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第7章 第7話 Trip pathway◇◆

 散歩の合間に一息ついて、喉を鳴らしネストの老女ピリカラは洗顔の後、澄み切った冷水を飲む。

 きんきんに冷えた泉の天然水が彼女の老いた体を潤してゆく。


「ぷはー、んまいっ。たまらんのう」


 ぐいと口元を手首で拭う。


「今朝もネストは平和だのう。よそは大変だというのに申し訳ないの」


 泉のほとりの岩の上で休息を取った彼女の胸元には、洒落たチェーンのトップに亡夫の形見のオジールの首飾りがさがっている。形見の品をもう二度となくさないよう、丈夫なチェーンに取り換えている。グランディアの後に赤井に探し出して返して貰ったとはいうものの、やはりピリカラの朝はネストの森の散歩で始まる。


 もうこの森で探し物はないが、目に収めておきたい景色と、毎日でも味わいたい清らかな空気があるからだ。

 日が経つにつれ、かつて呪われて人を寄せ付けなかった毒の森は見違えるほど美しく姿をかえ、訪れる者に心の癒しを与えてくれる。春先を迎えたこの時期、新緑が輝き色とりどりの花々が咲き乱れ、小動物たちが歓喜に跳ね回る。心行くまで目を楽しませながら、以前とは違ってややぶらりと歩くことにしている。足場の悪い森の道は老体の足腰に負荷が大きい。かといって日課をやめてしまうと足腰も衰えてしまう。そこで、小さな休憩を挟むのは欠かせない。


 ネストは平和でも、外国ではそうはいかなかった。モンジャの隣に位置するタコヤキという国の民が、怪物に追われモンジャとグランダに難民として押し寄せているという。何か彼らの役に立ちたいが、


「老いぼれがしゃしゃり出て行っても足手まといだしのう」


 ピリカラは歯がゆく思いながら、遅い朝食の包みを開こうとしたそのときだった。

 背負い袋に入っていた弁当袋が、やけにごつごつして角ばっていることを不審に思ったのだ。

 おかしい……ピリカラがその手で、出発前にパンもどきを一切れと、甘い果物を数個詰め込んで袋を縛った筈だ。じっと包みを眺める。


「解せぬこともあるもんだのう。何故こうなったかのう」


 包みが何故長方形に角ばっているのか? 何かと間違えて持ち出してきたのか。包みとにらめっこをしていても仕方がない、ピリカラは緊張しながら包みを解く。


「おや。これは? 何だ?」


 はらりと広げた包みから、くすんだ黄色の物体の一部がピリカラの目に飛び込んできた。

 ――書物だ。文字の読めないピリカラに、書物はとんと馴染みがない。


「待てよ……黄色い、本? いかんいかん、これはいかん」


 ピリカラは顔を背けながら袋の中に戻す。ピリカラはその色を見たときから、表紙と中身を詳しくあらためることはしなかった。表紙にはあまりに奇怪な紋様が描かれていたからである。呪印を見ると呪われそうだ、ピリカラの勘が全力で警鐘を鳴らしてしたのだ。


 昨日のうちにネスト王パウルからのお触れが出ていた。黄色い皮の表紙のついた本を見かけたら、絶対に中を見ず、表紙も見ずにすみやかに王城か赤井の使徒に届けること。そのしっとりと濡れた黄色の書物には不思議な誘引力があり、中を確認したい衝動にかられたが、ピリカラは意志が強く賢明な老女だった。


「まずいぞ。これが王様の仰っていたものだ、すぐ知らせなくては」


 さらに彼女は勇敢にも、恐怖心に負けて命を脅かすと言われていた禁書を手放したりはしなかった。

 それどころか禁書が開かないよう弁当包みでぐるぐる巻きに包みなおすと、口を真一文字に結んでそれをむんずと掴み、脇に抱え、しっかりとした早足ですたすたと元来た道を帰っていった。

 

 老女の後姿を、黄色いローブを着た人物が息を潜めるように見送っている。

 ピリカラは彼女のあずかり知らぬうち、禁書の呪いを御し、死神の影を退けていたのだった。




 国民の皆様今日もお元気ですか? 

 私甲種一級構築士の赤井ですが、只今手が離せません。何でって落下天井を全力で支えてるから。区画攻略中にハイロードが初っ端で脱落なんてもう目も当てられない。そして脱落したら私を容赦なく置いていきそうな素民の皆様の顔ぶれ。

 ロベリアさんは、ロベリアさんは私を置いていきませんよね!?

