第五十八話 クラウス・フォン・ヴァッティンの活動報告
ジークの甥視点のお話です。
十八年間軍人をしていたという叔母は男よりも女にモテるような、こざっぱりとした性格をしていた。女にしては背も高く、目付きは鋭く、顔付きは精悍。夢見がちな身内の女性曰く、叔母は『乙女の理想の男性を具現化させたような存在』だとか。
なんだかよく分からないけれど、俺の知っている叔母は基本的に無口で、喋ったかと思えば説教。怒りっぽい。女らしさの欠片も無いという存在。
でも、テニスが上手い所は少しだけ認めている。そんな感じだ。
この上なく女性としては至極残念な叔母にも人生の転機というものが訪れた。結婚というやつだ。
母親から叔母が結婚相手を探しているという話は聞いていたが、絶対相手なんか見つかる訳も無い。居たとしても離婚を繰り返しているクソが付くような問題物件男とか、選り好みをし過ぎて婚期を逃したクソの付く
叔父達は叔母の結婚相手探しに何年掛かるのか、という賭けを行っていた。大体三年から五年位掛かるだろうという満場一致の意見で固まる。これでは賭けにならないと口々にぼやいている時、驚くべき知らせが首都より届く。
叔母の結婚が決まった、と。
しかしながら、肝心の相手方についての詳細は書かれていない。
皆の斜め上の期待が集まる中で、叔母が連れて来た結婚相手は三つも年下の異国の貴族だった。
ナイフを片手に脅されて来たのではないかという疑いが身内より集まっていた。だが、その相手は叔母の名前を愛称で呼び、怯えるような態度も見せないという。更に、あの屈強な叔母に対してきちんと女性扱いしているという猛者だった。
異国の貴族男は、見た目はふわふわとしていて儚いような印象なのに、辺境の地で暮らす狩猟民族だという。銃なんか持ったら後ろに倒れこんでしまうのではないかと、そんな感じのする人だ。
けれど、話を聞いているうちに、嫁ぎ先は逞しい叔母にぴったりな場所なのではと思うようになる。
叔母が異国へ行っても、さほど生活に変化もなく。
以前首都で母親と一緒に暮らしていた時期ならまだしも、今は学校の寮暮らしで、実家に帰っても叔母と会うこともほとんど無かった。なので、寂しいとか感じる事も無く。
そんな中で、異国へ嫁いで行った叔母が一年振りに帰ってくると聞いて、結局出戻りかと考えていたが、どうやら違うようだと知った時は驚いてしまった。
久々にヴァッティン家の本邸に行けば、皆同じようなことを思っていたようで、話題は里帰りして来る叔母のことで持ちきりだった。
きっと今まで以上に腕も太くなり、体も筋肉で一回り大きくなって帰ってくるだろうと想像していたのに、旦那と一緒にやって来た叔母は予想の斜め上の変化を遂げていた。
いつものように『ババア』呼びをしようと、帰郷して来たので『出戻り』でも付けてやろうかと思いながら客間へと入って行けば、どこぞの奥方が椅子に腰掛けていて、いつもの男装女の姿は無かった。
目の前に居るのは叔母で間違いは無いだろう。夕陽のような赤髪に灰色の眼差しを持つ女性は一人しか知らない。
久々に見た叔母は、頭の中の印象と大きく異なっていた。以前の記憶を掘り返せば、短い髪に相手を威圧するような鋭い目、男の服装、それがジークリンデという男装ババアだった。
ところが、今日の叔母はどこにでも居るような普通の女に見える。全体的に肉付きが良くなっていて、顔付きも優しくなっているような気がした。短かった髪の毛もすっかり伸びている。大きな胸は一体今までどこに隠していたのかと、疑問に思った。
このような叔母の変化は、屋敷の住人にも大きな衝撃が走った。
叔父や従兄弟達は口々に『旦那が女にした』と言っていた。意味はよく分からないが、そういうことらしい。
もう少しだけ叔母の結婚相手とも話をしてみたいと思っていたが、何やらバタバタとしていてゆっくり会話をする暇も無かった。
驚くべき事実は翌日にも知らされる。
