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エメリヒと気まぐれな子猫たち 後編

 叔父からの結婚祝いが届けられた。

 ヤギだ。雌の。


 搾乳期間は冬のみらしい。人によく懐いているので、可愛がって欲しいと言われる。

 確かに、先ほどからアイナちゃんの傍で大人しくしていた。


 寒いといけないので、その辺にあった廃材を使い、叔父さんに工具を借りてヤギハウスを作った。藁を敷けば、それなりにいい物件に思える。

 アイナちゃんと共に散歩から帰って来たヤギも気に入ったようで、早速小屋の中でくつろいでいた。


「ヤギって意外と大人しいのね。びっくりした」

「そうだねってうわっ!!」


 話をしている途中に、背後から強い衝撃を感じた。

 なんとか受け身を取りながら、地面をごろごろと転がる。


 なに者だと振りかえれば、逆光の中で堂々と佇むヤギの姿があった。


「ど、どして……?」


 ヤギは前肢を地面で跳ねさせ、後ろ足で立つ。

 その興奮したような姿は、敵意を剥き出しにされているように見えた。


 ……俺、もしかして、威嚇されてる?


 すぐさまアイナちゃんがヤギの紐を、地面に打っていた杭に繋いでくれる。


 後から調べて分かったことだが、ヤギは気性が荒い生き物らしい。

 よく見たら目つきもちょっと怖い。

 村で羊を見かけたら、おっとりとした様子で草を食んでいた。羊にすればよかったと後悔する。


 アイナちゃんにも気を付けるように言ったが、彼女の傍に居る時は大人しいらしい。

 乳も問題なく絞らせてくれるという。

 どうして俺にだけ攻撃的なのか。ヤギに問い詰めたくなる。


 最悪なことに、ヤギは隙さえあれば俺に頭突きをしようかと、狙っているようだ。

 この前はアイナちゃんが玄関先で出迎えてくれて、笑顔で駆け寄って行ったら、家に一歩踏み入れる前に横から頭突きをされてしまう。

 奇しくも、人間の急所である膝を横から突いて来たので、見事にぶっ飛んだ。


 まあ、その後アイナちゃんが心配してくれて、優しく介抱してくれたから良かったけれど。


 叔父はとんでもない存在ものを贈ってくれた。

 本当にありがとうございましたと言いたい。


 ◇◇◇


 家の外は荒ぶるヤギに支配されていたが、家の中には癒ししかない。


 同僚から譲って貰った赤毛の猫、ロッサは甘えん坊で、常にアイナちゃんに就き纏っていた。


 ちなみに、ロッサは俺に対しては全くの無関心である。


 けれど、ロッサを膝の上に抱えてうっとりとした表情で、顎回りや額、背中などを撫でるアイナちゃんの姿はなんとも言えない。猫も同じような顔でごろごろ言っているのが微笑ましい。


 最近になって、こういう寛いだ姿を見せてくれるようにもなった。

 都に住んでいた頃は、二人で向かい合って座るということでさえ、ありえない光景であった。


 生まれてから数ヵ月と経ったロッサはすくすくと育っている。

 毛並みも綺麗で、かなり美人な猫だと叔母も言っていた。

 なんだかちょっとだけアイナちゃんに似ているような気もする。彼女もアーモンド形のぱっちりとした猫目である。


 飼い犬や飼い猫はご主人に似てくるという話は、実は本当なのかもしれない。


「アイナちゃん、コーヒー淹れてこようか?」

「あなた、出来るの?」

「い、一応」


 独身期間が長いもので。


 そういえば、コーヒーを淹れるのも久々な気がする。彼女が家に来てから、一度も淹れていない。


 俺の淹れるコーヒーは怪しいから、アイナちゃんが淹れると言ったが、ロッサが眠っているので身動きを取れる状況になかった。


「頑張ります」

「棚の奥にある赤い缶のコーヒーはお客様用だから」

「了解しました」


 コーヒーを淹れる器具は家主さんから譲り受けた品らしい。真新しい品にも見えた。

 そういえば、元から家にあった豆挽きは壊れていたような気がする。

 袋に入っている豆を挽き、ろ過布を専用の瓶に設置してから、豆を入れて湯を注ぐ。

 ぽたぽたと抽出されたコーヒーを待つ間は暇となる。

 その間、アイナちゃんに「なにかお菓子があれば食べたいです」と主張すれば、昨日作ったケーキが棚の中にあると教えてくれた。


 ケーキは乾燥果物がたっぷりと入ったものだった。ナイフを入れたらふわりと甘い香りが漂ってくる。


 皿に盛り付けてから盆に置いて、再びコーヒー待ちの時間となった。


 抽出が終わればコーヒーをカップに注ぎ、砂糖やミルクも盆に載せてから居間に持って行く。


 アイナちゃんの隣に腰掛ければ、ジロリと睨まれてしまった。

 今まで並んで座ったことなんてなかったので、警戒されているのかもしれない。


 もしかして、まだ、彼女の中で俺は怪しい異国人なのだろうか?

