<< 前へ次へ >>  更新
41/46

リンゼイ登場!

 リンゼイは寝台から飛び降りた。母親に文句を言いに行こう。そう思っていたが、寝台近くにあった全身鏡に映された姿を見てぎょっとする。

 一糸まとわぬ姿だった。

 どうやら、寝台にいた時の寝間着は、魔力を紡いで作ったもので、脱出したことにより術が解けてしまったようだ。


 ここはマリアの部屋で、リンゼイがいつも着ているようなドレスはない。

 仕方がないので更衣室ドレッサールームから上下の下着とシャツ、ズボンに魔法使いの外套を借りた。

 執務室の机の上に、リンゼイのベルトがあった。そこには、道具箱と薬草箱が付けられている。

 隠されていなかったことに感謝をして、腰に巻いた。


 部屋を飛び出し、廊下を走る。

 すると、大広間の前にたくさんの人影が見えた。


「んん?」


 目を凝らす。

 屈強な筋肉質な身体に、背中から生えた四枚の透き通った美しくも儚い羽根、シフォンのやわらかなドレスに身を包んだその姿は――筋肉妖精マッスル・フェアリ

 その背後に、兄ゼルの姿があった。


『ふんぬっ!』

『ぬぅんっ!』

『せいやっ!』


 筋肉妖精達は大広間の扉を開こうとしているのか、張り手のように押していた。

 しかし、扉はビクともしない。


「ねえ、あなた達」

『まあ、ご主人様!』


 ローゼが目を潤ませながらかけ寄る。


「どうしたの?」

『ご主人様のお母様の魔法で、扉が閉ざされてしまったのです』


 いったいどうして? 