なんと、叔母のお腹の中には子供が居るかもしれないというのだ。
妊婦に船旅は良くないということで、叔母はここに残り、旦那は国に帰る事になるという。
色々と心配だったが、そろそろ学校の寮に帰らなければならない。叔母に挨拶をしてから帰ろうと思ったが、具合が悪くしているので面会は出来ないと使用人に言われてしまう。
一週間後、再びヴァッティン家の本邸を訪れた。
祖母の話によれば、叔母は安定期? よく分からないけれど、お腹の子供が流産をする確率が低くなるまで大人しく過ごしているという。それまで激しく動き回ることは出来ないらしい。
だから、テニスなんか出来ないからね、と祖母に言い含められてしまった。別にテニスをしようと誘いに来た訳では無かったのに。
暇を持て余していると、祖父に掴まってしまう。それから夜になるまで、牧場の手伝いをさせられてしまった。なんという不覚。
夕食には昼間に作った腸詰めが出てきた。自分で作ったからか、いつもより美味しく感じる。叔母もよく出来ていると褒めてくれた。ちょっとだけ嬉しい。
次に叔母の元へと行ったのは、三週間もあとの話。叔母はすっかり退屈そうにしていた。
「なんだよ、らしくないな!!」
「クラウス、もっと喋り方は丁寧に」
「……」
生意気な口を聞いても優しい声で諭すだけという。いつもと違う態度なので、どうにも調子が狂う。
「結婚して旦那に好かれるように大人しくなったみたいだな」
「どうだろう。そもそも、私らしさというのはなんだろうか?」
叔母らしさ。
いつも眉間に皺を寄せていて、周囲は全て敵だと言わんばかりの迫力がある、とか。
「なんだ、それは」
「だって、叔母さんを見かけた友達とかが怖いって言っていたし」
「まあ、それは仕方が無い話なのかもしれないな。私には心を許せる味方が一人も居なかった。男しか居ない軍隊の中で、少しでも隙を見せたら付け込まれ、失敗をすれば女だからと罵られる。長年気が休まる暇も無かったのだろう」
「……」
叔母は血の繋がった家族にすら、安らぎを見出せなかったのか。なんという寂しい人生だったのかと思ってしまった。
けれど、今は違う。一目見たら、誰だって分かる。叔母は安心して背中を預けることの出来る、唯一無二の存在を見つけて、穏やかに暮らしていたのだ。
「らしくないっていうのは間違ってた」
「そうだろうか?」
「今の方が、いいと思う」
そんな言葉を言った瞬間に、叔母は今まで見せたこともないような、明るい表情で微笑む。
なんだか恥かしくなって、またしても生意気な口を聞いてしまった。
「良かったな。今まで見る影も無かったのに、たった一年で女にして貰って」
「なんだと!?」
「!!」
柔らかな表情は消え去り、叔母は目付きを鋭くする。
「そんな言葉、どこで覚えてきたというのだ!!」
「お、叔父さん、たち、が」
「ほう、兄上達が言っていた、と」
「は、はい。ま、間違い、ありません」
「そうか」
「……」
迫力に負けてしまい、つい本音がぽろりと出てしまう。
今日から冬の長期休暇なので、叔父達も首都からこちらの屋敷に戻って来る筈だ。
これは、今から大変な不都合が予想されるぞと、自分のことではないのにビクビクと怯えてしまった。
夕食時はどんよりと暗い表情の叔父達が並び、何も知らない祖母にどうかしたのかと聞かれるも、死角から叔母に睨まれて完全に言葉を失っているという、気の毒な状態となっていた。
こんな猛禽類のような鋭い目つきをしている叔母を幸せに出来る旦那とは一体どういう存在なのか。どういう風に『紅蓮の鷲』と呼ばれていた叔母を飼い慣らしたのか、気になって仕方が無いという日々を過ごす。
その日から叔父の前に出てくる叔母は常に不機嫌だったらしい。お怒りは簡単には治まらなかったのだ。
それから数日後に叔母の旦那が来ていたが、叔父達は異国からやって来た義理の弟を全力で歓迎をしながら迎えていたという。
なんとも情けない話であった。