0035
涼とアベルは、困難な状況に立たされていた。
「アベル、あれは何ですかね……」
かなり前方なのだが、何か巨大な生き物が、川べりに寝転がっているのである。
「俺も見るのは初めてだが、恐らく、ベヒモスだと思う……」
アベルは声を潜めて答える。
もちろん、常識的に考えて、普通にしゃべっても到底聞こえる距離ではないのだが、それでも声を潜めて話した方がいい、そう思えたのである。
もし何かの手違いで襲ってでも来たら……、
「アベルは狩りたそうですね」
「そんなわけあるか!」
全長百メートルをゆうに超える巨大な魔物。
しかも本当にベヒモスであるなら、それはドラゴンほどではなくとも、ここ百年以上、人が接したという報告は無い。
少なくとも、ナイトレイ王国では、そんな報告はされていない。
「あの巨体だと、ロックゴーレムにやったみたいなアイスウォール10層の自由落下でも、楽々受け止めそうですよね」
冷や汗を流して声を潜めていたアベルに比べると、涼は若干楽しそうでもあった。
涼にしてみれば、地球にいた頃には絶対に見ることもできなかった光景なのである。
そして地球上には存在していなかった生き物なのである。
確かに、命の危険があることは理解してはいるのだが、同時に、少しワクワクしている自分がいることも認識していた。
「まず、効かなそうだな。リョウ、絶対、試すなよ?」
「嫌だなぁ、アベル、僕を常識外れな人だと思っていません?」
「ああ、思っている」
大きく頷くアベル。
それを見て愕然とする涼。
だが、そこで涼は気づいた。
北の空から、何かが近付いてきていることに。
「アベル、向こうの空から何か来ます」
言われて北の空を見るアベル。
かなり視力のいいアベルでさえも、何かが近付いてきているのはわかるが、はっきりとは見えない。
はっきりとは見えないが、そもそもこの距離で、『何か』が飛んできているとわかるということは、少なくとも鳥などではない。
「ドラゴン……?」
「いや、手が翼になっているから、正確にはワイバーンだな」
「おお、ドラゴンの下位互換!」
ひどい言いぐさである。
「ワイバーンが六頭……」
ワイバーンは、中央諸国でも目撃例は多い。
隊商や村が襲われた例はかなりある。
ドラゴンとは比べるべくもないとはいえ、それでも冒険者や騎士団が数人でどうにかできる相手ではない。もちろんワイバーン一頭に対してでだ。
それが六頭……。
「あのワイバーン達……やっぱり狙いは……」
「ああ。あのベヒモスだろうな」
「これは、怪獣大決戦が見られますね!」
「いや……ベヒモスが圧倒的に厳しいだろう……」
アベルは自分の見解を述べた。
アベルは、これまでにも何度か、ワイバーン討伐に参加したことがある。
そのため、ワイバーンの強さ、そして厄介さは身を持って知っていた。
「ベヒちゃんが、そんなに簡単に負けるとは思えません!」
いつの間にか涼の中では、ベヒちゃんになっていた。
まあ、確かに、その巨大さを考慮しなければ、カバに似ているため、愛らしいと言えなくも……ない……ない……ないかな?
「たった一人を寄ってたかって襲うなんて、ドラゴン道の風上にも置けないですよ」
「ドラゴン道……。いや、まあそうは言っても、やはり空中から攻撃できるというのは圧倒的に有利だ。ワイバーンという奴らは、風属性魔法を使う。特に不可視の攻撃魔法エアスラッシュ、それと上位魔法のソニックブレードは厄介だ」
「ソニックブレード! 三体分身からのソニックブレード、同時に突貫攻撃!」
涼がこだわる、ブレイクダウン突貫とかいうロマン戦術である。
「分身とかはさすがに……。ソニックブレードとの同時突貫とかも聞いたことは無いが?」
涼の妄言に真面目に答えるアベル。いい奴である。
寝転がっていたベヒモスも起きだし、自分の身に迫った脅威に対処し始めた。
具体的には、起き上がって、四つん這いになっただけだが。
地上のベヒモスと空中でホバリングしている六体のワイバーン、お互いの距離は四十メートルほどである。
まず仕掛けたのはワイバーンであった。
翼を羽ばたかせることで、エアスラッシュを撃ちだしたらしい。
らしい、というのは、涼たちがいる距離からでは、さすがにエアスラッシュが移動時に起こす、僅かな空気の歪みは視認できないからである。
だが、ベヒモスはエアスラッシュを、放たれた数と軌跡まで全て把握したのであろう。
ベヒモスの周りに瞬時に、人の頭大の石礫が六個生じる。
生じると同時に石礫は放たれ、正確に全てのエアスラッシュを迎撃した。
「おぉ」
「さすがベヒちゃんです!」
「恐らく次は、範囲攻撃のソニックブレードだ」
過去のワイバーンとの戦闘経験から、アベルがワイバーンの次の動きを予測した。
「ソニックブレードの厄介なところは、発射後、複数個に分かれることだ」
「数の力で飽和攻撃ですか。風属性魔法は酷いですね!」
着弾前に分裂するような魔法は、迎撃する側からすれば、これほど厄介なことは無い。
