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第5章 第9話 霞が関と菊花紋◇★

 厚労省死後福祉局 局長室。

 円山まるやま 新一しんいち 局長は内調の 竹原 義一との通信を終え、防聴シールドを解除するなり日本茶を手にしてデスクから立ち上がる。


「内調がおおっぴらに動いて、随分と無茶な要求をしてくれる」 


 苦々しそうに呟いた後、喉の奥に茶を流しこむと、約束の時間通りに入室していたすらりと背の高い若手女性官僚にぽろりと本音を零した。

 円山はやせぎすで小柄な壮年の男だ。

 口元には愛想のよい薄い笑みを張り付けているが、その瞳に宿る眼光は鋭く澄んで、ただの事務官僚と窺わせない威圧感がある。

 彼は仮想死後世界アガルタの長期計画にまつわる責任者であった。


 彼は角部屋である局長室の二面の窓ガラスのスモークシールドをオープンにすると、東に日比谷方面、北に皇居方面の寒々しい景色が広がっている。

 何れの方面も背景には天を刺し貫くように数百メートルクラスの超高層ビルが建ち並び、摩天楼を幾層にも縫うように首都空路が建設され、縦横無尽に夥しい数の自動飛行車が飛んでゆく。

 上空を見上げれば青空の隙間に放射状に連なる空駅と、宙に浮かぶオフィスやデパート群。

 飛び交う赤や青の電光フォントが今日も目に賑やかしい。


 二十一世紀後半から二十二世紀にかけて、東京の空は急速に狭くなった。


 それでも、いつの時代にも都会のオアシスは存在するものだ。「日比谷空と虹の森」いわゆる旧日比谷公園は空中ビオトープ、高低差百メートルの虹の滝やモダンなデザインの日本庭園、隅々まで整えられた花壇のある公園として二十年前に生まれ変わった。

 高名な造園アーティストによって幾何学的な軌跡を描くようデザインされたフリーフォール(自由落下滝)が名物だ。

 計算し尽くされた宝石のような水粒が、今日も数々の虹の真円アーチを創り出して幻想的な光景を演出し、その飛沫はとめどなく人工池の中央へと滑り落ちていた。

 非常に人工的な造形美である。

 この百年あまりで東京都民の世界観はすっかり変貌を遂げ、デジタルで三次元的に、無機質で主観的なものになった。

 大地に根ざし自然と共生した先人たちの温かな感性は、現代人には遠いものである。


「今も昔も、霞が関の空気はどうしてこう淀んでいるのかね。骨とすじだけの体がますます枯れ朽ちてゆきそうだよ」

「では局長も出勤前に皇居ランナーになりますか? 健やかなる心は、健やかなる肉体からというものです!」


 ……近代化の嵐波を退け、日本人を心の原点に立ち返らせ、そこを訪れる者を厳かな気持ちにさせる、変わらざる聖域がある。

 それは皇居だ。

 かわいらしくジョギングポーズをとって運動を勧める彼女は毎朝の日課として皇居周辺を走り健康維持に努めている。

 円山は部下の気遣いで、苛々としていた気持ちを和ませて両手を左右に振った。

 さきほどから円山に応じるこの若手女性官僚は、冴島さえじま 彩奈あやな 死後福祉局 アガルタ戦略的構築室 室長。

 タイトなストライプの黒いパンツスーツで身を固め、きりりと整った濃い眉に、ミニマムショートの毛先に少しパーマをかけて横に流し、ハスキーがかった低めの声で、男性とも女性ともつかぬ中性的な印象を与える。

