第5章 第6話 赤い神様、至宙儀と格闘のすえ◇
私の背中から現れ両手の中に出現し神秘的な輝きを放つ、大小の十四の球体。
その名も至宙儀。名前だけはカッコいい。
これが私の固有の神具。
生体神具と言うらしい。
日本アガルタのシンボルマークとなったものだと言われる由縁は、数秒すると日本アガルタのシンボルマークそっくりの配置で一円になって並んだからだろう。
何か球体たちが円陣組んで気合入れて今から働くぞ!
って感じでかわいい。気のせいか。
一つ一つの天体らしきものはカラフルで透明な水晶玉のよう。球体の周囲は光が屈折しているからか、コロナやら虹やらが見えて一個一個の星に特徴がある。
大きさと色で、どれがどれか区別はつきそうだ。
宇宙と天体が大好きな元天文研の私は、すっかり至宙儀の美しさに魅了されてしまった。
これどうやって動かすんだろうなー、何もせず維持してるだけでもバキュームみたいに神通力吸収していく雰囲気、ボッタクリバーみたいだね。
まだ私何もドリンクとかフードとか注文したりしてませんけど。って気分。
この神具を扱うには、時間を気にしないといけないみたいだ。神通力ごっそり奪われて倦怠感どころか疲弊感半端ない。神具は普通の道具と違うんだと、白椋さんは仰るわけだ。
持ってるだけでも必死な状態でいたら、白椋さんは焦ってはわわ、って感じになって
『赤井神、急がないともしかしたら数秒で神通力が尽きてしまいます、コハクの捜索をお願いします!』
気持ちは分かるし私も大いにそうしたい。
折角起動したのに神通力切れて終了したら本当にボッタクリバーに入店だけして帰るみたいだ。
でも問題はどうやって……。
凄い内側から跳ね飛ばされそうな反発力を何とか抑えつけるので精一杯っていうか、ぶっちゃけ相当手に余ってるってか息切れしてきたから一回休憩したいんだけどどうすればいい?
『まーまー、待っててな~解析してっから』
って、蒼雲さんがチャラい感じでインフォメーションボードで神具の解析してくれてる。
おお、蒼さんありがとう。蒼さん、実は有能なんだよなー。三柱の中では一番経験も実力もあるし。白椋さんも大したものなんだけど。
『結構マニアックだなこれ。至宙儀専用のプログラム言語があるっぽいけど』
『変則コマンドということですか?』
え――!
そんな専用のとか言わず日本語か英語でお願いします――!? 使いやすさが第一だよ! ユーザーフレンドリじゃないよ全然。
何でそんなに複雑にしちゃったんですか伊藤さん、もうちょっと使いやすくカスタマイズしてから渡してほしかったですよこっちはキャリア的にはまだ新神なんですから! いやいや贅沢言えない、譲ってもらえただけでも有難い。でももっと簡単に扱える神具に替えてほしいです、
一回起動しちゃったけど交換、返品可ですか?! 私の皮膚にくっついてるからどうやって返品……なこと考えてたら
はたと、蒼さんと目があった。
『あはは、愉快なやつ。ずっと脳内そうなの? それ地の性格?』
ぽそっと、私の顔を見ながら面白そうに仰る。
私、愉快なこと言いましたっけ。
言ってませんよね。もしかして蒼さんに心読まれてる?! 恥ずかしい恥ずかしい! やめて観ないで今大事な時なんだから! そんなチャラい、もといチャラ医あなたに言われたくないし!
思わず至宙儀ほっぽりだしそうになってたら……。白椋さんが蒼さんをたしなめた!
『蒼雲神! 防御のできない相手に一方的に看破を図るのはフェアではありませんよ!』
白さん、間に入って私を弁護。
いい
白さんの手前、しゃきっとしないとな。蒼さんにおちょくられてる場合じゃない。
『通常、神具のコマンドは言語式(詠唱式)なのです。私や蒼雲神のものもそうです。神具は日本製か欧米製なので、コマンドは日本語か英語でよいのですが……さすが至宙儀、自由度が高いぶん、一筋縄ではいきませんね』
白椋さんが丁寧に説明してくれる。
なるほど、だから構築士の必須スキルに英語(今では世界共通語ではありません)があるのな。
で、私のは何で日本語か英語じゃないんです? メイドインチャイナとかメイドインブラジルとかなんでしょうか。
『軌道と回転数を入力する、無声式っぽいぜ~? でっきるっかな~? 小さい球体を
蒼さんが自分のインフォメーションボードを私の前にフリックして示してくれた。
ひゅん、とボードがこっちに飛んできた。
あー今私手がふさがってるから見やすく拡大してくれて有難い。ボードには何か至宙儀と思しき衛星群が複雑な軌道を描きぐるぐる回ってるCGが出てた!
