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第2章 第5話 赤井さんの復活とグランダの少女◇

 一年が経とうとしていた。


 私はもう、夜間も昼間も殆ど意識がない。


 時々悪夢を見てハッとして起きるけど、特に景色も代わり映えがしないから、基本的に瞳を閉じて日々を過ごす。半年の間で変わったことといえば、私の集落が太い木の柵で囲われた。いいぞロイ、君は私にはなかった国防の観念がある。指導者を君にして、本当によかった。私がいないから素民たちの「追加」はないのだろうけれど、それでも敵意のある素民たちが来たらどうしようと考えついたんだね。そうだよ、集落を柵で囲って関を設けるのが正しい防衛だ。堀を掘ってもいい、でもそれだと橋をかけられて攻め込まれる。

 メグの育てる蛍光に輝く薬花の絨毯が、徐々にその面積を広げてゆくのも嬉しかった。彼女、最初は私の名を呼ぶように赤ばかり育てていたけれど、やがて色とりどりの花畑となった。


 幻想的な蛍光の薬花畑は、昼間は見えない。

 夜になると煌々と現れるそれは、私と君たちを繋ぐ見えない絆の証のようでもある。


 メグ、君は気づいたんだな。


 赤い花は痛み止め、

 青い花は解熱鎮痛薬

 黄色のは病気の予防薬。

 白いのは抗ウイルス・細菌薬だ。


 色によって効果が違う。私はそのように薬花を造った。


 遺伝子組み換え生物を扱って掛け合わせるときには、必ず色が異なるものを選ぶべきなんだ。例えばAの遺伝子を持つ白い花とBの遺伝子を持つ白い花を掛け合わせても、ABの遺伝子を持っているかどうかわかないだろう? だから赤い花にAの遺伝子を、白い花にBの遺伝子を組み込んでいれば、両方の遺伝子の性質を持つ花を選ぶにはピンクの花を選べばいいと分かるよね? 

 基礎的な遺伝の法則だ。例外はもちろんあるけど。動物だって同じ、白い個体と黒い個体を掛け合わせたら黒いブチが出て、両方の性質を受け継いでいるのがわかる。


 私のように詳細な遺伝子解析ができないこの時代でも、経験的にわかることだ。

 だから私は君達に手渡すために単色ではなく色とりどりの薬花を作っていた。

 わざとカラフルにしていたのは、私や君たちの目を楽しませるためなんかじゃない。


 私はそのうち全てを掛け合わせて万能薬を作ろうとしていたけれど、君はすぐに青と赤をかけあわせて紫の花を作った。きっと偶然ではないよね。

 そして今は少し薄い紫のやつを植えだした。

 白い花をかけあわせたんだ。三種を統合したのか。

 うまく組み合わせができたようでよかった。

 実は色だけではなく香りも変えてあるんだよ、だから二種類の遺伝子がその薬花には組み込まれている。


 私が言わなくても気付いているよね。

 最近君が育てはじめたオレンジのと薄緑のやつは、一体何の効果があるんだろう?


 君の薬草栽培技能と知識は既にかつての私のそれを追い越しつつあり、薬剤師として集落の皆の医療を支え始めたのかもしれないな。君は為政者としてのロイの右腕になってくれているに違いない。

 

 君たちの成長が眩しいよ。


 幸いなことに、ここから見る朝焼けはきれいだ。

 私は朝焼けと夕焼けの空が好き。

 意識を失っていても、地平線から昇る朝の陽を浴びると眩しくて少し目を開く。


 東京では朝焼けに燃える空を見ながら、よく川辺をジョギングをしたりしたもんだ。懐かしいな。

 お気に入りの音楽をかけながら、気持ちのいいもんだよ。そういえばマリさんが弦楽器を作っていた。あれはどんな音色を奏でたんだろう?


 私は夜、メグが慈しみ育む薬花畑を見て今日は何が咲いたかを確認し彼女の成長を喜び、朝焼けとなるまでは眠るようにしている。


 ある夜……それはよく晴れた真夜中のことだった。

 私の浅い眠りは、唐突に妨げられた。

 闇の中からガサゴソと物音が聞こえる。


「ま、ま、まだ生きてる?」


 震える少女の声が、すぐ近くから聞こえた。


『……?』


 驚いて声のする方を見れば、はしごが私から数メートル離れた隣にかかり、それを少女がえっちらおっちら、登ってきていた。長い木の梯子が、私の隣にかけられている。闇夜に目をこらすと、梯子につかまっていたのは黒衣の少女。


