<< 前へ次へ >>  更新
43/275

0042 ルンの街

次の日、朝早く二人はカイラディーの街を発った。


健脚揃いの二人である。

普通なら丸一日かかる距離であるが、お昼過ぎには、ルンの街一帯を見ることが出来る小高い丘の上にいた。


「これは……」

そこから見える景色は想像を絶していた。


丘の下から視界の果てまでが黄金色に染まる。

もうすぐ収穫を迎える小麦畑である。

そして、中央に鎮座する巨大な都市。

街というより、間違いなく都市と呼ぶべき規模である。

街を囲む城壁も、高く巨大。

おそらく城壁の中だけでも数十万人が住んでいるであろう。

さらに、城壁の外にも、農家だろうか、多くの家があるのが見える。


「街の外にも住んでいる人がいるのですね」

「ああ、農地は街の外にあるからな。元々は農民も城壁の中に住んでいたらしいんだが、農地への移動も馬鹿にならないということで、今では街の外に家を建てて住んでいる。そういうのもあって、ルンの街は夜になっても城門を閉めないんだ」

これはさすがの涼も驚いた。


多くの異世界ものはもちろん、地球においても中世の頃であれば、都市の城門は、夜間閉じられるのが常識であったからだ。

「それって、防犯上どうなんですか?」

「まあ……他の街に比べても警邏で回ってる連中は多いからな。そういうのもあって、この規模の街にしては治安も悪くない方だと思うぞ」




ひとしきりルンの街を眺めた二人は、丘を下りて街の南門に向かった。

お昼過ぎという、街に出入りするにはかなり中途半端な時間ということもあって、南門には衛兵以外誰もいなかった。


「あれ? アベル?」

アベルを知っているらしい衛兵が驚いた。

「おお、ニムル。久しぶりだな」

「久しぶりじゃねえ……お前、行方不明になったって……」

「うん、まあ、なんとか生きて還った」

そう言って、アベルは笑った。


「で、そっちの連れは?」

衛兵のニムルは、涼の方を向いて尋ねた。

「俺の命の恩人だ」

「そうか! いや、アベルをありがとうな」

そう言って、ニムルは涼の手を握り、ぶんぶんと上下に振り回した。


「とはいえ、入市税は払ってもらわないといけないんだが……」

「ああ、それは俺が払う」

そう言って、アベルは自分のギルドカードと、涼の入市税銀貨一枚をニムルに渡した。

「はい、確かに」

そう言うと、ニムルは今まで以上の、それこそ弾けるような笑みを浮かべてアベルに言った。

「おかえり、アベル」



一言も発することなく見ていた涼であったが、ちょっとだけアベルが羨ましかった。

帰ってくる場所がある。

そして、おかえりと言ってくれる人がいる。

それは、長らくロンドの森で、一人で生きて来た涼には無縁のものである。


特に、これまで何とも思わなかったが、アベルとそれを迎えるニムルの様子を見ると、少しだけ寂しさを感じたのは事実であった。

(よかったですね、アベル)


そう、それは旅の終わりを告げる光景でもあった。

アベルが涼に依頼した内容は、『ルンの街までの護衛』

そして、ここがルンの街。

二人して門をくぐった瞬間、依頼は達成されたのであった。




「リョウ、このままギルドに向かおう。冒険者登録、するだろう?」

「ええ、どうせなら早いうちにしておいた方がいいでしょう」

「今なら俺がいるからな。ランクアップ登録が出来るぞ」

首をかしげる涼。

「ランクアップ登録?」


「ああ、話してなかったか。冒険者ギルドってのは、最初はF級で登録されるのが普通なんだが、B級以上の冒険者の推薦があると、E級かD級での登録ができるんだ。で、俺がリョウを推薦するからD級での登録ができるはずだ」

