<< 前へ次へ >>  更新
36/115

第3章 第10話 赤井さんと、青い少女◆

『赤井さんが脆弱でした』


 サイバーテロの暫定調査結果を一言でまとめたのは、天御中主あめのみなかぬし

 日本神話を彷彿とさせる純白の神様服を纏い、頭にはちょこんと金の冠を乗せ、首には三連の勾玉の首飾り、肩に若草色の羽衣らしきもの漂わせ、スカート状の裳をつけている。唇にはほんのり桜色の紅。


”っておかしいでしょコレ。伊藤さんどうしちゃったんですか”


 天御中主は女神だった。天御中主は”独り神”という設定で、性別がないのだそうだ。ログインするたびランダムで性別が変わる。


 ある意味歌舞伎の女形のようなものではあるが、神体は完全に女性だ。赤井は女神を至近距離で見るのは初めてなので、神々しさにやられて心臓が飛び出そうなほど緊張していた。端正であどけなさの残る顔立ち、気品溢れる柔らかな声、シャンプーCMのモデルばりに艶やかで長い黒髪、華奢な骨格にプルンと瑞々しく白い肌、たわわなバスト。


 ここにきて遂に厚労省の福利厚生がきたか! と思えど、うっかり思い出せば中身は妻子持ちの既婚男性だった。がっかりである。


 そんな赤井たちはカルーア湖上の神殿にいた。そう、神殿なのだ! 

 赤井も遂に灯りもベッドも家具もない洞窟生活から、憧れの神殿マイホームへと拠点を移動。壮麗な白亜の神殿は、天御中主が3D構築プログラムで建て赤井にプレゼントしたものだ。和、洋、中華風どれと言われても困る建築様式。強いて言えば現代風。無論素民には真似のできない建築水準である。


 天御中主はカルーア湖の中央に神殿を建て、グランダとモンジャ側に一本ずつ、立派な浮橋をつけたので、モンジャ民もグランダ民も赤井の神殿に参拝し、更に浮橋を渡ればモンジャとグランダが迂回せず最短距離で行き来できるようになった。交易もスムーズになった。赤井は日中、神殿外で民にサービスし、夜は神殿で寝ようと決めた。


 神殿は巻貝を浮かべたようなフォルムである。半月形の白い謎材質の屋根が、柔らかなカーブを描いて蓮のように建物を覆っている。内部は楕円状構造で、入口の手前側が大列柱室だ。大理石質の床の上を整然と立ち列んだ高くそびえる石柱が堂々たるもの。天井から様々な表情で差し込む、幾重にも重なる光条が神秘感を演出していた。


 大柱列室の奥にはどうやら赤井を祀っているらしい祭壇、更にその奥に居室である祭室と至聖所(寝室)があり、カルーア湖の水を引いた水路で囲まれ聖別されている。祭壇には結界の張られた扉。素民は祭壇の横の鐘を鳴らして赤井を呼ぶ仕様だ。


 真新しい祭室内の円卓で、天御中主、エトワール先輩、信楽焼▲▲▲、強羅大文字焼▲も交えて赤井は会議中だった。祭室は内側から閉ざされ誰も入ってこない、結界で仕切られたプライベートエリアで声を潜めず話ができる。焼人二人は今後、二十七管区専門スタッフとして、交代勤務でセキュリティ監視にあたるようだった。赤井も心強い。


『赤井さん、聞いていますか? 煩悩まみれのようですが』


 天御中主は頬を膨らませ、少し眉を吊り上げて赤井の名を呼ぶ。それでも上の空でいるので


『そんな煩悩は信楽焼▲▲▲に焼いてもらいましょうかね?』


 右手を振って合図すると、信楽焼が手榴弾らしきプログラムを懐から取り出してスタンバイをした。


『あら、焼いてよいですの? ふふふ、どこを焼かれたいです?』

『こんななまっ白いの、こんがりキツネ色に焼いちまえよ姐御』


 頬杖を付きながら信楽焼をけしかける強羅大文字焼▲はソフトモヒカンに三白眼、二十歳の青年だ。信楽焼▲▲▲は茶髪の緩いウェーブでフェミニンな髪型をしたうら若い美女だった。


”やべえ……手榴弾持つ目がマジだ!”


