第四話 緊張の馬車移動とヴァッティン家と
ジークと出会ってから三日目。本日は彼女のご実家に挨拶に行く日であった。急な用事だったので、手元には五年前に三日三晩かけて彫った木彫りの荒ぶる白熊しかなかったが、他に何も無かったのでそれを持って行くことにする。この熊は村の土産物屋に置いていた物であったが、ずっと売れずに残っていたので、仕方が無いと思って回収してきた品だ。友人にでも渡そうかと持ち歩いていたのである。
待ち合わせにしていた馬車乗り場には一際ご立派な四頭立ての馬車があった。黄色と黒の縞模様に、王冠のような線の入った模様がヴァッティン家の家紋だと聞いていたので、目の前にある馬車が本日の乗物であることは間違いないようだ。
そんな、馬車を見上げる田舎者に御者が気付き、台から降りて「お待ちしておりました」と声を掛けて来てくれる。恭しく扉を開いてくれたので、申し訳ないと会釈をしながら中に乗り込んだ。
「おはよう」
「お、おはようございます!」
中に入れば、足を組んだ堂々たる状態で座るジークがさわやかに挨拶をしてくれた。なんとなく心の準備が出来ていなかったので、丁寧な言葉になってしまう。
年上のお姉さんと密室で二人きりになるのは二回目だったが、慣れることはない。緊張の面持ちで斜め前に座った。
これから三時間、どういう風に過ごせばいいのかと考えていたが、自分が馴れ馴れしい性格だというのを失念していたようで、馬車が走り出せば自然と話し掛けていた。
そんな中での話題と言えばこれから住む事になる辺境の地、ラップルランドのことである。
色々と面倒な歴史や文化があるので、話しておかなければならないことが沢山あったのだ。
過酷な環境の中で暮らす領民達は、古くから精霊を信仰していた。だが、現代において精霊の教えを信じている者は少なくなりつつある。精霊について口うるさく言うのはお年寄りばかりで、若い者達は精霊に敬意は払うものの、悪い習慣などは受け入れないようにしている傾向があった。
その悪い習慣とは、『凄然たる環境の中で生き抜く為には他人を助けてはならぬ』、というもの。
このような精霊の言葉がある為に村人が頼りにするのは家族だけで、それ以外に暮らす者達とはほとんど交流をしない方がいいという風習がある。
そんな決まりがあるものの、子供が生まれた時には村人達はお祭り騒ぎを起こす。新しい命は精霊からの賜り物と言われているからだ。
村人達は子供が生を受けてから十年はその家に食べ物などを持って来て、健やかに育ち大きくなれと願う。
しかしながら、この二つの精霊の教えは矛盾しているのでは? と思う若い者も多いようだが、古く廃れかかったものなので、その伝承に詳しい者も居ないという手の打ちようがない状態だった。
そして、精霊つながりでもう一つ大変なものを抱え込んでいた。
それは、十年前に両親が連れて来た戦闘民族一家の存在である。
どこから連れて来たのかも不明。言葉もあまり通じていないという一家は使用人として我が家で働いている。元々は住んでいる土地を失くして流浪の身となっていたのだが、両親と意気投合をした後に辺境の地へと来る事となった。
彼らも精霊信仰をしているというのだ。勿論その対象は違う存在ではあったが。
一時期、自分も真面目に言葉や文化などを教え込んだ時期もあったが、それも無駄に終わった。何故かと言えば、彼らはあまり言語で意思の疎通を取る者達では無かったからだ。
そんな話をひたすら語り続ける。
ジークは不快な顔をすることもなく、真面目に聞いてくれた。
ふと、見つめられて何事かと問う。
「いや、その三つ編みは自分で編んでいるのかな、と疑問に」
「そうだ」と言えば、見事なものだとお褒めの言葉を頂く。
「まあ、これも精霊信仰の一つというか」
いにしえの時代より、髪の毛には不思議な力が宿っていると伝っている。長く伸ばす事によって、
と、まあ、そういう教えもあったが、外出時に首に巻けば案外暖かいという利点もある。
「ジークは髪を伸ばしたことは?」
「ないな。そういえば」
だったら伸ばしてみればいいと勧めたら、それもいいかもしれないと爽やかに笑う。
と、このように話し込むことにより、三時間という時間はあっという間に過ぎていった。
◇◇◇
ヴァッティン家の治めるテューリンケン地方は豊かな自然が溢れている長閑な場所であった。街を囲む木々は雪化粧で白く染まっており、どこを見ても美しく整えられた景色が広がっている。
そんな街中をしばらく進めば、大きなお屋敷が見えてくる。ヴァッティン家のお屋敷であった。
ジークは五年振りの帰宅だという。迎えた使用人達もどこか嬉しそうな表情をしていた。
二人揃って客間で待機をしていると、出入り口が勢い良く開かれた。部屋の中へと入って来たのは十代の前半くらいの少年。
その少年はジークを見るなり満面の笑顔となる。