 その凛々しい声と、170cmを超える身長とあいまって、宝塚の男役のようでもある。


「いやいや、遠慮しておくよ。ランニングどころではない、かなり頭の痛いことが起こりそうだからね、今走ったら余計な事ばかり考えて皇居のお堀に落ちてしまいそうだ」


 円山は思わせぶりな言葉を冗談めかして漏らす。


「その内容をお伺いしても?」


 そう……竹原 義一からの直電の内容は


「27管区の赤井構築士を、120億で買い取りたい、だそうだ」

「……なんですって! ……局長は何とお返事を。困ります、そんな」


 構築には関与しない事務方のトップが栗田であるなら、彼女 冴島は構築士、プログラマ、デザイナー、技官ら構築実務者の長だ。

 中間管理職である管区プロジェクトマネージャー達を束ね、円山の指示のもと日本アガルタの組織管理を行ってきた。

 彼女は甲種構築士を務めた経験もあり、構築現場の実情も知り官僚としての仕事も申し分なくこなす辣腕のキャリアだ。

 彼女にも込み入った話を聞く権利は十二分にある。


「まだ、確たるお返事はされていないのでしょう?」


 彼女がアガルタで起こる全ての出来事に対して適切に判断し、最終的に決定を下してきたのだ。

 また、日本アガルタの運営のための管区ごとの予算配分、医師会、関連学会との連携も彼女が一手に引き受けている。


「赤井構築士がその気になれば、と答えておいたよ。移籍は数カ月先で構わないそうだ」

「絶対にお断りです。厚労省で採用した構築士を買い上げるなんて横暴すぎます。内閣府は彼をどのように使うつもりなのでしょう、その目的も定かではないのに」


 冴島は赤井を手放すつもりはないようだ。


「さあ……詮索しすぎない方が、お互いに身の為かもしれんぞ。二十七管区から一人、死人が出たと言うし? 赤井構築士の人権問題もうやむやになったままだろう。そこを握られてしまってね、あの竹原も場数を踏んでなかなか汚い手を使うようになったものだよ」


 脳を破壊するという不可解な方法で自殺した、赤井構築士担当の西園補佐官の調査の件と、結論が先延ばしになっている赤井構築士を生身の状態で仮想世界に監禁することにより浮上した人権問題に切り込まれた。

 脇の甘さを突かれ、冴島は言葉に詰まる。

 冴島に後ろ暗い部分はないが、西園を自殺に追い込んだ原因を究明できなかった以上、他の省庁からは赤井に絡む問題で弱みを握られつつある。

 それが円山にも痛手ではあった。


「赤井構築士もですが、管区PMの伊藤も難色を示すと思います」


 冴島はできるだけ挑発的な口調にならぬよう感情を抑えながら、冷静な発言を心掛ける。

 声のトーンがますます低くなる。


「どうかな。赤井構築士が拒否すれば一考に値するが、伊藤が突っぱねたところで何の意味がある。どれだけ仮想世界で伝説を残せど、現実世界ではスーパーヒーローにはなれない。勘違いしてはいけないよ、我々はいち官僚にすぎんのだからね。波風を立てず定年まで恙なく働きたければ、歯を喰いしばらねばならぬこともある。伊藤は、きっとまた手ごろな原石を見つけることだろう」


 円山の言うことにも一理ある。

 巨大な組織を維持してゆくためには、どれだけ不条理であっても、飲まなければならない条件もあるのだ。

 綺麗ごとだけで組織を維持してゆくことはできない。


「……赤井構築士のバグは偶然に起こったことです」

「私にも思うところはあるよ。憤懣やる方ないが、省益と国益を優先せねばなるまい。ああそれと、冴島君のご主人を侮辱するつもりはなかった、気を悪くしたなら謝罪する」


 ちょい、と白髪交じりの頭を下げてみせる円山。


「いえ、局長。滅相もない、こちらこそ失礼いたしました」


 冴島は伊藤の妻である。


「日本アガルタの行く末の為にも、内閣府の連中とのごたごただけは避けたい。奴らは裏で何をやっているか分からない、薄気味の悪い連中だよ。一応は赤井を渡せないと断ってはみたが、向こうも強気でな。陛下の御名を口にしていたから、この間の皇族アガルタ入居問題にも深く関与しているのだろう。断ったら断ったで、厄介な事になりそうだ。まあ、きみも一服したまえよ」


 円山は壁のドリンクサーバーから梅こぶ茶を淹れ、デスクの前のソファに冴島を座らせ、茶をすすめる。

 彼女は膝頭を揃え脚を閉じて横に流す。

 形よく引き締まった脚には、日々甘やかさず鍛え上げた美しい筋肉が添えられている。

 冴島は茶碗の中に小さな溜息をひとつ、吐きこんだ。

 赤井を留めておくことはできないのか。


「どうも、いただきます」


 円山がそう推測したのは、世間では皇族のアガルタ入り問題が再浮上していたからだ。

 皇族に皇族専用のアガルタ管区に入ってもらうか、一般管区を希望するなら一般と同じように入居してもらうか。

 そもそも、アガルタ入りを認めず崩御を以て御代を終えるか。

 非常にデリケートな問題であるだけに、その最終判断は皇室側、特に今上陛下に委ねられていた。

陛下は未だ六十代と若く至って健康であらせられるが、先日の天皇誕生日の会見で、時期はそう定かではないながら、アガルタの利用を希望するとマスコミに発表した。

 これを契機に、皇族のアガルタ入居問題とアガルタ側の受け入れ体制、ネットワークの敷設ふせつ喫緊きっきんの課題となったのである。


今上天皇は日本アガルタ一丁目一番地、日本神道大管区たる高天原ではなく一般の非宗教管区へ入居する意向を内々に側近に漏らしたことから、問題は緊迫した局面を迎えた。

 入居後は一般人となりたいという陛下の思いからなのか、新たな設備に税金を投入することを希望しないというのか、はたまた裏の事情が働いたのかもしれないが、真相は分からない。