 つか私浮きゃいいんじゃね!? 床踏まなきゃいいじゃん。そしたら天井も引っ込むよねきっと。

 ふんぎぎぎぎ! と歯を食いしばりながら飛翔し足を浮かせてみたけど、あれ……天井戻りませんよ。一回落ちたら落ちっぱなしってことなの? やだこの吊り天井ったら気が利かない!


「あかいかみさまなにやってんだー。はやくこっちこいよー」

『っと、言われても……ですね……よっと、ほっ!』


 煽るモンジャ民と煽られる私。悪戦苦闘している様子を見て、きゃっきゃと笑うモンジャ民。私だって好きで一人コントやってるわけじゃないよ傍から見ると面白いのかもしれないけど!


「支えながらこっちまで進んでくればいいんじゃないですか?」


 重すぎて一歩も動けないんだよ。


 というか、もしここで手を離したら私も潰れるけどそれ以上に大変なのは出口を塞いでしまうこと。だから天井を落として先に進むってのは選択肢として存在しない。ならどうする、どうするの!? 考えろ考えるんだ赤井――!

 まだ慌てるような時間じゃ、あわわわ……ててはないけど腰も腕も痛くなってきたし慌てた方がいい。何この天井、どんどん重くなってきてるんだけど。

 潰されるの? 文字通りの意味で私を潰す気なの水埜さん?


「まーいーや。頑張って早くこっち来てくださいねー、先行ってますよー」


 鼻ほじりながら無責任な励ましをありがとうイヤンさん。あなたの優しさで涙が出てくるよ、そしてやっぱり置いていくんだ……。


「ここは面白いこと言って元気づけるしかないな」

「笑かしちゃダメだろ」


 ソミタが明後日の方向に気を回して私を笑かそうとしてる、やべえ今腹筋崩壊したら私エビ煎餅みたくなっちゃう。あれ美味しいよね、愛知名物だっけ。てか改めて気づいたけど総じて私の扱い酷いよねモンジャ民。四苦八苦している私がどうやら本気で困ってるらしいのを見かねたロベリアさんが


『私が支えていますから転移でこちらに! 避難後に手を離しますので』


 ロベリアさんが向こう側から天井を支えて下さる。おおっ、凄い楽になったロベリアさん力持ちだな~素敵ですよ細腕なのに。そしてじっと見つめ合う私ら……見つめ合いすぎて気まずそうに微笑むロベリアさんと、踏ん張りすぎて頭に血がのぼってる私。こういうとき私ってアバターだから力みすぎて痔になったりヘルニアになる心配しなくてよかったと思うよね。 


『えーっと、その、』


 照れながらお見合いしてる場合じゃない。ロベリアさんに一瞬持ってもらおうとか、その隙にそっちに行こうとか、それちょっぴり考えたよ。でもその隙に転移して手を離せばどのみち天井が落ちて出口塞いでしまうってのはまずいよ! 素民の皆様とメグの帰宅ルートが消えて途方に暮れるし、万一のことがあっても途中で引き返せない。


『根本的な解決策が必要です』


 わたわたしてたら、はたと冷静になった。よく考えたら手放せないからといって別に私が支えなくてもいいじゃないの。だからといってロベリアさんじゃなくてもいい。


 つっかえ棒だよつっかえ棒! 固いやつ! 

 固いのといえはばダイヤモンドか、折角だったらもっと固いの出そう。ダイヤの仲間でロンズデーライトってやつはダイヤより固いからそれにしよっか。若干腰を痛めた私の腕力なんかより全然もつ、ある方向から力がかかると割れやすいけど、劈開の割れ目に気を付ければ150ギガパスカルぐらいもつっぽいし、これにしよう。


 物質構築をマニュアルモードで展開。


 こんなこともあろうかと予め開いておいたインフォメーションボードを視線入力で構築を選択。今私、地味に両手塞がってるからね。どわ―――――っとC(炭素)を並べる。うりゃーコピペコピペコピペ――っ!! 

