第3話 赤井さんのハイパーコンストラクション◆
【アガルタ第二十七管区 第63日目 居住者9名 信頼率0%】
西園担当官との通信が切れ、彼は失望と情けなさでorzの形になっていたところ、独り言を訝しんで近づいてきたロイに木枝でつんつんと尻をつつかれていた。彼はロイと草原に二人きりだ。彼ははたと気付いた。
『ロイさん……!』
ロイの信頼を得れば、構築士としての力を使えるようになる。間に合うかもしれないと。
”話せばわかる、話せばわかる。怖くないよーロイ、怖くないから話を聞いてな……”
抜き足差し足で近づく。
ロイは逃げなかった。危害を加えないと分かっているというように。
彼はロイに逃げられないうちに話しかける。
『ロイさん、皆に危険が迫っています。あなたたちの命が危ないのです』
子供にも敬語だ。公務員として行政サービス中という以上は、どんな相手にも礼を尽くす。それに、西園担当官の目も気になる。彼女がやりたかったように、完璧にしなければ。
「さっきはだれも死なせないっていってなかったっけ?」
小さな見かけによず口達者なロイに、青年は面食らう。
「あかいかみさまがいるから病気になるんでしょ。あなたのせいでしょ」
しかも小生意気だった。
しかし三の九乗の苦痛が始まる前、彼らの症状が出る前に手をうっておく必要がある。彼らとも意思疎通ができなくなるうえ、彼も不死身だが激痛で動けなくなる。潜伏期の今が勝負なのだ。
”といってもロイはもうお腹が痛いって言ってるんだし……我慢してるのかな”
『ロイさん、あなたは死にたくないですか?』
「うん」
半ば誘導尋問のようではあったが、願ったことは願った。
一にも二にも抗生物質である、抗生物質さえあれば助かるのだ。
”よし、抗生物質、カモン!”
手の中には何も現れなかった。口先だけで誘導尋問したところで、信頼関係がゼロであれば当然のこと。
「ねえ、どうして助けてくれなかったの? メグはあなたのこと、しんじていたよ」
ロイの言葉は直球だった。
素民たちは本音だけで生き、建前や嘘などない。ロイは涙目で懸命に訴えかける。
「メグはね、ずっとあなたのはなしばかりしてたよ。だからナズがびょうきになったときも信じてあなたをむかえにいったんだ。なのに、なのにさ。なんで助けてくれなかったの!」
兄の名前はナズというらしい。実は三倍ルールで動けなくてですね……などという言い訳は通用するまい。彼は黙して傾聴する。
「メグはあなたが、しんじることによって力を出せるかみさまなんだっていってたよ、ちがうの?」
『そうです』
そうですと言いながら……あくまでそういう役柄なのだ。
しかしてその実態は、国民の血税を四十億以上も投入され、世界中から期待されるスーパー公務員。演技を続け、彼から信頼を得なくてはならない。
そう、演技だ。
彼は「怖くなくて友達感覚で付き合える神様」キャラでいこうと決めていた。何故といって、親しみを持ってもらいたい。そう決めたからには完璧にこなすべきで、この世界で本名を名乗ることも、本当は人間だと主張することも許されない。
失敗したら管区全体がリセットされ、構築もやり直し。
絶対に避けたい。
アガルタ世界の住民を初期状態で放置すると、病気にかかって死亡するようだ。その代わり彼らは神の存在を信じ、構築士を神様だと最初から認めていた。最初は彼ら全員、赤い神に好意的であったのだ。
彼は素民を、長期間現地で定住生活をしている住民だと思い込み、距離をおいていた。だから彼らがよもや、青年が召喚された日に仮想世界で生じた模造生命だったとは想像していなかった。
素民たちは二ヶ月間、生きるすべも知らず小さな果実の採集だけで食いつなぎ、救いを求めていた。メグは強く言わなかったが、実状は困窮していた。
”だからメグは毎日私に会いにきてたんだ。そんな生活してたらカロリーもタンパク質も栄養も微量元素もカルシウムも足りてないよ……防寒もできてないし”
病気になって当然だ。
他の同期二柱は少なくとも彼らが自力では生きていけないと判断し、色々尽くして食べさせていたに違いない。衛生状態にも気を付け、感染症管理も怠らず。それで彼らは素民全員にますます信頼され、彼らの世界には死亡者ログも存在すまい。何かあったとしても信頼の力で相殺され、苦痛は打ち消されたことだろう。
”ごめんな……”
青年は悔悟しながらロイを見つめる。ロイもそんな彼を悲しげに見ていた。
「メグはあなたのことをしんじてたのに、来てもくれなかった。ナズはメグがあなたをつれて来るのをしんじながら、くるしんで死んだんだ。ひどいよね」
ロイの口調は幼いが、主張は理路整然としている。
「メグは大好きだったんだよ、あなたのこと。あなたは誰からも信じられなくなったら、どうなるの?」
『あなたたちを守るための力が使えません』
しかも素民は九十九時間で全滅する。
彼は力を使えず対抗策が打てない……。勿論、神通力が使えずとも方策を尽くすつもりではいる。
”どうすっかな、抗生物質使えなかったら。今から土を練って火を起こし、飲み水を滅菌して、皆が下痢や出血を始めた場合の生理食塩水でも作っとく。グルコースの代わりに、果汁も絞っとくか”
岩塩はありそうだし、脱水症状だけでも防ぎながら、下痢によって大腸菌が体から出ていくのを待つ。
”明日か明後日で何人か死ぬかもしれない、正念場だ”
ビタミン豊富な食事を作って無理にでも食べてもらい、抵抗力と栄養をつけてもらおう……きっと治る。押さえつけてでも強引に食べてもらおう、抵抗されたって全員相手でも負けはしない。
栄養状態がよければ治る。
などと彼がぐるぐると考えていたとき……
「なさけないやつだな、あかいかみさま。じゃあ、おれがしんじてやるよ」
”何故このタイミングで?”