 事が重大であるだけに対応に苦慮した円山は、首相との幾度かの協議と宮内庁との折衝の末、宮内庁の意向に出来る限り沿う形で、日本アガルタに受け入れるのではなく宮内庁に皇宮警察警備のもと皇族専用管区を構築するよう要請し、その為の技術供与を惜しまないという形の対応を取った。

 一般管区へ皇族が今後続々と入居するとあっては、国防の意味でも政治的な意味でも本来の宗教的な意味でも、数々の問題が発生するのだ。

 宮内庁の問題は宮内庁で対応してほしい、というのが厚労省側の本音である。

 日本アガルタの運営方針と、政治的な問題はどうしても切り離しておかねばならない。

 何故ならアガルタは一国家組織の範疇にととまらず政治的に独立した、国際連携組織であるべきだからだ。


 全国的なネットワークを介したアクセスがアガルタに対して行われる以上、皇族の記憶が一般国民と同じ管区に入居するということは、皇族の記憶が悪意を持った他国、組織のサイバーテロによって奪われ人質にされる、などというテクニカルかつ悪質なケースを警戒しなくてはならないということだ。


 公人は、死すれば公人ではない。

 たとえば元首相などのVIPがアガルタに入居したとしても、既に彼は首相ではなく、人質とされたとて国家がどうこうという問題は生じない。

 しかし皇族は死しても皇族であり、永遠にテロの標的に値する要人であり続けるのである。

 皇族をターゲットとした組織的犯罪が実行された場合、日本アガルタは日本国民に対し再起不能となるまでに信用を失墜するだろう。


 それならば皇族専用管区を開設し、宮内庁内のクローズドネットワークで運営してもらう。

 すると皇族の記憶が国民の目に触れる機会も稀となり、誰憚ることなく彼らの思い通りの管区を構築することだってでき、皇族がたも満足なさるだろう。

 ただ、皇族専用管区を構築するとなれば、やはり熟練の構築士と維持士が必要である。

 更に、人間居住者が他にいないため、住民としてのA.I.に求められる質は当然のことながら最高のものが要求される。

 赤井の管区のA.I.がまるで人間と遜色のない振る舞いをするということは、先日伊藤が主催した技術研修会でつまびらかになってしまった。


 それをどこかから聞きつけた輩が、赤井の引き抜きを内閣府、あるいは宮内庁に提言したのかもしれない。また、宮内庁が直接日本アガルタから構築士を買い上げたとマスコミが大きく騒ぎ立てれば、これは宮内庁にとっても宜しくない。

 赤井を秘密裡に内閣府に引き抜き、その後身元を隠して内閣府外局たる宮内庁に派遣し構築士として仕事をさせる。……円山はそんな裏事情を推測していた。

 内閣府には様々な経歴を持つ人間が集い、人の出入りも頻繁である。

 その組織に所属する誰がどこに出向しようが外部からは簡単に把握できないのが現状だ。


「……という、わけなんだ。向こうが独立管区を創ってくれるというのなら、飲むしかないんだ」

「内閣府は本当に、赤井構築士を皇族専用管区に送るつもりなんですか? 何故内閣府ではなく内調が動いているんです」

「一度内調を経由すれば、構築士の素性が分からなくなるからだろう。ただ、竹原も、皇室がらみの問題だと漏らしてはいたよ……このタイミングでの構築士買い上げだ。それ以上は、向こうも白状する気はないのだろう」


 竹原に直接「赤井を宮内庁に回す」と言われたわけではない。

 だが、時期的な問題で、ほぼそれ絡みの案件であることは疑われてしかるべきだった。


 皇族専用管区のために彼らが赤井を要求するのであれば、今は差し出す他にない。

 断るという選択肢が、そもそも準備されていないのだ。


「君から直に、赤井構築士を誘ってみてはくれんかね。幸い、来年度からでよいそうだ。今年度いっぱいまで厚労省で仕事をしてもらって異動してくれれば有難い」

「説得などできません。それに、伊藤が私と彼の接触を警戒し妨害をするでしょう」

「直接話せないようなら、メールでも構わないよ。文面は私が君の端末に送っておこう」


 内調 竹原の、国防を主体とした直接的な赤井買収の要求と、日本アガルタ 円山の、皇族専用管区と関連付けた裏読みの末の判断が、真相はどうあれ菊花紋のもとに奇妙にかみ合ったのだった。