 何やってんの化学式言えよって? ダイヤモンドとか同素体の構築ってコピペし倒すんだよ。だって化学式ってCなんだもん。単なるCよ、ダイヤモンドもロンズデーライトもグラファイトも全部Cよ! そしてインフォメーションボードは六方晶ダイヤモンドとかロンズデーライトとかそういう名称を口頭で言ってもコマンドとして受け付けてくれない。こういう場合は結晶構造を入力しないと。


 柱一本で潰れちゃったらいけないからたくさん結晶の柱を立てておこう。コピペ作業疲れてきた。何とかコピペし倒すと、渾身の物質化! 太いクリスタルっぽいロンズデーライトの柱が吊り天井を多点でどっしりと支え、惚れ惚れするような輝きを放つ。これで帰りも安心だよ。


『いやあ、お待たせしました皆さん』

「まったくだよ、俺たちお待たせされたよな」


 むきー、この子らはー! 時間ロスっちゃったのが少々痛いけどやっとのことで皆さんと合流したから、トラップに気を付けつつ遅れを取り戻すべく若干速足に進んでいると


「わっ!」

『わっ!?』


 私の真後ろで急に素っ頓狂な声を上げたのはメンターイコ町の剣士、アオノリさんだ。町で剣術道場を開いている剣術の先生だ。驚いたからって私の白衣を後ろから掴まないで! 私もつられて驚いて声を出してしまったよ。天井からゴミか何か落ちてきたらしい。さっきから水滴が落ちたり躓いたりするたびにビクビクして相当小心者ぽい人だな。この人は性格と実力が全く見合ってないタイプです、ロベリアさんがそう仰るので腕は確かなんだろう。人間相手は怖くないけど、邪神相手は怖いらしい。


 一方、もう一人のタコヤキ出身者、キャビアン町の用心棒、コンソメさんは物おじしない堂々とした無骨なおっさんだ。アオノリさんが心細いのか色々と彼に話しかけていたけど、ほぼ無視で黙々と横を歩いている。普段はキャビアン町の有力者に雇われて警護をしているらしい。報酬がないと一切働かないタイプらしいけど、今回ばかりはボランティアで志願してきたようだ。


「何だ、何もないではないか、大げさな奴だな」


 キララに指摘されると、青年剣士アオノリさんは恥ずかしそうにうなだれる。逆にキララは堂々としすぎだよね。ヒカリは周りの人の小腹を気遣って持参の甘い豆っぽいオヤツを何粒かずつ配ってるし……。コハクは怖そうに肩を竦めながらも口は豆をポリポリ食べ、喉を鳴らして飲み物をあおった。女の子の方が肝が座ってるっぽいなこの集団。


「す、すまないや。勘違いだったようだ、いつ邪神やその眷属が出てくるかと気が張ってたんや」


 アオノリさんが金髪頭をかくと、イヤンさんやモンジャの狩人にも追いうちをかけられる。


「何でお前突入を志願したんだ? そんなに怖いなら残ればよかったのに」

「邪神の眷属なんてものよりエドの方が獰猛だぞ」


 あー確かに、モンジャにいるエドって何でこれ基点区画にいるのってぐらい百獣の王の風格あるからね。襲われたらひとたまりもないし。エド狩りで慣れている狩人兄弟には、恐れるものはないみたいだ。


『まあまあ。気を付けるに越したことはありません、何でも気付いたら教えてください』


 気が立ってる皆さんを宥める。アオノリさんがやる気無くしちゃいけないし仲間割れなんてもってのほか。


『神様、そこで止まってください!』


 おおっ、いきなりですか?! 最後尾のロベリアさんが強く私を呼び止める。ロベリアさんの警告には皆びくっとして立ち止まる。いやだからアオノリさん私の白衣掴むのやめて!


『どうしましたか?』

『光板の使用禁止領域、および飛翔禁止領域に入ります』


 素民には分からないよう言葉を選び私にだけ警告をくれるロベリアさんの配慮はさすがだ。彼女の指先を追って通路の天井を見ると、何か長方形の中に斜線が入った小さなマークが刻まれていた。その隣には、翼の上に斜線が引かれているっぽいマーク。これより先はインフォメーションボードが開けなくなると聞き、思わず立ち止まる。


”そのエリアはどこからどこまでですか? これって他管区でも一般的なんです?”

”エリアは水埜の設定次第ですが……主神を試すためにこのような仕様を好む構築士もいます。ただ、構築や飛翔という戦略なしで攻略することが不可能な場合は禁止領域を設けてはならないという決まりがあります”


 へー。初めて知ったよ。他にも神通力使用禁止、神具使用禁止や転移禁止エリアetc.なんてものもあるらしい。その際には事前に提示することが義務付けられているから、知っていればすぐ分かるとのこと。目を皿のようにして表示を探さないとね! 


