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第2章 第17話 ハロー・グッバイ、ハロー・アゲイン◆

”先輩待って作戦タイム!”


 ベテラン構築士になれば変身能力が身につくのか、それとも悪役だけなのか。

赤井は別に変身できたり巨大化したりはしない。

巨大怪獣と巨大ヒーローのくだりはできないのだ。


”やべーな、ちんたら戦わずヒト形態のときに決着つければよかった”


 そう思っても後の祭りだ。


 翼竜形態のブリリアントは大きく口を開いたかと思えば、右から左に一直線に薙ぐように火を噴く。

火炎と言っても、その巨躯から吐き出される火力は尋常ではない。

巨大火炎放射器のようだった。

一息吹きかければ、城壁と石造りの家が数軒、溶け落ちてあとかたもなくなる。

 ドラゴンが火を噴くのはお約束だが、赤井は内心ちびりながら、ただちに防火壁となる物理結界を縦横に数十メートルずつ展開するも、ブリリアントは第二撃目を放ってくる。

物理結界も熱にやられて蒸発しはじめた。

やがて強度を失い剥がれ落ち、大火力の火炎が噴き込んでくる。


「手伝います!」


 ロイが絶叫し、赤井の結界を補強し裏打ちするように強固な物理結界を張る。

 ロイの補助あって何とか耐久しているが、更にもう一撃受ければ勝負は決する。


”防御に徹してはだめだ。まずは攻撃の起点となっている先輩自身を叩かないと”


 赤井は民家の軒先に落ちていた麻袋を拾うと、加速構築モードを立ち上げ、構築十二枠のうち三枠を使って白い粉末6キログラムを麻袋の中に大量構築した。


 消火剤のつもりだ、人体に触れてもあまり危険性のないもの。

 この辺り一帯、水では消火しない強烈な大火災に見舞われることが予想される、念のため消火剤をロイに渡しておく。


『ロイさん、これは消火剤です。誰か人を呼んで散布してもらうか、あなたが神通力で巻き上げて火災に直接投入してください』

「わかりました、この化合物の構造式は何ですか?」


 ロイは物性を知りたいからか、赤井に構造を尋ねる。

 赤井がロイに化合物を説明するときは、化学式ではなく元素番号で説明するようにしていた。

 現実世界の化学式の概念をアガルタに持ち込んではならないからだ。


『11-1-6-8(3)(NaHCO3:炭酸水素ナトリウム)です』


 つまり重曹だった。


「11の元素の正電荷原子が燃焼反応を抑制するのですか」

『そういうことです』


 話が早い。正電荷原子はロイが翻訳したところのイオンだ。

 赤井はロイに消火剤を預けると、ロイの槍を携え、暴風吹き荒れる空に舞い上がる。


 既にスーパーセルから竜巻が形成される最終過程にあり、風圧が凄まじい。

 そのうえでのブリリアントの容赦ない火炎攻撃。

 新鮮な酸素が供給されて、風の煽りをうけて火力が増す。

 火災旋風というものだ。


”火炎も竜巻も同時に何とかしないとどっちもグランダ壊滅級だ。どうしよう”


 赤井はうまく飛べず風に翻弄されきりもみ状態になりつつ、知恵を絞って考える。

 ブリリアントがグランダに再度火炎を吐こうとしていたので、そうはさせじと赤井はへろへろ飛びながら、ブリリアントの大口の前に立ちはだかる。

 球形の結界を発動し、翼竜形態のブリリアントの頭部をヘルメットの要領で球体結界内に閉じ込め密封する。

 更に構築枠一枠を使い、結界内にトリニトロトルエン(TNT爆薬の主成分)を少量合成し投入。


 トリニトロトルエンは熱や衝撃、摩擦へ感受性を持つ爆薬である。

 火炎は吐けまい。

 なにもブリリアントの頭部を爆薬で吹っ飛ばそうとしているわけではない。

 火炎、衝撃、電撃などの攻撃を封じたに過ぎなかった。


”先輩もこれはヤバそうだと思いとどまりますよね”

 

