第四十七話 アイナの活動報告
エメリヒ・ダーヴィット様
一日一日巡る度に秋が深まりつつありますが、お元気でお過ごしでしょうか?
この辺境の地は、昨日初めて雪が降りました。地面を覆う白い絨毯が、秋色に染まった木々の葉を美しく見せています。
これから狩猟の時期も始まり、村は慌しくなるのでどうにも落ち着かない気分です。村の男の人達は、狩りを始めると行動が荒くなってしまうからです。
暖かな季節が来ることを願っています。
そして、エメリヒさんに早く会いたいです。
アイナ・サロネン・ベルグホルムより。
書き終わった手紙を読み返し、なんてことを書いているのだと握り潰す。
終わりの文章を「春になれば、エメリヒさんにも会えるので、それを励みに日々暮らしていきたいと思います。」という一文に変えてから、手紙を封筒に入れて蝋を垂らして封をした。
父の作ってくれた木箱の中には彼から届いた手紙で埋め尽くされている。
これは私の宝箱。長い間、箱だけが大切なもので中身には何も入っていなかった。
その箱を、部屋の棚の中へと仕舞う。
今居る家は彼が将来住む予定の場所。それをリツハルドお兄ちゃんが貸してくれて、ここで自由に過ごせるように綺麗な状態にした。
机のテーブルクロスやカーテン、椅子の上に置いている薄いクッションも手作りをする。
気が付けば、部屋は自分好みの品で溢れ返り、男の人が住むような環境では無くなっていたが、気に入らなければ撤去すればいいと思ってどんどん増やしていった。
朝の早い、自分だけの時間が終われば家に帰って仕事を始める事となる。
太陽が昇る前の屋根の雪下ろし、朝の食事の準備に、冷たい水を使った洗濯、家の掃除をしてから、昼食の準備、工芸品の作成をして、食料が足りなければ買い物へ行き、夕食の準備に取り掛かった。
父が亡くなり、母が倒れてからは同じことを繰り返す毎日。
けれど、そんな日々の中にも変化が訪れた。
エメリヒ・ダーヴィットとの出会いだった。
彼はベルグホルム家の悪評など知らない異国人。
うちの家族は酷く嫌われている。
傲慢な態度に、極度の他人嫌い。人を見下すような性格で、相手が差し伸べた手も叩いて落とすという自尊心の高さ。
どれも精霊の教えを守って暮らしているだけだったけれど、古い考えを捨てようとしている村の人達からは嫌われていた。
そんな中で、彼は私を嫌われの家の者の村人だと知らずに話しかけて来たのだ。
出会った日はおかしな人だと思っていたが、後日、文を交わすようになって彼の人となりを理解する。
軍人だというエメリヒは、なんというか、変わった人だった。
厳しい環境の中に身を置いている筈なのに、手紙に書かれてあることは平和そのもので、その日に食べたお菓子の歴史についてだったり、自宅で飼っている犬と散歩に出掛けた話だったり、育てていた鉢植えの花が咲いたという報告だったり。
そんな些細な内容の手紙を、いつしか楽しみにしていた。
張り合いの無い毎日を彩ってくれていることに気が付いたのはここ最近のお話。
頻繁に送られて来る手紙だけが楽しみだった。
そんな生活を過ごしていると、嬉しい報告が入る。
纏まった休みが取れた彼が短期滞在でここに来るというのだ。
手紙を何度も読み直し、嬉しくなって家でも読もうと思ってそれを持ち帰った。
浮かれ気分で周囲も確認せずに家を出て、驚きの声を上げる。
家の猟犬が目の前に居たからだ。
そして、木々の茂みを分け入って出てきた人物は、言うまでも無く祖父だったという。
「お前は!! 最近妙にふわふわとしていると思ったら!!」
祖父に腕を掴まれ、手にしていた鍵を奪われてしまう。
家の中にも勝手に上がったが、中は当然無人だ。
「ここに、誰が住んでいる!?」
「だ、誰も住んでいないわ!!」
「嘘を吐け!!」
