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第五話 奥様をお迎えするために

 国に帰って来てからしたことは、母親が使っていた部屋の整理をしてジークが使えるようにする為の準備だ。母は小柄なので服などは着られないと思い、他の部屋へ運ぶ。

 貧乏伯爵と結婚をしても贅沢な暮らしは出来ないが、せめて快適に過ごして貰おうと、部屋の家具は全て一新した。

 村の家具職人から購入したものは真っ赤に着色された机に椅子、棚に化粧台、寝台。真っ赤な部屋では落ち着かないので、机には白い布を掛け、椅子には白兎の毛皮を置く。他の家具にも何かしら白いものと合わせて調和を取った。

 床に敷いているのは異国の織り絨毯だ。灰色を基調としたものに真円形が幾重にも重なったような、細やかな模様の入った品である。


 カーテンも替えて部屋の準備が完了をすれば、服の調達に掛かった。


 トナカイの毛を使ったコートは家にあったものを職人の家に持って行って製作依頼を出す。靴は白鹿の毛を使って自作した。とりあえず三足用意した。


 普段着ているものは羊毛などを縮繊しゅくじゅうさせて固めた布を使って作る民族衣装だ。

 鮮やかな青に染めた布に赤や黄色の布を縫い、袖や胸元、腰や裾周りには様々な柄の刺繍を施したテープを縦に重ねて縫い付けている。胸元には銀製の留め具で飾り、裏地には起毛素材を使い寒くないような工夫が施されている品だ。

 女性は丈の長いものを纏い、男性は腰丈のものを着てベルトで締める。

 男女共通なのは、下にぴったりとした毛皮のズボンを穿くというものだ。


 ジークはどうしようかと悩んだが、結局男性と女性の中間位の長さの衣装を作って貰うように頼んだ。


 準備期間中はジークからの手紙も何度か届いていた。

 彼女は意外にも筆まめなようで、一週間に一度は丁寧に綴られた近況が送られて来ている。

 出来上がった靴や服などと一緒に返送をすれば、喜んでくれたかのような内容の手紙が来るので、ついつい準備にも力が入ってしまったのだ。


 そして、二ヶ月はあっという間に過ぎていく。


 とうとうジークがこの国に来てくれる時となり、使用人を一人連れて迎えに行くことにした。


 ジークの祖国からこの国までは船で二日間ほど。国内唯一の不凍港まで迎えに行く。


 村から港まではトナカイの引くそりで五時間と少し。一日トナカイを休ませなければならないので、前日から移動を始める。


 船の到着時間になれば、たくさんの人々が出迎えに来ていた。自分も使用人と二人で遠くに見える船を指差しながら待つこととなる。


 しばらくして船が到着をし、続々と長旅を終えた客達が下りて来る。

 一気に大勢の人で溢れてしまった船着場であったが、待ち人はすぐに見つかった。


「ジーク!」

「!」


 袖の無い、肩から腰までを覆う釣り鐘形の毛皮で出来た外套を纏った女性はこちらに気が付くと手を振って応えてくれた。

 襟巻きやモコモコの帽子などで顔はよく見えなかったが、元気そうな姿で来てくれたので、ホッと安堵の息を吐く。


 二日間の船旅を終えたジークに労いの言葉を掛け、よく来てくれたと心からの歓迎と礼の言葉を伝える。


 それから隣にいた使用人の紹介もした。


「前に言っていた戦闘民族の使用人の一人。名前はミルポロン・ポヌ・ランゴ」


 ジークは自分よりも大きな背を持つ使用人を見上げる。

 薄褐色の肌を持ち、輝く黒い髪に目を持つのはその民族の特徴なのか、家族全員が合わせ持つ色合いであった。顔は揃って獅子のような勇ましく、手足も筋肉が付きやすい体質なのか立派なものを持っていた。