 信楽焼の手元を見て、ふざけていてはまずいということに気付いた赤井が、怯えて背筋を伸ばす。


『赤井君が悪い、頭を赤アフロにしてしまえ』


 エトワールも面白がる。


『す、すみません! 真面目にやりますので髪の毛焦がさないでください。赤アフロとか面白すぎます!』


 赤井の脆弱性情報がどこかから漏れたか、たまたまクラックされたようだ。開設後のサーバーならいざしらず、未開設で厚労省の地下に安置されているサーバーに接続できるのは厚労省内の人間のみ。クラッキングを仕掛けた者がいないか、その日のうちに職員全員を対象とした精神アルゴリズム解析が行われたらしい。しかし結果は、全員シロ。


 ログを分析し侵入したアバターの構成を解析したが、不正プログラムが侵入と同時に素民のA.I.をコピーして創り上げた使い捨てアバターであったため、蜥蜴の尻尾切りのように手がかりは途絶え正体掴めず。二十七管区スタッフの懸命の活躍により情報は死守されたが、目的は果たされていないのでもう一度仕掛けてくるだろう、との見解で厚労省内は一致している。


『そういえば、西園を調べていませんでした』


 天御中主が冷淡な口調で呟いたのを、赤井は聞き逃さない。退職した西園が疑われている。エトワール、焼人二人も渋い顔をする。


『西園さんのこと、疑ってるんですね』

『そのように聞こえたなら失言でした』


 赤井がしょんぼりと俯くと、天御中主はひきつれた笑顔で誤魔化す。西園恋しさに赤井がふさぎ込んでしまうと、仕事に響くと慌てているのだ。赤井はちやほやされても、かえってやり辛かった。担当官は少し冷たいぐらいの西園が丁度よいのだ。


 そこで赤井は思い切って


『西園さんを、私の担当官として復職させてもらえませんか?』


 天御中主は首を縦に振らない。


 赤井に対する間接的な虐待の事実があったからだ。

 アガルタの囚神は本来、神格矯正プログラムと疑似脳との融合によって、監禁状態にあっても不安はおろか恐怖も知らず、悩みもなく心穏やかで、退屈すらも感じない超越的な存在なのだという。精神的苦痛を受けない以上、従来は囚神を人間扱いする必要がなかった。もしログイン状態が正常ならば、精神的苦痛を受けていない(・・・・・・)ので人権を考慮する必要がないが、赤井の神格は殆ど矯正されておらず、基本的人権が発生していた。西園が不具合に気付いていなければ罪には問われなかったが、彼女は気付いていた。


 ”極めて悪質”との判断で懲戒解雇処分に処された。


『西園は不具合を知りながらあなたの人権を蔑ろにし、精神的に追い詰めた。当然の処分です。それに気付かなかった我々にも責任があります。申し訳ありませんでした、赤井さん。精神的苦痛に対する補償は手厚くいたしますので』


 虐待と言われると、それは違う気がする赤井である。確かに思い返せば酷い労働環境ではあった。苦行を積んだからといって、当然悟りを啓いたわけでもない……しかし赤井自身がリタイアもせず望んでやってきたことであるし、素民と共に少しずつ成長できているとの実感もあるのだ。

 西園は”神”という存在に対して、彼女なりの理想があった。もし通常通りに神格矯正プログラムとの融合を果たし、“いっぱしの”囚神として着々と構築をこなしていくだけの存在だったなら、誰の心も癒すことができなかっただろう。メグのことも大勢の中の一人の素民、でしかなかった。

 西園は赤井を厳しい状況下においたが、虐待の意図はなかったと赤井は思う。


”だからもう一度、西園さんと信頼関係を築き上げて、西園さんの本音も聞きだしてやり直したいんだ。手探りでも、私は西園さんとなら進んでゆける。そんな気がするから”


 赤井は伊藤との交渉を粘り強く続ける。


『……以前のようには、いかないかもしれません』

『これからは西園がいなくても私ども一同で、赤井さんを最大限にサポートします。なので、伸び伸びと仕事をしてください』

『待遇改善は嬉しいですが、担当官が西園さんだったからこそ、私はやってこれたんです』


 赤井以外のアガルタの囚神は、同情することも、相手の立場になって物事を考えることも、彼ら素民と同じ視線に立つこともできない。博愛らしきものを一方的に与えるだけ。優しく微笑んで……皆さんを愛していますと言って抱擁する、その言葉に心も魂も込められていない。


