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第四十六話 猛禽妻の、愛に愛持つ夫

 突然の告白を聞いたジークは、驚いた顔でこちらを見下ろす。


「……」

「……」


 その、なんていうかね、ちょっと間違った。


 こういうのは同じ目線の時に言わないといけないのに、自分は地面にしゃがみ込み、奥さんの顔を見上げた状態で愛を示すという、残念なやり方をしてしまったという。


 しかも、ジークは今まで見た事もないような困った顔となっていた。


 いつも凛々しいジークが、こんなにも困惑の感情を浮かべている。

 やはり、言うべきでは無かったのかと、そんな風に思ってしまった。


 自分は、彼女の愛を勘違いしていた。

 抱擁や口付けを受け入れてくれたのも、雪国で孤独に暮らす寂しい男を哀れに思ったからだ。そして、真面目な彼女は周囲に仮の夫婦だと気付かれないように、一方通行の結婚生活に付き合ってくれたに過ぎない。


 ジークから見たら、自分は年下の頼りない弟のような存在なのだろう。


 彼女から感じる特別な気持ちは、家族に対するものと同じ。それは、他人である男女間に生じる思慕の情ではない。


「……ジーク、その、ごめん。困らせるつもりはなかったんだ。返事はゆっくり待つって言ったのに、我慢出来なくて」


 そんな風に言いながら、困り顔のジークを視界に入れたくなくて頭を抱え込む。

 お金も無い、領主としての器量も無ければ、奥さんに楽な生活をさせる甲斐性も無い。


 こんな自分がジークみたいな優しくて働き者で可愛い奥さんを貰える訳がない。


 ずっとこうしている訳にもいかなかったので、顔を上げる。


 また明日から、残った期間を楽しく過ごせるように、ジークの顔を見て笑おうとしたが、いつもは勝手に出てくる表情が上手く作れなかった。この場を取り繕うことに失敗をしてしまう。