 その問いかけは兄、ゼルへ向ける。


「ちょっと立て込んでいるみたいでね」

「なんでそんなことを……。っていうか、どうして筋肉妖精がここに?」

「リンゼイ、あなたの夫が来ているんだよ」

「え、クレメンテが!?」


 ここで明らかになる事実。

 クレメンテがリンゼイを助けるため、はるばる、セレディンティア国からやって来ていた。

 母親と対立している話を聞いて、リンゼイは瞠目する。


 ローゼは申し訳なさそうに話す。


『先ほどから、皆で魔法を使ってこじ開けようと思っていたのですが』

「そうだったの」


 リンゼイは筋肉妖精達を下がるように命じ、ジロリと大広間を睨み上げた。

 何を思ったのか、長い脚を挙げて、扉をガツンと蹴り上げる。

 しかし、扉は開かない。


「リンゼイ。それは魔法だ。力技でどうにかできるものではないよ」

「わかっているわよ」


 腹が立ったので蹴ったのだとリンゼイは主張する。本気で壊して開けようとしていたわけではないとも。


「怪しいな」

「本命はこっちだから」


 リンゼイが魔法使いの外套のポケットから取り出したのは、手の平サイズの玉。


「それはまさか――」

「母上の竜の竜玉」


 リンゼイは竜玉を扉へ打ち付ける。

 すると――。


 ◇◇◇


 大広間の中では、魔剣を床に落としたクレメンテと、マリアが睨み合っていた。


「大英雄、腑抜けになったな。望むものを手にするには、なんでもすると思っていたが」

「それでは、リンゼイさん、ウィオレケさんが、共に幸せになれないので」


 誰かの屍を踏み越えて得る幸せなど、本当の幸せではないと言う。


「そもそも、ここまでの道のりは私の我儘だったのです。ひと時でも、リンゼイさんと結婚生活を送れたことが奇跡だと……」

「だったら、君の中にある、リンゼイの記憶を消してもいいだろうか? リンゼイにも、同じ術式をかけるつもりだ」

「それは、それだけは」


 クレメンテは床に膝を突き、許し乞う。


「リンゼイさんとの思い出は、私の宝物です。それだけは、ご容赦していただけないでしょうか?」

「ダメだ。いつか、君の気が変わるかもしれないだろう? 連れ去られたら困る」


 リンゼイの記憶は消してもいい。けれど、クレメンテからリンゼイの記憶を奪うことはしないでくれと頭を下げた。


「すまない。私も娘が可愛い。君という脅威があっては、落ち着いて暮らせないのだ」

「そんな――」


 マリアは詠唱する。クレメンテから記憶を奪う魔法を。


 術式の締めの呪文を唱えようとしたその時――大きな物音が鳴る。


「――え?」

「なん……」


 対峙した二人は共に、驚きで目を見開いていた。


 次の瞬間には、ごふりとクレメンテが血を吐く。


「義兄上!!」

『わわっ、クレメンテ!!』


 突如として、マリアの背後より飛び出してきたのは、先ほどクレメンテが投げた地獄の番犬ケロベロスの生首。


 室内にあったものは消えてなくなっていたが、露台バルコニーに飛び出していった生首はそのままだったのだ。


 マリアの詠唱と共に漏れた魔力で僅かに力を回復させ、倒されたことで呪いの力を強めた地獄の番犬はクレメンテに牙を剥いた。


『ギュルルルルル!!』


 地獄の番犬はクレメンテの腹部に咬みつき、肉を引き千切った。

 時を同じくして、床から氷柱のように突き出た魔法が生首を貫く。ウィオレケの放った氷魔法だ。


 クレメンテは口から大量の血を吐いて、その場に倒れた。


「あ、義兄上!!」


 ウィオレケはクレメンテに駆け寄り、回復魔法をかける。しかし――。


「あれ、どうして? どうして、傷が、塞がらないんだ」


 何度回復魔法をかけても、腹部から噴き出る血は塞がらない。千切れた肉は、元に戻らなかった。

 ウィオレケは涙を流しながら、魔法をかけ続ける。


 ここで、ルクスは呆然としているマリアに声をかける。クレメンテを助けてくれと。

 しかし、彼女は回復魔法が得意ではなかった。


『こんなところで似た者母娘なんだ!』

「だが、夫は得意だ」


 マリアはモンドを閉じ込めていた水晶の魔法を解放した。

 意識はあったようで、モンドは周囲の状況を理解し、クレメンテへと駆け寄る。


「ウィオレケ、どきなさい」


 モンド・アイスコレッタは国内で一番回復魔法を得意とする。しかしそれも、クレメンテの傷を塞ぐことはなかった。


 じわじわと、地獄の番犬の毒が、クレメンテの生命を脅かす。


「ねえルクス、どうして?」

『クレメンテには、一切の魔法が効かないみたい』


 それが、『無敵』の属性であるとルクスは沈んだ声で説明する。いかなる魔法の力も、受け付けないのだ。

 メセトニア国には医者がいない。セレディンティア国に連れて帰っても、呪いを解呪できないので、意味がないだろう。

 ウィオレケは大粒の涙を流しながら、クレメンテに抱きつく。

 ここで、メルヴが一歩前に踏み出してきた。


『英雄サン、メルヴノ葉ッパ、食ベテ!!』


 メルヴは万能薬の効果がある葉を、引っこ抜こうとしていた。


『そ、そうだ、メルヴの薬草だったら、いけるかも!!』


 ハッとなったウィオレケは、メルヴの葉っぱを引っこ抜いた。


「義兄上、これを、食べてくれ! メルヴの葉っぱだ!」


 一口大に千切り、口元に持って行くが、ほとんど意識がなかった。唇すら動かない。

 モンドはメルヴの葉を傷口に当てた。だが、それだけでは効果はなかった。


「なるほど……直接口から取らないと、効果を発揮しないというわけですか」


 唯一、佇むマリアは、居心地悪そうにしていた。


 どうすればいいのか。

 窮地に立たされた一同のもとに、救世主が現れる。


 ドン! と大広間の扉が開いた。


 筋肉妖精達が大広間に押し寄せる。

 あとに続くのは、不機嫌な顔をしたリンゼイ。ゼルは困ったような笑みを浮かべつつ、妹の様子を見守っていた。否、遠巻きに見ているとも言える。


 リンゼイはずんずんと、大股で広間に入って来た。


『わっ、リンゼイ!』

「あ、姉上!」


 リンゼイは腰に手を当てて、母マリアをジロリと睨みつける。


「母上、どういうこと――」

「姉上、文句を言っている場合ではない!」

『クレメンテが、死にそうなんだよ~~』

「え?」


 血に濡れた床を見て、ぎょっとする。

 それから、慌てて駆け寄り、クレメンテの状況を確認した。


「なんで、回復魔法をかけないの?」

『クレメンテには効かないんだよ~』

「どうして?」

『魔法が効かない属性に変わってしまったの』

「そんな馬鹿な」


 しかし、父モンドが回復魔法をかけ、魔法陣が傷口を弾く様子を目の当たりにしたリンゼイは、信じがたいという表情になる。


『メルヴの葉っぱ――万能薬なら回復すると思うんだけど』


 しかし、それだけでは、地獄の番犬の呪いは解けない。


『呪いは、わたくし達におまかせを』


 筋肉妖精のローゼが、大魔法で呪いを解いてくれると言う。

 大魔法とは、人には再現不可能な奇跡の力である。

 クレメンテの『無敵』属性を無視して、効果があるはずだと話していた。


「ローゼ、お願い!」

『かしこまりました』


 ローゼ達は、クレメンテを取り囲んで、舞いを踊り始める。

 筋肉妖精達の美しき舞いに、モンドは我が目を疑っていた。


「こ、これが、大魔法?」

「父上、よかったですね。大魔法を目にする機会など、ないですよ」


 円を描くように踊る筋肉妖精達の姿に、モンドは白目を剥いていた。


 リンゼイはクレメンテの横にしゃがみ込む。クレメンテの口元に置かれたメルヴの万能薬を奪い取るように手に取ると、迷わずに口にした。何度か咀嚼して、クレメンテの頬を両手で掴むと、唇を近付ける。


『あ、その手があったか!!』


 リンゼイはメルヴの万能薬を、口移しでクレメンテに与えた。

 皆、動揺し、慌てていたので、その方法を思いつきもしなかったのだ。


 クレメンテの喉は、コクリと動く。

 同時に、筋肉妖精達の解呪の舞いは完成された。

 クレメンテはもう一度、血を吐いたが、その後の変化は驚くべきものであった。


 傷は瞬く間に塞がり、真っ青だったクレメンテの顔色も良くなる。


「義兄上!!」

『クレメンテ!!』


 何度か咳き込んだが、血を吐くことはなかった。

 ぎゅっと眉間に皺が寄り、睫毛もふるりと震える。覚醒は近いようだった。


 そんな中で、リンゼイは誰もが想像しなかった行動にでる。安堵の表情を浮かべることなく、厳しい表情でクレメンテの頬を叩きながら叫んだのだ。


「クレメンテ・スタン・ペギリスタイン、起きなさい!!」


 バンバンと、二回続けて打った。


「姉上、何をするんだ!」

『たぶん、気合いを入れているんだと思う』

「あ、姉上は馬鹿なのか!?」


 しかし、それがよかったのか、クレメンテはすぐに目を覚ます。

 リンゼイと目が合い、ぼそりと呟いた。


「私は、天国に、来られたのですね……ああ、リンゼイさんと同じ姿の神様だなんて、この先、信仰するしか……」


 クレメンテは幸せそうな笑みを浮かべながら呟いた。

 すかさず、ルクスがツッコミを入れる。


『いやいや、クレメンテ、まだ死んでない!!』


<< 前へ次へ >>目次  更新