第五十二話 リツハルドの孤独な十年間 後編
二年目の春。
相変わらず村人の視線は冷たいし、大きな変化も無い。
けれど、ささやかな変化として、戻した精霊石の前には捧げ物が供えられており、祈りをする老人の姿も見受けられた。
忙しい毎日は続く。
領主の役割をこなしながらも、雪国を生き抜く為の仕事もしなければならない。
春の野草摘みは一年分の香草や薬草を集めるものなので、真面目に取り組まなければならなかった。
他にもやらなければならない事はある。村の外にある畑を耕すという大仕事が。
これは村の男総出で行われる。
収穫した作物は村で分ける、ということはしない。全て売り払って村人の税金として受け取るようになっている。
数年前までは作ったものは村で分けていた。その当時、税金は一年に一度トナカイ一頭を納めるようになっていたが、害獣被害でトナカイの数が減ってしまうという事件が発生する。
当時領主だった祖父はトナカイを税として受け取る事を即座に止めて、畑の作物を売って税を徴収するという形に変えた。
村人から集めた七十頭程のトナカイと、痩せた大地の野菜。
入ってくるお金には大差がある。
しかしながら、トナカイは村人にとって大切な財産であり、生き抜く為の大切な食料。数が減った今、それを無理に取り上げることは出来ない。
そんな事情もあり、春の畑耕しと種植えは村人達と力を合わせて行う。
勿論畑はここ以外にもある。
皆、自分達で固い土を耕して、個人的に冬に食べる作物を育てていた。
帰宅後は戦闘民族の奥さんが作った料理を頂く。
うちに来ていたお手伝いさんは孫が生まれて面倒を見なければならないと、辞職を申し出ていたから新たな同居人が代わりに作ってくれていた。
戦闘民族の奥さん・ルルポロンは母親から料理を習っていたようで、子供の頃から慣れ親しんだ味の料理を提供してくれる。
そんなありがたい環境の中でも、以前から行っている料理研究は続けていた。
分からないことは土産屋のおかみさんに聞き、なんとか地味に美味しく思えるものも作れるようになった。
夏。初めてのジャムと酒作りに挑戦する為にベリー摘みに行く。
ジャムの作り方は奥様たちが行っている亜麻の織物作りに行って協力をしながらさりげなく聞かせてもらった。酒の作り方は祖父の私室にあった走り書き頼り。
ベリー摘みの帰りに奥様方が集まっていたので、今日取った中でジャム作りに向いている品種でも聞こうと思って近づけば、何故か冷ややかな空気が流れる。
そして、何か用事を思い出したから、とその場から居なくなってしまった。
一体どうしたのかとその場に残っていた奥様に聞けば、誰が一番ベリーを採って来ていたかの見せ合いをしていたらしい。
優勝はアーリラさん
ベリーをたくさん摘める女性はいい嫁ぎ先が見つかるとまで言われる程、森に自生するベリーの採りは村では重要なことだという。
「領主様が、本日のベリー摘みは優勝みたいです」
「わあ、それは、なんという……」
どうやら空気を読まないでベリー摘み大会に遅れて来て、図々しくも優勝まで掻っ攫っていたらしい。申し訳なさ過ぎて薄ら笑いを浮かべてしまう。
「良かったですね、領主様。引く手数多ですよ」
「う、嬉しいなあ」
「……」
格好悪い事に、近所の奥さんの冷たい視線から逃れるようにその場を去ってしまった。
秋は大いなる実りの季節。森にあるキノコや木の実を採り、川や湖の魚にも脂が乗って美味しくなる。鳥猟も解禁となり、比較的のんびりと過ごしていた夏季から一変して慌しくなっていた。
冬になれば極夜の準備を始める。
そして、極夜が始まれば伝統工芸作りに励んだ。
このようにして、二年目もあっという間に過ぎていく。
三年目も概ね同様の、変わりなく平凡な毎日を無難に送っていく。
変化があったのは一人暮らしでの三回目となる極夜だ。どうにもやる気が出ないで、作品作りも捗らないという。
作品作りの為の道具は握っているものの、ついだらだらとした時間を過ごしてしまった。
極夜も終わりかけた頃に気付く。自分は孤独感に苛まれているのだと。
一年目と二年目は一生懸命領主としての仕事に慣れる為、必死だったから孤独に思う事も無かったのだろう。
どうにかしなければと考え、思いついたのは結婚という新しい家族を作ろうということだった。
四年目の秋に祖父の国で行われる夜会へと行くこととなった。
自国でも夜会は開かれているらしいが、自分が招待を受けたことは一度も無い。
過去にご先祖様が夜会で何かやらかしたので、未来永劫招待されることは無いだろうという話だけがレヴォントレット家に伝わっていた。