『皆さん、ちょっと休憩します』

「ここで? 早く進まないと日没になるのでは」


 確かに休憩するには中途半端な場所だ。でもインフォメーションボードを出して、カンニング……いや覚えとかないといけないことがある。私はテスト勉強を一夜漬けしようとする学生気分でインフォメーションボードを素早く展開、入口にあった石版のオブジェクトのキャプチャ映像を出す。絶対、この軌道図はどこかで必要となる、間違いない。

 とはいえ静止してるわけじゃなく動いている軌道図だから、どう覚えればいいのかぶっちゃけ分からないけど、どの球体がどこにあるときにこの球体はここ、という覚え方で逐一記憶しておく。……うし、覚えた! 念のためロベリアさんにも覚えておいてもらう。彼女はどうやら暗記が苦手っぽくて面白い顔になってたけど、一応覚えてもらった。


”この記憶が役に立てばいいのですが”

”や、役立つと思いますよ!”


 多分ね、多分! 他に何を準備しとけばいいだろう、紙と筆記用具かな。


『ロベリアさんの羽根を一本いただけますか』

『構いませんが、何に使うんです?』


 ちょっと気が引けながらもいただいた綺麗な銀色の風切り羽の先っちょに構築したインクを詰めて、ナズお気に入りの筆記用具、羽ペンを作成しておいた。更にメモ帳代わりに紙を構築し筆記用具の完成だ。あと何が必要かと考えた挙句、半物質の礫を大量に構築し痺れ薬でコーティングしたものを準備して袋に詰めとくことにした。


『休憩終わりです、お待たせしました、行きましょう』


 使用禁止領域に入るなり、インフォメーションボードが消滅する。そしてずっしりと体が重い、確かに飛翔もできなくなってる。当たり前だと思っていたことが急にできなくなっちゃうと緊張するし警戒もするよね。

 そこから先の通路は一本道だけど何度か曲がり角があり、不自然に曲がりくねったカーブもあったので、私は先ほど構築したメモに、マップを記しながら進む。もしかしたらこの迷路の形状自体に、何か意味があるかもしれない。

 うん? 何かこれ、モンジャの文字を一筆書きしたものに見えなくもないような……もっと先に進んでみるかー。

 うねうねとアップダウンのある細い通路を歩いた挙句、急に広い空間が開け私らを待っていた。陸上競技場のトラックぐらいの広さはあるんじゃなかろうか。そこは部屋ごと円筒形の形状をしてて、私達のやってきた通路側からせり出している石床がある以外は、黒い水がプールのように部屋全体を満たしている。水深は深そうだ。


「道、どこかで間違えましたかね?」


 コハクが心細そうにロベリアさんに尋ねている。おやつをむしゃむしゃしながら。


「一本道だったよな? これ以上先に進めないよな。まさか泳いで進むのか?」

「でも先に進もうにも通路がないぞ。途中に隠し通路があったのかも」


 行き止まりかなあ……ロベリアさんと共に、ぐるりとプールの上の天井を見上げる。天井も壁面もただの石壁だ。もしかして水中に何かあるのか?


「赤い神よ、念のため、さきほどのように水を抜いて確認されてはいかがか」


 そうだな、ヌーベルさんの言う通りまた水抜いてみるかー……とか思ってみたけど私ら今インフォメーションボード開けないじゃん。てことは


『この水を抜くことはできません』

「? はい?」


 神妙な顔でコメントする私に、きょとんとするヌーベルさん。うーん、隠し通路の可能性を排除できないから、一旦引き返した方がいいかな、急がば回れ的な気もするし。


『ですが、ここが行き止まりであるならただの壁にするのではないでしょうか。神殿の構造としては不自然ですね、この部屋は何の用途があるのでしょうか。それが分からないと……』


 わざわざ行き止まりをここまで広いプールにする意味も分かんないか、ロベリアさんの意見もごもっともだ。


「あかいかみさまー、この水どろどろするぞー。水じゃないみたいだ」


 銛の柄でちゃぷちゃぷと水面をつつくソミタ。私も杖をそーっと水面に差し込んでみる。何だろ、本当にどろっとしてるよねー、インフォメーションボードないから組成わかんないけど、これ間違って落ちたら底なし沼みたいになって溺れるのかな。


『あまり泳がない方がよさそうな水質ですねぇ……』


 杖を素早く引き上げようとした時、抵抗力が発生していることに気付いた。

 ん……この感じは何? 水面全体が吸い付くようなもったりした感じは。

 今度は思い切り神杖を水面に叩き付けてみる。床に杖を叩きつけたときと同じような抵抗を感じる。


『うん? これは……まさか? ひょっとすると?』


 この感じ! 何か懐かしいぞ。

 私が確認の為にぱしぱしと水面を叩いているので、コハクがおずおずと


「その水が何か、御存じなのですか? 毒などではありませんか?」 


 というわけで、しつこくこねくり回したり叩いたりして確認した結果、この水っぽいのが何でできてるかというと。


 ダイラタント流体だ。

 そっと触れると液体のように、急激な圧力をかけると固体のようにふるまう性質を持った非ニュートン流体という種類の流体だよ。というとスライムっぽくて禍々しいし意味わかんないけど、国民の皆様のご家庭で身近な食材、例えば片栗粉とかでもこの流体は造れるんだよ。これはそういう性質を持った流体なんだ。もし間違ってたら果てしなく恥ずかしいけど、早速実験!


