0077 一日目
ウィットナッシュ開港祭、一日目。
街中央の広場に設置されたメイン会場において、開港祭開催が宣言され、七日間に渡るお祭りが始まった。
「あれは……どう見てもアベルだよね……」
「ええ、どう見てもアベルさん……」
「アベルさん、来賓席にいますね、何か凄いですね」
「さすがアベルさん、すげ~っす!」
涼、エト、アモン、ニルスの発言である。
涼たちがいる立ち見の観客席から、来賓席が見えるのだが、その来賓の中に、どう見てもアベルと思われる人物が座っているのである。
ただし、服装はいつもの冒険服ではなく、正装なため、非常に凛々しく見える。
「馬子にも衣裳とはこの事」
涼が失礼なことを呟いたが、周囲の喧騒に消されて、すぐ隣の『十号室』の面々にも聞こえていなかった。
「あの来賓席にいる女性、もの凄い美人ですね」
「ああ、あの赤毛の人だろ? いいよなぁ」
アモンとニルスが来賓席を眺めながら論評している。
「さっき言ってたけど、帝国の皇女様だそうです。ニルス、ニーナさん以上に高嶺の花です」
エトが、無慈悲な情報をニルスに突き付けた。
「いや、ほら、付き合いたいとかそういうんじゃなくて、ただ美人だな~ってだけだ」
ニルスが大げさに首を横に振る。
「ニルス、もし付き合えるとなったら?」
「ああ、それなら付き合う」
涼のまぜっかえしに、乗ってしまうニルス。
溜息をつくエトと苦笑するアモン。
「い、いいじゃねえか、男に生まれたからには上を目指すのは当然だ!」
「ニルス、まずはアベルを超えないといけませんね!」
「いや、アベルさんはちょっと無理……」
ニルスがいきなり上を目指すのに挫折しそうになったところで、四人に声をかけてきた者たちがいた。
「あ~、リョウたちがいる!」
涼が振り返ると、『赤き剣』のリンがいた。
その後ろから、リーヒャとウォーレンが現れる。
「こんな人混みなのに会えるなんて、凄いわね」
リーヒャの声が聞こえると、さっきまで溜息をついていたエトが緊張する。
「り、リーヒャさん……」
「三人がいるってことは……あの来賓席にいるのは、本物のアベルなんですか?」
涼には未だに信じられないが、どうもあれはアベルらしい。
「ええ。アベルは、ルンのギルドマスターの名代として来ているの。まあ、明日にはギルドマスターも来るから、そうしたらお役御免になるけどね」
リーヒャが、アベルが来賓席にいる理由を説明した。
「時々あるのよ。B級冒険者以上になると、ギルドマスターの代理としてこういう場に出ることが。普段は、ルンの街の場合は、白の旅団のフェルプスが代理になることが多いんだけど、今、白の旅団は糧食の輸送任務で忙しいから。それで今回はアベルになったわけ。表向きは」
「表向きは?」
「さすがアベルさん。かっけーっす」
細かいことにとらわれないニルスが、尊敬するアベルを絶賛している。
「ギルドマスターの本音は、私たちを宮廷魔法団のダンジョン任務から外したいのでしょう。この前みたいなことがあったから。王都にいるイラリオン様への意趣返しね」
『赤き剣』は、イラリオンという人の手紙で、魔法団の護衛についてダンジョンに潜ることになった。
そして、デビルと戦闘する羽目になったのだ……。
貴重な戦力を失う羽目になりかけたヒューとしては、イラリオンに対して一言言いたいというのは、確かにあるかもしれない。
涼がそんなことを考えていたら、じっと来賓席を見ていたリンが唸った。
「むぅ~。やっぱり来賓席を覆っているあの障壁、風属性の障壁よね……もの凄く分厚い」
「え? あれって風なんですか? 普通の魔法障壁じゃなくて?」
リンの呟きに、神官エトが反応した。
「そう、風ね。障壁と言うより防御膜の方が近いかも。ワイバーンが常時展開している風の防御膜、あんな感じ」
「ウィットナッシュの領主家に代々伝わる秘宝に、風の防御膜を発生させる宝物があったわね。ものすごく燃費が悪いから滅多に使わないって聞いたけど……。まあ、帝国の皇子と皇女が来てるから……破壊工作とかあったら戦争起きちゃうから……燃費が、とか言ってられないでしょうね」
