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第6章 第4話 助からない、命の取引◆★

 あずま 沙織さおりは、有給休暇を消費して米国滞在を更に延長した。


 アガルタ第27管区、素民のメグとナズ。

 彼らが沙織の実の妹、東 愛実と恋人、ネイサン・ブラックストーンであるという可能性に思いがけぬ筋から辿りついたからだ。

 あと一歩のところで真相に迫る。

 現時点では憶測にすぎないが、徹底的に証拠を集めてから帰りたい。

 沙織は直接NSAに乗り込むことを警戒し知己のNSA職員に連絡を取った。

 二日前のことである。


”Who are you?”

(君は誰だ?)


 待ち合わせ場所。

 ワシントンD.C.に隣接するメリーランド州サウスローレル、地元では人気の、個室のあるジャパニーズレストラン前に佇んでいたのは、白いフレアコートをきた東洋人の、頬をピンク色に染めた長い黒髪の十代の少女だった。

 面識がないと言われるのも無理もない、彼女は劇的な若返りを果たしていたのだから。

 少女は地味な黒のスーツを着た若い黒人青年に黙礼すると、朗らかに挨拶をした。


”It's been a while since we last saw each other, MTI Cooper.

  I’m Azuma.I was in the 8th batch of students of your training.”

   (お久しぶりですクーパー教官。8期生のアズマです)


 黒人男性は暫しの沈黙の後、間が悪そうに苦笑して


”Ah, it's just you. Your appearance have changed dramatically, I couldn’t notice.

How's your work going?”

(何だ君か。外見が変わっていたのでわからなかったよ。君の任務はどうしたんだ)


 彼も諜報員であるため、容貌の劇的な変化ぐらいでは驚かない。


”Can we talk in private about something?”

(少し、個人的なご相談をと)

 

 珍しいこともあるものだ。

 勝気な生徒であった沙織が、教官を頼ってくるなど珍しい。


” I don't think I can really help after transferring to NSA.”

(NSAに移籍してから、君の役に立てることは少ないと思うよ)


 沙織がクーパーに個人的な相談事をもちかけてきたのは、初めてだった。


“Don’t you talk about that after going into a restaurant? 

 I have a reservation of a private room.”

(お店に入ってからにしませんか。個室を予約してあります)


”Well, all right.“

(ああ……わかった)


 この黒人青年の名を、沙織はクーパーとだけ知らされていた。

 偽名なのか本名なのかもよく分からないが、沙織のCIAでの諜報技術研修中にマンツーマンで指導を受けた教官である。

 沙織は米国諜報機関に広く人脈を持っているが、信頼できる人物となるとそう多くはない。

 クーパーは現在は姿と名を変えNSAに移籍しているが、沙織にとってプライベートでも親交のある親しい人物であり、組織内部でもそれなりの立場と権限を持ち、NSAの内情にも詳しい。

 彼は人づきあいが非常に悪く食事に誘ったところで来ないが、天ぷらが大の好物だったからか、珍しく誘いに応じてくれた。

 沙織は彼の好みをよく心得ている。


 彼女が独力で辿り着いたブルークラウド上のネイサンのファイルの情報によれば、ネイサンは勤務先であるNSAに封書で救援を要請したと記述されていた。

 好物のエビ天を幸せそうに口に運ぶクーパー教官にビールを酌みながら、沙織はネイサンと愛実の件をNSAが把握しているかを探る。


”Since I’m holding many matters and my section is quite different, you know, I know neither Manami nor Nathan. Anyway, that’s too bad.”

(知っての通り僕も多くの案件を抱えているし、担当部署が違うから、マナミにネイサンと言われても分からない。だが、それは気の毒に)


 諜報員などという仕事をしていると、稀に家族が犠牲となる。

 これに懲りたら早くこの仕事から足を洗うことだ、とクーパーは彼女を諭す。

 犯人グループの大体の目星はついているのかとクーパーが訊ねると、沙織は


“It is a private wish to the last today.”

 (今日はあくまで、プライベートなお願いですので)


 彼女は詳細を明かさない。沙織の口は重かった。


“You mean you can't talk about it. Fair enough, I don't want to pry.”

 (話せない、ということか。まあいい、余計な詮索は好きではないのでね)


 沙織が日本政府の人間であるため、米国籍のクーパーに詳しい話はできない。

 クーパーは沙織の話を聞くと、正当な権限を行使しNSA内部でのネイサンの消息を調べると約束した。沙織は後ろめたく感じつつも、元教官の厚意に甘えることにした。


 ――翌日。


 沙織はクーパーからの連絡を受け、フォート・ジョージ・G・ミード陸軍基地内のオフィスにゲストとして呼び出しを受けた。

 市街地では話せないというのだろう。

 広い個室をあてがわれていたクーパーは、ラフなブルーのTシャツを着て、NSA職員にしては軽装だ。彼は古いカテゴリで言うと通信傍受(SIGINT)を専門とする部署に所属している。

 この事件は大きな事件ではあったが、対人諜報(HUMINT)の管轄であったためクーパーの耳には入っていなかったというのだ。


 愛実とネイサンが実行犯組織に襲われたのと、NSAが事態を把握したのはほぼ同時だったようだ。

 NSAがネイサンの大腿部に埋め込まれたというシグナルを追跡し、監禁されている場所を突き止め救出を試みた。しかし、ネイサンからのシグナルの発信を気取られたか、救出部隊突入時、二人は既に暴行を受け頭部に致命傷を負った、殺害後の状態で発見されたという。


 彼の二言目があと少し遅ければ、沙織はあやうく正気を失ってしまうところだった。

 クーパーは沙織が狼狽していることに気付くと、ふっと目を細めて


“Just listen through to the end, Saori. Though, I heard both persons achieved successful resuscitation.”