てか、星が全部回ってるんですが!!
『この軌道通りにやればいいのでしょうか』
『別にこの通りじゃなくてもいいが、全部同時に動かないと最低限の機能も使えないらしいぜ』
『め……目がまわりそうです』
やべ、本気で目が回る。
で、できるわけねー!!
全部の軌道覚えないといけないわけ!?
それで最低限の機能って……どんだけ奥が深いの至宙儀。
同心円状に回るんだとばかり思ってた。
恒星と惑星の動きを模したものと勘違いしてたよ。
これは同心円じゃなくて多心、てか多軸なんだ。
それぞれが独立の軸心を持って、独特の軌道に沿って回っている。
蒼さんいわく、念動力で球体を動かしてみろと。
念動力って私ありましたっけ。
まだ修得してないんですすみませ……と思ったけど、ものは試しとばかりにぎぎぎと歯を思い切り食いしばって念じてみたら、一番小さい球体が半回転ほどその場で回ってくれた。
デカいのは念じてもびくともしないや。
小さいの一個ずつなら回せそう……かな。
私の歯、食いしばりすぎて全部折れちゃうかもしんないけど。そしたらモンジャ食べれない……って今それどっかやれよ私。で、回してどうするんだろう。とりあえずその設計図通りに回してみようか。
『これ、一つずつ動かすんじゃだめなんですか?』
一個ずつ動かすって話なら何とかなるかも。
と思ったけど
『これは、蒼雲神の仰るように全部同時に動かさなければならないのだと思います』
白さんが残念そうな顔。静止してたらダメなのか。
しかも少し軌道を間違えると明後日の方向に飛んで行っちゃうよな。
てか何の軌道が何に対応してるんだろ、てんでバラバラに回ってるじゃない。
あ、でもこれ……軌道が重なり合っていることに気付いた。大きな円の内側に、小さな軌道がいくつも組み込まれている。
小さい軌道上に、大きい軌道が重なってる。
よく見ると全部重なってる。というか軌道が全部複雑に交わってる。これって、それぞれの球体に注目せず軌道だけ見ると何やら……
『……歯車、みたいです、よね?』
私が確信もなしに思いつきでそう言うと、蒼さんがぽんと手を打った。
『あー、歯車かー! その発想はなかったわ。よく思いついたな~赤いの!』
蒼さんは多少落胆したようだった。
このヒト、至宙儀相当欲しがってるからね。「至宙儀が簡単に扱えない」ってこういう意味なんかな、もし至宙儀が歯車的軌道と回転速度を組み合わせて駆動するシロモノだったら機械工学的センスがいるレベル。
歯車に精通してないとだめってこと?
歯車なんていまどき使わないから、全然分からないよなあー……。
『アンティークなんだなあ。こう、古くさすぎてわかんねーっての?』
この構造、歯車は歯車でもどっかで見たことある。
軌道を含めて考えると、一つのイメージに思い当たった。
工学部の授業でやった気がする、思い出したよ
トランスミッションとかに使われてるんじゃなかったっけ。
太陽歯車(Sun Planet)を中心として、それに接する遊星歯車(Planet Gear)と呼ばれる機構が”自転”して外側の大きな歯車を”公転”させる。
歴史は古い、昔は車とか自転車をはじめとする工業製品に使われてた。
『あ……わかりました。この
この、設計図の軌道上にR=1AUとか2AUとかって書いてあるけど、Rは半径、1AUは1天文単位(astronomical unit)のことだろう。
ってことは天文単位を使って軌道を組み上げるんだ! 大体、分かった気がする。
気がするだけですけどね。
『お、いい感じの反応! 見かけによらないね~、できそうかい? じゃー真ん中の演算中枢に念じて立ち上げてみ。一番でかい星、太陽っぽいやつが演算中枢だ』
『はい、やってみます。これが演算中枢ですね』
私の思いに呼応したかのように、ボッ、と一番大きな球体が燃焼をはじめた。発光してあかあかとその存在を主張する。
この燃え方、やっぱりミニチュアの太陽のようだ。誇らしげに強烈な光を放散し燃えまくってるけど、私の手は別に熱くはない。ただ眩しい。
『も、燃えました。このまま保持していていいんでしょうか』
『きますよ……至宙儀のお目覚めです』
白さんが固唾をのんで見守っている。
何がくるの……?
もう起動してるんじゃないのこれ。
とか思っていると、間髪入れず。陥没したー!
