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ルカ・サロネン・エスコラの活動報告 後編

 九年目

 意志の疎通が言葉で出来るようになれば、あいつ、ミルポロンのこともいろいろと理解出来るようになった。


 案外お喋りだということも発覚する。まあ、『お友達』の影響かもしれんが。

 ミルポロンは休みの日に狩りに行っているらしい。

 今日はずっとベルグホルムの家で飼っている猫の話をしていた。

 猫の毛並みは犬やトナカイとはまた違うものらしい。

 あまりにも嬉しそうに話すので、猫を飼いたいのかと聞いた。

 ミルポロンは首を振る。この辺りには大猫イルベスしか居ないと。

 都にでも行けば野良猫なんかが居るらしいが、この辺りでは人の手を借りないと生きていけないので、簡単に手に入る訳ではないと話す。

 少しだけ、がっかりとしているようにも見えた。

 そんな中で、ミルポロンは俺にお願いをしてくる。髪の毛が猫の毛のように柔らかそうだから、触らせてくれと。


 猫の毛と一緒にするなと怒ってしまったが、更にしゅんとしてしまったので、特別に触らせてやった。


 猫の毛より手触りがいいと、嬉しそうにしている。

 仕方がないから、時々だったら触ってもいいと言った。


 十年目

 兄夫婦に子供が生まれたからか、最近親父が俺にも結婚しろとうるさい。

 湖で釣ってきた魚を押し付けて港で売りながら嫁を探せと言ってくる。

 周囲の年の近い男共も続々と結婚していた。

 二十歳を過ぎても結婚願望などは浮かんでこなかった。


 今日も、口うるさい親父と結婚について喧嘩をしてしまう。

 別に、毎日獣を狩って来ているし、毛皮を売った金も全部家に入れていた。

 どこが不満なんだと怒りが込み上げて来る。

 子供だって、兄夫婦から三つ子が生まれた。うちは安泰なのだ。

 だが、親父はそうではないと言う。意味が分からない。

 最終的には母が間に入って仲裁してくれた。


 ミルポロンとの約束の時間になりそうだったので、父のことは母に任せて出かける。


 ミルポロンは城塞の出入口で大人しく待っていた。

 籠を持っていたので何かと聞けば、昼食を作って来たと言う。森の中で食べるつもりらしい。

 秋の森は葉が鮮やかな色に染まりつつある。

 あと数日もすれば、うっすらと雪が積もるような時季となるのだ。

 今日みたいにピクニック気分で行けるのも、残り僅かである。


 森の中では、兎と水鳥、猪を二頭狩った。

 小さな獲物は革袋に入れて、猪はソリに乗せてから川辺で休憩をする。

 持って来ていた食事は魚のパイに果実汁。ミルポロンが作ったものらしい。

 美味いと言えば、嬉しそうにしていた。


 それから、日が傾くまで話をする。


 ミルポロンが今日は元気がないと俺に言った。

 親父との喧嘩を引きずっているからだろう。

 どうしたのかとしつこく聞いてくるので、しようもないことで親父と喧嘩したことだけを伝えた。


 すると、突然手を差し出せというので、握りしめていたものを開いて示す。

 ミルポロンは指先で、くるくると俺の手の平になにかを書き始めた。

 一体何をと聞けば、『アラフニ・ニド』と呟く。蜘蛛の巣という意味らしい。


 ――蜘蛛が地道に巣を作っていくように、あなたの努力もいつかきっと成就をして、認めて貰えます。


 そういう願いが込められているまじないだと言っていた。

 その言葉が、じんわりと胸に沁み渡る。

 ミルポロンの話を聞いてから気が付く。本当は、親父に認めて欲しかったのだと。


 なんだか、泣きそうになってしまった。


 十一年目

 ミルポロンの親父は熊狩りの名人として有名であった。

 頼めば肉を分けてくれるという、見た目によらず優しい人物でもある。

 あの一家も、村に住み家を移してから周囲に溶け込んでいた。

 愛想が良いミルポロンの母親の手柄もあるのかもしれない。


 そんな中で、俺は少し前からこっそりと新しいことを始めていた。それは森に生息する熊狩りを行うことであった。

 まあ、当然ながら、成果はゼロ。