 十歳程度かな、茶色い髪を肩まで伸ばしている。顔立ちはまだ幼い。黒衣はこのグランダではテンプレみたいだけど、裾がボロボロに破れている。もしかして家が貧しい子なのかな。

 私は彼女と面識がない。梯子から落ちないように気を付けてほしいけれど、彼女は震えながら私を見ている。


 そういえばここ一か月というもの、私は体力温存の為に磔になったまま殆ど動かなかった。エネルギーを消費しないためには、何であれ動かないのが一番だ。死なないにしてもこれほど意識が落ちては困る、何があってもいいように思考能力だけは残しておきたい。たいして賢くもないが、私の頭脳だけが今は私の唯一のとりえ、そう思っていたから。


 微動だにしない私を下から見上げていて、死んだのではと思い興味本位で登ってきたのだろうか。友達とふざけあって、肝試しでもしてたんだろうか。 

 理由は分からずとも、私は何も言わず無言で彼女を見つめる。

 こちらも暇だし彼女に興味はあるけど、あれこれ質問する体力がない。


「じ、邪神……まだ生きてたんだ」


 彼女は緊張で今にも梯子から落ちそうだ。私は急に彼女が気の毒になって視線を外した。


『一度その梯子を降りて、気持ちを落ち着けてから来てください』

「……え?」


 私は本当に久々に声を出した。使う必要なんてなかったから、自分でも驚くほど声が違う。喉が枯れてうまく話せないんだ。誰かの顔をこれほど近くで見るのも久しぶり。声が掠れていて聞き取りづらいだろう。少し声を張って、再度彼女に忠告しておく。せっかく苦労して登ってきたのに、彼女が落ちてしまうのは忍びない。

 だから一回降りるといい。


『心を落ちつけていないと、落ちてしまいますよ』


 高い城壁を上るのに、まあ現代人だったら分かると思うけど、重い木の梯子をかけてはいけないよね。梯子をかけても上端を固定すればいいけど、さもなくばバランスを少し崩せば傾いて落ちてしまうから。縄梯子を使うかロープをかけて登ったほうがこの場合は安全なんだ。


 彼女は私の忠告に従い一度梯子を降りたあと、スーハースーハーと下で深呼吸をして、今度はその梯子をより私の近くにかけてそろりそろりと登ってきた。辿り着いた彼女は、彼女の手が届く距離にいる。一方、私の手は自由にならない、相変わらず磔になっている。


 ちょっと派手な昆虫標本みたいだよ。まあ私の神体は標本にする価値がある、せめて野ざらしでなく、もっときれいに飾ってほしかったな、直射日光の当たらない涼しい場所で展示会でもやればよかったのに。皆が見に来てくれたら少しずつ彼等を説得していけた。スオウは本当に頭がいいな。見せしめに民の前に私を掲げることは必要だが、民心を惑わす私と彼等を直接接触させてはいけないと計算済みだ。


 彼女は至近距離から、じとっとした視線を投げかけてくる。

 いつまでも話しかけてくる様子がないので、尋ねてみた。


『どうしましたか』


 とはいえ、こんな夜中に一体何の用だ? 

 私これでも就寝中でした。体力消耗したくないし、手短にたのむよ。

 彼女は恐る恐る指を伸ばし、私の腕をつんつんとつついた。んー、別につついてもいいけど邪神の腕にタッチしてこいって罰ゲーム? それは結構シビアな罰ゲームだね可哀そうに。そういう肝試しならよそでやってよ、もっと墓場とか霊が出そうで怖そうなとこ色々あるでしょ。


「邪神って、何でまだ悪いことしないの?」

『悪いことなんてしませんよ』


 冷やかしなら勘弁してくれ。

 話すだけでも消耗するんだ……それに動けないんだよここから。


「邪神って、病気を治せる力持ってる?」

『……昔はできました。でも今は無理です』


 邪神に興味深々だ、この子。

 西園さんの神様フェチ的な、邪神フェチか。またまた新ジャンルだ、ついていけない。読心術ができれば何考えてるか分かるけど、生憎私は力が出なくて人間と何も変わらない、頭の回転だって超低速。ミッション車だったら一速だっていってない状況だ。燃費も悪い。


「今は無理? いつだったらできるの? 今すぐは病気治せないの?」

『どこかに病気を患った人がいるのですか?』


 そりゃグランダにも病気で苦しんでいる人はたくさんいるだろう、死にそうな人もいるだろうし。それは私の責任ではない、人生とはそういうものだ。

 人は生まれ、必ず死ぬるもの。

 それが自然の摂理であって、仮想空間の中でもそう。いつか私が万能の神になれたら素民たちを死から解放できるかもしれないけれど、それは正しい方向性ではない。私は私の責任で最初に命を散らせてしまったナズ以外に、蘇らせるべき素民を知らない。


「私のお母さん、お腹がずっと痛くてお腹が壊れてる。水みたいに下していて……顔が茶色っぽくて変になってる。頭も痛いって。ねえ、邪神は私のお母さんを助けられる?」


 ん? 

