした」

「そ、そうなの!?」


 ジークは紙に缶の絵を描いてみせる。

 絵を描くことが苦手なのか、母の描いた膨らんだ缶詰と大差ないものが仕上がった。


「う~ん、違うのかな~?」

「すみません、お義母様、絵心がなくって」


 まあ、形状の違いはいいとして、一体何を恐れているのかと母に質問してきた。

 母は十年間の旅の中での話を語り始める。


「旅に出てすぐのお話だったかな? あのね、お隣の国の港町で缶詰が売っていたの」


 食堂で食事をしようと思っていたのに、父が港で売っていた缶詰に興味を持ってしまったらしい。形状が珍しく、興味を引いてしまったとか。


「発酵したパンみたいに、入れ物がぷくぷくしていたのよ」


 ジークはそのような缶詰は見たことがないと言う。不良品なのではと思ったが、同じ疑問を抱いた父が聞いたところ、店主からそうではないという回答が返ってきたとか。

 缶詰の中身はニシン。『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』という名前だったと話す。中には塩漬けにしたものが入っていたと言う。


「お父さんが、膨らんでいる缶詰が面白いからって、食べたいって言いだして……」


 店の人に美味しい食べ方を聞けば、一度魚を蒸留酒で洗ってからパン生地を平らな状態で焼いた、もっちり食感の『トゥンブレッド』にふかしジャガイモや野菜の酢漬け、サワークリームなどを巻いて食べると美味しいらしい。商店でパンや野菜を買ってから、公園の椅子に座って食べることにしたという。


「お父さんが金槌とたがねを持って、私は缶を押さえる係をして……」


 缶にたがねを入れた瞬間に悪臭が漂い、嗅覚だけではなく、涙腺にも打撃を与えるものだったと母は悲しそうな表情になりながら語る。中の魚が死ぬほど臭かったらしい。


「もう、本当に、一時間位涙が止まらなくって」


 さすがの父も腐っているのではないかと店に突き返しに行ったらしい。だがその缶詰は、腐っている訳ではなく発酵しているだけで、匂いは強いが美味しい缶詰として、一部の地元民に愛されている食べ物だったのだ。


「でも、ど~しても、ど~しても食べられなくって、お店の人に食べて下さいってお返ししたのよ」

「……」

「……」


 『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』は母の中で一番臭いがきつい食べ物だと言い切っていた。うっかり放置していた生ごみの数十倍の臭さだと話す。

 しかも、残念なことに時間が経っても服や荷物からニシンの缶詰の臭いが取れなかったとのこと。


「多分、あの缶詰は村の人は食べられないと思うの」

「だ、だろうね」


 あの寛大な母親ですら嫌悪する食べ物があるとは。恐るべし、『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』。

 商人が持って来ても買わないようにしようと心に誓う。


 当然ながら、腐った、じゃなくて、発酵したニシンの缶詰だけが全てではない。ジークが軍時代に食べていた缶詰の中には『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』はなかったと話す。

 母親にはジークが心配いらないと説得してくれた。

 味見も自分が最初に毒身係をすることを約束する。


「もしかしたら、お父さんが缶詰について何か書いていたのが書斎に残っているかも~」

「そうなんだ。探してみようかな」

「なかったらごめんね」

「大丈夫」


 母の言う通り、父の書斎でニシンの缶詰についての研究書が発見された。

 父もおっとりしているだけと思いきや、案外ただでは転ばない性格らしい。

 研究書によれば、『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』は春に獲れたニシンを使って作ることが国王からの命令で決まっていたとか。

 作り方はニシンを缶に入れ、水で薄めた塩水の中に漬けて、発酵が進んだ二ヶ月後位に食べ頃となる。缶詰が出来る前は樽に漬けて作っていたらしい。

 缶が膨らんでいる理由は、熱して殺菌消毒などを行わずにそのまま出荷となり、中で発酵が進んでガスが充満しているからだと。

 どうしてしっかり塩漬けにして加熱消毒をしなかったのかといえば、隣国では塩を作る為に十分な太陽の光も無く、薪などの加熱燃料も不足していたので、このような缶詰が奇跡の爆誕をしてしまったのだという。

 これも、戦争中に兵士たちの貴重な食料となっていたとか。

 腐敗はしなかったが、発酵が止めることが出来なかった『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』。


 研究書を読めば、食べてみたく――なる訳がなかった。

 村の平和の為に絶対に手出しをしないことを再度心に誓う。


 ◇◇◇


 翌日、商人は十種類程の缶を持って来てくれた。

 『酸っぱいシュール地中海産のニシンストレミング』を警戒していたが、隣国語の文字で書かれた紙が巻かれた缶詰は見当たらなかった。

 商人に話せば、例のニシン漬けは安く仕入れることが出来るが、異国人には不評なので入荷しないらしい。賢明な判断だと思った。

 缶詰は全て海の向こう側から輸入した品物だと言う。残念ながら文字が読めない。パッケージに書かれた絵だけで判断するしかないと思っていたが、ジークは多少読むことが出来ると言う。


「牛肉と果物に野菜、あとはコンデンスミルク、みたいだな」

「コンデンスミルク?」


 ひときわ大きな缶の中身は乳製品らしい。ジークも初めて見るらしく、缶を持ち上げて成分表を読んでみる。


「牛乳に砂糖を入れて煮詰めたものらしい」

「へえ、乳製品の缶詰があるのは助かるかも!」


 とりあえず、持って来て貰った分は全て購入することにした。輸入品なので値が張るが、お金を持っている人が進んで経済を回していかなければならないのだ、と言い聞かせながら購入する。

 商人は大量購入してくれるなら、一割から二割ほどの値引きを考えているとも言ってくれた。ありがたいお話である。


 お金を払って、商人と別れることになった。

 机の上に並んだ缶詰を前に、期待が高まってしまう。

 瓶詰以外の保存食がお金で買えるなんて、想像もしていなかった。


「なんだかドキドキするね」

「まあ、そこまで美味いものではないと思うが」

「そうだよね」


 まずは缶詰が美味しく食べられるものであるかの確認をしなければならない。

 今晩はランゴ家の者達が休みの日なので、缶詰の試食をしつつの晩の食事となりそうだ。


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