 (話は最後まできくものだよサオリ。だが、二人とも蘇生に成功したそうだ)


 遺体を発見したのが蘇生可能なギリギリの時間帯である殺害後二時間以内であったので、ただちに軍関連施設で肉体の蘇生、治療と脳の修復措置がはかられた。

 肉体は完全に修復させることができたものの、二人とも頭部の損傷が著しく、軍医療施設では記憶の復元は不可能であったとのこと。

 NSA所属のネイサンが狙われ、犯行組織の規模が見過ごせないほど大きく、テロの危険性を孕む重要事件だとみたNSAは、事件の全容解明と解決のためネイサンと愛実の記憶を入手したいと考えた。

 そこでNSAは、既に精神疾患治療を開始していた米国アガルタに二人の記憶の修復を依頼しようとするが、米国アガルタでは脳疾患治験者があふれかえっており、既に定員に達していた。


 この時、日本アガルタの仮想下リハビリテーション治療プロジェクトの高次脳機能障害治験プロジェクトに、若干の空きが出ていた。

 日本アガルタのリハビリテーションプログラムは未開設管区でのみ行われ、治験者の患者情報は非公開とされる。

 日本での加療は好都合だとみたNSAは、二人を治験者として日本アガルタに滑り込ませ、厚労省には二人の略歴のみを伝え、身元も諸事情も知らせなかった。

 二人の肉体は現在日本アガルタにて加療中だ。


 しかしその後、厚労省は独自の調査で愛実の身元を突き止めていた。

 愛実が日本を出国し、米国へと赴いた形跡があったからだ。


 NSAは二人が回復し次第、米国に連れ戻し事情を聴取する予定、とのこと。

 ただ、愛実は日本国籍であるため、現実世界帰還後の厚労省がどのように対応するか分からないと――。


 沙織はクーパーの迅速な調査と親切なはからいに懇ろに礼を言うと、彼は困惑して


”It is not only good news, either. Saori, you were from a fatherless family, weren’t you?”

(いいニュースばかりでもないんだ 。サオリ……君は、片親だと言っていたよな)


 研修中、何気ない雑談の中でクーパーに話したかもしれない。

 何しろ彼とは仮想世界で五年間も一緒に過ごしたのだ。

 その時間は存分にあった。

 彼女は彼を信用していた。

 沙織もまた、彼の本名を除いてはクーパーの経歴や個人的趣向、家族構成まで知り尽くしている。


”Yes. Why?”

(はい。それが何か)


”Yeah. In fact,――”

(実はな――)



 ***


 水泳競技の決勝戦の直前、キララはエトワールとメグ、ナズの付添のもと、赤井神の神殿での安静を余儀なくされている。

 スオウシリーズの運用については医師であり区画担当であったエトワールが詳しく、彼女の体調を看ることになった。


 観覧席で話し込んでいた蒼雲とモフコのもとに、ロベリアがパタパタと小さな銀の翼を羽ばたかせて舞い戻ってきた。


『蒼い神様、モフコさん、只今戻りました』

『ロベリアちゃんおかえりー! 青い神様とこっちでボードで見てたのよー』


 ロベリアは蒼雲に敬意を払い片膝をつき、神妙な顔で頷く。白椋とコハクも、すぐに戻るとのことだ。


『こちらはいかがでしたか』

『いやー、キララが調子悪そうなんだ』

『今はまだ意識があるけど、段々病状が悪化していっちゃうのよねースオウシリーズって。困っちゃうことに』


 モフコも渋い顔をしている。

 もう、あまり長くないだろうということは予測できた。もって半年だろうか、一年だろうか。

 ハイロードにも使徒にも、スオウの寿命を延ばすような力はない。

 特に27管区のスオウシリーズであるキララは、赤井との一年にも及ぶ戦いの中で呪力を継続的に使ってしまったために、他管区のスオウとは違った消耗をしていたのかもしれないな、とモフコも蒼雲も分析する。