 それって黄疸のことか? この子、さっきから必死だな。こんな高いところに梯子かけて登ってきて邪神、じゃないんだけど……と話そうとしてるんだもんな。ある意味勇者だよ。梯子だってこんな長いのあるわけない、この子の手作りなのかも。運んでくるのも立てかけるのも大変だったろうに。


『お母さんの体は熱いですか? そして尿は出ますか?』


 ここまで登ってきた彼女の勇気に免じて、億劫ではあったが一応尋ねてみる。

 症状だけ聞けば、私は何となく思い当たるふしがある。


「おしっこ茶色い。体もすごく熱い」

『ごはんは食べられますか?』


 高度数十メートルで問診中。なにやってんだ。

 でも久しぶりだ、こうやって誰かに頼られて相談されている感じ。

 私が集落にいた頃には普通だったけど、多少なりとも必要とされるのは嬉しい。


「食べられない。食べてもすぐ吐く」

『ここ最近、お母さんに傷があったことがありますか?』

「うん、手を切ったことがある」


 うーん、ウイルス性肝炎の急性期なのかな。

 肝炎ってA、B、Cとあるけどどのタイプかな……なんか怪我したことあるっていうし聞いてるとB型っぽい。メグのとこの白い薬花を煎じて飲めばすぐ治りそう、てか一発で治る。そこに行ってもらってこいってのが確実かもしれないけど、この子の足でロイの集落に行こうとしても絶対迷うし数日では辿りつかない気がする。


 ウイルス性肝炎は急性期は数か月、基本的に安静にしていたら慢性化して症状が落ち着くんだ。でもたまに劇症化する人もいるし死ぬこともある。この時代の人のことだから、栄養状態によっては容体がどうなるかわからないな。食事がとれないと言っているし体力もなかろうし。


「お母さん、このまま死ぬの?」


 彼女は声が震えている、私が「死ぬ」と言ったら梯子から落ちてしまうかもしれない。


『普通は死にませんが、体力次第です。私にはわかりません』


 残念ながらそれは神にもわからない。運がよほど悪くない限り生きのびると思うけど、本当にこればかりは体力次第だ。そしてその後、もれなく慢性肝炎になって肝臓癌になりやすくなる。


「邪神のくせに分からないの?!」


 つっかかってくるなあ……。「くせに」って何だよ邪神じゃないし。それに邪神にどんだけ熱い期待寄せてんだよ。そんな頼らないでよ邪神とか言うんだったら。グランダにはグランダの神、つか崇拝対象がいる。天空神ギメノなんちゃらって言ってたな、寿限無ほど長くはないけど長い名前だったから忘れた。あいつに頼めばいいのに邪神なんかにお願いにこなくても。


 でもそれは偽物なんだ。

 毎日祈ってたのかもしれないけど、ご利益がなかったんだろうな。

 そりゃそうだ、この管区におけるアガルタの神って私だけらしいし。


 西園さんも言ってたけど、二十七管区の神は私一人、一柱だけだ。

 別に他にいてもいい。むしろたくさんいてくれた方が私だって助かるよ。そんなにいるなら構築手伝ってほしいぐらいだ。……なので天空神とやらの偽伝説はしょーもないウソ。あくまで迷信。小さな子が本気で祈ってるのに、罪深いエセ宗教だ。

 その天空神なんちゃらがスオウの一族の祖だとされていて、お決まりの天孫降臨ってやつだ。なので私は邪神扱いでこのありさま。ここは一応否定しとかないと。


『私は邪神ではありません』

「?!」

『私は”邪”のつかないほうの神です』


 信じてくれないかもしれないけど、邪心なんて一かけらもないよ。

 この世界に入った時、私の中の濁ったものは溶けてなくなった。

 人間だった昔は邪念も邪心もあったと思うけど、建前以外には人間愛の気持ちしかない。


「え!?」


 ……カルト教団の洗脳から正気に戻った人って皆こんな反応なのかな。びっくりしてら。そうですよ私は以前はこの世界でのほほんと神様役をやっていました。それも少し前の話だけど。今は単なる干物だ。煮ても焼いても食えないぶん、干物より悪いかもしれない。