幸い、祖父はここがリツお兄ちゃんの管理をしていた家だとは知らない。私が黙っていれば、我慢をしていれば、この事はバレずに済む。
それから数日間祖父の尋問には無言を貫き通した。毎日怒鳴られ、頬を叩かれたが私もベルグホルム家の人間だ。素直に話をする訳がない。
けれど、弊害は別の場所で出てしまう。
最近元気を取り戻しつつあった母親が、祖父の不機嫌のせいでまた具合を悪くしてしまった。寝室から話を耳に入れていた祖母も口を聞いてくれなくなる。
頬や目の下の痣を隠す為に布を頭に巻いてから仕事をした。
買い物へ行く途中、目が合った村の子に顔を見られてしまったが、相手は見ない振りをしていた。
これが普通。私なんかに声を掛けてくるのはリツお兄ちゃんや奥さんのジークリンデさんだけだ。あの優しい二人に今回のことが発覚しないように、買い物も素早く済ませる。
家の中は最悪。祖父は私を監視する為に食料調達にも行かなくなった。
そして、我慢が限界になった祖父は相手の男を待ち伏せしてやると言って銃を手にした状態で家を出てしまう。
明日はエメリヒがこの村へとやって来る日だ。家で待ち構えられたら不味い。
ずんずんと村を進む祖父の背後から、止めてくれと叫ぶが当然聞く耳などある訳がなかった。
祖父は私から取り上げた鍵で家を開ける。
偶然にも、扉を開いた先には人影が。
「お前かああああーー!!」
激昂する祖父と、扉の先で驚くリツお兄ちゃん。
「お祖父ちゃん、止めて!! 領主様は違うの、関係ないから!!」
「ええい、離せ!!」
押さえていた銃の持ち手が頬に当たり、その場へと転倒をしてしまう。
「アイナ!!」
向けられた銃に臆することなく、リツお兄ちゃんは玄関の前に立っていた祖父を押し退けて助けに来てくれた。
その瞬間に響く銃声。
銃弾は、リツお兄ちゃんの腕を掠めて地面に向かっていった。
「リツお兄ちゃん!!」
「……その呼び方、久々に聞いたなあ」
腕から血を流している状態で、そんなことを呟く。
緊迫した状況の中でものんびりとしているので呆然としてしまうが、すぐに弾が掠めた腕を見てハッとなり、急いでハンカチで傷口を縛って止血をした。
祖父は依然として銃口をこちらへと向けたまま、立ち尽くしている。
きっと弾を当てる気は無かったのかもしれない。他の人から見たら無表情にも見えるが、家族の私には動揺が表情に出ていることが分かった。
リツお兄ちゃんは私の顔を見て、眉を顰める。その時になって顔に痣があることを思い出した。
銃を持ち出した祖父、顔に痣を作った私。そんな状況から事情を察したのかもしれない。
「ベルグホルムさん、話を聞いていただけますか?」
「……」
「アイナも、一晩預からせて頂きます」
「それは許さない!!」
「俺の妻が、彼女の面倒を見ますのでご安心を」
「!?」
この時になって祖父は領主の結婚を知る。
リツお兄ちゃんは、明日になったら事情を話すと言って私を連れ出してくれた。
翌日。エメリヒが来る朝となった。
私は領主邸で一晩を過ごし、ジークリンデさんの前で泣きはらすという夜を過ごしてしまった。
朝、顔は痣に加えて瞼も腫れるという酷いありさまで、更に涙を浮かべてしまう。
「ど、どうしよう、今日、エメリヒが、来る、のに」
「泣かなくても大丈夫、温かいタオルを当てれば良くなるから」
「……」
ジークリンデさんは時間を掛けて瞼の腫れにタオルを当ててくれて、痣が少しでも薄くなるようにと化粧を施してくれた。着替えはリツお兄ちゃんのお母さんの物を貸してくれた。スカートの丈が少しだけ短かかったが、最近の若い女の子は膝下のコルトを穿いているので、問題ないだろうという話をする。
それからしばらく経って、領主邸に来客が訪れる。
エメリヒだった。
