船内にて
ついにアイナちゃんの村に帰ることになった。
ものすごく緊張をしている。
リツ君やアイナちゃんのお母さんは大丈夫だからと手紙に書いていたが、それでも不安な思いを抱えていた。
彼女のお祖父さん、すっかり牙を抜かれたようになっているらしいけど、今でも思い出しただけで震えあがってしまう。
アイナちゃんは、暴力を受けていたのだ。俺なんかと文通をしていたせいで。
お祖父さんは孫娘を、自身が認めた男と結婚をさせたかったのだろう。それを、俺が横からかっさらってしまったのだ。怒るのも仕方がないのかもしれない。
でも、アイナちゃんを殴るのはあんまりだと思った。
この件に関しては、考えれば考えるほど、彼女に対して申し訳なく思ったし、自分を責めてきた。
リツ君は「ベルグホルム家の深い事情が絡んでいて、仕方がない話だし、誰かを悪いと決めつけるのは止めよう」と言っていた。
その言葉だけが、救いだった。
直接会った時に、改めてお礼を言いたいと思った。
村に帰る船の中で、そんなことを考えていた。
そう。俺達はリツ君の村に帰っている最中であった。
船は個室を借りて、悠々自適な船旅をしていた。
アイナちゃんは縫い物をして過ごしているようだ。
俺はすることがないので、せっせと働く彼女を眺めている。
ロッサがにゃあにゃあ言いながら近づいて来た。
珍しく、すりすりしてくれる。
もしかして、落ち込んでいたので、慰めてくれているのだろうか。なんて優しい猫なのだろう。感動した。
持ち上げて胸に抱こうとすれば、手足をピーンと伸ばして密着を拒否された。
地味にショック。
爪を立てていないだけいいと思うことにした。
アイナちゃんが近くに寄って来て、「ロッサはお腹が空いているのかもしれない」と言っていた。
あ、そっか。そういうことか……。
猫用のお食事は俺の鞄の中に入っている。準備を早くしろと、訴えていたのだ。
ロッサさんの『終身名誉餌係』たる俺は、木皿に乾燥野菜と魚を入れることになった。
はぐはぐと餌を食べるロッサを眺める。
ゆっくりお食べと言っておいた。
ぼんやりしていると、ぽんと軽く肩を叩かれた。
「……ねえ、どうかしたの?」
「!」
今度はアイナちゃんが心配をしてくれているのか。ロッサと同じように覗き込んでくる。
「なんか、さっきから暗いんだけど?」
「そ、そうかな?」
「ええ」
すりすりしてくれたら元気になります! なんて言えるわけなくって、気のせいだと愛想笑いを浮かべるだけにしておいた。
なんていうか、嫌われるのが怖くって、いまだにアイナちゃんに本心を語れないし、手を出すこともしていない。
ヘタレだと言われても仕方がない状態であった。
でも、彼女はまだ十七歳だ。
……自分は二十八歳。彼女からみたら、おじさんだろう。
本当の本当に、俺でいいのかと思うことも多々あった。
自分に自信がないのは、不治の病だ。
それに、村で上手くやれるかというのも心配の一つである。
狩猟なんて出来ないし、生活の作法だって知らない。
村の城塞で雇ってくれないかなと思ってしまう。
いや、あそこは軍の管轄だから無理だ。
そんな俺が、こんなに可愛い
「具合、悪いの?」
「!」
考えごとをしていたら、すぐ目の前にアイナちゃんが居て、額に手を当ててくれた。
びっくりして、肩を揺らしてしまう。
「いや、具合が悪いとかではなくって」
「じゃあなんなの? さっきから、変」
「……緊張を、していて」
「どうして?」
「いろいろと、不安で」
こんなことを言うべきではないのに、アイナちゃんに聞かれたら、本音がポロポロと口から出てくる。
頼りない男だと思っただろうか?
