第4章 第3話 まずはおなかを満たすのこと◇
エトワール先輩の爆弾発言。
ロイが暴君になるかもしれない……私は一旦その情報を頭の中からシャットアウトし、目先の仕事に取り組むことに。
第二区画解放が終わってから対策を考えるべきだ、区画解放に失敗するとネスト民へのダメージも計り知れない。ひいては第二区画の人の顔も潰すことになる。
優先順位を考えて、まず仕事、仕事に集中しよう。
私達一行は牧場を抜け東西に広がるネスト台地の端の、深さ四百メートル級の巨大縦穴内部の視察へ。
吹き抜けの大空洞を下へ降りてゆくと、壁面には夥しい数の住居群。
三十フロアっていうから、三十階建て分のアパートがそのまま縦穴の中におさまっている感じ。
木材資源に乏しいネストでは住居に岩窟を利用するのが賢明だ。
縦穴自体が風避けとなっているため、中は比較的暖かかった。
階段はなくロープの吊り橋で各フロアが連絡され、穴の底にはネスト唯一の水源の泉から台地に突き出した風車で揚水し、生活用水、灌漑用水として供給している。
でも水の供給量はギリギリで、水資源には相当に不自由している様子。
「今年は深刻な渇水が起こり水源が枯れてしまいました。……湧水に加え雨水も貯水しているのですが、追いつかず」
ミシカがうなだれる。するとロイが気付き、申し訳なさげに
「責任の一端は俺にあるような気がします。俺が神様の神通力で無計画にモンジャの畑に集中的に雨を降らせていたから。ネストの雨雲を奪い取っていたのかもしれません」
あ、その発想はなかったよ。
西に雨が降れば、東が渇く。パイを分け合っているんだ。
……うん? でも十年前からってと、私のせいでもあるのか。
ごめんよ、神通力を節操無く濫用して二十七管区全体の気候を左右してしまってた。
『申し訳ありません、ネストの民よ。この禍いはすみやかに祓います』
天候のことは私が何とかできるけど、それでは根本的な解決にならない。
縦穴での暮らしは温かく住み心地いい、しかし決して満足できるものではなく、人口も過密気味。
もともとネスト台地の下で暮らしていた民は、森の傍で畑を耕したり狩りをして暮らしたいと口々に言う。
更に、縦穴に無理に足場を作っているから子供が落ちたり、お年寄りが足を踏み外したりと、毎年数人の死人が出ちゃう。
それを聞いたラウル兄妹が何か話し合っていたと思いきや。
半纏のような上着を重ね着して着ぶくれたラウルさん。腕まくりをして
「さしあたりここに、転落しないよう各階に鉄柵をつけるといいんじゃないか?」
「そうときたら、高所作業はあたしら兄妹の
ヒノってば、ネストに来て早々本職で活躍できて嬉しそう。
そういやヒノ……
アガルタじゃ歌舞伎に由来する十八番なんて言葉ないので、彼女もメグと同じく記憶の回復基調にあるのかな。
「ではラウル、ヒノ、ここに防護柵を設ける作業を頼んでもいいか」
ロイが彼らに指示を出している。リーダーの風格があるよね、それ自体が悪いことではないと思うんだけどさ……
「おう、三日……いや、二日以内にやるから任せとけ!」
ラウルさん、ヒノとロイが三人で気合いを入れるためにハイタッチしてた。
ロイはラウルさんに必要以上に強く手を叩かれて、後で首を傾げながら手をさすっていたけど。
それが男の競争心というものですよ、ロイ。
『それは助かります、ラウルさん、ヒノさん。ここはお任せしましたよ』
「赤い神様、ここの民にも祝福をお願いしてもよいですか。あなたの降臨を皆が待ち望んでいました」
『勿論です、一軒ずつお話を聞いて回りましょう』
ミシカが上階から崖っぷちの住居を案内してくれた。