「D級で登録すると、何かメリットが?」

「高ランクの依頼を受けられる。高いランクであればあるほど報奨金は多いからな、お勧めだぞ。まあ、涼はお金に困ることは無いと思うがな」

アベルは涼の鞄を見ながら言った。


「ああ、ワイバーンの魔石ですか? これ、そんなに価値が?」

はっきり言って、涼には全くわからなかった。

そもそも、一頭あたりアイシクルランスを二発放つだけなのだ。

苦労も何もない。

それで手に入れることが出来た魔石が、かなり高価な品物だと言われても、ピンと来ないのである。


だが、アベルは大きく頷いて言った。

「一頭討ち取るのに二十人は必要なんだぞ? それほど厄介な魔物の魔石だ……まず、普通は市場にも出回らない。つまり値段のつかない物なんだ」

「なるほど……でも、けっこうな数がありますから、これが市場に出たら値崩れを起こすのでは?」

希少性というのは、とても大切な価値である。

「そこは任せろ。ギルドもその辺は上手くやれるから」



そこまで話したところで、二人は目的地に着いた。

それは、ルンの街の冒険者ギルド。


辺境最大の街であるルン。

中央諸国で唯一のダンジョンを擁し、ダンジョンに潜るために他国の冒険者すらも集まってくる街。

そんな街の冒険者ギルドも、やはり辺境最大であった。

石造り三階建ての、極めて立派な外観。

その巨大な入口をくぐって、二人は中に入った。


さすがに時間が時間ということで、中は閑散としている。

依頼を受ける朝、依頼を終えて報告・換金を行う夕、この二つの時間帯はまさに戦場かというほどにごった返しているのだが、今はお昼過ぎ。

だが、響き渡った一言が、その場の静寂を打ち破った。


「アベルさん!」


声を上げたのは受付の女性であった。

歳は二十歳ほど、茶色の髪の毛をポニーテールにし、身長は涼よりも頭一つ低い。

スレンダーな体形だが、趣味の良い服を着ている。

「やあ、ニーナ」

ニーナが上げた声に反応して、隣接して設置されている食堂から冒険者が顔を出す。


「うぉ、マジでアベルじゃねえか」

「おかえり~アベル~」

「死んだんじゃなかったのかよ」

じゃっかん、悔しさのこもった声もあったが、十人を超える冒険者たちがアベルの元に来て、無事の帰還を祝った。


アベルが行方不明になったということは、ルン所属の冒険者はみんな知っており、かなり心配していたのである。

ルンほど巨大な街においても、B級冒険者というのは非常に希少なのだ。

その中でも、アベルをパーティーリーダーとする『赤き剣』は人気のあるパーティーである。


実力は既にA級と言われる天才剣士アベル。

絶対防御すら使うと噂される光の女神の神官リーヒャ。

王国中の盾使いの頂点と言われる『不倒』ウォーレン。

三人に比べればまだ若いが、実力は宮廷魔法使いに匹敵するリン。


多くの冒険者の憧れと言ってもいいだろう。

そのリーダーが帰ってきたのだ。

冒険者たちも取り囲もうというものである。


涼は、城門の時同様に、その光景を少し眩し気に見つめていた。

(アベル、本当に人気があるんだなぁ。仲良くしておけば何か恩恵があるかもしれない)

涼は、たまに打算的である。



しばらく冒険者たちに囲まれていたアベルであったが、頃合いを見て、涼の方に近付いてきた。

そして涼の傍らに立ち、話し始めた。

「こいつはリョウ。俺の命の恩人だ。リョウがいなかったら、俺はルンの街に戻ってくることは出来なかった。そしてリョウはこれから、この街で冒険者登録をする。俺らの仲間になる。だから皆も仲良くしてやってくれ」