太陽っぽい天体の側面がにゅるんと陥没して口っぽい穴が現れた――!
『なんと! 演算中枢が立ち上がりましたね赤井神! この場に立ち合えて光栄です!』
『やればできるじゃ~ん、赤いのかっこい~! やっべ、生至宙儀見ちゃった、チキン肌やっべ!』
白さん蒼さん、大歓声上げて興奮してる。
そんな大声ではしゃいだら、外のロイメグに聞こえちゃうから! 白さんなんて興奮しすぎて2メートルぐらい浮いちゃってるじゃん。
あ、我に返って恥ずかしそうに降りてきた。お茶目な人だなー。
ところで私ら毛穴ないのにチキン肌とかあるんですかね蒼さんには。
比喩ですねすみませんね。
『キャー赤井さん素敵ー! こっち向いて―! はいポーズ! 笑って笑って! きゃっはー!』
ついでにモフコ先輩も思わず人型に戻って私を応援してくれてる、てか全身ピンクのドレスで写真撮ってる。
何かベテラン芸人を彷彿とさせるな。
いいよ今写真とか撮らなくて、しかも使い切りのカメラで撮らないでよ! いつの時代の写真なんですかそれ。巻き上げ式で24枚しか撮れないやつでしょハイビジョンで撮って下さいよそこは。
先輩、眩しいもんだからサングラスかけてるし。
で、ここからどうすればいい?
私が困っている、てか完璧に持て余してるのを見透かしたかのように、太陽っぽい星に口が喋る訳でもなくぺちゃくちゃと動いて、口の中からサイバーなフォントでマゼンダ色のメッセージが出てきた。
それらは電光掲示板みたいに右から左にメッセージが流れて土星の輪っぽい感じで太陽の周りを回り始めた。
意思疎通できるのか……制作者の人、何でこんなキモかわな造形にしちゃった?
『至宙儀の周りに何かコマンド出てね~? 所有者以外にはコマンド見えねーから、分かるだけ読み上げてみ』
白さんと蒼さんにはメッセージが見えないというので、メッセージを読みあげてみる。
幸い、英語だったからまだよかった。
ヒンズー語とかスワヒリ語だったら詰んでた。ナマステとかジャンボ! ぐらいしかいえねー。
『 Hello, the Divine. I’m honor to meet you. This is PCG operation central.……ですって』
(こんにちは、神様。あなたと出会えて光栄です。私はPCGの演算中枢です)
白さんの話によると、至宙儀は日本語で、英語ではPCG(Perfect Cosmic Globes)と略すらしい。
私がメッセージを読み上げ終わると、太陽っぽい天体は燃え盛りながらニコッと不気味に口角を上げ、次のメッセージを吐きだしはじめた。
今、確実にニヒルな笑いをしたよねこの神具。
嘲笑われてなければいいけど。
◆objective time mode(客観時間モード)
◇subjective time mode(主観時間モード)
時間のモードを選択しろって仰る。今度はグレーのフォントだ。どっちだろ……じゃ、適当に
『Select subjective time mode!』
勢いよく叫んでみると
『言葉じゃ通じねーっしょ、念選択じゃないと』
蒼さんが笑うので、念じてこっち、と選択すると文字の先頭についている菱形がピコンとマゼンダ色に発光した。
それと同時にキイーン、と耳鳴りがして白さんと蒼さん、そしてモフコ先輩の動きまでが全て停止した。
一体何がどうなった?
まさか私の体も金縛りになってる、何だよ私も動けないのかよ。
眼球も動かせず瞬きもできず内心慌てていると、神殿内部を流れる水路の水の流れも停止してる。まさか時間が止まった!? 何か空気の流れまで止まった気がする。ぴんと張り詰めてる。
これが時間停止ってやつか……苦しい、息できない。
息できないと死ぬ! ……残念死にませーん! 心配してくれた? 誰も心配してませんね通常通りですね。まあ神様ですからどーせ平気です。
一人相撲もいい加減に切り上げて。
どうやら意識だけが、停止した時間の中に放り込まれたみたいだ。
もしかして時間を止めて操作することでタイムラグをなくす仕様なのかな。これは助かる!