感心なことに、彼女は全ての家の家主と顔見知りで、簡単に紹介をしてくれる。
民思いの姫様だよね。
住民たちはやせこけていたけど、王家に不満があるわけではなくミシカを姫様、姫様と慕っている様子だった。
「おお、姫様が神様を連れてきてくださった。伝説は本当だったのじゃ!」
痩せてすじばった手で、私に祈りを捧げてくれるネストの民たち。
私は彼らの幸福を祈りながら、一人ずつ抱擁する。
皆の抱き心地が何かごつごつしててモンジャ民と違う、痩せすぎだよ可哀そうに。
女の子たちの胸もAカップ以下だよけしからん。
これまたセクハラでしたか、すみません。男の子らも勿論、もやしっ子じゃだめだ。
とはいえ、岩窟の食糧事情は想像以上に厳しそう。
城下町の裾野のわずかな畑で採れる作物。
それにシツジと、アンゴラうさぎもどきの肉のみ。
主食は干し肉だというから、その貧窮ぶりを察するに余りある。
城下町で暮らす人々と比べ、彼らの衰弱ぶりが目立つ。
忌憚なく言ってしまうと、貧民窟なんだろう。
「これ、皆にいきわたるか分かりませんが、すぐ育つやつです」
メグが、モンジャ原産の寒さと乾燥に強い葉物野菜と根菜、イモ類の種子を貧民窟の民たちに手渡していた。
グランダから持ってきた甘い果実の種もある。
「これはこれは」と感謝してくれたけど、作物ってすぐには実を結ばないよね。
ネスト台地では作付面積にも限度があるし……森に降りて各々の畑を持ちたいのです、と彼らは私にうったえる。
その後も私はミシカと共に岩窟の家々を回り、時間をかけて彼らの願いに耳を傾けた。
メグは作物の育て方をレクチャーするためその場に留まり、キララとロイは私についてきた。
「疲弊しきっているな。しかし問題が問題だけに、為政者に非があるとも言えん」
と、実は民に慕われている女王であるキララが頭を悩ませれば、
「モンジャでは考えられませんね。モンジャではエドが唯一の肉食獣でまだ平和でしたが、毒のある危険動物にここまで囲まれてはどうしようもありません。モンジャにはまだ受け入れ可能な土地がありますが、移住は望まないのでしょうしね」
とモンジャの押しも押されぬ集落の長のロイが唸る。
二人ともしっかり考えて社会問題に強くなってね。他人事だと思ってちゃだめよ。
そうこうしている間にも各家々からの陳情は続く。
「今年の干ばつによる飢饉で、私も子供たちも、食うや食わずの生活です。もうお乳も出ません」
『まず水を何とかしましょう』
皆の不満を総合すると、水不足に対する不満件数が一番多かったので、私はこれ以上クレームが出ないよう縦穴の底に降り、25メートルプールが一つ入るほどの大泉の畔に立つ。
皆が大切に使っているのか、透明度の高い水を湛えた青みがかった泉だった。
でも渇水が原因で底が浅い。
水を節約するあまり、入浴もできないとのこと。
不衛生にしたら疫病が流行るし、手を打たないと。
『清水よ、滾々と湧き続け、ネストの民に恵みをもたらすように』
それっぽいこと言いながらインフォメーションボードを操作し対象を泉のあたりに指定し水分子を構築。
【構築物質 : H2O】
【構築スピード : 10L/sec】
【継続時間 : 60sec ×∞ 】
何で雨にしないのかって、雨を降らせてもこれだけ寒いと多分雪になっちゃうから直接水源から水が湧くようにしたげた。
これにより、毎分600Lの湧き水確保。
時間∞にしたから、半永久的に一枠分構築枠を潰しちゃったけどね。
水の硬度が高めだったので飲用に適した硬度にし、ミネラル分豊富になるよう調整する。