アベルが想定した通り、六体のワイバーンから六本のソニックブレードが放たれた。
ソニックブレードは、エアスラッシュと違い、目に見える風属性攻撃魔法だ。
ベヒモスに向かった六本の風の剣は、距離半ばで数十の小剣に分裂した。
だがそれはベヒモスの想定内であったのかもしれない。
ベヒモスは石礫での迎撃ではなく、自分の前面に巨大な石の壁を大地から生じさせたのである。
全てのソニックブレードを防ぐ石の壁。
「ベヒモスは大地の魔物、と聞いていたが、確かに土属性魔法をかなり操るな」
「取っ組み合いの決戦を想定していたのですが、まさかの魔法戦でした」
「だがどちらにしても、決定打に欠ける」
一か所に集まって攻撃していたワイバーンたちが動きだし、ベヒモスを中心に包囲する形になった。
「全方向からの攻撃なら、さっきの石の壁では防げまい、ということか」
「くっ……頑張れベヒちゃん」
包囲が完成し、ソニックブレードが放たれようとした時、涼は違和感を感じた。
ベヒモスの周りに、違和感を感じたのだ。
理由も原因も、もちろんわからない。
わからないから、違和感なのだ。
だが、以前感じたことのある、違和感。
急速にその違和感はベヒモスの周りから広がり、ワイバーンたちも、その違和感の範囲内に入る。
入った瞬間、発射間近であったソニックブレードは掻き消え、ワイバーン達は墜落した。
ホバリングした状態から、一瞬にして浮力を失ったかのように、墜落したのである。
「麻痺か? しかも全方位に?」
「いえ……そうではないでしょう」
アベルが涼を見ると、涼の顔は少し青ざめていた。
「あれは恐らく、魔法無効化です」
そう、涼が以前感じたことのある違和感、それは、あの片目のアサシンホークが進化した後に身に付けたらしい、魔法無効化であった。
恐らくワイバーンは、魔法の力を使って飛んでいる。
そうでなければ、あれほどの巨体をホバリングさせるのは不可能である。
滑空するだけならともかく、空中で静止するホバリングは無理だ。
そしてその魔法を、ベヒモスによって封じられ、墜落した。
魔法を封じられ、飛べなくなり、風魔法で攻撃することもできなくなったであろうが、麻痺でないならば動くことはできるはず。
そう思って見ていると、墜落したワイバーンの中には、起き上がり、まだ戦う姿勢を見せるものもいた。
「魔法無効化? 魔法を使えなくしたってことか? そんなことが可能なのか? 人の魔法使いはもちろん、魔物でもそんなの、聞いたことが無い。ありえないだろう」
「見てください。落ちたワイバーン達は、起き上がっています。麻痺なら落ちた後も動けないはずでしょう?」
「なるほど、確かに。だが、魔法無効化……そんなことが……ダンジョンの罠とかならあるらしいが……」
「ダンジョン!」
ファンタジーと言えばダンジョン!
「ナイトレイ王国にはダンジョンがあるのですか?」
「ああ、あるぞ。中央諸国唯一のダンジョンが」
それを聞いてテンションの上がる涼。
「素晴らしいですね! そこのダンジョンの罠にあるのですね、魔法無効化」
「王国のダンジョンでは、聞いたことないな。西方諸国にあるダンジョンの中に、そんな罠があるらしい。魔法無効空間の部屋」
「ほっほぉ。ダンジョンにあるのなら、魔物が出来ても不思議じゃないですね」
「いや、十分不思議だと思うが……」
顔をしかめ首を横に振るアベル。
「涼は、ダンジョンに興味があるのか?」
「当然です。いつかは潜ってみたいですね」
「なら、ちょうどいいかもしれないな。その中央諸国唯一のダンジョンがあるのが、俺たちが向かうルンの街だ」
それは涼を驚かせるには十分な情報であった。
「なんですって……。なぜアベルは、今までそのことを黙っていたのですか!」
「いや、そう言われても……涼がそれほどダンジョンに興味があったなんて知らなかったしな……」
二人が話している間も、戦場では戦闘が続いていた。
だが、もうそれは戦闘と言うよりも、一方的な蹂躙であった。
空中という圧倒的に有利な位置を失い、攻撃魔法も使えず、飛ぶこともできないワイバーン。
かたや、その巨体だけで十分な脅威であるベヒモス。
ワイバーンがどんな物理攻撃を行っても、ベヒモスには傷一つつかなかった。
しかも、ワイバーンは魔法が使えないのだが、ベヒモスは問題なく使えるのだ。
一方のワイバーンを足で踏みつぶしている間に、後方のワイバーンに石礫をぶつけて逃げるのを防いだりしている。
その蹂躙劇は、五分もしないうちに終わった。
そこには、ワイバーン六体の死体が転がっていた。
「恐ろしいものを見てしまいましたね」
「ああ、ベヒモス恐るべしだな」
戦闘前はワイバーンが圧倒的有利だと思っていたアベルであったが、まさかここまで一方的な展開になるとは想像していなかった。
絶対に、あんなのとは戦いたくないものである、アベルは固く心の中で誓った。
「さて、第二ラウンドは、アベル対ベヒちゃんですね」
「ふざけんな!」
二人は、一心不乱にワイバーンを食べているベヒモスを大きく迂回して、移動するのであった。