嬉しくもあったが、複雑な気分が勝る。ロイは彼を憎んでいるが、少しでも素民の得になるかもしれないと読んでいるのだろう。計算のできる賢い子供だ。
「でもそのまえに、なぐる」
そうだろう。存分に殴るといい、と納得した彼は殴られるために膝をついてロイの目線の高さにまでかがんだ。
青年は彼の顔を見つめ、頷く。できるだけ優しい表情を向けたつもりだ。
”さあ、やってくれ。私も償いたい”
少しでも気が晴れるならそれでいい。それより小さな握り拳をいためないように殴ってほしいと彼は心配だ。骨粗鬆症だろうし、骨折するかもしれないし、拳を潰す痛みを味わってほしくない。
ロイは小さな握り拳を振り上げて睨み付け、ぷるぷると震わせ、躊躇った末に……殴らなかった。
『殴ってください』
自分の拳を大事にしつつ的確に殴ってくれ、殴られないことには話が進まない、と青年は奥歯を噛みしめている。
「おしえて……どうして、たすけてくれなかったの。おれ、なぐらないから」
ロイが涙ぐんで懇願するので、悩んだ挙句正直に告げることにした。ロイは知りたがっていた、真実を。理由にもならないが、言うしかなかった。
『私の体はあなたたちの苦痛を三倍の強さで受け止めます。ナズさんの苦しみは相当なものでした、ナズさんの苦痛が私にも流れ込んできて、動けなくなって辿りつかなかった……情けないことに』
それでも彼は死ななかったが、ナズは死んだ。ナズは仮想空間での人生を終えたのだ、たった二ヶ月で。
「さんばい?」
ロイは泣きながら、オウム返しにする。彼には倍数の概念がない。ロイは少し考えると、赤い神にしがみついた。彼らを見捨てた人間に何故心を許してくれたのかと、青年が理解に苦しんでいると
「そうだったのか……ナズのいたみを、かみさまがやわらげてくれたんだね」
赤い頭をごしごしと撫でられる。
”それやるの逆だよ普通、私がそれを君にやってあげたいよ”
ロイは結局彼を殴らないまま信頼の力を施す。温かかった。この世界で唯一心地よいと彼が感じ、彼の糧となるもの。それが信頼の力だ。
『ロイさん、ありがとう』
大慌てでボードを呼び出すと、
【アガルタ第二十七管区 第63日目 居住者9名 信頼率11%】
十一パーセントの信頼率になっていた。ロイが百パーセントの信頼を与えているのだ! ロイの信頼に支えられた神通力が赤い神の体に蘇り、彼は一度かぎりのチャンスを得た。
『力が湧いてきましたよ!』
「たすけてあかいかみさま……。ホントはみんな、ナズみたいに死にたくない」
ロイの口から本音が出た。彼は怯えている。彼の不安を拭うように、赤い神は少年を抱きしめた。メグの時と同様、”祝福”すると素民たちは癒しの力を受けるようだ。ロイも、少し落ち着いた。
”力を有意義に使わないと。もう二度と失敗は許されない”
片手でロイを抱きながら西園担当官の言葉を思い出しボードを見ると、インフォメーションボードに項目が増えていた。
そのひとつが
”何この機能、前はなかったよな”
緊急事態だから特別にということか。化学構造を入力すると直接分子を構築できるらしい。ひゃっほ、と彼は小躍りしたい気分である。
念願の抗生物質を作ろう!