コマンド選択に時間くってたら実用性ないですしねこの神具。
お、また何か太陽っぽい星が文字を吐き出してら。
質問に答えると次から次と選択肢が出てくるのか。
これ最後までやっていけば何とかなるのかな。
時間止まってるから白さん蒼さんに相談できないし、自力で何とかしないと。
ミリオネアを一人でやってる感じだ。失敗は許されない。次はもう神通力不足(ガス欠)で起動できないんだ。
さっきでさえ、私と蒼さん二人がかりでギリ起動できた代物なんだから。伝説の神具とかいう二つ名に怯んじゃだめだ。
一発で成功させよう。
意気込んでるうちに、次の質問が出力された。
◆programing language input(プログラム言語入力)
◇orbital input(軌道入力)
◇direct input(直接入力)
プログラム言語も直接入力も意味が分からないから軌道入力にするっきゃない。
幸い、見本の設計図は蒼さんが私の前に提示して出してくれてる。
全く同じように組めばいいんだよな。
軌道入力、っと。
次は2D軌道か3D軌道か、と聞いて来たから2D選択。
軌道計算が煩雑になりそうだから平面的にしとく。
すると私の目の前に1m四方ぐらいの半透明の黒いボードが出現し、ボード上には赤蛍光ラインで格子が刻まれている。
左隅の表示によると1つの格子が1AUだそうだ。
とにかく指一本、唇すら動かせないので、入力は念でやるっきゃないのか。
実時間モードにすりゃよかった。
この神具、私の疑似脳を直接読み取ってるのかな。
まあいいや。
私はボードに念を送り、ホームポジションに並んでいる衛星を一つ一つスライドさせて設計図通りに配置する。
各衛星の公転運動自転運動の有無を聞いてきたから、個別に設定……たっぷり時間をかけて軌道を描いた段階で、ふとボードの左隅の表示を見ると、重大なことが発覚しました!
先生質問です!
パワー不足の時はどうしたらいいですかー!?
この設計図だと、実行した時点で5つの衛星を神通力で動かさないといけない仕様だ。
何が問題なのかって?
そのための消費アトモスフィア量は総計8万9000APSと見積もられている、これがまずい。
私がそれだけの信頼の力を得ようと思ったら、およそ8万9千人分の信頼の力がいるってことだ。
そんなに27管区に人はいない。
蒼さんの言うとおり、素民一万人もいないから私には早すぎる神具なんだよ。
ない袖は振れない、見くびられてるだけじゃない、素民がいないからどうしようもないんだ。
もっと構築時間の進んだ管区の構築士じゃないと扱えないって……
蒼さんの言ってる意味がようやく分かった。
というわけで私には至宙儀にくれてやるだけの神通力がない。
となると、……あるもので賄おうか。
皆様のお小遣いと一緒、限られた予算(APS)やりくりすべく内訳を分析してゆく。
私が動かせるのは蒼さんが下駄はかせてくれた神通力も使ってせいぜい衛星二つ、概算1万APS相当。
駄目だ……二つじゃ衛星全てを動かせない。
二次元的なモードでいじれそうなパラメータは、公転周期と速度、公転軌道、そして、衛星同士の相互作用の力。
待てよ。
軌道半径に長半径と短半径が設定できるようになってるじゃない。マジか……そんなことしていいの?
いいなら、楕円軌道にするっきゃない。
そして遠地点に更に衛星を置いて、衝突させて軌道を曲げる。
トランスミッションの概念の上に、軌道計算のコンセプトを適用する。
まさに衛星玉突きじゃん。
現実世界にも小惑星玉突きって概念はあるし、実際やられてる。
まっすぐに進まない円弧を描くビリヤード、円軌道を持つビリヤードだと説明すると分かりやすいかな。
うん、……分かる。
衛星や惑星の軌道計算はいける……これでも元天文研です。
太陽の重力、OFFにできるらしいけどONにしておこう。そうすると、衝突後に軌道を外れても楕円軌道か円軌道に戻ってくれる。
衛星同士を衝突させてもいいって話なら、回転速度を加減して互いに衝突し合って別の方向に飛んでゆくようにすればいい。
各惑星だか衛星だかの公転半径を再設定。
最終的に14の衛星全ての軌道が、最初の設計図無視の状態になって確定した。
軌道上のどこに衛星を配置するかは大事だ。私は回転数から暗算とカンで公転周期を導き、私の持てるだけの力で駆動できるようにする。
さて実行しようかという前に、この設計図でいいのか試すためのシミュレーションがついてる事に気付いた。
よかった、事前にやってみよう。
これ、初心者の私の為に伊藤さんがつけてくれた機能かもしれないけどぶっつけ本番じゃないところが本当に有難い。
緊張しながら演算すると、残念、二つ動いていない星がある。
あれこれ微調整すること主観時間十分ぐらい。
私は最初の設計図とは似ても似つかない軌道図を組み上げた。
いってみよう。レッツ、ぽちっとな! と実行に移そうとすると
◆Do you want to save this orbital protocol?◆
(この軌道プログラムを保存しますか?)