 湖に飛び込んでいた選手たちはすっかり水から上がって布を巻き、弁当をひろげながら成行きを見守っている。


「あおいかみさまー! 大会の進行のほうは、どうしましょうか」


 痺れをきらした大会実行委員会が、VIP席にやってきた。

 大会責任者であったロイに加え、グランディア主催国のキララがいない。

 そのうえ赤い神もいないときている。


「あかいかみさまもグランダ女王もご不在となると、延期しましょうとグランダ民は言っています。予定通りの日程にしますか?」


 グランダ民にとってはキララあってこそのグランディアだ。

 女王様の前で目立った活躍で名前を売りたいという野望を持つ素民もいる。


『んー、そーだなー』


 蒼雲が観客に目を向けると、しっかりと弁当を頬張りながらもまだ混乱は続いている。


「スオウ様のご体調が芳しくないのか……先代様の崩御された、あの病を患っておられるのかしら」

「そうだとしたら先代様より早くないかい? まだお世継ぎもおられないのに。グランダはどうなってしまうんだい」


 グランダは慢性的に王位継承者不足に悩まされていた。


「赤い神様にも、スオウ様を救うことはできないのか。だいたい、こんなときに赤い神様もモンジャの長のロイもいないし。主催者がいないだなんて、無責任ではないの」


 キララの身を案じるあまり、姿を見せない赤い神への非難の声が一気に高まる。

 グランダ王国の一大事である。グランダ民はグランダを守り抜いてきたキララへ熱い信頼を寄せていた。


 その頃のモンジャ民はというと


「赤い神様もだけど、ロイはまだ帰ってこないのかい?」


 ロイに思いを寄せていた大工のヒノは、観客席の修理をしつつそわそわと落ち着かない様子だ。


「あかいかみさまは行先を知っておられるようだぞ。ヒノはロイのことばっかり気にしてるもんな」


 一緒に大工作業をしていた兄のラウルが妹をからかうと、


「なことないって! てめーなに適当なこと!」

「わかりやすいんだよなー。だってお前その席見てみろよ」


 作業をしていたひな壇の板の向きが、あべこべに打ちつけられている。


「わっ! んだよ兄貴だってメグの方ばっか見てるじゃん!」


 などと言っていたとき


『席を外してしまい、申し訳ありませんでした』


 絶妙なタイミングで、赤井神が蒼雲とモフコのいる観覧席に忽然と出現した。

 彼は空間を飛び超えて現れたのだ。


『おあっ?!』


 頬杖をついて油断をしていた蒼雲は目を見張り、玉座から飛びあがる。

 まだ未習得だった筈の転移術を使って現れたものだから、驚きを隠せない。


「あかいかみさまが何もないところから出てきたぞ!」

「あかいかみさま、グランディア抜けてなにやってたんだー」


 モンジャ民は一斉に振り向き、やいのやいの言っている。


「なんということだ! そのお姿は一体!」


 帰ってきた赤井を見て、ネスト民が騒然とした。


「せっかく赤い神様の仮装をしてきたのに、これじゃ似てないじゃないか!」


 嘆くポイントが間違っているネスト民は、赤いカツラをぶん投げていた。


 変化は一目瞭然だ。

 トレードマークの長髪が焼き切れてぼさぼさの短髪になり、顔や肌は完膚なきまでに生傷だらけで、白衣も朽ちてタンクトップのようになっている。自己補修能力のある髪の毛や白衣が焦げたり破れたままというのは、主神の装いとしてありえないことだ。

 そうなってしまった可能性はただ一つ。ダメージの回復が不可能なほどのアトモスフィアを孕んだ熱に灼かれ、熾烈な戦闘を繰り広げていた――。


 痛々しい姿とは裏腹に、赤い神はさっぱりとした表情でパウルに声をかけたりしている。

 それどころか、何か手ごたえを感じている様子だ。


『どうしたの赤井神様、爆発コントでもやってきたの?!』


 モフコがボケながら赤井の注文も聞かず、背後から猛然とバリカンでソフトモヒカン気味に整えた。


『あーっ! ちょ、そんなソフモヒに?!』

『じゃあ逆モヒがいいの!? はい、これ新しい白衣! 文句ある!?』


 赤井はじょりじょりと、涼しくなった頭を撫でながら


『……も、文句ないです』


 とはいえ、彼はモフコの気遣いに感謝しつつ、真新しい白衣に袖を通す。モフコの趣味でデザイン変更された白ワンピだが、裾が短めで動きやすく、彼は微妙に喜んでいる。

 蒼雲とロベリアは外見では分からない赤井の、進化ともいえる劇的な変化に驚いていた。


【構築士情報】

 役名 : 赤井(JAPAN/ID:ZERO-JPN2)

 職名 : 甲種一級構築士 / 主神ハイロード

 心理層 : 0→5層

 物理層 : 1→8層

 絶対力量 : 1.8万→19.2万ポイント

 滞在日数 : 3436日

 有効信徒数 : 2189名(76%)

 総信徒数 : 2881名


『何? どしたの短時間で何があった、別神みたいじゃん』


 モフコが注目したのは、心理層マインドギャップの大幅な増加だ。

 神々と使徒は心理層と呼ばれる精神力と、神通力を除いた神体そのものの強靭さを表す物理層というパラメータを持つ。

 精神的な経験値、心の成熟度に応じて心理層は増えるとされている。

 これらの大幅な増加は、メンタル・フィジカル双方のトレーニングを長時間積んだ証である。


『や、別人のわけありませんよ』

 さらに、絶対力量は一桁も増えて、現在の赤井のステータスはアトモスフィアの多寡を除けば、白椋以上、蒼雲とほぼ同程度といって過言ではない。それでもヤクシャのポテンシャルの方が高いのだが、狙いすました的確な攻撃を加えれば、不意を打って一度ぐらいヤクシャを倒すことはできたかもしれない。

 それにしても、蒼雲は信じられないが。


”赤いのー、一体何時間ぶっ通しでやってたんだ?”