 木に引っかき傷があったり、毛の混じった熊の糞などがあったりしたが、遭遇には至っていない。


 どうやったら森の中で熊に出会えるのかと、苛立ちを募らせる。


 何故、熊なんか狙っているのかと言えば、ミルポロンに結婚を申し込む為だった。

 あの親父に認められなければ、結婚なんて出来ないだろう。


 きっと、立派な熊を持って行けば、親父も結婚を認めてくれるはず。

 そんな目論見があるので、隙を見ては熊狩りを行っていた。


 最近、村の男達がミルポロンと仲良くしたいのか、いろいろと聞いてくる。

 勿論、あいつの情報を提供することはしなかった。


 このままボケっとしていたら誰かに取られてしまう。

 だから、早く熊を狩らなければならない。


 空が薄暗くなってきた。

 そろそろ家に帰らなければならない。家族も心配をする。

 だけど、今日は珍しく追い風だった。

 森が、応援をしてくれているような、そんな気がしていた。


 がさがさと鳴り響く葉も、いつもと違う音に聞こえる。

 なにかが、居るのだ。


 あと少しだからと言い聞かせてから、先へと進む。


 すると、遠くからきらりと何かが光って見えた。


 その二つの光は、生の火を灯したものだった。


 獣の姿は、どんどんと浮き彫りになっていく。


 それは、白い熊だった。


 噂には聞いていたが、本当に居るなんてと、驚く。

 氷河などに住む普通の白熊とは違う、森の主とも言える不思議な存在であると一族の伝承にあった。


 白熊の肉を口にすれば、一族は繁栄するとも言われていた。

 あの白熊を仕留めれば、結婚を認めて貰える。


 熊も俺に気が付いたようだ。突如として、敵意を剥き出しにしながら、こちらへ駆けて来る。


 急いでライフルを構えた。

 熊の急所は頭・首・胸部。相手は四足歩行でこちらに向かって来ている。

 一発目、首元に向って撃つ。

 熊は寸前で体を捻り、弾を回避した。

 急いで空薬莢を銃の外に排出させてから、再び構える。

 残りの弾は四発。それまでにどうにか勝負をつけなければならない。


 白い熊は咆哮を上げながら駆けて来る。

 恐ろしくて、指先が震えた。

 二発目。

 足元に当たるが、走る速さを多少削ぐだけだった。致命傷には程遠い。


 眼前に、熊の姿が迫る。

 とても大きな個体だった。全身に、汗が噴き出るのを感じる。


 逃げれば確実に追い詰められて殺される。この場で仕留めるしか生き抜く術は無い。


 三発目、弾は頭に当たった。

 だが、熊の動きは止まらない。

 熊の体は厚い脂肪がほとんどである。弾が急所に命中しても、すぐに動きを止めることはないと、ベルグホルムのじーさんが話していたことを思い出す。


 だから、熊狩りは危険だからしないように、とも。


 俺は馬鹿なのだろう。

 女と結婚をする為にこんなことをしているなんて。


 目を閉じて、自分を落ち着かせる。


 何故か、浮かんできたのは蜘蛛の巣であった。


 ――蜘蛛が地道に巣を作っていくように、努力は成就するし、認めて貰える。


 その言葉を思い出せば、驚くほど冷静になれた。

 もう、なにも怖くはない。


 瞼を開けば、二本脚で立った熊が鋭い爪を振り上げているところであった。

 急所である胸元が剥き出しになっていたので、思わずにやりと口元が歪む。

 最後の銃弾を胸に向って二発、撃ちこんだ。

 熊の体はびくりと大きく震える。


 着弾を確認したその刹那、大きな衝撃に襲われた。


 景色は暗転する。


 ◇◆◇


 誰かのぐずっている声で目を覚ます。

 手を強く握られていたからか、指先が鬱血していてちょっと痛いと思った。

 瞼を開けば、自宅の天井が見えた。

 隣に居たのはミルポロンだった。泣きじゃくっていたのか、瞼を真っ赤に腫らしていて酷い顔である。


 何で泣いているんだと声を掛ければ、驚いた顔で見下ろしてくれる。

 それから、わっと大きな声で泣き始めた。

 意味が分からない。


 大きな泣き声を聞いて誰かが入って来る。

 うちの父と母と、ミルポロンの両親だった。


 母が駆け寄って来る。「逝かないで」と言いながら。


 いや、生きているから!!