その姿を見た途端、私は彼に抱きついていた。
もう二度と会えないかと思った。
折角綺麗に化粧をして貰ったのに、泣きじゃくってしまって顔はぐちゃぐちゃ。
エメリヒは、何も聞かないで静かに抱きしめてくれた。
◇◇◇
落ち着きを取り戻した後、リツお兄ちゃんとジークリンデさんに同席して貰った状態でエメリヒに全ての事情を話す事となった。
「今回の件は包み隠さず家族に話をした方がいいと思っている」
リツお兄ちゃんはそんな風に言うが、祖父も祖母も大変な頑固だ。許してくれる訳がない。
「アイナは、どうしたい?」
「……」
分からない。
エメリヒの家に居る間は、何もかも忘れて彼と二人でそこに住みたいという現実逃避じみた妄想ばかりしていた。
でも、私は家族を見離すことは出来ない。
「エメリヒさんと家族、どちらかを選べと言われたら、私は家族を選ばないといけない」
生まれ育った中で、精霊の教えである家族を大切にしろ、というものは私の中に強く根付いているのだ。
自分だけ幸せになるというのは当然許されることではない。
そんなことを言い切った後に、また涙が零れてしまう。これでは説得力がないと眦を拭うが、溢れ出るものは
「アイナ、大丈夫。家に行って話し合いをしよう。お爺さんは、なんとか説得してみせる」
リツお兄ちゃんはそんなことを言ったが、いい方向へと話が行くとは到底思えなかった。
それから数時間後。
話し合いの席には祖父と青い顔をしている母親、リツお兄ちゃんにジークリンデさん、エメリヒと私という、大人数となった。
祖父は銃を持っていない。それだけは安心をしてしまう。
リツお兄ちゃんが間に入るようにしてエメリヒの事を話してくれたが、祖父は絶対に許さないの一点張り。
「異国人の男に唆されよって!! お前は騙されている!!」
「ベルグホルムさん、それは違います。エメリヒ、彼はここに永住する決心を固めているのです」
「そんなこと言ってから、外の人間に辺境暮らしが務まる訳ないだろうが!! 現にお前の両親はこの村を出て行った!!」
痛いところを突かれて、リツお兄ちゃんは言葉に詰まってしまう。
「帰れ!!」
祖父はエメリヒの手を引いて無理矢理立ち上がらせる。
「次にこの家の敷居を跨いだら撃ち殺してくれる!!」
「お祖父ちゃん!!」
「お前はすっこんでいろ!!」
乱暴な事は止めて欲しいと縋ったが、祖父は私に向かって手を振り上げる。だが、その手が振り下ろされることは無かった。
エメリヒが、その手を掴んでいたからだ。
彼は私を背後に隠してくれた。
そして、思わぬ方向からの咎める声がする。
「――もう、止めませんか?」
「!」
今まで黙ったままだった母が祖父を睨んでいた。
「お義父さんは、この子の、幸せを考えた事はあるのでしょうか?」
「結婚相手なら探している!!」
「では、候補は?」
「……」
「私は、体の動かない自分を忌々しく思っていました。アイナにも、苦労を掛けたと」
母は、私に向かって大丈夫と言うように微笑みかけてくれた。
「これからは、お義母さんとお義父さんと私の三人で仲良く暮らしましょう」
「な、なんだと!?」
「エメリヒさん、アイナを国に連れて行ってくれますか?」
エメリヒは驚いた顔を見せつつも、「お任せ下さい」と言っている。
「何を馬鹿なことを言っているのだ!?」
「お義父さんは勝手です!! こんな可愛い娘の、幸せを阻むなんて!!」
「うるさい!!」
祖父はエメリヒを押し退けようとしたが、彼は頑として私を背に隠した状態から動こうとしなかった。
「エメリヒさん、逃げて!!」
母親の声に触発されたエメリヒは私を抱き上げて外に出る。
祖父が手を伸ばしてきたが、ジークリンデさんに拘束をされて動けない状態にされていた。
一緒にリツお兄ちゃんが出てくる。
「エメリヒ、家に」