異国の夜会へ参加をするという手紙を送れば、祖父は礼服を何着も贈ってくれた。ありがたい話である。
領主が村を空けるのは無責任ではないかとも思ったが、出生率が低いとされる村の女性と結婚する訳にもいかないし、比較的年の近い娘さんは揃って近親者でもあった。
伯爵家としても世継ぎは必要だ。なので、仕方が無いことだと思い、村のことは同年代の若者達に任せて旅立つ。
このようにして、海面が凍る前の時期に異国の地へと向かうこととなった。
異国の祖父に会うのは十年振り。父と一緒に海を渡って以来だった。ちなみに母は国に残るように祖父から言われていた。多分、村に帰って来させる為の作戦だったのだと、今になって思い返す。
久々に会った祖父は、少しだけ痩せていたが元気である事には変わりなく。
「全く、こちらが手紙を送っているのに十年間も姿を見せぬとは」
「ごめんなさい」
ただただ謝るしかない。
異国に行くのも故郷の祖父が良しとしなかったからだ。
「まあ、良い」
「……はい」
「それで、目的は結婚相手を見つけることだったな」
「はい」
「ふうむ」
祖父はいい娘が居るからお見合いはどうかと勧めてくれた。それでもいいと思ったので、手配をお願いする。
お見合いの日当日。
髪もいつもの三つ編みから、なるべく長髪が目立たないように後頭部で一つに結ぶという髪型へと整えられた。この国の男性はほとんどが短髪で、自分のような三つ編み男など居ないと言われたからだった。
「せいぜいその母親似の顔を最大活用することだな」
「……分かりました」
今まで意識した事が無かったが、祖父曰く自分の顔は整っている方らしい。辺境出身の村人達はたいてい同じような顔付きをしているので、そんな風に思ったことは一度も無かった。
異国限定の長所だと思って、伴侶探しに利用させて頂く。
祖父は家柄の良い令嬢を紹介してくれた。が。
「――それで、冬は二ヶ月程太陽が昇らない極夜というものがありまして」
「……」
何故かその日の夜にお断りをされる。
「当たり前だ。極寒の辺境貧乏貴族に嫁ぎたい女がどこに居る!!」
「……」
祖父は黙って連れて行けと言う。そんなことは許されるのだろうかと首を捻った。
その年の結婚相手探しはそこで終わる。
五年目の冬も異国へと渡った。
四年目の極夜も本当に鬱々として最悪だった。なので、祖父の言う通りに従って結婚してくれるという女性を何の説明もなしに連れて帰った。
まあ、突然自給自足の暮らしをしている村に連れて行った女性がどうなったかはお察しのこと。
そんなことを何回か繰り返せば『辺境の雪男』という悪評が広まってしまうという結果となってしまった。
◇◇◇
「……とまあ、こんな感じの最低最悪野郎でした」
「……」
ジークに領主として過ごした十年間を聞かれ、何故か自分の罪を告白するような場となってしまったという。
長い極夜は人を憂鬱な気分にさせる。太陽の光があたらないと、自然とこういう風になってしまうらしい。仕方が無いと言えばそれまでだけれど、振り返ってみたら本当に人としてしてはいけない行為だったと反省をする。
今だから分かる。寂しさというのは人を狂わせるのだ。
だが、同じ過ちを何回も繰り返してはいけないと思い、ジークにはきちんと村のありようを伝えた。こんなずるい自分は結婚なんて無理なんだと、振り返ってみれば半ば投げやりになりながらの説明だったのかもしれない。
けれど、ジークはこうして来てくれた。
駄目な俺の奥さんになってくれると言ってくれた。
こんな奇跡のような話はないと、そんな風に思う。
「知らなかった」
ジークはポツリと呟く。
不快だっただろう。他にも女性を何人も婚約者として連れ込んでいて、無差別に結婚相手を探していた訳だから。
「この話も、最初にしておけば良かったね。その、ごめん」
「そうだ。何故、早く言わなかった」
「……」
責められるような言葉に、胸が締め付けられる。
「不誠実だったことは、本当に、申し訳ないって」
「不誠実? 何の話だ?」
「え?」
「私が早く言えと言ったのは、極夜で鬱になっていた話だ」
「!?」
ジークは女性を連れ込んだ話は聞いていて面白くは無かったが、長い間引っ張りながら気にすることでもないと言ってくれた。
「私とて、始めはこの結婚を利用した者に過ぎない。責めるべき立場にはないと思っている」
「ジークリンデ、でも」
「気にするなと言っている。……だが、そこまでして追い詰められていたのならば、もっと早く本当の妻になっていれば良かったと」