 どうやら、お亡くなりになったと勘違いをされてしまったらしい。


 話を聞けば、俺は大きな白熊の下敷きになっていて、家に運ばれてから三日間も意識不明の状態で居たとか。

 ミルポロンの親父さんが発見してくれたらしい。

 俺を連れて帰った後で、熊もきっちり回収してくれたと言う。さすがとしか言いようがない。


 その後、熊に会う為に森を散策していたことを正直に告げれば、父親に殴られた。

 親不孝者とも罵られる。

 父も母も泣いていた。

 本当に、馬鹿ことをしたと、地面に頭を付けて謝罪した。

 父親はこれから好きにしろ、もう何も言わないし知らないと言い捨てて部屋を出て行った。母親は生きていて良かったと言ってくれる。あと、父のことは任せてくれとも。


 父の反応は最悪の一言だったが、誰にも認めて貰えなくても、自分の中は達成感で満たされていた。

 二度としようとは思わないが。


 ミルポロンは先ほどからくっついて離れない。

 親の前で恥ずかしだろうと体を押しても、びくともしなかった。


 ミルポロンの両親は、静かな目で俺達を見ていた。

 俺は、勇気を出してミルポロンと結婚したいと告げる。


 言葉は通じていないのに、親父さんはコクリと頷いてくれた。

 隣に居た彼女の母親は嬉しそうに微笑んでいる。


 分かっているのかとミルポロンに聞けば、頬を染めて「多分」と言っていた。


 こうして、俺達の結婚は認められることになった。


 十二年目

 なんとか、いろいろなことを経て、ミルポロンと結婚出来ることになった。

 父はあっさりと結婚を許してくれる。母親も喜んでくれた。

 今日は祝賀会を行う日である。

 親父さんが、俺に革袋に入ったなにかを渡してくる。

 それは、親父さんがいつも被っている白熊の毛皮だった。

 俺に贈ってくれると、仕草で示してくれた。

 これを、宴席で着用するようにと言いたいのだろうか。

 長年使いこんだ品だが、ぴかぴかと輝く美しい毛並みをしている。

 本当に貰っていいものかと思ったが、早く身に付けろという言わんばかりの仕草をするので、ありがたく頂くことにした。


 白熊の毛皮を被って宴会に参加をする。


 案内された席に行けば、参加者全員が獣の皮を被って来たので驚くことになった。

 ミルポロンは俺が狩って来た白熊の毛皮を被っていた。なんだか照れてしまう。

 どこからか「よっ、白熊夫婦!」とはやし立てる声が聞こえた。

 ちゃちゃを入れたのは、領主だった。

 領主は嫁とお揃いの灰色狼の毛皮を被っていた。子供まで狼の毛皮を被っている。

 皆、一体どこから毛皮を調達したのだろうか?

 ありえない光景に、おかしくなって噴き出してしまう。

 ミルポロンは友人を指先で示す。

 アイナとその旦那は大猫イルベスの毛皮を被っていた。多分、別の毛皮から手作りをしたものだろう。器用だと感心してしまう。


 隣を見れば、ミルポロンは嬉しそうにしていた。


 こんなに素晴らしい日は他にないだろうと、そんな風に思えるような日の記憶である。


 ◇◆◇


 数年後


 ――ランゴ家の朝は早い。


 毎朝、優しい妻が起こして……くれるわけではない。


――ヒッ!?