『これから水面を走ってみようと思います』

『ですが神様、飛翔は禁じられているのですよ、水面を走るなど……』

『ええ、飛翔できなくても全く何も全っ然問題ありません。見ていてくださいね』


 私は息を整え、勢いよく足裏で水面を叩き付けた。急激な圧力をかけると、私の足裏に触れた液体は素早く固化する。よし、浮かんだ! 叩き付けるように! 勢いよく! ほっ! 前の足が沈む前に、よっ! 水上を走るコツが掴めてきたよ。


”バジリスクみたいですね、神様。どのようなトリックを?”


 沈むんじゃないかと身構えていたロベリアさんが、ほんのりと微笑みながら生暖かく見守って下さる。バジリスクってのは水上をバタバタ走るトカゲだっけ。あれに似てるの? てことは傍目から見たらものすごく大げさなアクションで水面を走っているように見えるんだろう。てか嬉しいからって水面走って遊んでる場合じゃない、何やってんだ私。

 岸に戻ろうとしたら足が何か異物に当たった! ダイラタント流体の下に、部分的に円柱状の浅瀬があったみたいだ。水面が真っ黒だから気付かなかったよ。


『おっと?』


 と思ったら浅瀬ごと体が沈みだしたのでその場を離れ走り続ける。適当に走ってたら別の場所で他の浅瀬を見つけた。これも沈む、浅瀬はゆっくりと移動してるみたいだな。おや……この間隔ってひょっとして。ということは、次の浅瀬はあそこか……この浅瀬、ばっちり入り口の石板に対応してるんじゃ。黒い球体に対応した浅瀬はすぐ沈むダミーってことだ。


「あかいかみさま何あそんでんだー」

『遊んでないです、いえちょっとだけ遊んでましたけど。待っててくださいね。少しずつ全貌が見えてきましたよ』


 ということは、白い球体に対応する浅瀬がこの辺に……よっしゃ――キタ――! 

 予想通り、石版の白い球体に対応した場所にある浅瀬は沈まない!!

 ヤマかけておいた部分がテストで出題された学生の気分。円筒状の部屋の奥側からガコン、と音がして、素民たちのいる方角から真反対の岩扉が開き、新たな通路が現れた。


「おお! すげー! 何でそこに仕掛けがあるとわかったんだ!」

『これは一体どういうことでしょうか』


 えーと、どういうことなんだろ。しいて言うなら


”これはモリスの水迷路を模し、ダイラタント流体の性質を利用した複合的なトリックだろうと思います”


 モリスの水迷路っていうのはあれだよ、古典的な動物実験法で、認知機能をはかる実験なんだ。学部のときのテニス部の先輩がこの実験やってたの横で見てたから知ってる。でも人間で、っていうか素民でやるの? ラット・マウス用の動物実験だよそれ。概要はラット君を小さな丸いプールで泳がせる。プールの中には一か所だけ浅瀬があって、ラット君はプールの中を闇雲に泳ぎ回らなければならないけど、浅瀬で休憩できる。プールの周囲にはラット君が位置情報を記憶するための目印がある。

 テスト二回目以降、ラットくんは疲れるから、覚えている目印を元に浅瀬を目指す。回を重ねるごとにラット君は効率よくゴールにたどり着く。……というものなんだけど、水埜さん、対人用に難易度と仕様をアレンジしたのかな? 