リンとリーヒャが凄いことを言っている。
(テロとか起きたら確かに大変だよね。皇子が殺されて戦争とか、第一次世界大戦じゃん。何も起きませんように)
心の中で世界平和を願う涼であった。
「けどあの皇女様って、帝国の皇帝魔法師団長でしょ? ってことは、副長も来てるよね、きっと……」
「そうね、多分、来てるでしょうね……」
リンとリーヒャが意味深なやり取りをしている。
「その、副長ってのは厄介なのですか?」
涼は気になって二人に聞いた。
「うん、その副長が、帝国が誇る『爆炎の魔法使い』なんだよ」
「なにそれかっこいい」
涼の呟きは、二人には聞こえなかった。
「曰く、一撃で王国軍一千人を焼き殺した。曰く、一撃でワイバーンを爆散させた。曰く、一撃で反乱軍が立てこもる街を消滅させた」
「それ、聞いたことがあります。本当なんですかね?」
エトが、顔を紅くしながら話に乗ってきた。
「わからないわ。でも、本当だと言われているの。本当だとしたら……関わりあいたくない相手よね」
うん、二つ名はカッコいいけど、近寄らないようにしようと心に誓う涼であった。
アベルは、明日ヒューが来るまでは来賓として自由時間は無いとのことなので、『赤き剣』は三人でお祭りを回ると言って、去って行った。
十号室の四人も……、
「よし、今日も張り切って食べるぞ!」
「おぉ!」
本来であれば、E級やF級の冒険者はそんなにお金を持っていない。
だが、この十号室の面々は違う。
「ほんっと、リョウの魔銅鉱石の依頼、成功してよかったなあ」
そう、一人三十万フロリンの報酬を手にした、あの依頼のお陰である。
あの後、すぐにニルスは懐中時計を買ったが、それとて二万フロリン程度の出費であるため、十分貯金はあるのだ。
「あ、失礼」
「いえ、こちらこそ」
歩き出そうと振り返った瞬間、涼は後ろから来た人とぶつかりそうになった。
だが、お互いの超速反応により接触は回避された。
「ああ、副長、何やってるんですか。いっぱい買って、団長に持って行ってあげないといけないんですから」
涼の耳に、そんな声が、後ろの方から聞こえていた。
「いや、俺、人混み苦手なんだよ……」
「団長にそんな言い訳するんですか? 楽しみに待ってますよ、きっと。持って行かないと、我慢して来賓席に座ってたのに、副長は美味しいフィッシュアンドチップスすら持って来てくれなかったって泣きますよ」
『爆炎の魔法使い』の二つ名を持つ副長オスカーと、その副官ユルゲンは、露店の美味しそうなものを買って団長フィオナに届ける役目を担っていた。
「いや、そんなことでは泣かないだろう……」
そう呟いたが、周囲の喧騒によって副官ユルゲンの耳には聞こえない。
「えっと、ミニクラーケンの姿焼き、薄々お好み焼き、ボウル焼き、は揃ったと……あと絶対に必要と言われたのは……ああ、あそこのフィッシュアンドチップスです。幸運にも並んでる列が切れそうですよ。副長、行きましょう」
そう言うと、副官ユルゲンは露店の列に並んだ。
「ユルゲン……けっこうマメだよな……」
もちろん、美味しいものは好きだが、列に並んでまで食べようとは思わないオスカーは、こういうのは苦手であった。
だが、この『任務』には絶対にオスカーが必要だったのである。
それは……、
「副長、先に買ったやつ、冷めないように温めておいてくださいね! 冷めたら団長が悲しみますから」
爆炎の魔法使いにとっては、買ったものを温めておくのは朝飯前である。
もっとも……爆炎の魔法使いをそんな使い方出来るのは、世界広しと言えども皇女フィオナだけであっただろうが。
「おっと失礼」
「いや問題ない」
どこかで見たようなやり取りが、来賓席を降りた先でも交わされていた。
デブヒ帝国第三皇子コンラートと、ルン冒険者ギルドマスター代理アベルの間であった。
「ルンのギルドマスター代理の……アベル殿……ふむ……でしたか?」