 ミルポロンは家族の中で一番小柄であったが、それでもジークや俺よりも頭半分程背が高い。毎日得意の薪割りで鍛えた腕や脚も逞しく、眼光鋭い目は一切の隙が無い。


「彼女は十六歳で、趣味はトナカイの世話、かな?」


 毎日丁寧な世話をしてくれるので、うちのトナカイの毛並みはぴかぴかだ。村一番の美しいトナカイであると自慢できる位に。


 ミルポロンの身長は自分やジークよりも高かった。成長期なので、もう少し伸びるかもしれない。

 そんな大柄な家族に囲まれていたので、ジークのことを一目で女性だと見破ることが出来たのかもしれないと、今更ながらに気が付いてしまった。


「ミルポロン、彼女はジークリンデ」

「……」


 ミルポロンは自らの名前を名乗り、胸を拳でトントンと叩く。

 この仕草は彼らが一番多く使う仕草だ。意味は了承や返事の意、お礼の気持ちなど。


「彼女は、奥さん」

「……」


 人差し指を示し、ジークを指す。五本の指の親指から、父・母・それ以下が子供、という意味だ。


偉大なる王メロンメロン母親マダウ?」

「いや、母親マダウではなくてね……」


 やはり、本日も意思の疎通は上手くいかなかった。

 彼女の言うメロンメロンの意味も、自分を示しているということ以外分からないのだ。


 とりあえずジークと自分の関係を伝える事を諦めて、これからの予定を簡単に説明する。


「船旅で疲れている所に申し訳ないけれど、すぐにここを発つから」

「ああ、特に問題は無い」


 ジークは今すぐにでも大丈夫だと了承してくれた。

 何故このように急いでいるかといえば、移動に片道五時間も掛かり、もしも夜に差し掛かれば猛烈な寒さが襲って来るからだ。なるべく夜になる前に移動を終えたいと、説明をする。


 地図で道順を示し、一時間毎の休憩についても話をしてから港町を出る。


 街の外の小屋に有料で預かって貰っていたトナカイを引き取る。ゆっくり休めたようで元気いっぱいだった。


「これが、トナカイ?」

「もしかして初めて?」

「ああ。すごいな、とても大きくて、綺麗だ」


 世界的に真っ白のトナカイは珍しく、他の地域では生息していないという。角までも白いトナカイは、見慣れないジークをちらちらと気にしていた。


ソリ乗っている間、何かあったらこれを吹けばトナカイが止まるから」


 手渡したのは小さな木製の笛。緊急事態用に橇に乗っている間は口に軽く銜えておくようにと伝える。


「あと橇の持ち手部分に鐘も置いてあるから。笛が無くなったらそれを鳴らして」

「了解」


 橇は一人乗りの操縦席と二人乗りの荷物置き付きのものと二つが繋がっている。途中、連結部分に何か問題が起こった場合や橇から振り落とされてしまった場合など、様々な想定外の出来事に対応出来る為の連絡手段なのだ。


 二人乗りの橇にジークの手荷物を積んで紐でしっかりと固定をする。それからミルポロンに橇に乗るように指示を出した。


「ジークは彼女の前に座って。多分振り落とされる事もないだろうから」


 ミルポロンは股を開いた状態で橇に座り、すぐ前にジークが乗るようにと視線を送っている。ジークもそれを察したのか、すぐにミルポロンの左右の膝に挟まれるような位置に座り込んでいた。


 最後にしっかり掴まっているように言ってから、トナカイに指示を出す。


 地面を蹴ったトナカイは先の見えないような雪原を、意のままに進んでいく。


 ◇◇◇


 流れる景色は真っ白だ。

 横道に広がる木々の背はどんどん低くなり、大地は寒草原に差し掛かっていく。


 一時間の移動をして、一時休憩をする為に橇を停止させる。

 目の前にあるのは、この地域の各地にある森小屋だ。中で商人などが休憩出来るような場所を提供してくれる。


 ジークに大丈夫だったかと聞き、身の安全が確認出来たらトナカイを藁の敷かれた小屋の中へと連れて行った。


 それから果敢にジークを橇から守ってくれたミルポロンに礼を言って、小屋で休もうと声を掛けた。


「おじさん、すみません、食事を三人分」

「……」


 小屋の中の親父はこちらを一瞥もせずに部屋の奥へと消えていく。

 この国の者は皆警戒心が強く、更に照れ屋な人が多い為に、先ほどのような反応はごく普通のものであるのだ。そういう話をしながら暖炉の前にあった椅子に腰掛ける。


「橇、びっくりしたでしょう?」

「いや、なかなか面白い」

「本当に?」


 ジークの国の乗物と言えば屋根のある馬車が主流だ。剥き出しとなった橇はさぞかし不便で辛いものであっただろうかと聞けば、そうでもないと頼もしい返答が返って来る。


 そんな風に会話をしていると、食事が届けられた。勿論、見知らぬおっさんのお手製とはいえ、有料の食事だ。

 代金を払ってから、食事にありつく。


 目の前に置かれた品目はトナカイのスープに黒麦パン、チーズという質素なもの。

 寒い中では体が体温を上げようと頑張ってしまうので、その分活動力が消費されてしまうのだ。小まめに補給しなければ、あっという間に疲れてしまう。


 トナカイのスープは特別に精のつくものであったが、癖がある。

 ジークが啜っているのを確認してから、念の為に問い掛けた。


「大丈夫? 飲める?」


 しかしながら、ジークは美味しいと言ってくれた。


 本当に頼もしい人を奥さんに迎えたと、安堵した瞬間であった。


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