”たしかに神様を演じるだけの役者としては、それでいいのかもしれないよ。でも私は……心なき役者にはなりたくない”


 感じるもの全て、演技も全て心からのものであってほしいと願う、プログラムに支配された偽りの感情で彼らに接するのではなくて。そうなって欲しいと望んでいた、西園の代わりは誰もできないと思うのだ。


『……西園へ何か言いたいことがあるなら、私が現実世界に戻った時に西園に君の動画メールを出してやるから。もういい加減気分を切り替えろ、な? いい加減、未練がましいぞ。赤井君の精神状態が不安定になると、更なるセキュリティの脅威を生む』


 見かねたエトワールが妥協案を持ちかける。しかしあくまで西園の復職を願う赤井を見た天御中主は大きな息をつき、


『一度決められた西園の処遇は変わりません。が、私が彼女を厚労省に呼んで、モニタ越しにお話しをするぐらいはできます』


『ほ、本当ですか!?』


 ごね得だった。


『ただし、彼女に対する過剰な期待は禁物です』


 有頂天になった赤井を厳しい口調で戒めた天御中主の上げて落とす手際は、厚労省のお家芸のようである。というのも西園が話したくないと言えば、それ以上無理強いはできないということだった。


『あ、ありがとうございます!』


 話の進展が見えそうになったところで、天御中主は咳払いをする。


『赤井さん。仕事の話に戻りますが、第二区画を解放します。私が個別に特訓をしようと思っていたのですが、第二区画で経験を積んでもらうことにしました』


 赤井の実力からするとまだ解放には早いものの、前倒しで区画解放するのだという。エトワールの言う、例のモフモフ区画だ。区画が解放されるなら、準備しないとな。国防とグランダの再建。これから慌しくなりそうだ、と赤井も気が引き締まる。


『第二区画の解放はいつですか?』


 一年後か二年後か、と身を乗り出せば。


『今日かもしれませんね』


 インフォメーションボードを開いてスケジュール帳をチェックし、不穏な笑顔を向ける天御中主は楽しそうだった。


『ええーっ!』

『何ですと?!』


 赤井とエトワールは同時に席を立つ。


『困ります、まだ準備ができていません! せめて数ヶ月待ってください。今攻め込まれても戦えません』


 もう必死の訴えだ。


”今日とか! 無理! 西園さんのこと非道だとか言ってる割りに、西園さんより告知遅いじゃん!”


 二人が途方に暮れて顔を見合わせていると。


『まあ身構えず、お二人とも気楽に仕事をして下さい。今回は国防は必要ありません……よっと!』


 そんな言葉と共に、天御中主はぽんっと赤井の背中のあたりを叩く。叩かれた背中がじんじんと疼く。服の上から叩かれたのに、皮膚に違和感がある。湿布を貼られたかのようだ。背中に手を伸ばして貼られているものに触れようとするも、届かない。


『何ですかこれ、肌に何かくっついて?!』

『それは神格を蝕まないパッチ(脆弱性修正プログラム)で、そのうち肌になじんで違和感は消えます。もう赤井さんが二十七管区から誘拐されることはありませんよ』

『どれどれ?』


 背を見にきたエトワールは、襟首からちろっと中を覗き……


『ぷっ!!?』


 腹を抱えて爆笑していた。


”ちょ……私背中に何貼られたんですか!? 背中に張り紙されて苛められてる小学生かよ私。そんな笑えるパッチとかお断りです。相当面白いの貼られたんですか私!?”

『あ……いやすまん。だって……日本アガルタのシンボルマーク。レッドメタリック色の刺青になっとるよ』


『伊藤さん~~!! なんてことを~!』

”あーもう刺青なんて入れちゃったら銭湯、プール、海水浴場、刺青の人入浴禁止でお断りされる!”


