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第五十一話 リツハルドの孤独な十年間 前編

 祖父が死んだ。


 太陽が沈まない、森が一番輝くという祖父の好きだった季節にはかなくなった。


 祖父は自分に伝統工芸や猟の仕方、獲物の解体について、領主としての仕事、全てを授けたので悔いは無いと言っていた数日後に眠るようにしてこの世を去っていく。


 本当に長い間頑張って来たと思う。

 どうか安らかに眠ってくれと、祖母の隣に弔った。


 それからは怒涛の毎日であった。祖父が倒れてから領主代理をしていたとはいえ、いきなり完璧な仕事が出来る訳もない。

 わたわたと数ヶ月間慌しく仕事に追われていると、両親に話があると呼び出される。

 二人揃って嫌な予感しかしないという推測は見事に的中をしてしまった。


 父は言う。


 ――ちょっと今から寒くなるので、暖かい場所を目指して冒険に行って来るね、と。


 それを聞いて別に驚きもしなかった。父はずっと世界の探険に出る事を長年望んでいたからだ。そんな風に家族を置いて、いつ帰ってくるかも分からないという冒険の旅を許さなかったのは祖父で、父親はやっと解放されたということになる。


 だが、想定外だったのはその後に続く母親の言葉だった。


 ――お父さんが心配だから、お母さんもついて行くねえ、と。


 いやいや、二人揃って破壊力も二倍だろう。

 両親は何と表現すればいいのか。ふわふわしているというか、浮世離れをしているというか。


 でもまあ、両親は堅苦しいこの村に居るよりは、のびのびと出来る環境の中に生きる方が合っているのかもしれないと思い、旅立ちを止める事はしなかった。


 父は旅立ちの準備にはじっくりと時間を掛けていた。その間に母は通いのお手伝いさんを探したりなどの様々な手配をしてくれる。


 そして、出発の朝を迎えた。


「リッちゃん、ごめんねえ。大変なときにこんな事になってえ」

「大丈夫、母さん達には何も期待していなかったから」


 割と失礼なことを言っても父は「本当? よかったあ」とのんびりした様子で呟く。母も暢気にニコニコと微笑むだけだった。


「あら、まあ、お父さん、リッちゃん、見てえ、綺麗な蝶さん~」

「……え、うわっ!?」

「?」


 空をふわふわと漂うようにしている蝶を見て、父は驚きの声を上げる。


「あ、あれは、世界的に珍しいとされている伝説の蝶、ヘレナモルフォ!! どうしてこんな所に!?」


 そんな風に早口で捲くし立てながら、父は蝶を追って走り出す。


「あらあら、大変~」


 母はこちらにひらひらと手を振ってから、それ、走っているの!? と疑ってしまうような遅さでさかさかと父の後を追って行った。


 ……なんというか、脱力。


 心配でしかない両親は特別な前触れも無く旅立ってしまう。

 二人を安心させる為に領主としての意気込みとか言おうと考えていたのに、こちらの都合などお構い無しに緩い感じで出て行ってしまった。


 このようにして、あっさりと初めての一人暮らしは始まる。


 ◇◇◇


 領主となって一年目。

 まず、最初に行おうと思ったのは、祖父が撤去していた精霊石シエイティを村の広場に返還することだった。しかしながら、石はかなり大きく、一人ではとても持ち上がらない。

 他の人の手でも、と思ったが今の時期は極夜の準備の為に、村人達はみんな必死の形相をしているので、声を掛けることが出来なかった。


 ちなみに我が家の極夜の準備は整っている。保存食の入った瓶詰めは母が作り、肉も自分が狩って来た分が雪の中で冷凍保存されていた。極夜の間はお手伝いさんも来ないので、その間は母の作った保存食頼りになる。