”時計もないし主観的な感覚なので分からないですが、3か月ぐらいっすかね~、とヤクシャさんは仰っていましたよ”


 トレーニングスポットでは何時間訓練しても、27管区時間で1時間程度にしかならない。

 だからといってやりすぎだ、限度を超えている。

 ヤクシャも赤井も互いに負けず嫌いな性格で、ヤクシャが負けるまでエンドレスでトレーニングを続けたのだという。


『どっちもどっちだよ~』


 トレーニングスポットを利用したことのないモフコがドン引きしていたが、蒼雲の反応は違う。

 赤井はわずか9年目のキャリアの新神だ、しかし、上位使徒ヤクシャとの特訓の結果、289年目の蒼雲とさして変わらない心理層数を備え、飛躍的な成長を遂げたのなら、それはアガルタ全管区の9年目の新神の状態を遥かに上回る。

 初期状態でこれなら、千年後にはどうなっている。

 蒼雲はそう思うと、ぞくぞくとしたのだった。

 

『一体どんな特訓をしていたのですか?』


 ロベリアが興味津々で訊いてみると、赤井は爽やかに


”えーと、エクストリームテニス、エクストリームゴルフ、サッカー、バスケ、バレーでしょ……”

『全部球技系なの!? もっとこう、武術とか格闘技系じゃなくて!?』


 まるで遊んでいたかのようなトレーニング内容にモフコは開いた口が塞がらない様子だが、


”あ、特に戦闘訓練みたいなものはしてないです”


 赤井はあっけらかんとしている。


『あのヤクシャさんの特訓で、そんなはずはないのですが……でも、拝見すると結果は出ているようですし』


 何かの間違いではないか、とロベリアは首をかしげる。

 ロベリアは数日間ヤクシャと日課を兼ねて模擬戦をやったが、ヤクシャは好戦的でストイックな、容赦のない構築士という印象だった。

 赤井の性格に合わせたメニューだったのだろうか、とロベリアは納得がいかない。


 とにかく、彼が第三区画構築士の水埜みずのから提示された条件をクリアしたため、伊藤PMの許可が下り次第、第三区画が解放されるとのこと。

 そこでモフコは、キララの寿命が尽きかけていること、それを回避させる方法はないのだということを告げた。

 それを聞いた彼は、ますます第三区画の解放を急がなければならないと言う。


”なんか赤井さん、冷たくない? キララちゃんのことあんなに大切にしてたのに”


 彼は娘のように接していたキララを、寿命がきたら見捨ててしまうつもりなのだろうか。

 とはいえ、キララの寿命が尽きるまでに次のスオウが生まれなければ、27管区のスオウ一族は断絶してしまうのだ。

 何だか赤井が別人になってしまったようで、モフコは哀しくなった。


『急がなくてはならないんです』


 赤井は前を見つめていた。

 遠く湖の向こう、構築士水埜の待ち受ける第三区画が見える。

 未解放区画の方角は雲の影となり、区画全体は不気味な濃霧に包まれている。


『私は、至宙儀を使えるようにならなくてはなりません』


 あらゆる願いを叶える万能の超神具、至宙儀。

 モフコは彼の意図に気付いた。

 赤井は、至宙儀でキララの病を癒し、ロイを連れ戻そうとしているのだ。

 至宙儀を起動させるには、最低でも8万人分の信頼を得なければならない。

 そのために彼は第三区画の解放を急いでいるのだと。


 いつの間にかモンジャ民たちが、どっとVIP席の周囲に押し寄せて身を乗り出している。


「かみさまーロイさんはいつ帰ってくるんですか!?」

『彼は少し旅に出ていますが、時が来たら私が迎えに行きます』

「本当に!? 戻ってくるんですか? 絶対?」

『ええ、絶対です』

「嘘ついたら、かみさまのこと嫌いになりますよ!」


 念押しをするように、彼らは何度も確認をする。グランダ民もこの流れに乗じて、


「神様、神殿でお休みのスオウさまは大丈夫ですよね!? 御病気ではありませんよね!」

『彼女も忙しくしていたので、疲れが溜まっているのでしょう。暫く安静にさせてあげましょうね、病気ではありませんよ』


 あまりにも屈託なく答えた赤井を、素民たちは再び信じようとしているのだろうか。

 安堵の空気が大観衆の中に広がってゆく。


「あかいかみさまがそう仰るなら、もうあんしんだよな!」


 神様は嘘をつかないし民を裏切らない、素民たちは疑いもなく信じていた。

 それは日頃より培われてきた信頼関係のたまものである。

 競技祭典グランディアは各国民の交流をはかり、団結力を高めるにはうってつけのイベントだ。

 ロイが失踪しキララが万全ではない状態で75%まで有効信徒数を落としてしまった赤井が第三区画解放までにできることは、少しでも素民たちからの信頼を取り戻し、これを高めておくことだ。