 ポイントはそこではなかった。折角なら残念な柄ではなくカッコいい柄にしてほしいものである。

 厚労省3代目シンボルマークとアガルタの50 の管区のネットワークを組み合わせた、線の細かい幾何学模様なのだろう。大輪の花のように見えなくもないデザインだった筈だ。


『あのー……デザインやカラーチェンジはできますか? せめて透明に……』

『不可ですよ。今年度版の大変強力なパッチです、赤井さんもこれで神様らしくなれますよ』


 赤井は仕方なく、新たに伊藤から支給されたコスチュームをしっかりと着こむ。新しいコスチュームは着丈のぴったりで絹のような素材の、巻布式で純白な神様服だ。ストールもついて防寒十分で赤井はご満悦だった。皮のサンダルもようやく支給された。

 パッチの使い方は随時インフォメーションボードに表示されるとのこと。


”これでちっとは強くなれたのかな私?”


 デザインが残念であるからには、そうあってほしいものである。


『ところで第二区画はどこにあるんです?! どこから攻め込まれてくるんです!?』

『攻め込まれませんし、そんな身構えなくても大丈夫ですよ。どうしても危なくなったら、呼べば助けに行きますから。おや……噂をすれば』


 天御中主は何か気配を感じたのか、すました顔で席を立つ。すると絶妙なタイミングで


「あかいかみさま――!! 出てきてください大変です!」


 カランコロンカラン。


 メグの呼び声とともに、呼び鈴がわりの鐘の音が神殿に響き渡る。天御中主と焼人二人はドサクサに紛れ消えていた。


『何か嫌な予感がしますね』と赤井が呟くと『まったくだな』とエトワール。


 祭室の扉を開いて応じると、メグとナズがアイの背に乗り、神殿に乗り込んでいた。動物の乗り入れ禁止とは書いていないが、新築の床に足跡が点々とついている。


”後で私がきれいに雑巾がけしないと。……って、今それどこじゃないか”


 アイの背には三人が乗っていた。メグが大慌てで飛び降りる。


「あかいかみさま。このひと、空から落ちてきて、怪我をしてるんです! とりあえず痛み止めの赤い花を噛んでもらいましたけど」


 アイの首に凭れ掛かるように乗ってるのは、コバルトブルーなフード付きのセーターを着た若い女性。首には青の石を連ねたネックレスが二連に大きな宝石のイヤリング。青いセーターというと、モフモフ獣のいる第二区画を連想させる。メグの言うよう、怪我をしているのか白い皮のブーツが血に染まっていた。青い紐のついた編み上げのブーツを脱がせると、脚が開放骨折で痛々しい。息はあるけど意識はなかった。


「もしかしてかみさまのお友達のかみさまです?」


 メグは空から落ちてきたものは神様か天使という発想らしかった。


『いいえ。ともかくすぐ手当をしましょう』


 彼女を、お座りをしたアイの背から慎重に下ろす。怪我人の手足はかじかんでいた。赤井が神通力を込め傷口を撫でると、骨は接がれ傷は癒える。さらに癒しの力を送るべく抱擁して暫くすると……呼吸がぜーぜーと荒くなってきた。


”あれ、祝福が逆効果?”


 すかさずエトワールが彼女に解析をかけ、迅速診断を行う。


『ん。いけない、血圧低下、ショック症状が出ています。加えて内臓破裂に全身打撲、落下事故のようですな。ここはやはり私にお任せ下さい、神様は少し離れていて』


 彼女を敷布の上に横たえ距離を取ると、エトワールはバイオコンストラクトを開き、彼女に治療を施すべくボードを操作している。メグとナズからすると意味不明な動作をすること数分間。彼女は赤い薬花の効果が切れ苦しそうに呻いていたものの、徐々に呼吸が安定し血液量が回復してきた。


 バイオコンストラクトの万能性を見せつけられ、医師国家試験受験の気持ちを固める赤井の傍らで、メグはエトワールが仁王立ちで指先だけちょこまかと動かしているので不安そうに眉を顰めている。メグとナズは赤井の両サイドに寄り添い、正座でエトワールを見上げる。


「この人はたすかります? エトワールさま」

『ああ、治りそうだよ。神様、仕上げにもう一度祝福して下さい』


 指示通り赤井が彼女を抱き起こし祝福すると、頬に赤みが差しほっとする。


『よく連れてきてくれました、メグさん、ナズさん。しかし、空からとはどういうことです?』

「この人がまだ意識があったとき、あかいかみさまに会いたがってました。ぜひお話を聞いてあげてください」


 メグとナズは彼女を赤井に預けると、陽が暮れてきたのでモンジャに戻った。彼女を至聖所のベッドに運んで寝かせ、赤井は傍らに腰掛け容態を見守る。青いセーターは温かそうだったのでそのまま着させておく。


