アーダルベルト・フォン・リューネブルグの活動報告
リツハルドの父方祖父のお話です。
今まで、親しい者達から何度「顔が怖い」と言われたか分からない。
だが、別に言う程大袈裟なものではないだろうと、長い間軽く受け流していた。
その言葉を実感することになったのは、一人目の子供が生まれてからであった。
初めは子供なんて、と考えていた。
今まで接したことがなかったので、なんとも思っていなかったのだ。
ところが、生まれたばかりの赤子を目にすれば、まあ、可愛らしいこと。
我が子ながら、世界で一番愛らしいのではと決めつけていた。
妻が息子を差し出すので、抱き上げてみる。
あまり泣かない大人しい子だと言っていた。
なのに、私が抱いた瞬間に火が付いたように泣き出したのだ。
慌てて妻に子を返せば、あっさりと泣き止む。
今日は機嫌が悪かったのかもしれない。その時はそう思い込んでいた。
しかしながら、それ以降も私が抱けば壊れたように泣き出す息子。
何十回と繰り返せば、気付いてしまう。
私は子供に好かれるような顔つきをしていないのだと。
忙しい毎日を過ごす中で、子供はあっという間に大きくなる。
まだ小さいと思っていたのに、気が付けば歩きだして喋るようにもなり、一人で食事も出来るようになっていた。
ここ最近は忙しくしていたので、なかなか子供と顔を合わす機会もなかった。
久々に会えば、目が合っただけで泣かれる始末。
そんな中で、二人目の懐妊を妻より知らされる。
今度こそ、嫌われないような努力をしなければならない。
どうすればいいか真剣に悩んだ。
あんなに可愛いのに、嫌われ続けるのは辛い。
なにか良い着想はないかと、昼食の時間に仕事部屋から抜け出して、公園でぼんやりと考えごとをする。
子供たちが楽しそうに駆け回っていた。
その光景を微笑ましい気分で眺めていたが、私と目があった子供は「ヒッ!」と悲鳴を上げて走り去っていく。
やはり、この顔が悪いのか。
なんだか腑に落ちない。
翌日も公園へ向かった。
子供心を理解しようと観察する為だ。
相変わらず、子が楽しそうに遊んでいる。意外にも、大人の姿も多い。皆、暇なのか。
公園の長椅子に座ってすぐに、妻と同じ齢位の若い女が花を買ってくれと声を掛けてくる。
差し出されたものは、その辺で摘んだような、野生の花をいくつかまとめただけのものであった。
こんなものを売り物にするなんて信じられない。花を仕入れる金もないのだろうか。
女自身、恐ろしく身なりも悪い。
日々の生活にも困っているのだろう。気の毒な話だ。
花束の値段は十ペニヒ。そんな小銭など持っていない。ポケットの中に突っ込んでいた硬貨を適当に渡して花を受け取る。
周囲をよくよく見てみれば、公園に居る大人達はほとんどが女性であった。皆、籠を持って何か売っているように見える。
女性の雇用率は低いと聞いたことがある。
お金が必要でも、働く場所がないと。
なんとも言えないことだ。
まあ、それよりも子供である。
楽しそうに追い駆けっこをしていた。子供は追い駆けっこが好きらしい。
なるほどなと思って、家に帰ってから四歳になる息子を追いかけてみたが、死ぬほど泣かれてしまった。
子供の皆が皆、追い駆けっこが好きという訳ではないらしい。
公園での子供観察は続く。
ある日、素晴らしいものを見た。
奇妙な格好をした芸人が、子供達の心を鷲掴みしていたのだ。
芸人は『髭のおじさん』と呼ばれて大人気になっていた。
確かに、男のくるりと上を向いた髭の形は可笑しなものだと思った。
そうだ、髭だと、私は気付く。
綺麗に髭を生やしてから、第二子の生まれる日を心待ちにしていた。
二人目は女だった。
やはり、子供は可愛い。
面白い髭も生やしているし、大丈夫だろうと思っていた。
だが、結果は空振り。
顔を覗かせただけで泣かれるという始末。なんということだろうか。
娘もすくすくと大きくなり、世界一可憐な子になっていたが、全く私には懐かない。
子供部屋に顔を出せば、上の息子と二人で抱き合って、震えているのだ。何とも酷い話である。
毎日顔を合わせていれば慣れてくれそうな気もしたが、忙しいこの身は残念なことに一つしかなかった。
二年後、再び男の子供が生まれた。
とても大人しい子だと妻が言う。
その言葉は信じないぞと思いつつも、抱いてみた。
妻の言う通り、三番目の子はとても大人しかった。
ぎゃん泣きすることはなかったが、私が抱き上げれば無表情のままで静かにツウっと涙を流すのだ。
三番目の子は大変な変わり者であった。
子供三人に嫌われたら、諦めの境地に陥ってしまうかと思えば、まだまだ諦めていなかったのである。
事業が失敗して暇にならないかと、ヤケクソ気分で新しいことを始めて見た。
暇になれば家族と過ごす時間も増えると、そんな風に考えていたのだ。
その、新しいこととは暇な庶民、主に女性を雇用して行う工場経営である。
公園で小銭を稼いでいる者達を見て、閃いたものだった。
周囲には馬鹿なことは止めろと散々言われた。
だが、仕事が少なくなれば暇になって家族と過ごせるから美味しい話でしかない。