「お腹に剣が刺さってるよ?!」

『そうですね』


 グロを子供に見せたくないけど、抜けないんだからどうしようもない。この剛剣も手首の杭と同じ素材で、私の神通力を相殺し憎しみの力を集めて送り込んでくる。


「動けたらお母さん助けてくれる?」

『……それだけではできません』


 私が神通力使えるようになるまでの条件って色々縛りがあるんだ。

 最初は右も左も分からないまま苦労してたもんな。

 ところで実質的に私はここから動けない。例えばこの子に運よくここから逃がしてもらったとしても、そしたらスオウが邪神が逃げたとか言いだして周辺の土地に侵攻しそう。つか彼女なら絶対やる。

 そんでロイたちの集落を見つけたら……どうなるかもう考えまい。


「どうすればいいの!?」

『どうって……』


 私はロイたちの集落が力をつけるまで、ここで晒し者になってるつもりだから助けはいらないけど、考えてみればこの子の母親にも罪はない。こんな必死に頼んでるなら、助けてあげたい気持ちはある。


「なんでもするよ! だから助けて! 邪神じゃないって信じるから! 何でもするから!」


 その言葉、本当? ……普通信用できないだろ皆からは邪神だって言われてるのに君だけだよ、ちょっと変わってる。でも……彼女はそれを証明するかのように私に抱きついてきた。藁にも、まさに邪神にも縋る思いなんだ。


 ドクン。

 ……私の中に、忘れかけていた熱い力が蘇る。


 異国の地、敵国にて。私の民ではないたった一人の少女から施された温かで切ない願いを受け取った。

 彼女は磔にされたままの私を、助けてと言いながらあらんかぎり抱きしめる。

 そんなに頑張ったら梯子から落ちてしまいやしないか。


『力が……戻ってきましたよ……。左右どちらかの手の杭を抜いてもらえますか』


 鉄杭を抜こうとする彼女が落ちないか心配だったが、彼女の服の裾を私の上腕にきつく結わえさせた。命綱のかわりだ、落ちてもいいように。私の両手首に穿たれた錆びかけた鉄杭は岩肌へ深々と埋め込まれている。彼女の腕力で抜くのは難しいだろう。

 少しずつ、少しずつ頑張ってくれ。

 朝が来る前に。


 彼女の爪が割れ、指先を血が伝いはじめた。痛むだろうに、弱音もはかず諦めず少しずつ抜いてゆく。お母さんの命がかかってるんだ、頑張ってる。


 いいぞその調子、もう少しだ。

 てかこの鉄杭の素材って何だろう。神通力を相殺する素材だ、何か呪力みたいな力が結晶化されてる感じ。だからこの子の手も傷ついている。

 解析かけてみたいけど、何なのか気になる。


 そして彼女は三十分ほど奮闘の末、彼女は鉄杭を抜き遂げた。

 すぽんと抜けた杭を持ったままバランスを崩し梯子から落ちそうになった彼女を、自由になり解放された私の右腕が抱きとめ、梯子につかまらせる。

 自ら左手首の杭を引き抜いた。


 約一年ぶりに、私の両手は自由を取り戻した。神経が固まってピリピリと痺れるが、動かないことはない。彼女はそんな私に期待と恐怖の入り混じった視線を投げかけ、私は彼女の不安を受け止める。そうだよね、邪神なら解放されたと同時に君を殺すだろうからね。


 答えをだそう。邪神ではないと。


 彼女を安心させるように彼女を腕の中に抱く、久しぶりの抱擁だ、懐かしくて温かい。祝福し、ほんの少しばかりの癒しの力を彼女の体に返す。彼女の呼吸が少し落ち着いた。私の集落の民でなくとも、癒してあげられるようだ。


「邪神ではなかったんだね……」

『私はただの神です』


 彼女は安心して微笑んだように見えた。私の指先はすべらかに空を切り、スクエアを閉じる。

 構築士のコンソールパネル、インフォメーションボードを呼び出す。出やがった、暗闇の中にあらわれた白銀のボードだ。


 眩しい……やけに輝いて見えた。


 さあ、久しぶりに薬剤構築といきましょうか。君の信頼の力に報いよう。


 化学式はC12H15N5O3、分子量 277、

 IUPAC名は、2-Amino-9-[(1S,3R,4S)-4-hydroxy-3-(hydroxymethyl)-2-methylidenecyclopentyl]-6,9-dihydro-3H-purin-6-one


 君のお母さんのB型肝炎の薬、これからすぐに創るからな。


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