 火炎を吐いても爆薬に引火し爆発するか、仮に爆発に耐えたとしても結界内の酸素を爆発により一瞬で消費して、火炎は二度と吐けなくなる。

 酸素濃度が低すぎて燃焼反応が起こらないからだ。

 しかしこれで赤井は十二枠のうち十枠を使い果たしてしまった。

 一度構築枠を使うと三十分、枠がクローズドの状態になって使えなくなる。

 赤井が三十分以内に使用した構築枠の内訳は以下の通り。


 3枠→ ニトログリセリン(湖底での発破のとき)/オープンまで残り8分

 1枠→ 水分解と空気再構築(同上)/オープンまで残り8分

 5枠→ 炭酸水素ナトリウム(消火剤として)/オープンまで29分

 1枠→ トリニトロトルエン(先輩の火炎封じ)/オープンまで29分


 構築枠は残り二枠となった。

 八分後には四枠、計六枠使えるようになる。

 同時に、赤井も火炎と電気的攻撃の手を封じられたことに気付く、引火して困るのはお互い様だ。


「赤井様! 雲が!」


 ロイの声で下を見ると、地上から吹き上げる上昇気流は火炎によってますますその勢いを増し、スーパーセルから漏斗状に垂れ下がってきた雲が遂に地上とつながった。

 直径は二百メートルほどの、巨大竜巻の完成だ。


 竜巻が発する音は凄惨だ、爆撃機で集中爆撃されているような轟音。

 猛威をふるう竜巻によって、グランダの北端に位置する森が最初に直撃を受けた。

 青々と茂っていた木々がメキメキとなぎ倒され、大量の木枝や土砂などが黒雲垂れ下がる荒れ果てた空へと巻き上げられてゆく。


 竜巻は非常に緩慢なペースで、グランダの中心部めがけ移動をはじめた。

 グランダの石造りの民家には各戸にグランダの民が避難し息を顰めて閉じこもっている、グランダの中心部に竜巻が移動すれば、家屋が破壊され住民たちが瓦礫の下に生き埋めとなり、甚大な被害と大量の死者を出すだろう。


 赤井はこれを断固阻止すべく、ロイの槍を構えブリリアントに斬りかかる。

 槍のリーチが長いので、飛膜に簡単に刃先が届いた。

 力任せに槍を振り抜き、ブリリアントの腕を断とうとするも、手ごたえはびくともせず弾かれる。

 その表皮は硬い鱗に覆われ、神槍ともいえる鋭利な刃でもかすり傷一つつかない。


 ブリリアントはハヤブサも顔負けの俊敏な動きで滑空し、太く逞しい脚で赤井を攻撃する。

 爪先は鋭利で、一撃でも攻撃を受けると腕が痺れる。

 時折首を狙ってくる。

 上手く飛べない赤井は、攻撃を避け続けるだけで精一杯。


”で、どうやって攻勢に転じればいいんだ……?”

”先輩、もうちょっとガード緩くしてくれませんかね?”


 と心の中で苦情を訴えても、ブリリアントは返事をしてくれない。


”先輩、もしもし? お返事お願いします?”


 待てど暮らせど、応答はなし。

 超高速ドッグファイトは約二十分も続いていた。

 ブリリアントを攻撃しても文字通り刃がたたず、赤井も飛びまわっていたのでバテてきた。

 電撃でも落として爆薬を発動させればいいのだろうが、それは卑怯だ。


 翼竜形態になったブリリアントとは意思疎通ができなかった。

 変身すると思考能力も人の心も失うようだ。

 看破をかけても、人間らしい心の反応がなくなっていた。

 身も心もモンスターと成り果てている。


”あ! 先輩、口を開いちゃ、まさか……!”


 閃光が迸り、次の瞬間には爆音。

 ブリリアント頭部から無味乾燥な炸裂音がした。

 赤井は放心状態だ。

 火炎の抑止力だったつもりが、自爆させてしまう羽目になるとは! 

 頭部は結界によって密封されているため、TNT火薬の爆発の威力はそのままブリリアントの脳を襲った。

 密封状態での爆発の威力は凄まじい。

 クチバシが割れ、硬い鱗が剥がれ流血し視力を失うブリリアントは痛々しかった。


”ごめんなさい先輩。何か見るに堪えない姿になってます”


 居た堪れなくなって、赤井は結界を解除する。

 痛みはないのだろうが、ブリリアントはグランダ中にこだまするほどの掠れた大絶叫をあげている。


”大丈夫ですか先輩、まだ戦えますか?”