そう思っていたのに、私のヤケクソ事業は大成功を収めてしまった。
当然ながら、今まで以上に忙しくなり、家族とは一ヶ月に一回、会えれば良い方になってしまった。
長男もいつの間にか大人になっており、私に似てしまって可愛くなくなっていた。
長女は年頃になれば、他家へ嫁いでしまった。妻に似て、美しい娘に育っていたが、振り返ってみれば、会話を交わしたのは両手で足りるほどであった。無念にもほどがある。
次男は、よく分からん。
変わり者なのは相変わらずで、大学で何かの研究をしているようであった。
しかも、奴は普通の変わり者ではない。
本人にも言い続けていることであったが、人としての感情が欠如しているように見えた。
こちらが何を言っても無表情。何も考えていないかと思えば、そうではない。自分の興味があることに対しては、食事を忘れるほど、酷くのめり込むのだ。
人の心について勉強でもしてみろ、と言えば、奴は思考心理学とやらの研究を始めた。
勉強と言うのは研究のことではないと叱りたい気分であったが、ぐっと我慢をする。
そして、何を思ったのか旅に出ると言って家を飛び出して行ったのだ。
息子が行方知れずのまま、数年が経った。
長男も結婚をして、家族が増えた。
翌年には、孫が生まれる。
当然ながら、子供受けはすこぶる悪かった。
これについては諦めている。
更に数年後、すっかり存在を忘れていた息子から、驚くべき内容が綴られた手紙が届けられる。
遠い異国の地で、結婚をしたと。しかも、子供まで生まれたらしい。
早速、祝いの品々を送り付けたが、反応は無かった。
それから毎年なんらかの品と送り付け、ついでに孫貯金を開始する。まだ見ぬこの子がこの国に来た時に困らないような準備は怠らなかった。
孫の名はリツハルド。
息子の手紙によれば、雪妖精のように可愛い子供らしい。
早く会いたいと、何度も妻子を連れて遊びに来るようにと催促の手紙を送ったが、向こうの親父がこの国へ来ることを良く思っていないとか。
私の念願が叶ったのは四年後の話である。
息子はついに妻と子を連れて帰って来たのだ。
まず、驚いたのは息子の変化。
雰囲気が柔らかくなって、笑顔を見せるようになっていた。
連れて来た娘を観察していれば、納得をする。
息子は彼女に大きく影響をされていたのだ。
そして、連れて来た孫は息子に全く似ていなかった。
雪の色をそのまま映したかのような真っ白い髪を持ち、青い目はサファイアのよう。
確かに、童話に出てきそうな雪国に居る妖精にしか見えなかった。
あろうことか、幼子と目が合えば、にっこりと微笑んでくる。
「――は?」
子供が、私に微笑みかけているだと!?
思わず、呆気に取られてしまった。
息子が「お祖父さんだよ」と紹介をすれば、トコトコとこちらにやって来て、ぺこりと頭を下げた。
「おじいさん、はじめまして、リツハルド、です」
「!」
自己紹介をすれば、目を細めながら、両手を広げるリツハルド。
これは、どういう意味のある仕草なのか!?
息子が、「父上、抱っこしてくれる?」と言ってきた。
言われて気付く。孫は私に抱き上げて欲しかったと。
恐る恐ると、孫に触れる。
ちらりと顔を見れば、目をキラキラと輝かせていた。
腕に力を込めて、一気に抱き上げた。
突然泣き出したりしないか、心配をしていたが、リツハルドは楽しそうな笑い声を上げていた。
なんという、天真爛漫な子なのか!
世界一可愛いと思った。
もしかしたら、長年の苦労が実って、子供に好かれるようになったのかもしれないと思っていたが、相変わらず、長男や長女の子供には泣かれるのであった。
無念。
◇◇◇
「昔は父が怖かった」
そんな長男の告白を、何十年と経ってから聞くことになる。
「無言で追い駆けられた時は、何日も父が夢に出て来て……」
あれは何を怒っていたのかと問いかけられる。
追い駆けっこをしているつもりだったとは言えない。
私を怖がっていた孫も結婚をして、ひ孫が生まれた。
期待は全くしていなかったが、顔を合わせれば泣かれるという安定の嫌われようである。
まあ、子供の可愛さはリツハルドで堪能をしたからそれでいいと思っていた。
我が人生に悔いはない。
しかしながら、そんな私にも、まさかの転機が訪れる。
あの、結婚できない男こと、リツハルドが結婚をして、付き合いを始めた嫁の実家に居る子供が私に懐くという奇跡が起こった。
更に、リツハルドに子供が生まれるという奇跡は続く。
ひ孫が生まれるだけでも嬉しいのに、リツハルドは私に名を付けてくれと願ってくれた。
こんなことがあるのかと、感動をしてしまう。
何日も何日も迷って、考えて、ひ孫の名前を決めた。
孫夫婦も気に入ってくれて、本当に良かったと思う。
そして、生まれたひ孫もまた、世界一可愛いと思った。
またしても奇跡が起こり、私の顔を見ても、抱き上げても、泣かないのだ。
なんという幸せ。
長生きするのも悪くないと思う日々である。
私の夢を叶えてくれたリツハルドには感謝をしなければならない。
まだ、直接伝えていないが、いつか礼の一つでも言おうかと思っていた。