セーブポイントきた! するする! したい! 絶対したい!
毎回こんな軌道図組んでたら私の目が回ってしまう! 保存したいと念じると、三番目のプロトコルとして保存されました、と出た。1番2番、もう埋まってた?
伊藤さんが保存してる軌道なのかな。
どんな軌道図が入ってるのか見たい。見たいけどまあいいや、それはまた今度。
息苦しいから早く実行しよう、皆待ってるだろうし……って待ってないわ。
よく考えたら時間経ってねーわ。
というわけで実行!
念じると同時に、プロトコル3を実行しますとの表示が出現。
アガルタ世界が再び動き出した。
たった二つの衛星の動きで、楕円軌道に円軌道、衝突を繰り返し、最遠点で重力に引き戻されて軌道に戻り……至宙儀の中の星々は美しく発光しながら、私がシミュレーションで思い描いた通りの軌道を描き始めた。
すげー、たった二つの動力源で軌道という名の歯車が見事なまでに回ってゆく。
◆What do you want?◆
(何を望んでおられますか)
出た。待機コマンド。
私はありったけの集中力を使って、コハクという少女を捜しています、知っているなら居場所を教えて下さいと念じた。
齟齬なく至宙儀に伝わるように、命令を短く鋭くして。
全衛星が駆動し、中央の演算中枢に熱量が集中し発光が更に強まる、
”彼”は私のオーダーを受け何かを宣言した。
◆I know everything...◆
(全てを知っています)
音声なくそう言った至宙儀の微笑みは気高かった。
目に飛び込んできた白い文字と共に、全ての天体が太陽へと向かって収縮し、衝突を繰り返し凝集してゆく。
そして中央部に一気に収束したかと思うと、太陽らしき天体はやがて膨張をはじめた。
質量が増したから……あ、やべ、これ爆発するパターンじゃね?
ちょ、赤色巨星っぽい赤黒い天体になってきたし! 風船膨らませゲームじゃないんだからマジでやめてー!?
危ない危ない!
何これ、まんま超新星爆発(supernova explosion)しちゃうみたいですけど!
そう出力しちゃう!?
いらないいらない、そういう出力いらない!
私はただコハクの居場所が知りたいだけ――!
えー設計図通りに作らずアドリブしちゃった私がいけなかったー!? と頭の隅に失敗の可能性を考えたけどもう遅い!
ぎゃ――27管区のみんな――!
私、取り返しのつかない大失敗やらかしちゃったかもしれないです――!
超凝縮した至宙儀はやがて点となり、輝きはますます増して、特異点に差しかかった。
次の瞬間、まるで核爆発の連鎖反応が超ミニチュアスケールで起こったかのように、青や白や緑、オーロラ色に輝く光波が私の手の中を爆心地として放射状に、目にもとまらぬ洪水のように駆け抜けていった――!
爆発の衝撃はない、でも暴力的なまでのエネルギーが爆散していったのが分かった。
蒼さん白さんモフコ先輩の順に、私の名を呼ぶ声が聞こえる。
ダメだ目が眩んで何も見えない。
景色が真っ白だ。
『空間歪曲率、上昇しています!』
白さんが異常を教えてくれた。
分かる、絶対これ仮想世界ごと歪んでる!
至宙儀を中心に、多分今伸びてる。
空間が伸びてる気配が、体感としてはっきり分かるほど。どんだけの威力なんだよ至宙儀、世界歪ませちゃってどうするの!