 俺の体を激しく揺さぶりながら起こしてくれたのは、妻の父、テオポロン・ポヌ・ランゴ。

 何故か一年中上半身裸という、訳の分からん親父だ。


 目を開けば狩りに行くぞとばかりに槍を示してくる。

 結婚当初は刃物を持った義父が枕元に立っていたという状況に何度も叫んでしまった。

 結婚をして何年も経てば慣れてしまうというわけで。


 義父は玄関に掛けていた熊の毛皮をバサリと音を立てながら羽織る。最近狩った茶色い熊の毛皮で作ったものである。俺は隣にある毛皮の外套を纏った。

 ブーツを履いている間、義父は静かに靴ひもを締める俺の姿を優しい目で見守っている。

 そんな義父は一年中裸足だ。しもやけにもなったことがないらしい。本当にどういう体の構造をしているのかと気になってしまった。


 出て行く時は一緒だが、森の進む方向は別だ。

 義父は槍を使って猟を行い、俺は銃を使って猟を行う。

 獲物を仕留める方法が違うので、仕方がないということもあった。が、理由はそれだけではない。義父は、熊ばかりを狙って猟を行う。

 一緒について行って怖い思いをしたのは一度や二度ではない。熊猟は危険だが、義父は一切恐れておらず、槍一本で仕留めてしまうのだ。


 犬と一緒に雪深い森の中へと入る。


 朝食の時間までウサギを一羽、ライチョウを二羽仕留めた。

 家に帰れば義父が大きな猪を仕留めて来て、すでに解体を終えていた。


 超人的な狩猟の技術を持つ義父と競うつもりはない。

 だが、悔しい気分になるのはいつものことで。


 仕留めた獲物を熟成させる為に桶に入れて物置小屋まで運ぼうとすれば、勢いよく義母が家の中から飛び出して来た。


 「タイヘン!」だと言いながら、俺の袖を引いて家の中へと連れて行こうとする。

 義母はここの言葉を覚えようと頑張ってくれたが、妻と同じくらいまで上達することが無かった。片言で、なにを言いたいのか分からない時の方が多い。

 とりあえず落ち着いてと言ってから、何が大変だと聞いた。

 息を整えた義母は「赤チャ、ウマレソ」と言う。


 それを聞いた義父が槍を放り投げて、即座に家の中に駆け込んだので、自分は医師の元へと走った。


 診察時間前であったが遠慮せずに戸を叩く。

 顔を出した医師は、朝から酒臭かった。最悪だ。


 目を擦りながら医師は顔を出す。暢気な様子で「ど~かしましたか。ポロンさん家のお婿さん」なんて聞いてきた。


 誰がポロン家の婿だ! 家の名前はランゴだ!


 正しい家名を伝えれば、今度は俺のことを「ルカポロン」なんて呼んでくれる。

 俺にポロンは付かねえから!! そんな文句を言い掛けて、それどころではなかったことに気付いた。


 子供が産まれそうだと言って医者に準備をするように頼んで急いで家に来るように急かした。

 それから出産の手伝いをしてくれると約束していたおばさん達にも声を掛ける。


 俺の奮闘のおかげ、ではなくて、妻の頑張りのお陰で元気な子供が生まれた。


 取り巻きが居なくなった後で、頑張ったなと労いの言葉を掛ける。

 妻はどうしてか俺に「ありがとう」と言ってきた。


 なんで俺にお礼を言うのかと聞けば、嬉しいからだと答える。何とも言えない気持ちがこみ上げてきて、妻の手をぎゅっと握りしめた。


 まさか、子供のころの自分は、将来こうやって夫婦となったミルポロンと子供の誕生を喜びながら、手と手を取る日が来るとは思っても居なかった。


 ――ありがとう、ミルポロン。俺も、嬉しいから、言うよ。


 ようやく、自分が素直になれた瞬間でもあった。


 ◇◆◇


 翌日、訪ねてきた領主様に義父はあるお願いをしていた。


 産まれてきた赤子の名前を付けて欲しいと。


 領主はこっそり俺に聞いて来る。


 「ねえ、ルカ。俺が本当に決めていいの?」と。別に、義父さんがそう言うのなら構わないと言った。


 どうして男同士で耳打ちしつつ内緒話をしなければならないのかと、いつまでも若い外見をしている化け物みたいな領主の体を押しながら答える。


 化け物領主は「やっぱり、○○ポロンみたいな名前がいいのかな?」と聞いてきた。


 知らん!! 普通に考えろ!!


 後日、領主は産まれてきた子供にミーシュカ、という名前を贈ってくれた。

 どこかの国の言葉で小熊という意味らしい。


 家族はとてもいい名前だと喜んでいる。

 個人的にはポロンがついてなくて良かったと思ってしまった。


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