「局長。赤井構築士が抜けた後の管区は、無駄になさるのですか?」

「腕の良い維持士に引き継いでもらえばよろしい。維持士に管区を手渡せばその先の発展はないが、見栄えよく環境を整えれば、地球上にはない手つかずの自然を好む利用者のニーズを満たすぐらいのことはできるだろう。そうだな、伊藤君など適任ではないかね? 彼もサーバーを買ったということは、維持士に戻りたがっているのかもしれないよ?」

「……!」


 冴島はほぞを噛むような思いだった。

 構築士経験のある彼女は、管区を発展させることにかける構築士の並なみならぬ情熱を知っている。

 途中で構築を終えろなど、言えたものではない。

 周囲の騒音など何も知らず自らの世界を細々と営む箱庭の神に、本来彼がしたいことをさせられない、それが悔しくてならない。


 伊藤が投じた一石により、動き出した内外の情勢を止められない。

 どうしてかの神を、心穏やかに構築させてやることができないのか。



 時刻は深夜、場所は赤井の神殿の至聖所。素民の皆さんも寝静まった頃だ。

 蒼さんと白さんは、モフコ先輩が急ごしらえで造った至聖所の両隣の部屋で昨日から寝てもらってる。お二人の部屋には私たちも立ち入り禁止です、コハクは白さんと一緒に添い寝してますけど。