 人間的知性がなくなり、考えもなく火炎を吐いてしまったのだ。

 もはやブリリアントは羽ばたく気力もない様子だった。

 当然だ、頭部の爆発で、神経が焼け焦げて飛翔できなくなるに決まっている。


”こんな汚い手で先輩に勝ちたくないです。先輩、私を助ける為に色々やってくれたのに”


 その恩を仇で返すようなものだ。

 このアガルタ第一区画で百二十年間も仕事をこなしてきた構築士のフィナーレだ、最悪な内容でログアウトしてほしくはなかった。

 ブリリアントの怪我を癒し、正々堂々ともう一度仕切りなおすか。

 あるいは卑怯だがもうこのまま決着をつけるか……。

 早くブリリアントを倒して竜巻を何とかしなければ、グランダが壊滅するのはますます現実的になっていた。


 空がますます暗くなり、陽が翳って夜のようだ。

 遂に力尽きたブリリアントの体軸が傾き、真っ逆さまに地上へと落ちてゆく。

 もう、限界だったのだ。


 幸い、グランダの市街部を外して墜落をしてくれているが、下では黒い煙が上がっている。

 金属精錬所が真下にあるという目印だ! 

 赤井は垂直落下で追いかけるも、間にあわずブリリアントが先に墜落してしまった。

 地響きを立て、小規模地震が起こり、何らかの作業場と思しき建物が数棟倒壊した。

 ブリリアントは煉瓦づくりの精錬所の屋根に風穴をあけ突き破り、炉の真横に翼竜形態のまま仰向けに墜落していた。

 地面が深く陥没して、墜落の衝撃を物語っている。

 落下の衝撃は、重い体をさらに痛めつけたことだろう。


 小さなプール状の冷却水槽の横、ブリリアントの左翼は煮えたぎる炉の炎に接触し引火し、炎に包まれて翼の先が焼かれていた。

 構築士は自らの神通力で炎を扱えても、自然に発火した炎には焼かれてしまう。

 ブリリアントも、溶炉の炎には焼かれてしまうのだ。


 何ともいえない気持ちになりながらふわりと着地し、赤井は歩み寄る。


”どうしよう、火を消してあげて先輩の怪我の手当をすべきか……”


 ブリリアントはぴくりとも動かないが……まだ息はある。

 数分もすれば、その身は炎に包まれ焼かれるだろう。

 グランダの民から集めていた信頼の力も赤井に横流しされ、傷は自力では癒えない。


”気絶してるみたいだし、もうとてもじゃないけど戦える状態じゃない。どうしよう”

「やめてあかいかみさま! 殺さないで!」


 赤井の背後から、メグの悲鳴が聞こえた。

 金属製錬所はグランダ内に数か所ある。

 メグはキララらと共に精錬所の火を落して回ったようだ。

 そしてここが彼らの辿りついた最後の精錬所。

 間に合わなかったが、幸い炉は壊れていない。


”私が先輩に止めを刺そうとしていると思ってるのか、どう見てもそう見えちゃうよな”


 エドから飛び降り、メグは赤井に近づいてきた……。

 赤井が困って俯いていると、メグはブリリアントに駆け寄り、両手を広げて赤井の前に立ちはだかった。


「かみさまは言ってました。悪人なんていない、それは心の迷いなんだって。悪い事をしたら心から反省して、良いことをして償えばいいんだって。だから邪神なんていません、ギメノさんは今は悪い神様かもしれないけど、でも殺すなんてあんまりです! そんなのあかいかみさまらしくない」

”確かに言いましたけど……悪役構築士に対してはちょっと例外でしてね”

『メグさん……』


 じっとりと視線を絡め、互いの気持ちを確かめあうように見つめあう。

 メグの瞳から頬を伝った、一筋の涙。

 メグは返事のない赤井に失望したように悲しげな顔を向けると、赤と白の薬花を必死になって翼竜姿のブリリアントの口の中に詰めている。

 残り少ない薬花を使って、彼を癒そうとしているのか。

 キララもエドから降り、メグの行動を無言で見守っている。

 そして地震に驚いた周辺住民も数十名、おっかなびっくり野次馬に駆けつけ人垣を作って騒然としている。


「ギメノさん、早く起きて! 大事な翼が燃えちゃうよ!」


 メグはブリリアントに呼びかけながら、ざらざらと黒い鱗に覆われた体をさすってあげていた。


”本気なのかメグ……。でもメグは人食い肉食獣エドに懐かれるような子だ、この行動も気まぐれではないだろうし本心からのものなんだろう”