驚いたのは涼である。

そんなの打ち合わせしてないだろ! そういう目で横のアベルを見た後、正面を見直した。


他の冒険者たちが、涼が何か言うのを待っている様だ。

「あ、涼です。よろしくお願いします」

涼はそう言って、頭を下げた。

「おお、よろしくなリョウ」

「アベルを助けてくれてありがとな」

そんな声と共に、涼の肩は激しく叩かれた。

いずれも涼への歓迎と、アベルの帰還を助けたことへの感謝の証であった。



「というわけでニーナ、リョウの冒険者登録を頼む」

そう言うと、アベルは涼を伴って受付の前に行った。

さすがにこの頃になると、アベルの帰還を祝った冒険者たちも、食堂の食べかけのままにしていた料理の元へと戻って行く。


そして受け付けの周りは、受付嬢のニーナとアベル、そして涼の三人だけになる。

「で、ニーナ。リョウの登録だが、俺が推薦人でD級での登録を希望する」

それを聞いたニーナは驚いた。

もちろん推薦でのランクアップ登録の制度はある。

ルンの街でも、一年に一回程度は起きることである。

だが、これまでアベルを含めた『赤き剣』のメンバーが推薦人となったことは一度も無い。


「もちろん、それは構いませんが、この制度を使う場合は、推薦するに値する証拠の提示をお願いしております。それはどうされますか」

「ああ、承知している。その件も含めて、ちょっとギルドマスターに相談したいことがあるんだが……今から会えるか?」

「大丈夫だと思います。お昼も、お部屋で書類と格闘しながらうんうん唸っていらっしゃいましたから」

そう言ってニーナは微笑んだ。

「ギルドマスターを呼んでまいりますので、お二人は奥の応接室へどうぞ」

ニーナは、まず二人を奥の応接室に通すと、すぐにギルドマスターの部屋に向かった。



その後、すぐに応接室にも聞こえる濁声が聞こえた。

「なんだと!」

そしてドタドタと走ってくる音。勢いよく扉が開き、強面巨漢の男が入ってきた。

「アベル……良かった……」

そう言って、巨漢は膝から崩れ落ちた。


「ギルマス、心配かけてすまなかった。何とか戻ってこれたぞ」

「まったく……アベルが行方不明になったと聞いて、生きた心地がしなかったぞ」

巨漢は立ち上がり、彼専用らしいかなり大きくて頑丈な椅子に座った。


「おっと、その前にだ、そちらの……魔法使いは?」

巨漢は涼の方を向いて尋ねた。

「こいつはリョウ。俺の命の恩人だ」

「そうか、俺はルンの街のギルドマスター、ヒュー・マクグラスだ。アベルを助けてくれて感謝する」

そう言って、ヒューは立ち上がり、涼に頭を下げた。

「あ、いや、たまたまですから。お気になさらずに」

涼も思わず立ち上がって、頭を下げる。


「で、だ。ギルマス、リョウはこの街で冒険者登録をするのだが、俺の推薦でランクアップ登録を希望しているんだ」

そう聞いて、ヒューは、ドアの近くに立ったままのニーナを見た。

ニーナは頷き、

「それについて、アベルさんがギルドマスターにお話があるそうです」

きちんと伝える前に、ヒューが走り出したために、アベルの面会希望理由は全く伝わっていなかった。


「ああ、そうだったのか。それで、リョウと言ったか、ランクアップ登録をするにはそれに値するという証明が必要なんだが……」

そこまで言うと、ヒューはドアの近くのニーナを見た。

それが人払いのための視線であることをニーナは理解した。

「それでは、私は失礼します。受付におりますので、何かあったらお呼びください」

そう言って一礼すると、ニーナは出て行った。



最初に口を開いたのはアベルである。

「まず、リョウは俺よりも強い」

その言葉は、ヒューと涼、二人を驚かせた。


「おいおい……」

「アベル……お昼に食べた干し肉で、お腹でも壊したんですか?」

溜息をつくアベル。


「まあ、こういうふざけたやつだが、力があるのは事実だ。あと、ルンまで戻ってくる間に、俺とリョウとで倒した魔物から採ってきた」

そう言うと、アベルは自分の鞄から、ワイバーンの魔石を取り出し机の上に並べだした。

その数、実に二五個。


「何だこの魔石は……。緑だから風だというのはわかるが……恐ろしくでかい上に色も濃い。こんな魔石が……いや、まさか、これはワイバーンか?」

「そうだ、ワイバーンの魔石だ。これとほぼ同じほど、リョウも持っている」

アベルがそう言うと、涼も鞄を机の上に置いた。

「馬鹿な……これほどのワイバーンをいったいどこで……いや、これは国が総力を挙げて対処しなければ……国が滅ぶような規模だ……」

ヒューは、絞り出すように言った。ほとんど囁くような声である。


「その点は心配しなくていい。このワイバーンを狩ったのは、魔の山の南の大地だ」

「魔の山? あの魔の山か? なんでそんな場所に?」

「船が流されて……流れ着いたのが、魔の山のさらに南に広がる大地だったんだ。で、そこから魔の山を越えて戻ってきたんだが、その魔の山の南側はワイバーンがいっぱいいた、まあそういうことだ」

アベルは肩をすくめながら説明した。かなり端折ったが。



とりあえず重要なのは、これらワイバーンが今すぐ人類を襲ってくる恐れは無いということと、この先そう簡単に、これだけ大量のワイバーンの魔石を手に入れることは出来ない、ということが説明できればいいのだ。


「なるほど。二度と、これほどの規模でワイバーンの魔石が手に入ることは無いし、襲ってくることも無いと。で、これらを市場価値が暴落しないように、ギルドのネットワークを使って売ってお金にしたい、そう理解していいんだな」

「さすがギルマス、話が早くて助かる」


全てを、ここルンの街で売れば、一気に市場価値は暴落する。

さらに、どこで手に入れて来たのかということも探られる。

だが、ギルドのネットワークを使って、他の街や王都、場合によっては他国への貿易品にして売りさばけば、下手に勘繰られることは無いであろう。

そういうことであった。


「了解した。少し時間はかかるが、俺が責任をもって売りさばく。王家にも買ってもらうとしよう」

そう言った瞬間、アベルはほんの少しだけ顔をしかめた。

「恐らく、一個は、すぐに領主様が買い取るだろうから、二、三日の内にはその売り上げは入金できるだろう。で、お前たちの利益の分は、半々で入金すればいいのか?」

「いや、四対六で。俺が四、リョウが六で頼む」

「アベル、それはダメです。山分けで」


それを聞いてアベルは首を横に振った。

「リョウ、俺はリョウに助けてもらったお礼もロクにしていない。それにこれは、俺をここまで送ってくれた依頼の報奨金でもあるんだ。俺の顔を立てて受け取ってくれ」

そう言って、アベルは座ったまま頭を下げた。


「アベル……」

「リョウ、アベルがここまで言ってるんだ。男を立てて受け取ってやれ」

ヒューもアベルを後押しした。

「わかりました。有り難く受け取らせていただきます」


<< 前へ次へ >>目次  更新