と、思ったら……。
ぎゅーん、と引っ張られてた空間が徐々に縮んできて、と同時に飛び散って行った光の波が私の両手の中に、逆流するように戻ってきた。
視力が少し回復してきた頃には、至宙儀は元のように球体の演算中枢を作り上げているところだった。
ただ、その中にはもはや光は宿っていない。
『あっ……』
白さんが小さな声を上げた。
桃色の髪をおさげにした少女の頭部……至宙儀の上に実体化しつつある。
頭部から肩へ、そして腕、指先、脚へと……再生してゆく。
最初は幽霊のように覚束なく、段々と人の姿をとって。
たまらず、白さんが駆け寄って実体化してゆくコハクを両腕で抱きしめた。
まるで母親のように穏やかな表情。
その端正な横顔には、透明な涙のあとが一筋。
彼女はコハクの頬に赤みが差し、すーすーと寝息を立てているのを確認した。
『至宙儀が、壊れていたコハクを連れてきて治してくれたんですね』
白椋さんはいつまでも、コハクと一つの塊になったかのように固く抱きしめていた。
彼女の神体に残っていた神通力を全て癒しの力に代え、惜しげもなくコハクに注いでいる。
女神の祝福に目を奪われながら、私は集中力と神通力を今度こそ絞りつくし、ふらふらとその場に座り込んで大きく息ついた。
私の背中に還った至宙儀がじんじんと熱を持ち、存在を強く主張していた。
ありがとう。
次はいつになるか分からないけれど、また会える日が来たらよろしく。
私は全智にして全能の神具に感謝し立ち上がった。
***
東京目黒区。東京工業大学大岡山キャンパス。
情報理工学研究科 西エリア――。
広大な敷地面積を持つ工学研究棟の19階は、 バイオロボティクス研究室のフロアである。
蘇芳桐子名誉教授は芝生の運動場に面した教授室のデスクで、学生たちの書いた論文を校正する作業の手を止めた。
「ラボの学生が増えると自分の時間がなくなってしまうわね。一人助教を増やしてもらおうか」
バイオロボティクスの分野では世界的に有名な蘇芳教授の研究室は人気なので、どうしても学生が毎年殺到するのだ。
曇天の空から零れ落ちる初雪に気付く。
教授は汚れひとつない白衣に身を包み、上品なおだんごのまとめ髪にして和風のコサージュでとめている。
「……計画降雪の日だったのね。飛行場までの空路が込み合うかも。早めに出発しないと」
雨が降ると車道が混むのは、自動運転技術付加の車に乗っても百年以上前から変わらない。
今日は午後から一つ大学院の講義があり、その後はパリで学会の招待講演の予定だ。
共同開発した新作のA.I.と、勿論スオウシリーズの性能を存分にPRしなくてはならない。
いくつか稼働中のスオウたちの実証データも取れたし、今注目の27管区のキララの成長は実にドラマティックだった。
彼女は自分で丁寧に淹れたほうじ茶を飲み、いちご大福をたいらげてほうっと息をついた。
脳を酷使する仕事であるからか、甘いものがついつい欲しくなるのだ。至福の時間である。ちなみに、
純白の内装の教授室のインテリアは殺風景で、来客用の応接セットがあるのみだ。白いソファもグラステーブルも気持ちよく清掃が行き届いている。ほんのひととき寛いでいると、目の前で優雅に浮遊する立体パソコンの隅に連絡ツールが現れ、隣室で研究室の事務一切を取り仕切る若い女性秘書がパソコンのモニタから蘇芳教授を呼ぶ。急ぎの様子だ。
「おはよう
「おはようございます蘇芳先生、厚労省の伊藤という方からお電話です。いかがいたしますか?」
「回してください」
『おはようございます、教授』
――伊藤の話は、蘇芳教授の身に遠からず危険が迫っていることを示唆していた。不審な男女二人組がメグの両親の名を騙って、メグを誘拐しようと狙っていたというのだ。これまでにも、蘇芳教授とその研究室は何度となくその技術を盗もうとする者達からの執拗な攻撃を受けてきた。しかしそれは、蘇芳教授個人ではなく、蘇芳教授のPCであったり、研究室のサーバーだったりした。
今回はいずれも、アガルタに絡む個人なのだ。
「厚労省に乗り込んでくるとは……随分と豪胆ですね」
『……そういうわけです。ソファから採取したサンプルによると両親とメグのDNA型は一致せず、偽の両親であることはほぼ間違いないかと。赤井、そしてメグ……次はどんな手にうって出るか。彼らの目的は知れませんが、教授にはまずご一報させていただきます』
大事な情報をよく知らせてくれたと、蘇芳教授は懇ろに礼を述べた。
「事情は把握いたしました。一人身ですので、十分注意しましょう。搭乗する予定の飛行機をキャンセルして、飛行車で空速道路でまいりましょうかね」
蘇芳教授の自動飛行車は、厚労省の顧問ということもあり公用車で、軍用車両並みのセキュリティ仕様だ。
緊急時には防衛・迎撃システムが働き、0.5秒で超音速に達し数秒以内に光子ロケットブースター稼働で大気圏外に脱出。公用ロケットとして国連宇宙基地に緊急避難できる。