 グランダの民もわらわらと精錬所の中に入って来た。


「なんだこれは!」

「これが、この忌まわしい怪物が天空神様の正体だったのか!」

「私たちはこんなバケモノの言うなりに操られていたというのか!」


 グランダの民を病で苦しめ、街を破壊しようとしたブリリアントに報復とばかり、精錬所にあった近くのガラクタを投げつける者もいる。

 恨みつらみもあるのだろう、元凶が分かった今となっては。


「やめて、やめて皆!」


 メグは手を左右に振ってブリリアントを庇う。

 彼の味方はたった一人、メグだけだ――。

 赤井は複雑な気分になる。

 助けるべきなのか。

 それともこのままログアウトさせてあげるべきなのか。

 気絶していて意思を確認できない以上、判断がつかない。

 すると……


「さあ今のうちです! 弱っているうちに、奴にとどめを刺してくださいスオウ様。我々はもう、偽神に騙されてはいけないのです」

「お願いします、あれの息の音を止めてください」


 野次馬が誰からともなくキララに進言した。

 長年天空神に仕えてきた巫女王だから、とどめは彼女の手でと望む声が大きくなってゆく。

 無責任なものだった。しかしキララは


「ああ、言われなくともそのつもりだ。終わりにせずばなるまい、この災厄を」


 民衆の声にこたえるようにすらりと抜刀し、一歩一歩、精錬所の石畳を踏みしめ、ブリリアントへと歩みを進める。

 彼女の気持ちを確かめ、天空神への信仰を断ちきるかのように。

 ブリリアントの片翼はもう、付け根まで炎に包まれている。

 先端の方は骨まで溶けて……。こうなっては赤井の力では癒せない。

 腕の付け根を断って翼を切り落とし延命させても、ブリリアントは片翼の翼竜となる。


 そのとき……ブリリアントの口が僅かに開いた。

 そして徐にその巨大なクチバシで、口の中を覗き込み薬花をさらに奥まで詰め込もうとしていたメグの頭をガブリと飲み込む。


『なっ!』

”脳をやられて狂ったのか!? いや違う! 反射だ”


 口の中に薬草を詰め込もうとメグが入ってきたから、訳も分からぬまま反射的に飲み込もうとしているのだ。


『い、いけない!』


 メグは腰のあたりまでブリリアントのクチバシに飲み込まれ、脚をバタバタさせている。

 赤井が駆け出し、神槍に熱を通わせとうとう頸部を断とうとしたとき。

 全てが終わっていた。

 ブリリアントの頭部は真っ二つに断たれ、断首された頭部はメグごと製錬所の石畳の上に落ちる。


 決着をつけたのは、天空神を葬ったのはキララだった。

 キララが先に二本の長剣に炎を纏わせ、断ちきったのだ。

 彼女はこと切れたブリリアントの胴体に炎を放つ。

 天空神ギメノグレアヌスが、二度とこの地で復活しないように。

 憎しみを含ませたキララの火炎、その扱い方はブリリアントが彼女に教えたものだった。


「今日をもって……我らは自由だ!」


 鮮やかな緋色の火炎に黒い体を焦がされ、やがてブリリアントの体は白い光を放ち始めた。

 光の花弁が舞い散るように、ぱあっと飛び散って霧消する。


「あ……」


 昇華されたあとには、唾液で上半身がベトベトになったメグが床の上に転がっていた。

 手をついて、身をもたげている。 

 赤井はほっと胸をなでおろすとともに意識の戻ったメグを助け起こし、五体満足であることと無事であることを確認する。

 メグはえぐえぐと泣いていた。

 ブリリアントの体を燃やしていた炎も、ロイから受け取って誰かが持ってきた重曹が散布され、迅速に消火される。


「あかいかみさま……ギメノさんが。私、ギメノさんはやりなおせるとおもってたのに」

『メグさん、あなたのせいではない。私の力不足です』


 赤井とメグとの間に何ともいえない、気まずい空気が流れていたところ。


「どうなりました、まだ大丈夫ですか!?」


 ロイが息を切らせながら精錬所に駆け込んできた。応援にきたのだ。


”一足遅かったけどここまで走ってきたのか。結構遠かったと思うのに脚が速いな”