 引き攣った口から出て来たのは、意気地なし男の未練がましい言葉。


「忘れて、お願い」

「何を、言っている?」

「だって、契約が終わる日までジークと夫婦ごっこをしたいから」


 大丈夫。一晩寝て、起きたらまたいつも通りの自分になれる。

 勢い良く立ち上がってから、素早くおやすみと言って踵を返した。


「待て」

「!」


 歩き出した体が自らの意志に関係なく動きを止める。これではきちんと躾をされた犬のようだ。


「こちらに顔を向けろ」

「……」


 視線を地面に向けたまま振り返る。


「リツは勘違いをしている」


 勘違い、何だろう。一生懸命考えるが、頭が上手く働かない。


「私が何も想っていない男に口付けをされて、大人しくしている女だと思っていたか?」

「……」

「耳に付けている飾りの意味を、分からないで身に付けているとでも?」


 ジークは俺に好意を抱いているのかもしれない。そんな事を何度も考えて、否定して来た。


 人の本心というものは、哀れみ、慈しみ、偽りなど、様々なものに包まれている。

 なので、考えれば考える程分からなくなっていた。


「なるほどな」

「?」

「直接言葉にしたり、行動として示さないと信じないという訳か」

「え、ジーク、なに……!?」


 ずんずんとジークがこちらに接近して来て、体をぎゅっと抱きしめて来た。

 まさかの行動に、思わず言葉を失う。


 しばらく抱きしめられたまま、時間が過ぎる。

 そんな中で沈黙を破ったのもジークだった。


「リツハルド・サロネン・レヴォントレット。――私は、あなたの事を愛しています」

「!?」

「どうか、私を妻として迎えてください」


 ジークの言葉に、自分の耳を疑ってしまう。


 夢だと思った。だけど、体を包み込む温かさが、肩に回してあった彼女の震える指先の感触が、現実に起こっている事だと教えてくれる。


 だらりと垂らしていた腕を、ジークの体に回して強くしっかりと抱く。


「……ありがとう、嬉しい」

「分かれば良い」


 身動ぎをすることなく、触れ合っていたが、少しだけ違和感を覚えていた。


「ジーク、一つ、聞いてもいい?」

「なんだ?」


 それは、ずっと気になっていることだったので、勇気を出して聞いてみる。

 ジークを抱きしめた時に感じていた、逞しい胸の存在の理由を。


「もしかして、何か着けてる?」

「ああ、革の防具を」

「……」


 軍時代の癖で、彼女は常に服の下に防具を身につけていたという。

 太ももがあんなにも素晴らしい柔らかさなので、胸もそうでないとおかしいのではと疑問に思っていたのだ。


 そして、更に浮上した疑問を問い掛ける。


「あれ、寝ている時も?」

「いや、夜は裸で寝ているから着けていない」

「!?」


 ジークの思わぬ無防備な夜の情報に、何故か感動を覚える。

 また彼女の謎の一つが解明された瞬間でもあった。


「もう寝ようか」

「そうだな」


 尚、その後にあった楽しいことについての詳しい説明は省略とする。


 ◇◇◇


 ジークと夫婦関係になれたからと言って普段の生活はさほど変化は無い。


「おはようジークリンデ」

「おはよう」


 ジークは今日の朝から散歩に出かけ、自分が起きて来る前に居間に行き、コーヒー豆を挽いて待っていた。

 焙煎したコーヒーの芳醇な香りの中にいるうちに、眠気もいつの間にか無くなっているから不思議だ。


 ジークの傍に寄って頬におはようのキスをする。何ヶ月としつこくやっているにも関わらず、彼女はいつまで経っても気まずそうな顔しかしない。


「こういうの、嫌かな?」

「……いや、悪くない」


 そんな事を言うので、調子に乗って口の端にも唇を押し当てる。

 ジークは机に向かって座っているので、これ以上の行為は出来なかった。


 彼女の周辺をウロウロとしているうちに、朝食が運ばれた。


「今日は土産屋の改装の手伝いだっけ」

「ああ」


 本日は別行動。

 自分は明日、エメリヒが来るというので、貸す予定の家を見に行こうと思っている。

 結局、アイナに鍵を渡してから随分と経ってしまったが、あの日から色々とあって行けなかった。

 ちなみにエメリヒは奇跡的に休日が取れたらしいが、今回も移動に往復四日、村に滞在一日という訳の分からぬ旅行の予定となっている。


 一応歓迎の印として、兎の毛皮で作った靴と帽子、職人に依頼して作った民族衣装を用意する。あとは絨毯でも、と思ったが、それは本人の好みを聞いてからにしようとジークと話し合って決めた。


 贈り物を革袋に詰め、村の外れにある家に向かう。


 おばけ屋敷と呼ばれる所以とも言える、血を染めて作ったかのような色合いのカーテンは取り除かれていたのが外からでも分かる。代わりに吊ってあったのは、青の布地に可愛らしい白い花が刺繍されたものだった。


 予備の鍵で入ると、家の中の変化に驚愕をする。

 まず玄関に置いてあった枯れた花の入った汚れた花瓶は綺麗に磨き上げられ、きちんと瑞々しい花が生けてあった。更に花瓶の底には四角く縫った布を敷いているという。

 埃っぽかった廊下や部屋は清潔な状態になっており、人が住めるような環境となっていた。


 そして、居間を覗けば、可愛らしい刺繍入りの布が目に飛び込んでくる。

 机掛けにカーテン、食器を載せる敷物は四枚、席の分だけ作られていた。椅子の背もたれにも布が被さっており、青と白で統一された部屋はまるで森の妖精さんの家のようだった。


 これを全て作ったのがアイナだというから驚きだ。

 そして、エメリヒはこの可愛らしい家に住む。一人で。


 寝室にある衣装棚に贈り物を入れようと行けば、ここにも枕に巻く布や布団の上に敷く布など、様々な小花の刺繍のある品々に囲まれてしまった。


 この地点で気付く。これは妖精の家ではない。幸せに満ち溢れた新婚夫婦の家だ、と。


 ……帰ろう。


 色々と見なかった振りをして、部屋を出る。

 が、出入りの口まで行って、鍵がガチャガチャと鳴っているのに気が付いた。


 開く扉の先にあった顔は思いもしない人物のものだった。


「お前かああああーー!!」

「!?」


 入ってくるのはアイナだと思っていたのに、そこに居たのは銃を構えたご老人。


 彼はアイナの祖父であり、村一番の狩猟名人とされるお爺様だった。

 傍にはアイナ本人が居て、止めてと叫んでいる。


 ――こ、これは、もしかして勘違いをされている予感?


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