「分かった」
それからまたリツお兄ちゃんは家に入って行った。
逃げるように領主邸に行き、しばらくしたらリツお兄ちゃんとジークリンデさんが帰って来る。
居間に集まると、驚くべき事実が話された。
「アイナ、エメリヒの国へ行ってくれる?」
「!?」
目の前に差し出されたのは、異国へ渡る為の旅券と母親が纏めてくれたであろう旅行鞄。
「実は、前からアイナのお母さんと話し合いをしていて」
「!?」
このような事態をリツお兄ちゃんは想定をしていたらしい。
「あの通り、アイナのお爺さんは聞く耳持たずでしょう?」
「で、でも」
「アイナ、異国で暮らすのは怖いか?」
ジークリンデさんに問われたが、頭の中が混乱している状態だったので、すぐに返事を返すことが出来なかった。
「家族を置いて、ここを出て行く訳には」
「良いからお母さんを信じて一回行ってみようよ、ね、エメリヒ」
エメリヒは私の顔を見て、頷いている。
「アイナちゃんの事は守るから」
「!!」
結局、周囲の大人達に言い含められるようにして、私はこの村から出る事となる。
◇◇◇
突然始まった異国での生活は驚きの連続だった。
言語についてはエメリヒの祖国語を覚えて驚かせようと、こっそり土産屋で本を買って勉強をしていたので、多少はどうにかなった。
それに、異国の地でも毎日やる事は同じだ。
食事を作り、掃除をして、洗濯もする。
慣れない二人の共同生活はぎこちなくて、照れと遠慮の連続だったけれど、新鮮で楽しい毎日だった。
エメリヒが軍を退職すると、住処を田舎へと移した。そこでは山羊と都から連れて来た猫を飼って、お世話をしながら暮らす。
彼は村の役所で働くこととなった。
ささやかで静かだけれど、幸せな日々は続く。
そんな生活が一年半経ったある日、エメリヒから話があるというので聞く事となる。
「アイナちゃん。村に、帰ろう」
「!!」
いきなりの話にどういう事かと瞠目した。
それから出てきた言葉は、驚く程か細いものだった。
「私、駄目だった?」
「え?」
エメリヒは、作った食事を美味しいと言ってくれたし、私の事も毎日綺麗だって言ってくれたし、家事だって感謝の言葉をくれるから、満足をしてくれているものだと思っていた。
けれど、潮時なのかもしれない。
村に居る家族も心配なことには変わりなかった。
「分かったわ」
「一ヵ月後にここを発とう」
「家まで送ってくれるの?」
「え?」
何故か不思議そうな顔をするエメリヒ。
「アイナちゃん、何を言っているの?」
「なにをって、どういうことなの!?」
私はてっきり村に返されるのかと思っていたがそれは違っていて、エメリヒは村に移住をしようと言っていたのだ。
なんという勘違い。
「だ、大丈夫なの? 一緒に村で暮らしてくれるの?」
エメリヒは笑顔で頷く。
こうして私達は再び村に帰ることとなった。
◇◇◇
一年半振りに帰って来た村は、変わることなく在り続けた。
驚いたのは実家の変化だ。
母は元気よく働き、祖母も外で仕事をしていた。
逆に祖父はすっかり痩せ細り、狩りもままならない程に気落ちしているという。
「ああ、アイナ、済まなかった」
祖父は驚くほどあっさりと結婚を許してくれた。
この一年と半年、ねちねちと母親に責められていたようだ。
私達はエメリヒがリツお兄ちゃんから借りている家で生活を始めた。
実家には毎日通い、前みたいに溌剌とした母や祖母と会話を楽しむ。
今日もエメリヒは祖父と一緒に山に行き、猪を狩ってきた。元軍人なだけあって銃器の扱いも熟知しており、狩猟の素質もあると祖父は言っていた。
「アイナ!」
振り返れば幼い頃から世話を焼いてくれた男の人の姿がある。
「おはよう、リツお兄ちゃん!」
私は笑顔で朝の挨拶をする。
今日も辺境の村は平和だった。