”これ何の動物の毛でできてんだろ? 見たことないよ青いモフとか”


 素性が知れないので、神殿に泊まらせるのがよいだろう。危険人物だったとしても、密室からは素民に危害が及ばない。エトワールは赤井に彼女の看病を任せ、モンジャとグランダの夜の巡回ヘ。彼女が気付いたのは、真夜中のことだった。ベッドから飛び起きた彼女は、まだ意識があやふやだった。


「!? ここは……」

『ここはカルーア湖ですよ。まずは温かいものをどうぞ』


 赤井はすかさず鍋にかけておいたシンプルなおかゆをカップにそそぎ、彼女に食べさせようとするも、彼女は赤井の顔も見ず大慌てできょろきょろとして、


「待ってください、その前にお祈りを。今日のお祈りがまだです」


 一日何回かのお祈りを必要とする宗教の信徒なのだろうか。彼女は構わず床に膝をつき、背筋を伸ばし両手を合わせ、目を閉じ熱心に祈りを捧げるのだった。


”お祈り長いな、もう五分ぐらい熱心にやってるし……”


 邪魔もできない赤井は、おかゆが冷めないよう神通力で温めながら待つ。彼女の顔が目の前にきたのでしばし観察する。現実世界でいえば、ロシア系の人種とみえる。色白で頬はピンク。サイドを編み込みにしてる長い髪の毛は銀色、これまたコバルトブルーのビーズの髪飾りつけてお洒落だ。祈りの最後はこんな言葉で締めくくった。


「……慈悲深き赤の神様、ネストの民をお救いください」


”それって誰? まさか私のこと?”


 赤井はカップを両手で握ったまま椅子に座り、祈りが終わるのを待っていたところだった。祈り終えた彼女とぱったり視線が合う。


「ひっ!」


 彼女は赤井を見た途端に硬直する。正座したまま赤井の顔からつま先まで眺め、二度見する。


”あ、気付いたんだよねきっと”


 まあまあ寒いからそこに座って、とベッドをすすめると、彼女は無言でベッドの上に正座してはまた赤井を見る。


”んー、おかゆ渡しても大丈夫かな、すげー緊張してるから今渡したらひっくり返して火傷しそう”


 赤井は何食わぬ顔で、


『今夜はそこでゆっくり休んでください。私がいると眠れないのなら出ていきますよ。その前に、あなたはどなたで、どこから来たのか聞かせて下さいますか』

「わ、わ、私はネストから飛んできましたっ!」


 少女は想い人に告白でもするかのように顔を真っ赤にして言い切った。


『と、飛んできた?』

”交通手段、飛行機ってハイテクすぎね!? 第二区画の構築士さん、文明レベル上げすぎちゃった?”


 読心術で看破すると、これもまた本当だった。彼女は動物の皮でできたパラグライダーもどきの飛行体で空を飛んできたというのだ。グライダーは操作性に乏しいので気流が乱れ、腰から墜落したようだ。


”つか第二区画ってどこにあるの”


「身体の軽い私なら風に乗って遠くにまで飛べるので、使者に選ばれました。まだ命があって嬉しい、先ほどの人たちにお礼を言わなくては」

『お礼は明日一緒に言いましょう。それにしても命の危険を冒してまで、どうして飛んだりしたのですか?』


 命あっての物種、命に過ぎたる宝なしだと赤井は思う。

 アガルタの鳥人間コンテストにでも出るつもりならともかく、無謀すぎるだろうと赤井が呆れていると。

 彼女は居住まいを正して、歌うように誦じた。


「ネストにはこんな言い伝えがありました。人と大地と獣たちとの絆が失われ、民が滅びのときを迎えるとき。伝説の赤の神様が現れて獣の怒りを鎮め、ネストの民を救ってくださる、と。空が色とりどりの光の幕に覆われ、風向きが真逆に変わったら。赤の神様が降臨したしるしだと。それで……」 

”その空に光の幕って天御中主さんの光跡、七色のオーロラのことじゃね?”