学生のときに無駄に応用薬学などを取っていたおかげで、構造式だけは覚えていた。薬学のテストのとき丸暗記をしておいてよかったと思い起こす。ロイひとりの信頼の力で数グラムの抗生物質が得られるようだ。
”足りるかな。もしかすると、もう一人ぐらいに信じてもらわないと足りないかもな”
つべこべ言わず用意する。
「どう? たすけてくれる?」
ロイがすがるような目で尋ねてくる。その信頼に応えなければならない。
『大丈夫ですよ。助けます』
ロイに微笑みかけた彼は、久しぶりに笑えた気がした。信頼されるというのが、これほど心地よいことだとは知らなかったのだ。
死なない身だが、彼は死ぬほど嬉しかった。
”化学式書けばいい? まず分子式を書いてみるか”
次に分子を組み立てる。両手でやりたいがロイが片手を離さない。振り払うのも可哀そうで、片手で継続する。
『炭素18、水素20、フッ素1、窒素3、酸素4……』
C18H20FN3O4・1/2H2O、必要な材料を念じてみる。
”いいかいロイ、化学式を書くときにはまず材料となる分子数を思い出すんだ。それを化学的に矛盾がないように組み立てる”
……ロイには聞こえていないが、誰かに説明したい気分だった。
テニスボールほどの分子模型がボコボコとグリッド上に出てきた。炭素はおなじみの黒、水素は白、酸素赤という具合に色分けがされている。分子モデルのパターンだ。一つずつを指で触れれば、元素を模したボールが宙に浮かぶ。彼はすぐさま要領を得て、片手で組み合わせる。分子量370.38の、構造的には五角形の五員環と六角形の六員環の組み合わせ。
これはニューキノロンというループの抗菌剤で、大腸菌ほか雑菌には大抵効く。二重の変異にまで耐えられ、耐性菌も出にくい。幼児でも量を落とせば摂取可能だ。この薬の何がよいといって経口での摂取が可能なことだ。とりあえず今は、彼らを死から救う強い抗生物質が必要だった。
『水素結合』
と言うと分子同士が結合する。話のわかるやつら、というか分子だと青年は感動する。
『共有結合』
結合方式にもいろいろある。彼が構築に没頭していると、ロイが時々腕を引っ張ったりした。妄想中だと思ったのだろう。
できた。
”多分これでいい。ミスはないか、分子数に矛盾はないか”
この構造は化学的に安定か……何度も何度も見直す。この薬に彼らの命がかかっているのだ。何度見直ししてもしすぎることはない……あっている。
” 「行け」っ! いや、「来い」かな? もうどっちでもいいや行ってこい!”
そして手の中に現れた数グラムの貴重な白い粉。地味だ。地味だが、命綱である。風で飛んでいかないよう、蚕用のクワの葉を薬包紙に見立てて大切に包む。念入りに。
”押すなよ、いま背中押したら薬がこぼれるから絶対後ろから押すなよ!?”
などとロイを牽制しながら、薬は三分割にした。一回より、二、三回に分けて飲んだほうが抗生物質は効くのだ。というわけで分割しておくとする。
『できました、これがあなたがたのお薬です』
「おくすりって、それをのんだらたすかる? そうだよねあかいかみさま?」
ロイは嬉しそうに表情を輝かせた。抜けた前歯が間抜けで愛嬌がある。
『これを滅菌した清潔な水に溶かして、皆に飲んでもらいましょうね』
うまくいけば、症状が出る前に薬が効いて何とかなる。すぐに飲めば、重症化してないから少量でよく皆にもいきわたる。
『助かりますよ、先ほど、助けると約束したではないですか』
ここにきて青年は調子のいいセリフが口をついて出た。
ほっとしたのだ。
『その約束は嘘ではありませんよ』
にっこり笑って安心させる。
ロイは彼を見上げて「わー!」という顔をしていた。
どん引きの「わー……」、ではないと思いたいが、そこは彼にも自信がない。
「これにつめて、みんなに一つずつ食べてもらうよ。おれ、バレないようにやるよ」
ロイは彼らの大好物の果実に薬を詰めると言う。
水を滅菌する手間も省けて一石二鳥だ。果実や野菜の中は、消毒しなくてもきれいだ。熟れることはあっても、熟れる前から中から腐ることはない。だから滅菌水いらずですぐに皆に薬が配れる。
一時間後、心臓をバクバクいわせながら墓穴の前で待つ赤い神に、ロイが駆け寄ってきた。
「みんな、たべてくれたよ! あと、かみさまにありがとう言いたいからこっち来てほしいって。おれ、いままでのことぜんぶ話したんだ!」
ロイの言葉と同時にインフォメーションボードが緊急画面から通常画面になった。住民全滅の危機を、間一髪で防ぐことができたのだ。
『それはよかった、ハンカチ落としでもしますか』
彼は明るくそう言いながら、ナズの犠牲を心に刻みつけた。
いつか万能の神様になったら、何とかしてナズを蘇らせてあげよう。この犠牲の責任をとるから待っていてな、ナズ。その為にもっと強くなれるよう精進するよ。と、空に誓うのだった。
素民たちの許しを得て、草原をわたり彼らのもとに向かう。
そのとき見上げた雲間に、一瞬メッセージが浮かんだ。
【やれやれ、どうなることかと。まだ、私を失望させないでくださいね】
西園担当官の皮肉たっぷりのねぎらいではあったが、彼は担当官に感謝を忘れなかった。
『見ていてください! やってみせますよ、西園さん!』
この、仮想死後世界アガルタの空の下で、ようやく構築士としての第一歩を歩み始めた。