対して一般車両は気圏飛行能力はあっても、大気圏脱出能力はない。
『それが安心です。教授のお車は戦闘機ばりの性能ですから、民間の飛行機よりはよほど。暫くの間、教授の身辺警護のためにSPをつけさせてください』
「ありがとう。赤井神を狙ったサイバーテロリストと同じ勢力かもしれませんね」
蘇芳教授は犯人の目ぼしをつけているらしかった。
年を経ても、彼女の頭脳は冴えわたっている。
『私もそう考えます。ネットワーク経由で侵入することを諦めて、物理的な手段に出てきたようです』
「伊藤さん。私の警護はとてもありがたいのですが、まず患者様たちの安全確保と、一度標的となった主神、および構築士たちの警護もお忘れなく」
『はい、その点は万全にも万全を期しております』
赤井には既に至宙儀を実装させ、構築士IDをS(Standard)ナンバーズから外し、ゼロナンバーズに登録している。
ゼロナンバーズとは、伊藤の駆る天御中主神と同様に厳重管理を必要とする構築士に与えられる特別待遇枠の区分で、アガルタサーバにおいて検索除外となっており不正侵入者に認識されない。
よって赤井の正規の構築士IDはS-JPN214から0-JPN2となっているが、アガルタ世界では表示されない。
同時に、赤井の疑似脳とサーバを最高機密エリアでの保管に切り替えた。赤井を物理的に、そして継ネットワーク的に狙うのはこれで不可能になったといえよう。
赤井の疑似脳、肉体、そして27管区サーバー、どれが欠けても仮想化リハビリテーション治療の唯一無二の場は失われてしまう。
「伊藤さん、赤井神の肉体の保管場所はどうなっていますか?」
『他の主神と同様に、管理区域に保管してありますが……』
伊藤はモニタの向こうで怪訝な顔をしている。
「肉体も最高機密エリアに移動させたほうがよいでしょうね。そして赤井神のI型バイオクローンの作成を、強くお勧めしますよ」
ここ数十年で目覚ましく発展した、バイオクローン技術。
バイオクローンの作成方法には大きく2つのパターンがある。
一つには、I型バイオクローン。皮膚より採取した体細胞にリプログラミングタンパク質を処理し、DNA修飾レベルにまで遺伝子リプログラミングを施して分化全能性を持つ幹細胞へと造りかえ、そこから人工胚培養を行い、維持装置の中で生物学的に完全な一個体を再現する技術だ。
こちらは本人の細胞由来であるということもあって安全性が高いのだが、クローンを成長させるために、時に癌化を引き起こすリスクもある成長促進ホルモン製剤(IGF、hGH等混合製剤)が必要であることと、神経連絡の祖語がないよう厳密な管理のもと作成されるため、10歳のクローンを作成するにはどんなに急いでもおよそ1年がかかる。この方法でのクローン作出は生脳を移植することによって完成する。犯罪に悪用されかねないことと、一体5億という費用がかかるため政府要人のみに限られ、民間では一切許されていない。皇族や総理大臣のバイオクローンは、テロや有事に備えて作成され、任期終了と同時に破棄されると聞く。
いま一つは、II型バイオクローン。
再生医療の延長上にある技術で、自身の細胞を採取し、iPS細胞として分化万能性を獲得させ、それを元手に生体パーツをいくつも造って最後にそれを強化樹脂とセラミックの骨格でできたボディユニットにパーツを嵌め込み、最後に脳を移植するもの。これは生体パーツによって成り立つサイボーグともいえるものだ。民間にはこちらが製造を許可されているが、激しい負荷のかかる運動はできない。また、生殖能力もなく、製造No.をつけられる。
赤井にI型クローンを、という蘇芳教授の申し出は伊藤を浮足立たせた。伊藤ですらも、大臣や高級官僚ですらもバイオクローンの所持を許可されていないのだ。しかし、赤井の本体を奪われる訳にはいかない、何事も万全でなければならない。バイオクローンを、本体とすり替えておけば何かあっても安全だ。
『予算が厳しいのですが、赤井さん本人によく話して、希望があれば発注してみます』
「それと……伊藤さん。先日メールをいただいた、27管区のロイの件ですが。依頼通りログを解析している途中です」
『お忙しいところ、大変なご無理とご無礼を申し上げているとは承知しております』
ROI(Reachability of Inteligence:智の到達可能性)と、アガルタ創始者のフォレスター教授に名付けられた特別なA.I.。フォレスター教授亡き今、ロイの成長の状態を解析できるのは、日本には同じロボット工学者である蘇芳教授を置いてほかにはいない。
「私は以前他管区のデータから、彼の暴走がまったく手の施しようもないことであったと結論付けました。A.I.に過ぎた知性を持たせることは、世界の真の姿を想像させることは、人間には理解できない挙動を示すことに繋がるのだと」