 ともあれ、私は新たに出現した向こう岸の通路に向けて水面を渡ってみせる。次は素民の番だ。


『さて、皆さんも先に進みましょう。この水面の上を一気に駆け抜けて下さい』


 爽やかに誘ったけど


「沈むに決まっています! こっちは重い鎧を着ているんです」

「そうだそうだー」


 うむう、皆さまの耳を劈くような怒涛のブーイングに心が折れそう。仮に沈んだとしても浮力で浮くと思うけど、後々べたべたして大変だから走るに越したことはない。バジリスクみたいにバタバタ走っておいでよチミたち。思い切りが大切だよこういうのは。


「神様は軽いから沈まないんだ、俺たちは重いから泳いで向こう岸にいくしかない」


 いや、まあ私の神体って確かに数kgしかないですけどそういう問題じゃなくてですね。ダイラタント流体について説明してたら日が暮れる。


『これはね、むしろ泳いではいけないんですよ。走らずに歩こうとすれば沈みま……』


 とか説明してたら、しっ、とロベリアさんが人差し指を立てて耳を澄ます。


『何でしょう、通路の奥から音が聞こえてきます。多くの禍々しい気配を感じますよ』


 ロベリアさんがそんな事言うし、のんびりしている場合じゃなかった。大勢の湿った足跡が、ひたりひたりと通路の奥から聞こえてきたよ。


「うそだろ……眷属が後ろから……」

「え、あの通路の壁に埋まっていたの、全部出てくるんですか?」


 ぎゃー邪神の眷属が背後から押し寄せてきてるって――!?


『日没のようですね。通路の壁面にいた眷属が全て押し寄せてくると考えなければ』


 ロベリアさんが冷静に剣を抜きながら身構える。


『いえ、しかしまだ眷族が出てくる時間ではありませんよね』


 太陽鏡で光を集めて日没の時間を伸ばしてる筈だし、夜になったら水素を燃焼して明かりを確保するようにセットしてるし。燃料も追加構築してきたから暫くは持ちこたえる筈なんだけど。インフォメーションボードで。


『それは光板で設定したのですよね?』


 ロベリアさんがにっこりする。とってもいい笑顔で。


『はい……あっ!』


 ひー、今インフォメーションボード使用禁止だから予約構築してたやつまでお預けになってるのか! 

 そりゃないよ水埜さん〜〜、インフォメーションボード禁止解除されるまで予約構築してたやつ作動しないってことじゃん。あ、でもどっちみち神殿の中は暗いし光も当たらないから夜になれば眷属が出て来ちゃう?


「くそう、進むしかないか!」

『早く神様の許まで駆け抜けてください、私が食い止めていますから、その間に』


 全員が腹をくくり、もう疑ったり文句を言う人はいなかった。皆大慌てで液面の上を猛ダッシュしてこちらに必死の形相で渡ってくる。思い切りよく走った人ほど安定した走りを見せた。おっかなびっくりな人は片足が沈みかけたりしたけど、それでも一生懸命走ればまた浮かぶ。ロベリアさんは果敢にも部屋の入り口に立ちふさがり、半物質武器で通路から現れた眷族たちを一体ずつ斬りまくってる。


『ロベリアさん!』

『はいっ! 参ります!』


 最後にロベリアさんが華麗な走りで避難を終えた。ひょー、風の妖精のようだよ。

 全員が渡り終えると私はすかさず、先ほど構築しておいた半物質のつぶてを向こう岸に投げつける。何してるのかって?

 巻きびし代わりだよ。眷属たちは部屋に入るなり、痺れ薬にまみれた礫をしっかりと踏みしめてしまう。追いかけてきたはいいけど痺れて身動き取れずプールの中に落ち、走れないからダイラタント流体の粘度にトラップされ足止めを喰らうってわけだ。


「眷属が沈んでいきますな! いい気味だ」

「何故奴らは走らずにむざむざと沈んでゆくんです?」

「知らね、勝手に沈んでるんだろ」


 しまった、やったことが地味過ぎて素民に伝わらなかったか。次はもうちょっとこう、忍者じゃないんだから巻きびしとかやらずに神様らしく正攻法かつ大技でカッコよく突破していこうと反省しつつ。


 さてさて、後ろには累々と連なる眷属たちの山。

 退路は絶たれ、未知なるエリアへ私たちはつき進む。トラップの他に何が出てきてもおかしくない。


 進路は先ほど通ってきた通路より幅が幾分広く、天井の高さは見上げるほどに確保されていた。また天井が落ちてくるとかじゃないよね……と、天井の高さに不安になっていたところ、暗闇の奥から、ずる、ずると何かを引きずるような音が聞こえてくる。次に聞こえてきたのは、地を這うようなくぐもった何かの咆哮。


「うわあっ、何だこれは!」


 更に聞こえる数度の雄叫び、それを聞くと共に素民達がバタバタと端から倒れてゆく。


『ええっ? どうしたんです皆さん、しっかりしてください、気を確かに!』

『催眠波を受けたのでしょう、インフォメーションボードで解析できないのと私達には影響がないので分かりませんが、脈拍などからみると熟睡しているだけのようです。……おや?』