 伊藤のログイン後、飛行機雲のように尾を引いて暫く漂っていたという光の話だろう。


”それ私の降臨の証とかじゃないし天御中主さんの降臨の印だし。またグランダの時のように赤い神の伝説で無茶振りですか”


 とはいえ今回は邪神ではなかっただけましか、と赤井は思い直す。赤井が心当たりのなさそうにきょとんとしてるので、彼女も不安になってきたらしく……上目づかいで


「あ、あのう。あなたが伝説の”赤い神様”、です? よね?」


 他に赤い神もいないし、神自体二十七管区には赤井しかいない。


「赤の神様はその背中に赤いしるしがあr……」

『はい伝説の赤の神とは私のことです!』


 即答だった。高校生クイズの高校生より即答だった。背中見せろと言われる前に即答だった。パッチをあてられるのまで伝説の中に折込済だったようだ。

 完璧に伊藤の手の上で転がされている。

 彼女は感極まって泣いてしまった。それは嬉しさもひとしおだろう、ネストの民が何に困ってるのかは知らないが、その降臨を待ち望んでた伝説の神がおかゆを持って目の前にいるとあれば。危険なパラグライダーもどきで命かけて飛んできた甲斐もあったというものだ。

 こうして藪から棒的に、木に竹を接いだような不自然な空気の中、第二区画は解放された。彼女におかゆを食べさせながら、何か新情報がないかと赤井がインフォメーションボードを立ち上げると、地図上にNew!という赤い新着マークが一つ。


 ワールドマップが広がり、視界は良好。

 新エリアは、”断崖集落ネスト” 。

 ネストがどこかというと、グランダの真裏にある。


 グランダ鉱山の裏は断崖絶壁で、その先は不浄の地と呼ばれて人が近づかない。断崖の下には一面に広がる広葉樹林で、海に続いている。


 グランダの不浄の断崖のわずか1キロ先。ギアナ高地のテーブルマウンテンに似た、標高二千二百メートルの垂直に切り立った台地が聳え立っていた。ネストはその頂にある集落の名だ。樹海に取り囲まれて孤立したそれはグランダの断崖より標高が高く、頂上付近は分厚い霧や雲に覆われているため、グランダ側からはその存在を確認できなかった。

 赤井も何度も空から見渡したが、雲が濃くて見えず、乱気流に阻まれ広範囲には偵察できなかった。第二区画が解放状態になり風向きが変わったので、グランダまでパラグライダーで飛んでくることができたようだ。

 ついでにマップを拡大してみると、台地は横幅十二キロ、縦幅三キロ。


 西側にはミニチュアのようなネストの集落が見えた。最初に赤井の目を引いたのは大きな岩城と風車群。多翼型風車だ。城を囲むように、数百軒規模の小さな家々。西側には気持ちほど雑木林があり、それを抜ければなだらかに広がる広大な牧場。主要産業は牧畜だな、と赤井は心を躍らせる。牧場の端には直径五百メートルほどの自然の竪穴。竪穴の中には更に住居部分があり、吊り橋が折り重なるように掛けられている。

 城下町と竪穴の中を合わせて、千人程度が暮らしているようだ。


”しっかし見事なまでに陸の孤島だなこりゃ……何でこんなとこ住んでんの?”


 好き好んで暮らしているからには、そういう文化なのだと思うことにした。空気は薄いわ冬は寒いわ、水も不便そうだわ、作物もあまり育ちそうにないし、衣食住全てに困りそうな土地柄ではありそうだ。


”その豊かそうな森を開墾して、崖下で暮らせばいいんじゃない? なんならグランダの隣に来てもいいよ、カルーア湖の周辺は比較的温暖湿潤だし、私の加護もあるし暮らしやすいだろうし”


 そこで赤井はあまり押しつけがましくならないように気を付けながら、


『もしご不便をしているのなら、こちらに引っ越してきてはいかがですか。グランダの隣の地を拓けば、いくらか土地はあります』

「そうしたい気持ちはやまやまです。神様どうかお助け下さい。ネストの民は地上に降りることができません。森には恐ろしい怪獣がいて、人を喰らってしまうのです」

『え?』


 実戦訓練も兼ねての解放と伊藤が言ってたのはこれか。

 怪獣と戦いながら訓練しろという意味か、と赤井は気付かされる。


”えーと、どうすっかなー……”

<< 前へ次へ >>目次  更新