そのコンセプトのもとに、新たなスオウシリーズでは知性の獲得を人間に近しく、不完全にした。
より人間に近い状態を目指したというわけだ。その意味で蘇芳教授はフォレスター教授とは異なる”完璧”を目指したとはいえる。
今回、蘇芳教授は新しく構築される三管区を、非常に特徴的な世界観とするように指導していた。
それは、大地を平坦とし、世界を球体としないこと――。
ロイに宇宙の真の姿を想像させないばかりか、仮想世界の物理学法則を部分的に攪乱するためでもあった。他の殆どの無宗教管区では、地球環境が模倣されているにも関わらず、である。
現代科学を用いることができなくとも、アガルタの”異世界を創造する”という目的にはかなう。赤井はログイン初日に「平坦世界」に気づき、クリエイターがそのように世界を創造した理由をたいそう不思議がっていたが、その目的はA.I.の知性のインフレーションに歯止めをかけるためである。
超A.I.は観測によって即座に理論を導き出す。
神が教えなくとも、彼は知るのだ。
宇宙の姿を。
ならば観測から自然を学ばせない。
自然科学の原点、智の根源を奪い去るアイデアだった。
だが、白椋と蒼雲の二つの世界においてそのアイデアが功を奏すことはなかった。
「超知性を得た彼がどのような次元で思考していたのかは、人間にはわかりません。ただ、神への不信が限界を越えたのです。その知性が、残忍なまでに研ぎ澄まされた頭脳(A.I.)が、何かを(・・・)はじき出したのです。
『もしそうなってしまうのなら、その時は私が責任を持って片を付けます』
赤井にロイを手にかけさせるのはしのびない。
手を汚すのは、自分の仕事だと伊藤は真面目な顔でそう言う。
「そうならないように、望みますがね。……27管区のロイはあなたの仰るように少し違いがありました。彼が赤井神といるとき、あらゆるパラメータを見ましたが他の管区とは違い、安らぎを感じていました。ロイにとって赤井神は、神という存在を超えた精神的なよりどころであると判断できます。人間でいう、絆というものでしょうか。この反応は、他管区では見たことがありませんでしたよ。そのような心を、A.I. は解しないとすら考えていました」
『絆、ですか……人間と、A.I.の』
伊藤は意味深な表情で視線を伏せる。
伊藤の過去においても二度、ロイを葬らざるを得なかった。
よい思い出もあっただけに、感傷がよぎる。
「彼というA.I.は強く優秀で、勤勉でなければならないというオーダーに縛られています。ですがそうでなくても、赤井神は許容してくださる。受容されることは心地よい、ありのままの自分を認めてもらえることは心地よい。人間もA.I.も同じなのかもしれません」
人間とは、いかなるものか。
どこから来て、どこに行くのか。
伊藤はこの仕事についてより神を演じて、ずっとわからなかったことがある。
肉体をそぎ落とした自己は、どこまで人間であるといえるのか。A.I.に生じる心、それは人間のプログラミングしたモノの範疇を超えているのかいないのか。
伊藤は人間とA.I.の進化、自我の獲得に再び思いを巡らせている様子だった。
「彼を気分転換に、外に出してみてはどうでしょうか」
蘇芳教授は思い詰めている伊藤を差し置き、冗談でも言っているかのような気軽な調子でそう言った。
『外に、出す? 外とは?』
伊藤には理解できても、アガルタの常識を逸していた。
蘇芳教授が突拍子もないことを言い出したということだけは分かる。
「現実世界ですよ! この、まるい地球の上です」
教授は楽しそうだ。
『し、しかしロイには目的があって仮想世界で稼働しているのでしょう。仮想世界から出すことは……』
「違いますよ。私はフォレスター教授から計画を聞きましたもの。彼は千年の後、彼を現実世界に出し、あることをさせる予定だと言っていました。千年という数字が独り歩きしてしまい、現実世界に出すには余りにも危険だということで、まだ若いうちに出そうとは思ってもみませんでしたが」
ロイのパーソナリティを仮想世界で一時停止して、夢を見せるという形で短期間人間世界に出して様子を見るといい。蘇芳教授は事もなくそう言ってのけた。
上手くいかなければ、外に出した記憶は破棄して何もなかったことにすればいいだけです。そう、言うのだ。
「考えてみれば、今の段階では温厚なA.I.なのですから、早々に出してみるというのも一つの手です」
メグを出すタイミングで出すと、メグも寂しくなくてよいかもしれませんね。
蘇芳教授はどこか楽しそうに、上品に茶をすすり外を見上げた。
空は晴れ上がり、雲間から七色の光が見えた気がした。
彼の為に、どんな素敵なボディを用意してあげようかしら。何を見せてあげようかしら。
そう思うと何だか興奮を抑えられず、教授は少女のように無邪気な微笑みを浮かべるのだった。