 で、私と先輩とモフコ先輩(人型)のお馴染みトリオが集まって、頭をつきあわあせて会議をしている。

 エトワール先輩は暇を持て余して羽づくろいしてる、何か鳥みたいでかわいいですよ先輩。

 とか考えてぼけっとしてたら……気付いた先輩に睨まれて


『で、どうするんだね? 誰にするか決まったのか?』


 私、沢山の中から何か一つを選ぶってのが苦手。

 天体観測やってた頃だって、マイ望遠鏡買わなきゃいけないのに絞りきれず、結局一番見たかったビッグ天体イベントに間に合わず見逃しちゃったぐらい優柔不断なんだ。

 A型ですからね。え? 血液型占いにエビデンスがなあい? あ、はい。ネタですよわかってますって。


 しっかし今日は日中忙しかったんだ~。

 白さん蒼さん降臨につき、神殿に行くといつもより御利益がありそうだということで、今日、神殿には大勢の参拝客が押し寄せてた。

 素民の皆さん、三柱だから御利益もいつもの三倍と考えちゃったらしい。

 ……スーパーのポイント三倍デーじゃないんですから。


 実際は私が一人で祝福してたし御利益が倍率になるなんて話ではなく、祝福するのも朝から夕方までかかりました。

 メグは朝一で行列の先頭に並んでくれてた、両手にいっぱいの花束を持って。

 メグは蒼さんと一緒に、今日から医学の勉強を始めたみたい。

 私も医学は門外漢だし、愛実……じゃなくてメグは現実世界では獣医志望だったから、彼女のリハビリのためにも蒼さんに講師をお任せしたんだ。

 私も隣で一緒に聞きたいけど暇がないな。

 そうそう、メグは記憶の回復が著しいから、患者さんのプライバシー保護のためだとかで構築士が心を看破できないようにされた。

 昨日、エトワール先輩が伊藤さんから預かってきて、私がメグにプレゼントしたペンダント……あれが看破を妨害してるんだろうね。

 メグはただのアクセサリーだと思って、気に入って身に着けてくれてる。……ごめんよ。


 だから私にはもう、メグの心の裡はわからなくなった。

 逆にそれが、迷いを払拭してくれてたりする。

 メグも今は勉強に励むつもりのようだし、私も負けていられない、あれこれ考えず仕事に集中しようと思う。


 皆さんをへろへろになるほど祝福したおかげで、私も神通力は満タンどころか貰いすぎて吐きそう。

 至宙儀に搾り取られた分は軽く補填できた。

 白さんと蒼さんにも神通力を分配、というか献上する。

 私が神通力あげないと彼らはこの世界では自分で神通力供給できないらしいし。

 あ、白さんには唯一の供給源としてコハクがいますけどね。

 夕方からは神殿閉めて新しく採用する使徒さんの面接をモニタ越しに延々としてた。

 さっき全員面接終わったところなんだよ。

 それで今、三人で人選を考えてるわけ。

 後は……そうだなあ、伊藤さんがメールで私のクローン作っていいかって聞いてたから快諾しといた。

 サイバーテロもあったことだし、私の肉体に万が一のことがあっちゃいけないからだって。

 有難い話だ。

 だって帰るときに肉体がありませんってなったら困る、一生アガルタの神やらなきゃいけなくなる。

 私だって人間に戻りたい。

 伊藤さんには色々と心配していただいて申し訳ない。

 まあ、そんなこんなして過ごしてたんだよ今日は。


『おーい赤井君? 君は一体いつまで悩んでるんだ』


 また思考回路が脱線してました。すぐ脱線事故起こすからな。

 エトワール先輩、自分の翼の不揃いな赤い羽根を抜いて白い石机の上に並べてる。

 赤い羽根募金ですか。


『そう仰られても、何を基準に決めてよいのか……』


 すぐには決められませんよー、人事って大事じゃないですか。

 男性も女性も皆さんそろって甲乙つけがたいほど素敵な感じでした、

 甲乙っても全員甲種構築士ですが。

 特に女性はお色気たっぷりでかわいくて……い、いえ、とても魅力的でですね。

 経歴も略歴だから決め手が分からないよ。

 候補者十二人中、外国人構築士が七人。

 現実世界では十一月だから、任期が四月はじまりの日本人構築士は少ないみたいだ。


『も~、エトワル先輩。赤井さんは優柔不断だからせかしてあげないの~!』


 モフコ先輩は私のインフォメーションボードから男性構築士ばかりお気に入りフォルダにコピー入れてプロフィール見比べてるし。

 プロフィールっても個人情報は結構伏せてある、本名も前の管区も分からない。

 アピールポイントは年齢、性別、趣味、特技、資格、構築年数、スキルその他。

 あとはモニタ越しの面接で判断するしかなかった。

 アバター持ってる人はアバターを介して、持ってない人はスーツの上に色とりどりの目出し帽や仮面かぶって顔を隠してた。

 プロレスラーの面接かよ。

 向こうからはアバターとしての私が見えてたと思う。


『ねーねー赤井さーん、私の職場恋愛のために男性構築士も一人ぐらいいれてほしいかな~なんて思ってみたりみなかったり? こう、仕事にも精が出るっていうの? 一人でいいからさっ~お願い~』


 両手をすり合わせておねだりするモフコ先輩。

 職場で婚活ですか。

 もしカップル成立しちゃったら気まずいじゃないですか私とエトワール先輩が。


『というかモフコ君はいつまでここにいるつもりだね』

『?』


 どういう意味か聞いてみると、乙種以下の構築士は区画解放時に任務終了となるそうだ。

 エトワール先輩は稀なパターン。

 モフコ先輩はまだ次の移籍先が決まってないけど、何となくこの区画に残っているらしい。

 別に残っちゃいけないって決まりはないようだけど、昇進も昇給もないらしいんだよね。


『じゃあモフコ先輩、就活しないといけないんですか? さびしくなりますね』

『えーやだー待遇変わらなくていいからここにいるー! 悪役やりたくないし~』


 モフコ先輩は現在ランク4のサポーターだから、次の仕事はランク3の悪役をやらなくちゃいけない。

 気持ちは分かります、私だって悪役は嫌です。


『はい、赤井さんコーヒーできたよ。ミルクとお砂糖入れる? こうやってお茶できるのもデザイナーの私のおかげでしょっ? どーお? いなくなったら困るじゃないっ!?』

『あ、どうも。ブラックでいいです。そりゃ、モフコ先輩がいなくなったら困りますよ』


 モフコ先輩はオシャレなカップとソーサー持ち込んで私と先輩にコーヒーをサービスしてくれてる。

 こっそり喫茶してます私ら。

 飲食は素民の目のないところでなら許される。

 仮想世界で食欲だけは残っている私が、仮想世界でストレス溜めないようにという伊藤さんのはからいだそうです。

 ぷはー、深夜のコーヒーうまっ! あ、クッキーも添えてくれた。

 すみませんねどうも。

 モフコ先輩はグラフィックデザイナーだからこういう小物や食べ物を創るのが得意だ。

 モフコ先輩にもずっといてほしいですよ、た、食べ物の為じゃなくてですね。


『ところでモフコ先輩はどの使徒さんがよかったです? 私情は抜きにしてですよ』


 食べ物の接待で買収されて、先輩の要望を聞くやっすい私。


『よくぞ聞いてくれました! 私の一押しはこの人で!』


 温かいコーヒーをずずっとすすりながら、私は先輩の出したプロフを手元に取り寄せる。

 日本人構築士ですね? 