 区画解放後、第三区画民との交渉に失敗し全面戦争となっても基点区画、第一、第二区画の民を守り抜き、第三区画民の憎悪を受け止めるだけのポテンシャルはヤクシャとの地獄の特訓で十分に備えたと赤井は自負している。

 ただ、民からの信頼の力に支えられ神通力が潤沢にあれば……というシビアな条件が、アガルタの神には常に付きまとう。

 神通力がなければ、彼は何もできないに等しいのだ。

 そのために素民と触れ合い、彼らの声に耳を傾ける場を――赤井にはそんな思いもあった。


「では神様が戻ったので水泳競技、決勝戦をはじめましょう!」


 モンジャの大会委員が宣言し、決勝戦は仕切りなおしだ。

 高く差し込みはじめた陽光のもと、カルーア湖の水しぶきが涼やかに空に散った。



***



 赤い神の神殿の内部。参拝者のための休憩室には、簡易ベッドが用意されている。

 そこに運び込まれたキララはエトワールに抑えつけられ、仰向けに寝かされていた。


「どけ、こんなところで寝ていてもどうなるわけでもあるまい。私は水泳競技の決勝戦を見たいんだ」


 キララはじたばたと抵抗を試みる。


『だめだ、君は少しじっとしていてもらう』

「いつまでじっとしていろというんだ!」


 彼女は抗議しても、聞きいれてもらえなかった。


『ナズ、ちょっとこの水瓶に、きれいな水を汲んできてくれないか』

「は、はい」


 メグはキララの病気を調べようとしてベッドの傍らに座り込み、見えない医学書のページを繰る。

 不治の病だとキララ自身が言っているが、どこかに治療法が書いていないかと必死に捜す。

 出会ったころと比べると、キララはここ最近急激に痩せたな、とメグは思う。

 体重減少は、重い病を患っているサインの一つだ。


「私を病人のように扱うな、不愉快だ!」


 悔しそうにキララは呻くが、その声には覇気がない。

 彼女の無念は、幼少期から傍で彼女を見守ってきたエトワールが一番よく理解している。彼女には酷なことをしてきた。

 これから幸せに、というときに……と哀れでならない。


『分かっているとも。血圧が安定して気分がよくなったら、観戦してかまわない』

 

 エトワールは何度か、スオウ一族を襲う不治の病の克服を試みたことがある。

 第一区画解放後、赤井に言づけようと思ってのことだった。

 彼は何代ものスオウを第一区画内で見守るうち、それが原発性骨髄線維症げんぱつせいこつずいせんいしょうにきわめて類似し、しかし全く病態の異なる未知の難病だというところまで突き止めた。

 しかし、どうすることもできなかった。

 同種造血幹細胞移植を避けて通れないからだ。

 造血幹細胞移植の条件として、HLAという白血球の型がドナーと患者の間で同じである必要がある。ところがスオウ一族のHLAの型は一般素民の型とは異なり、一人として同じ型を持っているものがなく、親子でも不一致であった。

 また、先天性の疾患であるため自己の幹細胞などが使えない。

 Jak2という遺伝子に異常が生じている場合は遺伝子治療も可能だが、スオウ一族の遺伝病は異なった。

 

 スオウシリーズは蘇芳 桐子教授に短命の仕様を施され、治療の試みは阻まれる。

 SOMAを接種している現実世界の人間でなければ、万能薬という切り札も効果は見込めない。


 一時的な処置としてエトワールは彼女に鎮静剤とステロイドを投与すると、暴れていたキララもとろんとして、やがてすうすうと寝息を立てる。

 メグはキララが寝ついたのを見届けた後、エトワールに小声で尋ねるのだった。


「エトワールさま、治療はどうすればいいんですか。手術をすれば治るんですか?」

『しばらくは、対症療法しかないよ。これはスオウ一族に遺伝する特別な病なのでね』


 遺伝子という概念をまだ習っていないが、メグは無意識的に遺伝子疾患のページをめくっていた。


「身体の中の、どこが悪い病気なんですか」

『血液だよ、血液をつくる根本の細胞がやられているんだ』


 血液疾患のページを開き目を通す。が、分からない用語が多すぎて途方にくれる。


『まあ、治らないだろうね』

「いがくはどんな病気でも治せるんじゃないんですか……?」


 心の支えにしていたものを、メグは壊されたように感じた。

 キララの命を惜しむように掌にそっと手を重ね合わせていたエトワールは、視線を向けることもなくメグに言葉だけを投げかける。


『蒼雲神がそう言ったのかい? 医学を学めばどんな病も治せるようになり、誰も死なないと』

「……!」

『残念ながら、それは間違いだよ』


 穏やかな声でエトワールはメグに告げる。


『いいかいメグ、誰でもいつかは死ぬんだ。病気、事故、怪我、老い。楽に死ぬか、苦しんで死ぬか。それが遅いか早いかという違いだ。たったそれだけの差を少しでも長くと、そこに助かる命があるかぎり助けたいと願う。でも、そこに一体何の意味があるだろう。私たちにできることは、助かる場合も助からない場合も患者の意思を尊重し、彼らが自分らしく生きる手助けをしてあげることでしかない。それは必ずしも苦しい思いをさせて患者の体を切り刻んで苦しめ、一日でも長生きをさせてあげることではないんだよ』


