新しい生活!
二日目の夜。
明日の朝には港に到着する予定だ。船旅最後の晩となる。
今度はアイナちゃんが思いつめた顔をするようになった。
故郷に近づくにつれて、複雑な心境になってしまうのかもしれない。
「アイナちゃん、甲板に出てみない?」
「どうして?」
「気分転換」
昨日は雨模様だったが、今日一日は快晴だった。明日も晴れだと、食堂のおばちゃんが言っていたので、星空が見られるかもしれない。
手を差し出せば、そっと指先を重ねてくれる。
姿が見えないロッサに大人しくしておくようにと言えば、布団の中から「にゃん」という返事のようなものが聞こえた。
ここに来た時、驚いたのが満天の星空だった。
手を伸ばせば届きそうなほどに、眩い光を放つ星は、夜空の宝石のようだと思った。
あまりの美しさに、嫌なことも何もかも忘れてしまって魅入ってしまったのだ。
俺がそうだったように、綺麗な星空がアイナちゃんの心も癒してくれたらいいなと思った。
甲板に見張りの船員以外誰も居なかった。その理由はすぐに発覚する。
……死ぬほど寒い!!
なんだろうか。季節は春になるというのに、身を裂くような風が吹き、海面には氷が浮いているという状況。
た、大変だ! アイナちゃん、着の身着のままで来てる!
そう思って、上着を脱いで彼女の肩にかけた。
さ、さささ、寒い。だけど、アイナちゃんの方が大事。
そう思っていたのに、大きなくしゃみをしてしまって、上着は返されてしまった。
アイナちゃんは今の気温を、春の温かさだから平気だと言っていた。
さすが、雪国育ちの雪妖精。
厳しい寒さもなんてことないんだなと、感心してしまった。
「ああ、アイナちゃんの故郷の空だ……」
「!」
今日も零れ落ちて来そうな星空が広がっていた。本当に綺麗だと思う。
祖国の空は田舎の村でも、ここまで綺麗じゃなかった。
空気が特別に澄んでいるから、このように美しく見えるのかもしれない。
しばらく眺めていれば、キラリと空を流れる星があった。
あれは、流れ星! 初めて見た。
アイナちゃんも見たかなって、彼女の方を見てぎょっとする。
右舷灯に照らされたアイナちゃんの目から、ボロボロと涙が溢れていたのだ。
ちょうど、燃料が切れたのか、灯りが消えた。辺りは暗闇に包まれる。
どうしよう!! って思ったら、アイナちゃんは小さな声で「ありがとう」と言ってきた。
お礼を言ってきたということは、さっきのは嬉し涙なのだろう。
本当に良かったと思った。
ここに来るまで、アイナちゃんはあまり意見しなかった。
祖国で暮らす間、何度か村に帰りたいか聞いたことがある。
彼女は、静かに首を横に振るばかりであった。
でも、心の底では彼女も自分の村に帰りたかったのだ。
「アイナちゃん、俺――」
間違っていなかったんだね。
そんな言葉を掛けようとしたら、突然アイナちゃんが抱き付いてきた。
突然の行動に、体が硬直してしまった。
抱き返してもいいものだろうか。
彼女は先ほどから何度もお礼の言葉を行ってくれる。
結局、抱きしめる前にアイナちゃんから離れていった。
やばいくらい顔が熱い。きっと今、照れすぎて情けない顔をしているだろう。
「……暗くて良かった」
思わず本心を声に出してしまった。
しかしながら、さらに思いもよらない事件が起きる。
アイナちゃんが俺の左右の袖口を両手で握りしめ、こちらを見上げるような行動に出てきた。
そろそろ夜目も効いてきたので、目を閉じているのが分かる。
これは、もしかして、キスしてもいいよ、ってことなのか!?
……え、本当に?
自分がいいように解釈をしていないか!?
だって、こんなこと、ありえない!
「え、い、いいの?」
なんとなく、聞いてみたが、アイナちゃんは答えちゃくれない。
一体どっちなんだ!
両手を掴まれたままアワアワしながら、寒空の下、しばらく時間を過ごしてしまう。
もう、寒い……。
これ以上、いろんな意味で我慢出来ないと思い、アイナちゃんにキスをした。
彼女は静かに受け入れてくれた。
それが、嬉しくって、涙が出そうになる。
アイナちゃんの体を抱きしめて、ありがとうございますと、お礼を言うことになった。
◇◇◇
翌朝、リツ君の村の近くの港に到着をした。
港にはアイナちゃんのお母さんが迎えに来てくれていた。
母娘の再会に、目頭が熱くなる。
馬車で村まで移動した。
城塞の入り口で、リツ君とジークリンデが迎えてくれた。
リツ君のよく来てくれたという言葉にも、涙が出そうになる。
二人も元気そうでほっとした。
リツ君は相変わらず爽やか雪妖精だし、ジークリンデは強そうだ。
夫婦の変わらない姿に安堵してしまう。
城塞の窓口で、住民証明書的なものを作って貰った。
城塞の軍人の態度が良くなっているのには驚いた。
でも、誰も見ていない隙に、睨まれていたのに気付く。
一体、どうして……、と思ったけれど、俺はアイナちゃんを村から連れ出し、挙句奥さんにしてしまった。もしかしたら、その件で恨まれているのかもしれない。
……ご、ごめんよ。
城塞の軍人さんに、心の中で謝っておいた。
リツ君達と別れ、そのまままっすぐに、アイナちゃんの実家に行くことになった。
ここに来て、一番のドキドキを味わうことになる。
それは、お祖父さんとの再会だった。
心臓が今まで感じたことがない程に、激しく鼓動を打っている。
否、昨日、アイナちゃんとキスした時の方がドキドキした。
大丈夫! 多分!