 そして太陽が昇る時間が短くなれば村人の家を回って食料の備蓄が十分であるかを確認して回った。


 まあ、想像はしていたが、迎える人達の態度は冷たいもので。

 祖父の改革のお蔭で、我が家は村の嫌われ者となっている。異国人の血を引いているのも理由の一つかもしれない。

 とりあえず日が沈み掛けているので、今日の所は終わりとする。


 帰り道。雪の積もった道を歩いていると、背後から甲高い鶏の鳴き声が聞こえる。

 振り返れば、羽をばたつかせながら走る鶏が必死の形相で走って来ていた。


 その更に後ろには、鶏を追いかける必死な顔をした少女の姿が。


「ま、待ちなさい!! 待ちなさいって、ば!!」

「……」


 まっすぐに進むことしか考えていない鶏は、こちらへ直進して来る。自分の股の下を通ろうとしていたので近づいた瞬間に左右の羽を掴み、捕獲をした。


「大丈夫? アイナ」

「……」


 鶏に追いついた少女はぜえぜえと言いながら肩で息をしていた。


「ねえ、これ、夕食?」


 村では春先から家畜として飼っていた鶏を、雪が深くなって外で飼育出来なくなる前に食べる。

 村中から、冬の間だけ鶏の鳴き声が消えてしまうのだ。

 掴んでいた鶏は、捕獲されても元気いっぱい。それを見た少女は少し怯えるような顔をしていた。


「もしかして、逃げられたの?」

「……お、追いかけっこ! していたのよ」

「そっか」

「……」


 少女・アイナの手にあった袋に鶏を入れてやると、思いのほか暴れるので引き攣った顔をしていた。


「大丈夫? 解体は?」

「……」


 アイナは六歳。この年頃になれば小型動物の解体の手伝いも始まる。

 こちらの問いかけに対して目を泳がせているので、もしかしたら解体をするようにと命じられているのかもしれない。


「一緒にしようか?」

「え、い、いいの!?」

「いいよ」


 こうして鶏の解体をしてから、すっかり暗くなった時間に帰宅となる。


 そして、初めて一人で迎えた極夜カーモス

 去年までは皆で一つの部屋に集まって民芸品を作ったり、精霊歌ヨイクを歌ったりしたりして暗い毎日もなんのその、といった感じに陽気な時間を過ごした。


 だが、一人っきりの極夜というのは酷く気が滅入る。

 お手伝いさんは極夜の時は来ないようにしていた。なので、食事も自分で準備をするしかない。


 パンは作り置きの物を大量に雪の中に埋めている。食事はパンを雪の中から発掘させる作業から始まるのだ。


 料理を作るのは今日が初めてだ。いつもは食事の準備は母親が全てを担い、たまにしていた手伝いと言っても材料を切り刻むだけという簡単なお仕事をするばかりだった。


 本日作る品目は、一般的なトナカイ肉と根菜の入った冬のスープ。

 元より火の入っている台所の暖房器具ペチカかまどに水の入った鍋を置き、材料を切って中に放り込んだ。

 何となく母親のしていた事を思い出しながら、棚の中の香辛料を適当に入れていく。


「……?」


 なんだかトロみのあるスープが出来上がってしまった。まあいいかと思いながら、木の器にスープを掬って注ぎ入れる。


 パンは紙に包んで水の張った鍋の中に置いた皿の上に置き、蓋をして蒸すように解凍をさせた。


 あつあつのパンに、ふわふわと湯気の漂うスープ。

 やれば出来るではないかと自画自賛。


 精霊に自然の恵みを戴きますと祈りを捧げてから、匙でスープを掬って口に運ぶ。


 ――うん、不味い!!


 初めて作ったスープは清々しい程に美味しくなかったという残念な結果に。


 一年目の極夜は不味いスープの改良に情熱を注ぐ事となった。


 極夜が終われば、旅立った両親が帰って来たという驚くべき事態に直面をする。

 少しだけ立ち寄ったという両親は、どこからか連れて来た戦闘民族の家族を置いて、軽く事情を話してから再び旅立ってしまった。


「ど、どうも」

「……」

「……」

「……」


 戦闘民族一家は父・母・娘という三人組。

 自分達と同じく狩猟民族のようで、この辺では見ない不思議な姿をしている。


 薄い褐色の肌を持ち、目と髪の毛の色は黒。顔付きは獅子のように精悍だ。……三人とも。長い間流浪の旅をしていたと父が言っていたので、もしかしたら辛い旅の中であのような顔つきになってしまったのかもしれない。


 服装も変わっている。

 特に気になるのは、一番大きな体つきをしているテオポロンという男の格好。

 この雪深い寒い中で、上半身裸という。下に纏っているズボンも動きやすそうではあったが、生地の薄いものだった。

 腰には大振りの短剣を下げており、靴も履いておらず裸足だという。だが、ちっとも凍える様子がないので、大丈夫なのだろう。

 でも流石に裸足は気になったので、大丈夫かと聞いてみれば、テオポロンは足の裏を触れというような仕草を取る。

 恐る恐る触れてみれば、彼の足の裏は石のように硬かった。これなら安心だと納得をする。

 女性陣もそこまで厚着ではない。何かの動物の皮を使った、所々に紐を束ねた房飾り(フリンジ)のある茶色い衣装を纏っていた。異国の民族衣装なのだろう。頭には複数の色の布を編んで作った飾りを巻き、耳の付近には鳥の尾羽のようなものを挿していた。耳にも鳥の羽根の付いた飾りを着けている。


「よ、よろしく」

「……」

「……」

「……」


 こんな感じで突然始まる異国人との同居生活。一体どうすればいいのかと連れて来た両親に問い詰めたかったが、二人の姿は既に無かった。


 言葉も通じない、生活様式や文化や信仰している精霊も違う。

 何もかもが異なる一家との同居だったが、不思議と上手くいくという謎の展開を見せていた。


 加えて、今まで不可能だったことも可能となる。


 それから重たくて動かせなかった石も、テオポロンの手を借りて村に返すことも出来たのだ。

 自分の行動を村人達は人気取りだと言っていたが、別に何とでも言えばいいさと投げやりになってしまった。


 色々な事態に直面をして必死になりながら解決をしつつ、領主となってからの最初の一年は、瞬く間に過ぎていく。

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