「そう。ありがとう」
「私は、女性としての自分に自信が無かった。だから、リツが結婚相手に選んだ事をいずれ後悔すると思っていたから、早急に話を受けてはいけないと」
今になって明らかになる事実。
でも、それでよかったのかもしれない。
自分はジークと過ごす中で、少しずつ本当の自分を取り戻すことが出来たのだと思っている。十年間引き摺っていた鬱々とした、ずるい自分との離別に成功したのだ。
「だから、そう、自分を卑下するな」
「……」
「私はリツが働き者で真面目な男だという事を知っている」
でも、過去にしてしまった過ちは消えることはない。深く反省をしなければならない事だった。
暗くなってしまった空気を変えようとしたのか、ジークはこちらへと微笑みかけてからすぐに真面目な顔に戻り、話をする。
「幼少時に読んでもらったもので、心に残っている童話があって」
「?」
彼女は何故か突然童話を語り始める。
『幸せを運ぶ雪妖精』
むかしむかしある所に、一年中雪が降り積もる村があった。
そこは妖精も住んでいる不思議な村だ。
その妖精は長い年月を村人と共に暮らし、生きてきた。
外に出られないような吹雪の日には、食料を村人たちへ運ぶ。
村人たちの幸せが妖精の幸せだった。
ある時、何日も吹雪の治まらない日が訪れる。
村人達はさんさんと照りつける太陽があればいいなと雪妖精に願った。
雪妖精は村人の願いを叶える為に強い光を放つ太陽を持って来る。
その太陽は、村の雪を全て溶かしてしまい、村人達は初めての春を大いに喜んだという。
宴会は三日三晩続き、ふと我に返った村人が気付く。
『雪妖精はどこに行った?』と。
村人達は一生懸命探しても雪妖精を見つける事が出来なかった。
悲しみに暮れる村人だったが、それに追い討ちを掛ける出来事が起こった。
ある日、村人は発見をしてしまう。雪妖精が纏っていた服を。
これは村の女が作った品だった。雪妖精に合う小さなものなので、間違いは無いという。
この時になって村人達は気付いた。
村の雪と一緒に雪妖精も消えてなくなってしまったと。
お祭り気分だった村は一気に静まり返ってしまった。
無くなってしまったものを取り戻すことは出来ない。
姿の見えぬ雪妖精に願っても、叶うことは無かった。
その日から、村人達は遠くの山へと出かけるようになった。
その山では一年中凍った湖があり、その氷を持ち帰って雪妖精に捧げた。
雪妖精へのお礼の気持ちと、いつか姿を現してくれるのでは、という期待もあって、村人達は氷を捧げ続けたという。
それから何百年と経って、強い太陽も普通の太陽となり、村に雪が降り積もるようになった。
村人達は雪の日は祭りだと宴会を開き、伝説となった雪妖精の話を次の世代へと伝えた。
そんな村を見つめる姿があった。
それは、何も出来ない存在であったが、毎日村人達が幸せでありますようにと願っていた。
人に見えない何かは、村を静かに見守っていたという。
「……という話で」
「へえ、初めて聞いたなあ」
「うちの国にだけ伝わる童話なのかもしれない」
「ふうん」
「それで……」
「?」
ジークは言い難そうに話す。その雪妖精の挿絵に俺が似ていたと。
「初めて会った時、童話に出てくる雪妖精だと驚いてしまった」
「妖精!? 雪男ではなくて!?」
「ああ。間違いない」
「三十前の男が妖精!?」
「妖精、だ」
いやいや、ありえないと否定をするが、ジークは絶対に似ていたと言い張る。
「でもさ、村に来てからも驚いたでしょう?」
「ああ。ここは妖精の村だった」
どうしてこんな事を語り出したかと聞けば、ジークは自分が根を詰めて働きすぎているので、雪妖精のように消えてしまうのでは、と思ったかららしい。
「大丈夫だって。でも、偶然だなあ」
「なにが?」
「極夜の日に、太陽を見つけてね」
「?」
訝しげな顔をするジークの、一つに結って前に垂らしている髪を指先で掬い取る。
「太陽は、こんな色でしょう?」
「!?」
そんな風に伝えてから、太陽の色をした髪の毛に口付けをする。
「でも、ほら、融けないから」
「……」
ジークは酷く困ったような顔をする。
これが彼女の照れた顔だったというのに気が付いたのは最近のお話。
肩を引き寄せ、唇にもキスをする。
触れ合っているだけで融けてしまいそうになるが、それはまた別の意味だろうと思い、行為に集中させて頂く事にした。
異国から連れて来た太陽は優しい光で包み込んでくれる。
この上ない幸せだと思った。