 28歳男性、趣味は筋トレ、特技は座禅だそうです。

 前はどこの管区にいたんだろうな? アバターは前の管区に置いてきて今は持ってないみたいだったから、リアルの身体でオレンジの目出し帽かぶってた。

 筋トレが趣味って言ってたけどマッチョメンな雰囲気でスーツがむちむちでした。

 志望動機を聞いてみたら、「前管区で怒り疲れまして、今度は怒らなくてよい管区を志望しました」とか。

 そんなにすぐ怒るって……短気っぽい人だけど、その人でいいのかモフコ先輩? 先輩なんてふざけてたら真っ先に怒られやしないか?


『やはりモフコ君は彼がいいか。私も男性なら彼を選ぶな』


 先輩もその人押しだったんですね? 

 先輩方の人選の基準がよく分かんない。

 お二人ともお勧めなら一人目はその方にしよっかな。怖そうだけど。


『その他は……普通に考えれば少しでもキャリア長い人と、男でも女でも所持スキル的にかぶらない人じゃない? てか赤井さん、まさか六名採用しようとしてる? あっまーい!』


 モフコ先輩が私の脇腹をくすぐる。

 コーヒーを飲んでいた私は吹きそうになった。


『ぎゃっ、くすぐったいですよ先輩! え? え? 使徒さん枠は七名までですよね!? エトワール先輩がいるから、残り六名と考えていたんですけど』


 もっと採用していいんです?

 と私が身を乗り出すと、モフコ先輩はお、ば、か、さ~ん、と指先で私の頬をつつく。

 両側から往復で。

 人間のときのモフコ先輩はいたずら好きの精霊さんってキャラぴったりで、お茶目でかわいい人なんだけど、テンション高くてたまにノリについていけない時があるよ。


『採用枠はあけとかなきゃ。後で気が変わって、あのスキル持ってる使徒さんにいてほしかったなーなんて思っても、枠が埋まってたら生首切れないでしょ。採用枠は全部使っちゃだ~めっ! わかった?』


 駄目押しに鼻先をちょーんとやられましたよ。

 白さんも蒼さんも七名の使徒さんをお持ちだって聞いてたから、六名採用するもなのかと思ったよ。

 魅力的な方々ばかりですし、誰にしようか決めかねているぐらいです。

 十二人も応募者がいたら絞れない絞れない、もうあみだくじとかで決めていいです? 

 私、誰とでも合わせてやっていけますし、どんとこいって感じですよ。


『もっと赤井さんが出世したら、有名でランクの高い使徒さんがきてくれるかもしれないでしょ?! それにさ、見て~ほら! 今回応募者の殆どがしがないふつーの天使さんたちだし』

『しがなくって悪かったな』


 あ、ふてくされた。

 エトワール先輩は普通の天使さんなんですね。

 でもすげーな、プロフに何も詳しいこと書いてなかったのに先輩ら、面接しただけで普通の使徒か普通じゃないか分かるのか。


『普通のってどういうことです?』


 普通じゃない場合があるの? って思ってたら、使徒にもランクがあって上位、中位、下位といるんだってさ。

 今回応募してきたのは殆どが最も下の階級の使徒さんで、だからもう少し上の階級の使徒さんが応募してくれるかもしれないでしょ、とモフコ先輩は仰る。

 モフコ先輩、ちゃっかり、いやしっかりしてるよ。

 それ、プロフに書いてなくても構築年数やスキル聞いたら分かるんだってさ。

 エトワール先輩が軽く補足。


『ちなみに、上位の有名使徒の殆どが国内外の有名管区に集中しているんだ。新神には頭を下げない使徒までいる。赤井君がそこそこ有名だとはいっても、新神の管区には上位使徒のプライドが邪魔して応募してこれないわけだよ』


 あー、気持ちは分かりますよ。

 みなさんだって中小企業より大企業に就職したいですもんね……。

 私ってベテランからすればちょっと最近出てきたなー、って程度のベンチャー企業の社長みたいなもんでしょうし。

 て考えると改めて、エトワール先輩っていい人だよな。

 次の話が決まってたってのにこんなド素人な新神についてくれて。


『ま、多くても赤井さんはうまく仕事を割り振れずに持て余すだろーしー。少数精鋭にしとこうよ! 今回採用するのは二人か三人ぐらいじゃない?』

『赤井君。私を外したければ、遠慮なくいつでも言ってくれていいぞ』


 エトワール先輩、真剣な顔で鼻を鳴らす。

 とんでもない! 頼りにしてるんですから! 