「ええ。コンラート殿下。アベルです。少なくとも現在は、アベルです」
何かに気付いたかのようなコンラートと、意味深に断言するアベル。
「なるほど。失礼。以前お会いしたことのある、ある方に似ていたものですから」
「そうですか。それはきっと他人の空似でしょう」
「アベル殿は、ずっと代理で?」
「いえ……今日の初日と最終日だけです。なぜか途中だけ本来のギルドマスターが来ます。確か、二日目から六日目まで、個別会談と様々な会合があるとか?」
「ええ、各国の代表やギルドのトップ、あるいはこの辺りの領主が揃うことなど、滅多にないですからな。会談や会合がぎっしり詰まっていますよ」
コンラートは肩を竦めながら小さく首を横に振った。
「それはご愁傷さまです」
「アベル殿もご実家に戻れば……あ、いや、失礼ただの独り言です。私の妹も来ているのですが、祭りを堪能するのは妹に任せています」
そういうとコンラートはにっこり笑った。
「先ほど来賓席にいらっしゃいましたね。皇帝魔法師団長フィオナ殿下」
「アベル殿としては、やはりその肩書が気になりますか」
一瞬だけ、本当に一瞬だけコンラートの目の奥に鋭い光が走った。
だがそこはアベル、そのほんの一瞬の光も見逃さなかった。
「なんのことだかよくわかりませんが、『団長』が来ているということは、当然『副長』も来られているのでしょう? そう、『爆炎の魔法使い』の二つ名を持つ……」
「その辺りは軍の機密にあたるために、私からは何とも」
最後だけ、はぐらかしたふりをしているが、もちろん爆炎の魔法使いオスカー・ルスカが来ていることを隠すつもりは、最初からない。
全てが駆け引きであり、全てが示威行動ですらある。帝国とはそういう国なのだ。
「お、領主殿がいらっしゃるようですね。それではまた」
そういうと、コンラートはアベルの元を離れて行った。
「まったく、やりにくい相手だ……。だいたい俺、こういうの苦手なんだよな」
小声でつぶやくアベルであった。
「ふぅ、つかれたぁ」
そういうと、フィオナはベッドに倒れ込んだ。
「殿下、はしたないことはおやめください……二回目です」
副官でありメイドでもあるマリーは、昨晩に引き続いてフィオナの行為をたしなめた。
「だって、みんなに見られながらお姫様然として座ってるのとか、面倒よ?」
「殿下は紛れもないお姫様なのですが……。みんなに見られるのだって、いつも師団の皆に見られているでしょうに」
「師団はいいのよ。みんな知った顔だし仲間だし。でも、こう、不特定多数の人たちからの視線は……なんというか……」
「気持ち悪い?」
「こそばゆい」
「……うん、殿下の仰ることは、全く意味がわかりません」
そんな会話を交わしながらも、マリーはフィオナのドレスを脱がせ、皺にならないように整える。フィオナも勝手に、着慣れた師団服に着替えていた。
「ああ、やっぱりこの服が一番ね。機能的だし、動きやすいし」
そんなことを話していると、扉がノックされ、買い出し組が帰ってきた。
「殿下、ただいま戻りました」
「つかれたぁ」
副官ユルゲンと、疲労感に苛まれた副長オスカーが戻ったのである。
「副長までそんなことを……」
「ん~?」
「殿下も来賓席から戻ってこられたときに、同じことを仰ってました……」
マリーが首を振りながらお茶の準備を始める。
「お、俺は人混みが苦手なだけだぞ」
なぜか威張って言うオスカー。
「副長、さっき、めっちゃぶつかりそうになってましたもんね。なぜかぶつからなかったけど」
「おう。あれは危なかった。ぶつかってたら、持ってた食い物、落としてたかもしれないからな。だがぶつからなかったのは、俺じゃなくて相手がすげー反応で避けたんだよ。冒険者で、魔法使いななりしてたけど、あれは相当やるぞ」
その時の光景を思い浮かべながら、オスカーは買ってきたお土産のいくつかを温め直していた。
「まあ、とりあえず、食べよう」
フィオナのその言葉をきっかけに、帝国皇帝魔法師団の