0036
ベヒモス対ワイバーンの戦場を、大きく東に迂回して、二人は北を目指した。
しばらく歩くと、アベルが涼に話しかける。
「なあ、リョウ、俺の見間違いで無ければ、前方にものすごく高い山の連なりが見えるのだが」
「奇遇ですね。僕にも、ものすごく高い山の連なりが見えます」
まだ、かなりの距離があるのだが、雲の上にまでそびえる、雪を被った山脈が見えた。
地球の単位で言うと、六千メートル、あるいは七千メートル級の山々といったところであろうか。
「あれが、蓋をしている山脈……だよな」
「恐らくそうでしょうね」
涼も、まさかこれほどとは思っていなかった。
「山越えをする前に……麓にいる間に、乾燥肉を準備しておいた方がよさそうですね。途中まではいいかもですけど、半ば以上は生き物を狩ってその日の食事に、というのも難しそうですから」
「ああ……雪被ってるとそうなるかもな」
「まったく……風属性の魔法使いなら、あんな山、魔法でひとっとびなのに!」
アベルの頭の中には、パーティーメンバーの風属性魔法使いのリンが、あの山脈をひとっとびで越えようとして、全然越えられない絵が浮かんでいた。
「いや、それは無理」
涼の妄想を否定するアベルであった。
そのまま北に、二人は林の中へ進んでいく。
「そう言えばアベル。アベルはワイバーンを倒したことがあるんですか?」
「ん? 討伐には何回か参加したことはあるが。なんでだ?」
「いえ、ベヒちゃんのところに現れたワイバーン達、北の山脈の方からやって来てたじゃないですか」
それを聞いて、横を歩いている涼に、ギギギギという音が出るかの様にゆっくりと頭を向けるアベル。
「まさか、この先にワイバーンがいると……?」
「ええ、まず間違いなくいるでしょうね」
アベルの愕然とした表情とは対照的に、明るいとさえ言える涼の表情。
実際、涼としてはワイバーンをもう少し近くで見てみたいという思いはあった。
ベヒモスとの戦闘は、かなり離れた所から見ていたからである。
「ワイバーンは、二人やそこらでどうにかなる相手じゃないぞ。実際、ワイバーン討伐の時は、少なくともC級冒険者以上が、最低でも二十人は駆り出される。しかもそこまで揃えても、冒険者側に犠牲者が出るんだからな」
ワイバーン討伐で、何度も冒険者たちが傷付き、場合によっては死んでいく姿を見て来たアベルとしては、できれば避けたい相手である。
「討伐の時は、どうやって討伐するのですか? 空中にいるから、アベルの闘技とか届かないでしょう?」
「ワイバーンみたいなのが相手の時は、俺ら剣士は、囮役と地上に落とした後の止めを刺す役だ。かと言って、ワイバーンクラスになれば弓矢も効かないから、攻撃の主力は魔法使いになる」
「おぉ、魔法使い万歳」
そう言って、万歳する涼。
「いや、そうは言っても、魔法使いが一人や二人でどうにかなるもんじゃないぞ? 生きてる間は、ワイバーンはその表面を風魔法でガードしているらしく、火属性の攻撃魔法を当てても、ダメージはほとんどない」
アベルは、討伐時の記憶と、注意点を思い出しながら涼に説明していった。
「火属性の魔法使いも大したことないですね」
水属性の魔法使いとして、対抗心も露わに、なぜか火属性をけなす涼。
『ファイ』に来て一度も、火属性の魔法使いに会ったこともないのに。
もちろん、生まれてこの方、自分以外の魔法使いに会ったことは無いのだ。
「それでも、攻撃力という点では、火属性魔法が一番強い。そもそも、ワイバーンは風属性魔法を使うから、風属性の魔法使いの魔法ではダメージを与えられないしな」
「そうなんですか?」
「ああ。エアスラッシュとかを放っても、当たらないらしい」
涼の頭には、海の中で出会ったベイト・ボールやクラーケンが思い浮かんだ。
(魔法制御を奪われた、ああいうやつなのかな。やはり同系統の魔法だと、制御を奪われるとかそういうことなのかもしれません……)
「だから、火属性の魔法使いが、ファイアボールやファイアランスなどをひたすら撃ち込む。そうやってワイバーンの持久力を奪っていくことになる」