『で、先輩がたはどうしてオレンジの目出し帽の人推しなんです?』


 一応、理由を聞いとかないとね。

 すると彼らは顔を見合わせて目配せして……


『怒る演技に疲れたって言ってたじゃない?』

『あ、はい。言ってましたね、ギャグですよねあれ』

『日本アガルタで使徒役で怒る演技しないといけないって仕事、そんな沢山はないから。明王みょうおうやってる人だと思うの。明王役は密教系管区、金剛界での仏様だから、必然的に仏教系の上位使徒なのよん!』


 きゃっきゃと笑うモフコ先輩。

 先輩、あてずっぽうなのか名推理なのか。

 大乗仏教、密教系は日本アガルタだけじゃなくて中国やチベット管区とも連携しているらしいから、サーバー規模は相当大きいそうで。

 そこで日本人で明王役を張れるってことは相当に優秀な人材だろうとのこと。


 えーと、明王って不動明王とか、で合ってますよね。

 歴史の教科書で見かけた程度のうっすい知識ですが。

 あー確かに、目を剥いて怒ってる力士っぽい仏様でしたよ思い出しました。


『明王役は確かに四六時中、忿怒の形相でいないといけないからな……骨の折れる役柄だよ』


 エトワール先輩も同情してる。

 私はずっと笑顔をたやさないようにしてるけど、ずっと怒ってなきゃいけない仕事もあるのか……そりゃいくら仏様役ができるっても移籍したくなるわ。

 じゃあその人、怒りまくってた反動で今度は満面の笑みで仕事してくれるかもしんない。

 それはそれで明るく楽しくていっかな。

 よし、一人目決定!


『ではその方にしましょう! エトワール先輩は他にどなたがいいと思いました?』


 モフコ先輩にも好みがあるなら、エトワール先輩にも好みがあるよね。

 私、優柔不断だから誰を選んでいいか全然分からない、

 女性使徒はエトワール先輩の好みの使徒さんに……と思ってたら


『君が決めろよ。ただ……彼女には気を付けた方がいいかもな』

『? どういう意味です?』


 残り十一名の中からエトワール先輩がインフォメーションボードをタップしたのは……! 

 いい意味で正統派お嬢様~! って感じのさらさら紫髪のアバターの人。

 面接した感じでは丁寧でおしとやかで控えめで好印象だったけど……イギリス人構築士だって。てか超かわいかった、雰囲気がふわっふわしてる。

 天女みたい。

 エトワール先輩ってば……この方がいいんです? むっつりですね先輩。


 志望動機は「優しそうな神様のもとで働きたい」とか言ってた。

 前の管区が怖い神様のとこだったんだろうね、皆さん面接官の質問に正直に答えてくれるもんですね。まあ私、全然怖くありませんけど、それも善し悪しですよね。

 素民にすっかりなめられてますし。


『どうして気を付けないといけないんです?』

『鎧を脱いで違う衣装を着ていたがあのアバター、見たことがある。彼女はワルキューレの一柱のレギンレイヴだ』

『ええーっ!? ワルキューレだったの!?』

『って何です!?』


 モフコ先輩が跳びあがって頭を天井にぶつけちゃった!!! 

 やべっ、私リアクションがワンテンポ遅れてる。

 それ何でしたっけ。神話とか伝承とか全然知らないからさ……何で神様やってるんだ。

 お恥ずかしい。一般常識問題なのかなこれ?


『ヴァルキリーのことだよ赤井さん! ほらっ! あのっ!』


 ほらあのと言われましても。思い出す引き出しがありません。

 やばっ、私の教養なさすぎ!?


『北欧神話の世界に出てくる戦女神さ。北欧アガルタの看板管区、アスガルド大管区の上位使徒だな。上位使徒は多神教の管区では、主神以外の神を務めることができる』


 日本でも高天原には主神、天照大御神以外の神々、例えば月讀命つくよみ素戔嗚すさのお大国主おおくにぬしら。

 彼らは上位使徒が演じているらしい。

 アスガルドはオーディンを主神とする多神教管区だから、使徒でも神様役ができるとあって上位使徒には人気なんだって。

 その戦女神ワルキューレ役の使徒が任期の途中で、下位使徒を装って応募してきてるって話だった。


 マジ!? 使徒でも神様役ができる管区があったんですか知りませんでしたよ! 