目を丸くして、こちらを見ていた。
「不安って、何が?」
「村での、生活のこととか、仕事のこととか、アイナちゃんのお祖父さんのこととか」
「そんなことを悩んでいたの?」
「え!?」
先ほどからうじうじと悩んでいたことは、彼女にとって大きな問題ではないらしい。
驚いてしまった。
膝の上にあった手に、アイナちゃんが手のひらを重ねてくれる。
触れられた瞬間、心臓がドクリと跳ね上がった。
彼女の顔をみれば、微笑んでいる。
それは、大丈夫だと励ましてくれるような、優しい表情であった。
「心配しないで。大丈夫だから」
アイナちゃんは言う。
生活に関しては任せてほしいと。
村人との付き合いに関しては、彼女もまだ不慣れなようで、一緒に頑張ろうと言ってくれた。
仕事に関しては、狩猟だけが全てではないと言う。
最近工芸品を高く買い取ってくれる商人が出入りしているので、頑張ればそれだけで生活が出来るかもしれないと言っていた。
仕事も、港の荷卸しや、土産屋など、雇ってくれるところは案外あるらしい。
冬季は都に出稼ぎに行く人も居るとか。
道は一つだけではないと教えてくれる。
「だから、変な風に思いつめないで」
「は、はい。ありがとう、ございます」
狩猟に関してはリツ君が教えてくれると言っていた。
もう、荒ぶる森の鹿が怖いとか言っている場合ではないだろう。アイナちゃんとの生活を守るために、頑張らなければならない。
「アイナちゃん」
「な、何?」
重ねてくれている手に、もう片方の自分の手を重ねた。
それから、思いの丈を彼女に伝える。
「まだ、一人前でもなんでもなくて、なんの取り柄もないけれど、世界で一番アイナちゃんを好きだという自信はあります」
「え!?」
この「え!?」はどういう意味かな。
聞こえなかったのなら、もう一度言わなければならないけれど。
ものすごく恥ずかしかったけれど、大切なことなので、もう一度言うことにした。
「アイナちゃんのことは世界で一番好――」
「それは聞いていたわ!」
「ご、ごめんなさい!」
び、びっくりした! 聞こえていたのか。
では、彼女の言った「え!?」の意味は一体……。
もしかして、世界規模での好意を伝えたので、引かれているとか?
もう、言ってしまったことなので、仕方がない。
最後まで気持ちを伝えることにした。
「あの、それで、良かったら、結婚をしてください!!」
地面に額を付けて、懇願をする。
これは二度目の求婚であった。
一回目は田舎に引っ越す時に、世間体を気にして結婚届を出す時に言った。
でも、その時は軽い確認と言うか、周囲の目から守るためで、関係の解消はいつでも出来るからと、無理矢理納得をさせる形での了承だったのだ。
今回は違う。
最初で最後、本気の求婚だ。
出せる勇気は本日で使い切ってしまった。
もし、断られたらとか、そんなことは全く考えていなかった。
たまに、自分が変な方向で発揮する前向きなところを、恐ろしく思う時がある。
今はひたすらアイナちゃんの返事を待つばかりだ。
「……あ、頭、上げて」
言いつけ通り、すぐに顔を上げて、平伏状態から元に戻った。
アイナちゃんは、顔を真っ赤にしている。
「あの、答えは、いつでも」
俺が村に慣れて、一人前になってからでもいい。
ただ、彼女に気持ちを伝えたかっただけなのだ。
だけど、アイナちゃんは、俺を引き止めるように上着を掴んで来た。
視線は合わせずに、一言、返事をしてくれる。
「ふ、ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
「!」
言われた瞬間、頭の中が沸騰するかと思った。
まさか、結婚を承諾してくれるなんて!
信じられないような気分で、すかさずお礼を言った。
「本当に、いいの!?」
「……私には、きっと、あなたしか居ない」
「!」
アイナちゃんも照れているのか、すぐに離れて、背中を向けられてしまった。
ああ、でも、なんて幸せなことだろうか。
今まで感じていた不安なんて一気に吹き飛んでいた。