お祖父さんの圧力にも、耐えきれそうな気がした。
国で買ってきた良いお酒と、高級生ハムを持ってご挨拶に行った。
まっすぐ居間に通される。
お祖父さんは、居た。
アイナちゃんと俺の顔を見て、目を丸くしている。
お祖父さんはがばりと、勢いよく立ち上がった。
「あ、ああ……、アイナ!」
いつでも彼女を守れるように身構えた。
だが、お祖父さんは予想外の行動に出る。
アイナちゃんに近づき、しゃがみこんで、額を床に付けたのだ。
そして、謝罪の言葉を繰り返していた。
「お祖父ちゃん、やめて。もう、いいから」
アイナちゃんは、お祖父さんを許した。
怒っていないと、小さくなったように見える背中を優しい手つきで撫でていた。
俺はどうすればいいのか分からずに、ただ、呆然と立ち尽くしているだけだった。
◇◇◇
お祖父さんはあっさりと結婚を認めてくれた。
それから、「孫を大切にしてくれて、ありがとう」という言葉をかけてもらった。
その後、アイナちゃんのお母さんが作ったご馳走を食べたけれど、緊張してまったく味が分からなかった。
非常に申し訳ない。
お母さんの「家は布団もお風呂も綺麗にしておいたから」という言葉で我に返る。
俺とアイナちゃんは、リツ君から借りた家で暮らすことになっていたらしい。
家の存在をすっかり忘れていた。
まさか、まさかの新婚生活。
アイナちゃんのご家族と同居する気満々でここまで来ていたのだ。
お祖父さんにも、毎日いびられる心構えは出来ていた。
なのに、なのに、実際はアイナちゃんと二人暮らしとか!!
ここは楽園なのではと思った。
気を利かせたアイナちゃんのお母さんが、家に帰るように言ってくれた。
初めて来る、我が家。
鍵はアイナちゃんが持っていた。
いつも首飾りをしているなと思っていたが、家の鍵を肌身離さずに持ち歩いていたらしい。
鍵っ
家の中は、可愛らしい刺繍の入った物で溢れていた。
カーテンにクッション、机掛けに布団一式。
全部アイナちゃんの手作りらしい。
なんか、妖精さんの家って感じだ。
素敵な内装だねと言えば、嬉しそうにしていた。
荷物を整理していたら、あっという間に夕方になった。
アイナちゃんが夕食を作ってくれた。
トナカイのスープに、蒸しジャガイモ、揚げた白身魚に鶏肉の香草焼き。
どれも素晴らしく美味しかった。
家の隣にある小屋は風呂だ。アイナちゃんのお祖父さんが建てるように手配をしてくれたとか。ありがたい話である。
風呂を沸かして、先にアイナちゃんどうぞと言えば、夫より先に入れないと言われた。
これは祖国で一緒に暮らしていた時もそうだったけれど、村の風習的な何かだろうか。
まあ、特に強く勧める理由もないので、お言葉に甘えさせて頂く。
風呂から上がれば、そのまま寝室に向かった。
当然ながら、寝台は一つしかない。
とりあえず、寝転がらずに、寝台の隣にあった長椅子に腰掛けた。
一時間後、アイナちゃんがやって来る。
「どうしたの? 眠くないの?」
ちょっと今、興奮していて。なんて言えない。
寝間着姿のアイナちゃんは可愛すぎた。
「もう、寝ましょう」
「!」
アイナちゃんは寝台の上に座ってそんなことを行ってくれる。
こ、これが、真なる新婚生活!
素晴らしいなと思った。
念のため、一緒に寝てもいいのかと、お伺いをたててみる。
「何をいっているの? 私達、夫婦でしょう?」
「!」
驚きの承諾。
こんなことなんて、何年も先だと思っていた。
やっぱり、この村は楽園なのかもしれない。
「ア、アイナちゃん!」
灯りを消して彼女に抱き付こうとしたその時、何者かに遮られた。
「にゃん」
「……あれ、ロッサ?」
ロッサさんは俺とアイナちゃんの間に陣取り、眠り始めた。
そう言えば、毎晩一緒に寝ているって言っていたような気がする。
だが、問題はそれだけではなかった。
ロッサさんのすぐ隣からも、すうすうという寝息が聞こえてくる。
「……あれ、アイナちゃん、もしかしなくても、寝てる?」
慣れない船旅と、新しい生活に順応するために、疲れてしまったのだろう。
こちらが声を掛けてもまったく気づかない程に、よくお眠りになっていた。
うん。なんていうか、こんなもんだよね。初夜なんて、こんなもん。
きっと、みんなこういう目に遭っているんだ。
そう思い込むことにした。