 赤井は感心する。


「もう終わったのですか!?」


 ロイはブリリアントの最期を見ていないが、決着がついたということは悟った様子だ。


”あ、そうだ。終わってない! そういやまだ終わってないよ”


 一息ついている場合ではなかった。

 グランダに迫る竜巻の進路をずらし、グランダ壊滅の危機を救わなければ。 


『終わってはいません!』


 慌てて精錬所の風穴から垂直方向にぴょーんと赤井が飛び出してゆくと、なかった。竜巻はどこにもなく、薄くなった雲が漂っているだけだ。


”何で? 先輩が斃されたから竜巻も消えたの? それともロイが何かしたのか?”

『どういうことですか、ロイさん。何が起こりましたか』


 ひゅるひゅると製錬所の中に戻ってロイに尋ねると、ロイが少し照れくさそうに事情を話す。


「あ、あの嵐の渦なら俺が消滅させておきましたよ」


 なんと、ロイが竜巻を消滅させたというのだ。


”マジですか! どうやってやったの?”


 進路を外すぐらいが精一杯で、ロイが巨大スーパーセルを消滅させるなど、できるわけない。

 ロイの身体に残っていた神通力は、そこまでの馬力はなかった。

 理由が分からず、赤井がきょとんとしていると。


「ほら、あなたがヒントをくださったおかげです。上昇気流が大地と天との温度差によって生じるものなら。上昇気流が生じないよう、太陽からの熱エネルギー供給を断つべきだと考えました、そこで高い位置に雲を起こし陽を陰らせ……あとはお察しの通りです。うまくいってよかった」


 それでさきほど、空が暗くなったのだ。

 ロイの頭脳は冴えまくりだった。

 要は、積乱雲より高層の雲を操って太陽光が積乱雲に当たらないようにしたわけだ。

 竜巻のエネルギー源を断ったのだ。


”てか高度10キロの巨大積乱雲スーパーセルより高度の高い雲で太陽を隠せるほど厚みの出るやつって何? 濃密雲のうみつうんってやつ? スーパーセルのてっぺんの、成層圏にはみ出した雲を千切って伸ばして太陽隠したんかな”


 もはやロイが何をしたのかさっぱり分からない赤井は何となく悔しい。


 どんな巨大積乱雲であっても、夜になると消滅するのは知られたことだ。

 それは太陽が沈んで空が冷え、地上と空の温度差がなくなるから。

 それと同じことをロイは行ったのかもしれない。


”でもちょっと竜巻を消滅させるには時間が速すぎだよね。だって空の温度が冷えてくるっていったらそれなりに時間がかかるでしょ。それにあとはお察しの通りって言ったって……まさか神通力使って対流層を冷却とかしたんかな。構築士でもないのに冷媒どこから持ってきたのよ?”


 疑問はつきないが、ロイは今度こそ神通力を使い果たしていた。実に清々しそうに。

 それだけの仕事量だったということだ。


”やり過ぎ感半端ないな、どうやったのか後学の為に見ときたかったよ”


 赤井が褒めちぎろうとすると、ロイは悔しそうな顔をしてみせた。

 何が悔しいの上出来だよ? 私その案思いつかなかったし、と赤井が首を傾げると。


「ですが今度こそ、俺が赤井様から預かった神通力はからっぽになってしまいました。大切に使っていたのに……もう皆を守れなくなる」

『なんだそんなことでしたか。責任感が強いですね、あなたは。ここまでよくぞ頑張ってくれました。あなた方が私を許して下さるなら、これからは私があなた方を守ります』


 赤井はロイに、預かっていた大切な槍を返す。

 ロイは赤井に恭しくひざまづき、神杖を丁寧に両手で返した。


”敬意払いすぎだよ、もっと普通に返してよ”