 医学を学んで治せる病気もある。

 だが治せない病気に直面したそのとき、患者の命とどう向き合うか。

 自分なりに答えを見つけないといけないのだと、エトワールはメグに伝えたかった。

 彼女の帰還する現実世界で、綺麗ごとばかりが通用するわけがない。


『メグ、君は助からない患者にどう向かい合えばいいと思う?』


 まだ、彼女はメスを握るには早かった。

 人を救いながら自分なりの道を見いだしてゆくのもまた、医の道を歩む者にとっては正解だ。

 しかしこの、文明がまだ産声を上げたばかりの世界では、あまりに彼女は無力だ。

 知識だけを得ても、それは夢物語にすぎないのだ。

 急いで水瓶に水をくんで戻ってきたナズが、部屋に入れず立ち聞きをしていた。

 メグは医学書を両手で抱えるようにして項垂れながら


「誰にも、治せないんですよね……あおいかみさまも、エトワールさまにも。それは、もう諦めるということですか?」

『死を受け入れるということは、諦めるということではないよ』


じっと、メグは考える。


「でもそれは……諦めることだとおもいます……エトワールさま。たとえ助からないと言われても」


 メグはぎゅっと唇を噛みしめた。

 ああ……そうか、とエトワールは目を見張る。


「それでも私は、助かる方法をさがすと思います。だって……助からないと言われたら、病気の人は何をすればいいですか? 私は最後まで、治らなくても、助かるよと言ってあげたいです」