 聞いてみたいような、みたくないような。


 でもまあ、今はとにかくコーヒーを飲もうと、アイナちゃんの前にお菓子とカップを置いた。


「アイナちゃんはお砂糖三杯にミルクたっぷりだよね?」

「……そうだけど」


 勝手に砂糖とミルク入れて、どうぞとカップを近くに寄せた。

 ロッサはアイナちゃんの膝の上でぐっすりと眠っている。コーヒーを溢したら危ないので、そっと体を持ち上げて寝台代わりの籠の中に入れてやった。


 再びアイナちゃんの隣に腰掛けてケーキを食べてもいいかと訊ねたら、好きにすればいいという答えが返ってくる。


 早速、アイナちゃんお手製のケーキを戴くことにした。

 フォークで一口。

 美味しい!!

 生地は優しい甘さで、ほんのりとしたお酒の風味もある。どっさりと乾燥果物が混ざっているので食べごたえもあった。


 アイナちゃん、これ、すごく美味しい! お店で出せる!


 感動を伝えたくてケーキの皿を机の上に置いてからぱっと隣を見たら、アイナちゃんは顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。


「あっ、ごめん!」


 瞬時に、アイナちゃんの状況を自分に置き換える。


 突然甘いものを寄こせと主張して、隣に陣取り、図々しく食べ散らかしていく異国のおっさん。


 だ、駄目だ!! 気持ち悪過ぎる!!


 慌てて立ち上がろうとしたら、アイナちゃんが俺の上着の裾を掴んできた。


「え!?」


 驚き過ぎて、びくりと肩を震わせる。


「……」

「あ、その」


 アイナちゃんは涙目で俺を見上げるばかりであった。

 とりあえず、気持ち悪くてごめんなさいと謝っておいた。

 だが、アイナちゃんは「違う」と言って首を横に振っている。


 どうしよう。彼女がなにを思って、なにを言わんとしているのか、全く分からない。


 唯一、分かった点と言えば、アイナちゃんは俺を気持ち悪いと思っていないという点のみ。


 慌てながらポケットの中を探れば、紙と鉛筆が入っていた。

 震える手で、よかったらこちらにご用件をご記入下さいと手渡す。


 紙と鉛筆を受け取ったアイナちゃんはさらさらと文字を書いていた。すぐに記入は終わったようだが、なかなかこちらへ渡してくれない。


 中腰になっていたままだったので、長椅子に座ることにした。

 流石に震えは収まっていたが、酷く緊張をしていた。

 紙を見つめるアイナちゃんも同じような状況であるように見えた。


 一体、なにを書きこんだのか。


 ちりん、とロッサの首輪に着けた鈴が鳴った。

 いつの間にか目を覚ました猫様はアイナちゃんの膝の上にめがけて跳んで来る。


「きゃ!」

「あ!」


 ロッサが跳び込んできたお陰で、アイナちゃんの手にあった紙切れはひらりと宙を舞う。

 目の前に落ちてきたそれを、うっかり掴み取ってしまった。


「!?」


 手に取った瞬間に、書かれてあった文字が飛び込んでくる。

 それは、思いもよらないことであった。


 『ich magあなたが dich sehr.だいすき


 びっくりし過ぎて、鼻血を噴いた。


 ◇◇◇


 アイナちゃんに好かれていたとは全く気付かなかった。

 いや、何とも思っていない奴に、手の込んだ食事なんか毎日作る訳がない。

 俺が鈍感だったのだ。


 こうして、晴れて両想いとなった俺達は仲良く暮らすことになる。

 アイナちゃんは相変わらずツンツンしているけれど、そんなところも堪らなく可愛いのだ。


 楽しい楽しい新婚生活は、穏やかに過ぎて行った。


 エメリヒと気まぐれな子猫たち 完


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