 何故だか分からないけど、コンソメさんだけが平気な顔で立っていた。ロベリアさんは優しく頷いて、


『あなただけが耐えましたね、あなたを選んだのは正解でした』


 ロベリアさんは、彼が耳が不自由だと知っていた。だからこそ突入隊に選抜したのだと彼女は言う。彼にはあの咆哮が聞こえなかったんだ。コンソメさんがさっきからアオノリさんの絡みに答えず無口だったのは、無視してる訳じゃなく聞こえなかったからなのか。

 そっか、私ら構築士は素民と共に攻略に参加しないといけないけど、もしコンソメさんがいなければ、私らは素民が眠りに落とされた時点で一歩も先に進めなくなる。コンソメさんが踏ん張ってくれる限り、私らは先に進むことができる。

 コンソメさんは立派な槍を構え、勇ましい低音ボイスで


「任せろ。皆のぶんも戦ってやる!」

『では、共に戦いましょう!』


 コンソメさんが男気だして張り切ってるから同調してみたけど――

 彼の出番あるかな。



 ***


 その少し前。ヤクシャは捜索隊を安全な最短経路で引率しながらモンジャを目指していた。

 赤井らを残してきたのは気になるし、赤井のセットしていた夜間の水素燃焼装置が作動するのかも自分の目で確認したいが、引き返さなければ日没に間に合わないのだ。彼が与えられた任務の本質は、一人でも多くの民の安全を守ることにある。ロベリアではなくて指名されたのが彼であるという意味も理解していた、赤井に信頼されているということだ。しかし、欲を言えば縁の下の力持ちよりも早く主神になって自分の管区を持ちたいと切実に思うヤクシャであった。彼もなんだかんだで下積み生活は長い。


 そんな微妙な気分のヤクシャをよそに、何の収穫もなく引き返すことになったバル一家はお通夜のような状態になっていた。特に父親であるバルの落胆ぶりといったらない。


「ああ、メグ。代われるものなら代わってやりたい、どうしてお前なんだ。くそっ!」

『元気出せって。神様が助けに行ったからメグは無事さ』

「はぁ……ヤクシャさま、そうですよね」


 魂の抜けた声を出すバルに、無事さ、といえる根拠が素民には説明できないことに気付き気まずくなる。メグは人間患者だから安全なんだぜ、などとは口が裂けても言える筈がないのだ。


『モンジャが見えたぞー、もう一息だ』


 予定通りのペースで進んだので、メンターイコ町まで戻ってきた。ここまでくればひとまずは安全だ。手持無沙汰にインフォメーションボードを立ち上げると同時に、モフコからの着信が入っていたのを見つける。ヤクシャは素民に聞かれないよう飛翔しつつ、モフコとの通話に切り替える。そしてモフコの話はヤクシャを脱力させたのだった。


『えっ、禁書見つかったんすか? しかもネストで?』


 赤井と共に血眼になって一生懸命第三区画を探していたのは一体なんだったんだ。……というのはよくある話である。


『そーみたいなのー、ピリカラおばあちゃんのお手柄よー。まさか第三区画外にあるとはねー。それで赤井さんに連絡してみたんだけど繋がらないの。何かあったのかなぁ、単にインフォメーションボード閉じてるだけなら問題ないけど、圏外って出るもんだからー。私心配で抜け毛がすごくてー』

『はは、モフコさんは多少禿げても大丈夫すよ』


 どこの毛が減ったのか分からないフサフサの毛玉の冗談はともかく、主神に何かあれば管区が一瞬にして終わってしまう。それに不死身の赤井に何かあるということは考えにくい。では一体――、ヤクシャはあらゆる可能性を想定に入れる。


『ロベリアさんとも連絡取れないんすか?』

『そぉなのー。赤井さんだけだったらまー、分かるんだけど。ロベリアちゃんも揃って連絡とれないってなると心配でしょー』

『圏外表示っすか。普通にボード切ってる状態ではそういう表示は出ないんすよね――。もしかしたらインフォメーション使用禁止エリアにでも入ってるのかもしんないすねぇ』


 ヤクシャは長い構築士歴の中で勿論悪役もこなしたことがある。彼は体力勝負で真っ向勝負な区画を好んで構築していたため、そのようなせせこましい区画を設けた事はないが、能力制限が大好きな構築士もいると聞く。いかにも水埜の好みそうな設定であった。