 なんだ、赤井とメグは似た者同士じゃないか。

 エトワールは気づいたのだ。

 目に留まる人々を一人でも多く救いたい、諦めたくない。

 その思いを通そうとすればするほど、無力を知り途方に暮れてしまうだろう。

 数えきれないほど傷つきながら、それでも彼らの願いにこたえたいと、必死でもがく姿は滑稽だろうか。ただの偽善や自己満足に過ぎないだろうか。


 いいや、違うな。

 ここは仮想世界だ。

 死を恐れる人間の造りだした安息の地、理想郷だったと。

 現実世界に送り出す彼女を想うあまり、やっとの思いで手にした希望を滅茶苦茶に挫く場所ではない。

 彼女もまた、一人の患者なのだ。生死の境をさまよっている……。


 そんなとき人は神に祈るのだ。

 ここには、彼らの祈りにこたえる神がいる。


『そうだな、君が諦めないと言うなら……。彼ならば叶えてくれるかもしれないよ』


 あの頃……一度でも神様が祈りにこたえてくれたらな、とエトワールは思い起こす。

 彼がまだ医師として患者と向かい合っていた頃。あの頃、一度だけでも――。


『君の神に願うといい。願いは彼の力となる。今はできないこともできるようになるかもしれない』


 現実と仮想、異なる道を歩む彼らの成長を見届けたいものだ。

 エトワールは期待を込めた眼差しをむけた。

 メグの目は真ん丸になり、ひどく間抜けな顔をしていた。


『彼は不可能を可能とする、そんな神だ』



 ***



 東 沙織は帰国直後、竹原の部屋を挨拶に訪れた。

 小柄な竹原は、椅子の背もたれに埋もれるように腰掛けながら、じっとガラス張りの窓の外を見つめていた。

 何か考えに耽るように、神経質そうに白い顎鬚を整え、目をしばしばさせながら立体モニタを見つめていた。

 痩せ枯れてはいるが、眼光は鋭い。


「オフは楽しんできたかね?」


 竹原は浮揚するモニタをかき分けるようにデスク横にずらし、東に着座を促す。


「ただいま戻りました、長々とお休みをいただいて申し訳ありません。休暇中、何か変わったことはありませんでしたか」

「まずは朗報だ。DFH計画でターゲットとなっている赤井構築士を、内調こちらに引き抜く見通しがついたのだよ」


 竹原 義一は、東の忠誠心を試すかのように彼女から視線を外さない。

 東は露骨には嫌な顔はしないが動揺の色を表情に滲ませた。

 その他、懸案だった赤井構築士の家族の保護は、厚労省主導のもと進んでいる。

 赤井構築士の実家は、神奈川県の古い農家で、祖母と両親の三人暮らし。

 SPの要請出動により彼の家族を24時間体制で警護している。

 大阪在住だった彼の弟は、東京本社へと転属になり監視の目が行き届きやすくなった。


「死後福祉局が、赤井構築士の引き抜きに抵抗していたのでは?」

「円山にも話は通った。DFHに絡む組織は大きくなってきているし、動きも活発化している。実行の時期は近い、とみていいだろう」


 DFHに加担しているとみられる組織の規模は、今年に入り水面下で拡大の一途を辿っている。

 その動きが、赤井構築士の成果と今上陛下のアガルタ入居希望問題を巡ってのものであるとは瞭然たる事実であった。


「赤井の治療したという患者が現実世界に出て社会復帰を果たしたら、一気に事を起こすだろう」


 患者の完治が確実なものとなったら、彼らは動く。

 アガルタにログインしたままの赤井の疑似脳を狙い、クーデターに用いる算段だ。

 クーデターを未然に阻止し、犯人グループを一斉検挙しなければならない。

 その為に、一時的にでも赤井構築士を仮想世界から現実世界に帰還させる必要があるのだ。


「こちらも報告したいことがあります。我々はDFH計画に対する理解を、大きく改めなくてはなりません」

「どういうことだ」


 内調がこれまでに把握している限り、DFH(天孫降臨:Descent From Heaven)計画とは、東京に非人類の社会を形成しようというものだった。

 皇族、そして高い知性を持つ選ばれた少数の人間のみが生脳および生脳のデータを高性能バイオアンドロイドに移植し、ポストヒューマンとして日本を中枢部からコントロールしようという恐るべきクーデター計画である。


 彼らは自然回帰主義者であり、次世代優生学論者ネオ・ユージェニストだ。


 かつてナチズムに利用された悪名高き優生学は人類の遺伝子プールを狭める結果となり、賢いやり方ではなかった。

 次世代優生学は優れた人間が環境に短期間で適応でき即応的な進化を可能する、非遺伝子型ボディに乗り換えようという発想に基づいている。


 神体と彼らの名付けたバイオアンドロイドのエネルギー源は、宇宙発電所からレーザー伝送される太陽光ベースのエネルギーを主とする。

 極めてクリーンで、食物はおろか二酸化炭素も排出せず、地球資源や他のエネルギーを殆ど消費しない。また、神体は宇宙空間や海底などの過酷な条件下でも生存可能であり、脳を破壊されない限り自己再生能力によって不死身であるため、人類進化の究極の形であるとはいえる。

 

 それはあくまで日本国内規模で計画されている、荒唐無稽な妄想だと内調は認識していた。


 しかし、NSAの捜査により明らかになったのは、ベースは日本国内で把握していたものと同質であるがより大規模な、次のようなものであった。

 高度な知性を持ち、無欲で向上心が高く、人類の進化に貢献しうると思われる優秀な人間を、年齢、性別、人種を問わず全世界で1万人、コンピュータでソートをかけ公正に選び、彼らを神に限りなく近い肉体を持つポストヒューマンへと進化させる。

 現在地上に住む旧人類は消極的淘汰方法で仮想世界へ駆逐する。

 それらは出生率コントロールやアガルタの入居率向上によって、二世代をかけ徐々に行う。

 地上に残ったポストヒューマンたちは小規模のコミュニティを築き、それまで人間の手によって破壊されていた自然環境や生態系を回復させ、自然環境を適切に管理し、地球を永遠の楽園として後世に引き継いでゆく。

 以上を共通目標として、各々が独立かつ並行的に活動している様子なのだ。

 組織の統括者はいないし、各組織間でどのように連携を取り合っているのかも分からない。

 潰しても潰しても、新たな組織が形作られる。


 彼らはただの愚鈍で短絡的なテロリスト集団などではなかった。

 世界各国の枢要な地位につく人間によって構成された、きわめて高い行動力と資金力を持つ武装革命集団だったのだ。


 ずっと誰かが、考えていたのだ。

 人間がもっと少なくなれば、地球の生態系は豊かであり続けるのだろうか、と。


 人口の爆発によるエネルギー資源の枯渇。

 終わらない国家間紛争。

 深刻な食糧問題。

 破壊される自然環境、あふれかえる失業者、それらを解決する有効な手段はまだ見つかっていない。

 アガルタの開設はこれらの諸問題を緩和させたが……十分ではなかった。


 彼ら水面下でもDFH計画に賛同する者たちが増え続けているのは、彼らがこう考えているからだ。

 金も名誉も生理的、社会的欲望も、全てを捨て去ることのできる「優秀で無欲な優しい人間」だけが、少数で地球の未来に貢献し命を繋いでゆけばいいのだと。


 愚かしく、資源を大量に消費し、快楽と欲にまみれ自己の保身しか考えず

 地球環境とそこに住まう者の害悪としかならない、何も生産しない大多数の人間たちではなく

 人格と知性に優れた人間だけが、新たな人類として地上に残ればいいのだと。


「と、いうわけです」

「なるほど。霞ヶ関に、DFHに加担する者が多いわけだ。自分たちは”選ばれるべき優秀な人間だ”と、思っているわけか」

「はい。強欲な人間は選ばれないので、まず該当しないと思うのですが。文官は特に」


 何故だろうと、竹原は長らく疑問に思っていたのだ。

 その疑問がたちまちのうちに氷解した。

 国家の中枢部にいて甘い汁を吸う人間が、国家転覆計画に加担する心理が理解できない。

 超人的な肉体と力を手に入れ、地上の支配者となる。

 それは古来より人をひきつけてやまぬ、振り払いがたい誘惑なのだろうか。


「本件は国際的規模でのテロではなく同時多発的クーデター計画であり、NSAやCIAの極秘プロジェクトチームと共に共同捜査に当たるべきだと考えます。インターポール(ICPO)はすでにDFHサイドに堕ちているとのこと。況や我が国でも……。これは穏やかに進行するクーデターです、即時の対応が求められます」