ところで、水が無限に湧き続けると縦穴住居群が水で水没してしまうよね、そこで
『砕け散れ!』
ここ最近使わなかった神杖を放ち、縦穴の薄くなっている岩壁をぶち抜く。
水が泉から溢れた場合に機能するよう滝として台地の外に流す簡単な仕掛けを作っておいた。
ギアナ高地のエンジェルフォール、あんな感じでいいでしょ。
滝が高すぎると、途中で水蒸気になって雲散霧消するんだけど。
「神様の御恵みだー!」
「ネストと赤い神様に栄光あれ!」
やんや、やんやの拍手喝采。
いいね、この感じ久しぶり。私久しぶりに仕事してる気がする。最近働いてなかったから。
『これで水不足については心配いらないでしょう』
しかし仕事した端から、腹ペコ集団が押しくら饅頭のように押し寄せていて……
「赤い神様、お腹すいて頭がくらくらします……おなかいっぱい食べたいです」
弱弱しい声で私にしなだれかかる幼い少女。貧血気味だったから先輩に治療を任せた。
「おにぎりが、食べたいんだなあ……」
ぽつりと溢す、いがぐり頭のおじさん。
私と先輩は全神通力を湯水のように使って高カロリーの飴玉をこしらえ、一人につき三つずつ配った。一個八百キロカロリーという、国民の女性の皆様の敵だ。
私達の構築枠をめいっぱい使い、構築枠が三十分ごとにオープンするたび飴玉の合成をかける。
一時しのぎに過ぎないけど、応急処置だ。
「甘くておいしいです! ほっぺたが落ちそうです!」
『よかった、決して噛まずにとけるまで舐めてくださいね』
それカロリー高すぎだし急に血糖が上がると危ないからね。
子供は言った端からガリガリ噛もうとしてた。
気持ちはわかる。
私も飴なめるとすぐ噛んじゃう派だし。
そう思って、噛めないほど硬く造っときました。
すると五分もしないうちに「わーん、歯が欠けた~」って少年の声が聞こえてきた。
誰だよ食い意地張りすぎだよ。『しょうがないな』と、エトワール先輩がすかさず治療。
ネストの民から寄せられる信頼の力によって使用可能構築枠が増えたから、増えた枠もフル稼働。
でも、私とエトワール先輩が出せるのはせいぜい質量の少ない、飴玉を構築するので手一杯。
”ふーむ、こんなものじゃ埒があかんな”
エトワール先輩は、多分面倒くさくなったんだろう……物陰に隠れ、ボードを呼び出しネスト全体にエリア指定してバイオコンストラクトかけやがった。
【 強制投与:TPN 】
【 投与量:20Kcal/kg/day 】
【 投与部位:中心静脈 】
”TPNってなんです先輩?”
”IVH(Intravenous Hyperalimentation)だよ。日本語で何ていうんだっけね?”
うおう! それって高カロリー輸液じゃん!
中心静脈から入れて、一日何千キロカロリーも強制接種できるやつ。
”徐々に投与するから、暫くしたら血糖値が上がって満腹感を味わうことができるだろう。急場の飢えはしのげようさ、飴玉もあるし”
と先輩がクールに鼻を鳴らす。
いつも思うけど、ホント頼もしいですよ先輩。
私も見習わないとな。
夜はパウルさんの城に宿泊。
城下町にも水源を造ってあげた。
揚水だけじゃ不便してるからね。
これで水不足は一時的に解消すると思う。
シツジの肉類のミルク煮込みなどを中心とした簡単な夕食をいただき、体を拭いて就寝。
ネストは冷え込むから暖房するんだけど、各部屋を温めるだけの燃料がないから、暖房のあるパウルさんの大部屋に皆が集まって布団を敷いて寝る。
皆がシツジの毛製の毛布の温かさにカルチャーショックを受けていた頃、先輩は日課のモンジャとグランダのパトロールに出かけた。
そしてネストの夜はふけてゆく。