『あ、そうだ。禁書、何て書いてたんすか?』


 そうこうしている間に、モンジャに戻る洞窟が見えてきた。グランダ兵士たちもネスト御家人たちも安堵の表情を浮かべる。彼らを先に洞窟に向かわせ、ヤクシャはメンターイコ側で彼らの背後を守る。


『黄衣の王に関する戯曲形式の内容みたいだけど、読んでも内容意味不ってかよくわかんないから送るね〜』


 スキャンされた立体オブジェクトが、ヤクシャのボードに浮かぶ。モフコは早々に解読を諦め丸投げモードらしい。


『解読が必要な感じっすか? 時間をかけずにぱぱっと済ませたいっすね』

『こーゆーパズルっぽいの、赤井さんなら得意なのにねー』

『内容はともかく。なんすかね、この挿絵、これってまるで』


 黄衣の王の禁書の挿絵の中に、何となくアルファベットが潜んでいるような気がするとヤクシャが言うのだ。


『そーいわれてみれば何か上下逆のアルファベットと数字みたいに見えなくもないようなー。英語なんてまたレトロなものを、水埜ちゃんたらもう……』


 国際語がスタンダードなこのご時世でいまどき英語のパズルだなんて……と、モフコは困惑顔だ。

 インフォメーションボードごしに、あーでもないこーでもないと意見を絞りだす構築士二人も、そうはいっても英語もできるしパズルも大がつくほど得意である。特にモフコなどは、赤井が好きそうだからと第二区画でパズル的なガジェットを組み倒した構築士であった。試しに先頭のページからアルファベットと数字を並べるとこうなった。


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『はい無理、もう無理。何か計算しないといけない系なら無理』

『これじゃ全く意味をなさないっすねー』

『やっぱり文章の中から探さないといけないのかなー』


 んー。と唸りあれこれ試した後、ヤクシャはふとした思いつきで


『全部逆さ文字になってたから、後ろから読むとか?』



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『何ページか間隔あいてた挿絵もあったよね。ページが連続してたのとそーじゃないの分けてみよっか、スペースで区切って』


7H3 K3Y 15 1lV 7H3 C4V3 0F C4V14R 70VVlV


『少し文章っぽくなった?』

『そっすねー、英文のセンテンスっぽくなったよーな。気のせいかもしれませんけど』


 二人が何かアナグラム的な回答を想定していたとき、


『0Fって、OFっぽくないすかー……って、あっ!?』

『これはひょっとして? 3はひっくりかえったEじゃない?』


 一度気付いてしまえばあっけないもので、数字をアルファベットに、アルファベットを適当にアルファベットに変換してみると。


『見えたっ!』


 THE KEY IS IN THE CAVE OF CAVIAR TOWN

(キャビアン町の洞窟に、その鍵はある)


『これっすよ! まさにこれっすわ!』


 ヤクシャの翼がしゃきっとする。マップで確認すると、確かにキャビアン町のはずれに自然洞窟のようなものは存在した。計測すると、ここから直線距離でも15キロ以上はある。


『メグがそこにいるんかな……もしいなかったとしても何かあるんすよ。ちょっとひとっ飛び、この鍵取ってくるっすわ』

『えーそんな、今から?! ミイラ取りがミイラとかやめてよーもー夜になるのにー!』


 モフコに言われて気付いたヤクシャだが、周囲が薄暗くなり始めている。

 完全に日没となるまで、残すところあと24分だった。赤井のインフォメーションボードが使えなくなっている今、日没までにヤクシャがモンジャに戻ってこなければ、素民たちの命はないといっても過言ではない。しかし、その鍵がなければ恐らく赤井は邪神の神殿内部で立ち往生してしまうだろう。


『赤井さんに鍵を届けて戻ってくるっす。モフコさん、日没までには絶対に戻りますけど素民をよろしくっ』


 素民の犠牲をただ一人として許せないのが赤井という主神だ。

 赤井の不在の間、素民を守るという約束を破ることになれば、赤井の信頼を真っ向から裏切ってしまうことになる。

 それでも、ヤクシャが鍵を取りに行くしかなかった。

 邪神の神殿攻略に挑んでいる赤井には、ネストで禁書が見つかったなど知るすべもないし、モフコは第三区画内には入れないのだから


『そりゃないよー私いたいけな乙女系精霊だから眷属とか無理って、戦えないってー!』


 モフコが抗議した時にはヤクシャは既にメンターイコ側の洞窟を、構築した岩のバリケードで一分の隙もなく塞ぎ、鷹のような斑紋のついた大きな翼で風を掴み舞い上がると、黄昏の空へと飛び出していた。

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