しかしながら、口から出てきた言葉はとんでもないものであった。
「おい、ババア! 結婚するって本当か?」
「……」
「……」
少年の言葉は聞き違いかな? と思ったので、何となく隣に座っていたジークを見るが、彼女の目は荒ぶる猛禽そのものとなっていた。
どうやら聞き違いでは無かったらしい。
「クラウス、お客さんの前だ。まずはそこに座って……」
「一体どこの物好きだよ、こんな年増と結婚する奴は」
「クラウス、大人しくそこに座るように……」
「あれだろ? 再再婚とかの五十代の親父とかだろ、相手は」
「クラウス、そこに座れ」
「あれ、うわっ、もしかしてそこの女みたいな髪型の奴が結婚相手なの!?」
「そこに座れと言っている」
「どうしたの、お兄さん。もしかして脅されて結婚する……うわ!?」
少年の体は前方へ傾き、一気に地面に伏せられた状態となる。
ジークに足払いをされたからだ。
幸い床にはふかふかの絨毯が敷いてあるので、衝撃は少ないだろうと思っていたが、ジークはもがく少年の背の上に片膝を付き、腕を捻り上げる。
「うわ、曲がる、曲がるって、痛い、痛い!!」
「これ位で折れ曲がる訳が無い」
「ま、曲がるってば!!」
「……」
少年の懇願を聞き、ジークは仕方が無いとばかりに拘束から解放をする。痛みから解放された少年は地に伏せた状態でぶつぶつと文句を言っていた。
「ぜ、全身筋肉ババア……」
「少し、別室で話をしようか。クラウス」
「……やだ」
「いいからついて来い」と低い声色で言ってから少年の首根っこを掴み、ジークは退室して行った。
それから数分後。
「――こんにちは、はじめまして、クラウス・フォン・ヴァッティンと申します」
「……ど、どうも」
「先程は口が滑ってしまい大変不快な思いをさせてしまいました」
「……いえいえ」
少年はものの数分で更生した姿となって帰って来た。
彼はジークのお兄さんの子供で、ちょうど寄宿学校が長期休暇となったので祖父母の家に遊びに来ていたという。
クラウスと少しだけ会話を交わし、ジークの両親がもうすぐ来るとのことで分かれる事となった。
去り際にクラウスは気まずそうな顔でこちらを見上げて来た。
「あの、レヴォントレットさん」
「ん?」
「本当に、口が過ぎました。すみませんでした」
「いいよ。気にしないで」
「……」
少年は深く頭を下げてから部屋を後にした。彼は会話の途中もジークを見て怯えたような表情をしていたが、別室でどんな教育が行われていたのか少しだけ気になってしまった。
「甥が、クラウスがすまなかった」
ジークが親戚の少年の発言を謝罪する。
「あの子が幼い頃に都で預かっていた時期があって、その、言葉使いの悪さは私にも原因があったと」
「大丈夫、気にしていないから」
甥っ子とは特別に親しい間柄であったようだ。
ひたすら申し訳なさそうな顔をするジークだったが、彼女の両親が部屋に入って来たので、謝罪大会も一旦中止となる。
緊張していた面会であったが、ジークの両親は穏やかな夫婦だった。
こちらの事情にも理解を示し、それを知って尚嫁ぐというのなら反対はしないと言う。
そしてありがたいことに「つまらないものですが」と差し出した自作の木彫り白熊も喜んでくれた。
ジークの両親との顔合わせは意外なほどに呆気なく終わった。もしかしたらお父様に殴られるかもしれないと不安に思っていたが、そんな気配すら無かった。
ジークにこちらの受け入れ準備はどれ位掛かるかと聞かれ、二ヶ月程あれば大丈夫だと答える。
「では、二ヵ月後にそちらへ向かっても問題ないだろうか?」
「いつでも大歓迎、と言いたい所だけれど、春先になってから来た方がいいかなって」
「いや、そこで暮らすのなら、時季を選んでいる場合ではないだろう」
「……まあ、そうだね」
村に来て、ここは人が住む場所ではないと、かつての婚約者に言われてことを思い出してしまった。
けれど、無理強いはいけない。
こんな場所では生活出来ないと言われた時は綺麗に諦めようと考える。
「どうかしたのか?」
「なんでもないよ」
こうしてジークは二ヵ月後に辺境の地へと来る事となった。
◇◇◇
ヴァッティン家の滞在はあっという間に終わる。
「では、また二ヵ月後に」
別れ際、またしても握手を求める為の手が差し出された。
もう三度目なので、警戒をしてしまう。
どうしてか、今度は仕返しをしてやろうと、悪戯心が芽生える。
「また会えるのを楽しみにしているよ、
「!?」
ぎゅっと力強く握り返されないように両手でジークの手を包み込み、頬に唇を寄せてから文句を言われる前に馬車へ走って乗り込んだ。
窓の外から見えるジークは頬を手で押さえながら呆然としていた。
そんな彼女に手を振ってお別れとなる。
二ヵ月後が待ち遠しいと、そんな風に思いながらの帰国となった。