 そりゃ、やってみたいですよね折角だったら神様役……。

 先輩が神様やるとしたら……絶対ギリシャ神話管区行きたそうだなナルシストだし。

 てことは色んな管区回って神様役や仏様役できるなんて、使徒役も案外楽しそうじゃん。

 辛い悪役乗り越えて頑張っただけあるよ。


 えーと、その元戦女神のレギンレイヴさんでしたっけ! 

 何か戦女神って名前からしてすげー強そうじゃね!?


『それはぜひ来ていただきたいです、その人にしましょう』

『つくづく君はお人よしだなあ、赤井君。主神オーディンに様子を見てこいと言われたんだろうが、まず間違いなく偵察目的だろう』


 偵察終えたらアスガルドに戻っちゃう、ってこと? 

 途中でいなくなっちゃうのかー。

 感じよさそうな使徒さんなのにな。

 ちょっと考えすぎじゃないです先輩? でも……


『もしすぐ辞められるとしても、他の管区のお話も聞いてみたいので、その方にします』

『君が決めたのなら何も言うまい。だが、上位使徒二名採用するならもうこれ以上はアトモスフィアの分配の関係で採用できないぞ』

『ほんっと世知辛い話よね~、ここって素民少ないから』


 だよなー、私と使徒さんは同じ釜の飯っていうか、同じ素民たちのアトモスフィア(信頼の力)を分け合ってる。今までは私とエトワール先輩で半分ずつでよかったけど。

 今度は私、エトワール先輩、なんちゃら明王さん(仮名)、元レギンレイヴさんの四人で分け合わないといけなくなる。

 一気に神通力のやりくりが苦しくなるな。


 ともあれ、五時間の協議の末決まりました!

 今回はその、経験豊富なお二人にさせてもらう。

 他の方々のプロフィールももう一度念入りに拝見したけど、やっぱその二人が構築年数も飛びぬけてたし気になってきた。

 私も早く二十七管区を構築していかないといけないと思うしね。

 力強いサポートが欲しいところ。

 お二人を採用する旨のメールを伊藤さんに送ろうとして……


 そのとき……私のメールボックスに、差出人不明のメールが一件入っているのに気づきました。

 件名は【親展】 と、一言だけ――。

 スパムでもあるまいし、何だろう。


 私はコーヒー飲んで駄弁るエトワール先輩とモフコ先輩を至聖所に残し、こっそり神殿の中庭に出た。そして緊張しつつメールを開封する。

 メールには契約書並みの超長文が書いてあったから、私は難解な表現で書き連ねられたメールというよりは文書をゆっくりと、丁寧に読み進める。

 普段使わない現実世界の文語的な日本語、知らないうちに忘れてて苦戦する。


 何とか要約するとこうだった。

 報酬120億円で私を内閣府に引き抜きたいとの話がある。

 構築中の二十七管区は崩壊することも無駄になることもなく維持士に渡すし、現在管区にいる患者たちの治療に目途がついてから、実時間にして来年の移籍で構わない。

 厚労省の構築士を辞めて現実世界で働きたいかどうか、私自身の率直な希望を聞かせてくれ、と。

 差出人は、厚生労働省 死後福祉局 局長とある。


『現実世界……か』


 ゆめうつつのような心地で、声に出してみる。

 唇は渇き、声は掠れて上手く出すことができなかった。

 インフォメーションボードを手にしたまま、呆然と満天の星空を見上げる。

 冬は一年で星が最も美しく輝く季節だ。

 てらてらと眩しい模造の空には、私の大好きだったベテルギウスにシリウスも、プロキオンもない。

 プラネタリウムの最果てにあり、私には届かない場所に存在する現実世界。

 そこは私にとって、最も遠い世界だ。

 現実だといってもまるで現実感が湧かなかった。本物の星座が恋しくなる。


 帰還まで、残すところ991年……気の遠くなるような年月が待っている。

 迷いに揺さぶられながらじっとただ空を見上げ立ち尽くしていると、流れ星が北から南へ白い光の尾を引き、彼方へと消えて行く。

 私はただ、どうするでもなく、いくつもの流星を見送った。

 この機会はきっともう二度と訪れない、流星が閃き、束の間に消えるようなもの。

 外に出れば、愛実と再び同じ道を共に歩むことができるかもしれない。

 二人で幸せになって……そんな思いも、頭の片隅にはよぎった。


 そうしてどれほど一人で空を見上げていただろうか。

 普段は優柔不断な私だが、こればかりは結論を先送りせず返信用フォームに答えを入力し、ボタンを押し送信した。


『……まだ、私は帰れないや』


 退路は迷いと共に、自ら切って捨てた。 

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