「なんというか……ものすごく洗練されていない印象を受けるのですが……」
「仕方ないさ。ワイバーンを確実に狩れる方法なんて確立されちゃいないんだ。火魔法を当てて、持久力を削って、風の防御が薄くなったところに運よくいい魔法が入れば、地面に落とせる。だが、その火魔法で攻撃されて、怒り狂ったワイバーンの突進で犠牲が出ることは非常に多い」
肩をすくめながら答えるアベル。
「うん、もう人間は、ワイバーンには手を出さない方がいいと思いますね」
「そうは言っても、隊商が通るルートに現れて、貿易が滞ったりしたらやっぱりまずいからな。領主やら国王やらが、討伐を冒険者ギルドに依頼するんだよ」
そこまで言ったところで、アベルは急に身構えた。
(何かが変だ)
涼も、アベル同様、違和感を感じていた。
「植物が……何か変です」
涼がアベルに囁く。
つまり動物系の魔物ではない。周りにある植物が、違和感の原因となっている、と。
だが、何かが襲ってきたりもしない。
何も襲ってこない……目に見える範囲では。
不意にアベルが片膝をついた。
「アベル!」
「大丈夫だ、毒か何かだが、すぐ元に戻る」
そう言うと、すぐに毒から回復したかのようにアベルは立ち上がって、次は剣を抜いて構えた。
涼は、半径二十メートル以内の、空気中に漂う水蒸気状態の水分子を、全てイメージとして捉える。
(<アクティブソナー>)
瞬間、余りに膨大な情報量が頭に入ってきて頭がくらくらする。
だが、今は仕方ない。
自分から発した『刺激』が、周りの水分子を伝って波紋のように拡がっていく。
鏡のような水面に石を落とすと、波が拡がっていくように。
その途中で、漂う『異物』を捉える。
(この感触は、麻痺毒)
異物で反射して戻ってきた『刺激』を基に、過去の経験から異物の特定を行う。
(濃度の濃い方向は……右……何も見えないが……いや、わずかに揺らいでいる)
「<スコール>」
急激な雨によって、空気中の麻痺毒の成分を地面に叩き落とす。
「<氷棺>」
麻痺毒の発生元を、まるごと氷漬けにした。
以前は、生き物の体表十センチ付近までは、水魔法の制御下に置くことは出来なかったが、相当な努力の結果であろう、周りの空気ごと氷漬けにすることが出来るようになったのである。
「あの氷の塊は……」
「あの植物が、麻痺毒をばらまいていました。丸ごと氷漬けにすれば、毒が飛び散ることもありませんからね」
「しかし……なんだこいつは……」
アベルも初めて見る魔物に驚いていた。
氷漬けされて屈折率が変わったからであろうか、その植物の魔物、外見はラフレシアそっくりの魔物は、姿を見ることが出来た。
「鏡のように反射して、周りの景色に紛れる能力があるのでしょう」
「だから見えなかったのか……」
アベルも、周囲に違和感を覚えてはいたが、その原因を特定することは出来なかった。
それも、見えない魔物であれば当然だったと言えよう。
「で、この氷の塊はどうするんだ?」
「このままにして、僕らが十分に遠く離れたら解凍してあげましょう。植物の場合は、解凍すればまた生き続けることが出来ます。僕らとは関係の無いところで、幸せに生きてもらいましょう」
「植物以外の場合は……どうなるんだ?」
「死んじゃうんですよね。氷の中でも心臓と血液の循環を行わせたり、あるいは逆に瞬間完全冷凍みたいにして仮死状態に、とかを試してみたのですけど……まだなかなか上手くいかないですね。もっと頑張りましょう」
「そ、そうか……」
ごくりと唾を飲み込んだアベル。
そう、アベルは自分も氷漬けされる可能性を考えてしまったのだ。
もちろん、涼がそんなことをするわけは無いのだが、わけが無くとも「可能か不可能か」で考えると可能なわけだから……そこは考えてしまっても仕方がない。
そこに突き刺さる涼の声。
「アベル……何を考えているか丸わかりですよ!」
「な、なに……」
さすがのアベルも動揺を隠せない。
「夏場なら、氷棺は冷たくて気持ちいいんじゃないかな、でしょ? 全く……困ったものです」
「ああ……。いろいろ安心したよ」
がっくりしながらも、なぜかちょっとだけ嬉しくなったアベルであった。