 宿主を内側からじわりと蝕み、やがて死に至らしめる進行癌のような。

 今上天皇は数年以内にクーデター計画に皇族が何らかの形で利用されると知り、アガルタ一般管区への入居を希望したのだという。


「ふーむ……」


 嘆息しながら竹原が天井を見上げると、照明裏に一匹のよく肥えた虻が止まっている。

 東も天井を見上げる。


「虻……?」


 彼女は暫しの後、違和感を覚えた。

 虻ではないということに気付いたのだ。

 虻は体を揺さぶって天井から離れホバリングを始めると、換気の為少しあけていた窓の隙間から外に飛び出して行った。


「いけません! 今のは盗撮虻です。昆虫の虻は成虫で越冬できない!」

「盗撮・盗聴防止シールドが展開されていたのだが!?」


 国家機密を扱う官公庁の個室には通常、盗聴不可能とされる強固な防諜シールドが張られているが、シールドを突破するものがある。

 それは盗撮中いかなるシグナルも発しない、昆虫に擬態した盗撮装置だ。

 虻型は盗撮装置の中でも、間違いなく最少モデルといえる。

 ネイサンが使っていたものと同じモデルだ。


「追跡を開始します」


 東はバッグのポーチの中から何かを素早く取り出し、開け放った窓の外に黒く柔らかい毛玉のようなものを投げた。

 毛玉は空中で翼を広げ音もなく軽やかに羽ばたく。

 アマツバメを模した小型鳥獣型追尾装置だ。

 風切り音がなく高速で、ステルス性能が付加されており、盗撮虫のセンサーに映らない。


 冬の摩天楼の隙間を黒い弾丸のように滑空しながら、アマツバメは盗撮虫の行方を追う。

 彼女はツバメと視覚を遠隔で共有するゴーグルを装着し、ツバメの視界にシフトし飛翔をコントロールする。虻は豆粒より小さなサイズだが、賢いツバメは見逃さない。

 自動追尾モードにスイッチしたからだ。


「西荻窪方面に向かっている模様。飛路12号線に滞空車両を発見。車両の窓が開いています」


 東は、首都空速道路12号線、吉祥寺SJCTスカイジャンクション付近の路肩に滞空中の不審な飛行車をみとめると、小型モバイルをバッグから取り出す。

 ゴーグルを無線接続し映像をモバイル上の解析システムに同期させる。手慣れたものだ。


「車の中から手を出しました、盗撮虻を回収するものと思われます。車番を確認、公用車です。中に男が二人」

「盗撮データを渡す前に、仕留めるんだ」

「了解。二人組を撮影しました。データの転送はまだありません」


 アマツバメは急降下し、豆粒ほどの盗撮虻を鋭いくちばしで貫き粉砕した。

 原型を留めぬ細かな金属片が、はらはらと地上の公園の植え込みに消えてゆく。

 運転席の男はアマツバメの強襲に気付くと、窓を閉めそのまま飛び去った。

 東はすぐに車番と顔貌から身元を割り出しにかかる。


「どこもかしこも、まったく……」


 竹原は首を左右に振った。


 愛実の両親を装い、何者かが加療中の愛実を迎えに来たとクーパーに告げられたとき、沙織は胸が張り裂けそうだった。

 彼らが何故愛実を狙おうとしているのか。

 それは、愛実とネイサンが、犯人グループの特徴を思い出しNSAに洗いざらい喋られては困るからだ。

 政府内部にかなりの数のDFHサイドの加担者がいることはかねてより分かっていた。

 最大の敵は身内にあり、厚労省はおろか内調内部にまで切り込まれているのだとすれば。


 現実と仮想の狭間にいる愛実とネイサンを守れるのは、外側の世界の沙織だけだ。

 しかし非合法的に一度肉体を乗り換え、十代の肉体に乗る彼女は東 沙織として彼らを迎えに行くことができない。身分が証明できないからだ。


 ならば――東 沙織の思いついた方法はただ一つ。

 沙織が仮想世界の愛実とネイサンの記憶を現実世界側から引出し、犯人の手掛かりを得てCIA, NSAと連携しながら愛実とネイサンを狙う一派を現実世界で一斉検挙する。


 東はアマツバメを手元に戻すことなく、千代田区方面に向かわせた。

 目指すは千代田区、霞ヶ関一丁目。


 彼女は即日、ジェレミー・シャンクス構築士に接触しようと決めた。

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