 同様に、ロイは赤井が加護を授けた証として上半身に巻いていた純白のストールも赤井の肩にかけた。もともと赤井の持ち物だったあれだ。

 こうしてロイは、神の衣と力を返し、普通の人間に戻った。

 荷が下りてほっとした顔をしている。


「その、相談なのだが……」


 キララが背後でもじもじと、何か話しかけたそうにしている。


”分かってる。先輩の代わりに君たちのことも私が加護しますよ。何とも段取り悪く不甲斐ないヘタレ神様ですけど、それでよければ喜んで行政サービスしますよ”


 グランダと赤井の集落で千八百人を上回る大所帯になるが、少々人数が増えようがかまわない。

 というわけで赤井は営業スマイルで応じる。


『グランダも加護しますよ。あなた方がそれを望んでくださるなら』


 精錬所の外にますます膨れ上がっていたグランダの民から、どっと歓声が上がった。

 万雷の拍手と喜びの声がこだまするなか。

 赤井は肩を落とすメグを慰め、ロイをこれでもかと褒めて、人ごみと喧噪を抜け、再びグランダの空に舞った。


 先ほどの悪夢のような空模様とは違って、上空の風は優しい。

 平坦な地平線を見ると、穏やかに紅く燃える夕焼けの空。

 誰もいない場所でインフォメーションボードを再起動すると、通常画面に戻っている。


”ありがとうございます。ブリリアント先輩。そして……さようなら”

”私が未熟で考えなしの行き当たりばったりだったばかりに。陰ながら私を全力で助けて下さったあなたに、私ときたら少しも恩返しができなかったみたいです”


 大きな仕事を終え、すぐに西園と話をすることもできるが、夕暮れの風で涼んで気持ちを落ち着けてからにしたかった。

 

 空中で体操座りのように体を丸め、暫く空の広さを感じていた。

 地平線の向こうには、一番星が見える。

 そして赤井がふとインフォメーションボードを見ると。

 左下には、点滅する白いフォントが浮かび上がっていた。


【第一区画解放。乙種構築士ブリリアントがログアウトしました。……確認】

『はい、確認しました』


 ブリリアントがアガルタの世界から現実の世界へ還っていった瞬間を、その双眸に焼きつけた。

 仮想世界からのログアウト。

 それは赤井にとって九百九十一年もの未来のイベント。


『この世界に残り、先輩の遺志を受け継いでゆく。先輩が残してくれた民と進んだ文明、そして強い信頼の力を、確かに預かりました』


 その気はなかったものの、結果的に卑怯な手を使って申し訳ない気持ちは消えない。

 それだけが心残りだ。

 これからはもっと正々堂々と、胸を張って戦えるように頑張ろう、と明日への抱負を擁く。


 そして決意を新たに、確認のボタンを押す――。

 引き続きポップアップウィンドウが出現した。


【 オファーが1件あります 】


『ん? どういうことすかコレ?』


 意味もわからずエンターボタンを押す。続いてメッセージが出てきた。


【ランク2 エトワール(Canada/ID:CAN203)があなたの使徒を志望しています。エトワールを召喚しますか?】


 質問の下に、三つの選択肢がある。


 【召喚する】【召喚しない】【保留する】


『エトワールさんて誰だ?』


 構築士IDがブリリアントと一緒だった。


『構築士ってランクが変わったら、名前も変わるんだろうか……? てことはブリリアント先輩、……まさか! 私の使徒になってくれるってことですか!?』


『先輩、もう一度会えるんですか。この世界で!』


 散々な仕打ちをしてしまった自覚があるのに……移籍先をこの管区に定めてくれたというのなら。

 じわりと目頭が熱くなり、鼻水がでてきた。

 ブリリアントはログアウトしてまだ一時間も経っていないが、ログアウトの直後、二十七管区の時間が止められて、昇進や移籍先など西園を含めた話し合いで色々決まったのかも、と赤井は現実世界側の事情を推し量る。

 それで、厚労省に戻って手続諸々を済ませ査定も終わって……。


”先輩がもう一度、この世界に舞い降りてくる! 今度は私の天使役として、敵役じゃなくて頼もしい味方役として来てくれるんだ!”


 高鳴る胸と興奮を抑えつけ、鼻水をすすりあげながら、震える指で選択肢を選ぶ。


『召喚……する! 甲種二級構築士(ランク2)、エトワールさんを召喚します!』


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