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妖精の村で 前編

ジークの父視点

 リツハルド君から村に遊びに来ないかという手紙を貰ったのは、彼がここで過ごした日々から一年後の話だった。


 遊びに行くのはオーロラの時期にと思っていたが、冬は村の近くにあるという港の海が凍って閉鎖されてしまうらしく、そりで五時間掛かる道のりを来るのは大変なので豊かな夏を楽しんで欲しいと手紙には書かれていた。


 確かにこの年になれば寒さが身に沁みる。ここはリツハルド君の言う通りに、比較的気温が穏やかな夏の時季にお邪魔することに決めた。


 妻に行かないかと聞いてみたが、夫婦揃って領地を空ける訳にはいかないと言われてお断りをされてしまった。そのことをリューネブルグさん、リツハルド君のお祖父さんに話せば、「だったら一緒に行こうではないか」という話になる。


 牧場は人を雇い、仕事も前倒しで終わらせてから旅立つ事となった。


 異国の村までは船で二日ほど。その間はリューネブルグさんと酒盛りをして過ごすという有意義な時間を過ごさせて貰った。


 こうやって旅行をしてみれば、口うるさい妻が居なくて正解だったのかもしれない。

 だらしなく酒を飲んでは寝ての繰り返しという、貴族らしからぬ生活もなかなか楽しかった。普段は毎日仕事をしているし、たまにはゆっくり過ごすのもいいだろう。


 港へ到着をすればリツハルド君が出迎えてくれた。


「お久しぶりです、お義父さん、お祖父さん」

「ああ、久しぶりだね」


 両手を広げて迎えてくれたので、抱擁を交わしてしまう。実の娘や息子ともこういうことをしたことはなかったのにと不思議な気分となる。義息は相変わらず人懐っこい子だ。


「お祖父さんも!」

「断る!」


 リューネブルグさんは「三十にもなる男の抱擁を受けても嬉しくともなんともない!」と言って顔を背けていた。こちらも相変わらず素直な御方ではない。


 村へは馬車で行くようだ。


 予約していた馬車に乗り込み、港町から出発していく。


 馬車の中では近況を語り合った。

 リューネブルグさんは、最近は慈善事業に力を入れているらしい。


「お義父さんは?」

「私は、最近アルパカの飼育を始めてね」

「あ、俺、前にそちらのお国でアルパカのコート買いました。ふわふわで暖かくて着心地が良いんですよねえ」

「そうそう! 妻もすっかりお気に入りで。冬に着るのを楽しみにしているよ」


 ここに来る前に初めての毛刈りを済ませてきた。生まれてすぐの年の毛は最高級品といわれている。さっそく孫娘二人と妻の冬用の帽子を作った。


「あ、そうだ。お祖父さん、お父さんは?」

「逃げないように屋敷に閉じ込めているから安心しろ」


 リツハルド君のお父さんは研究者で、現在は学会で発表する為に追い込み作業に入っていると言っていた。

 放浪癖があるというので、しっかりと侯爵家の方々が監視をしているという。


 そんな話をしながら、一時間ほどで村に到着をした。


 まず最初に目に飛び込んできたのは豊かな緑の森。祖国の暗い森とは違い、明るい雰囲気のある、童話に出る妖精が棲んでいそうな、幻想的な光景が広がっていた。空気も美味しく感じる。


 森の次に驚いたのは、村の周囲をぐるりと取り囲む巨大な要塞。三世紀ほど前に害獣除けに作ったものだとか。


 中も石造りのしっかりしたものだった。この要塞維持費に村の予算のほとんどは持って行かれると、リツハルド君は困ったように笑う。


 村の中にもびっくりするような存在ものがあった。


 外で遊ぶ子供、仕事をする若い娘さん、井戸の周辺で集まる奥様方、その全員が白髪に青い目を持ち、浮世離れをした美しい容姿をしているという。


 ここは妖精の村なのだと、感動で言葉を失ってしまった。


「リツハルド君、ここは、すごい所だ。まさしく妖精の村だよ」


 妖精好きのエーデルガルドとアーデルトラウトも連れて来たら喜びそうだ。もう少し大きくなってから連れて来てあげようと、心に誓う。


 村からしばらく歩けば、リツハルド君のお屋敷へと到着をした。


 敷地内には沢山の小屋がある。

 狩った獲物を保存する部屋に、毛皮を保管する小屋など、自給自足をする為の道具が収められた施設は

充実しているみたいだ。


 玄関先へと到着をすれば、リツハルド君が家人に声を掛ける。


「ジーク、母さん、アルノー、お義父さんとお祖父さんが来たよーー!」


 そんな風に叫べば、お屋敷の中からジークが出てきた。


「ああ、お久しぶりです、ようこそお出で下さいました、お義祖父様。父上も」


 数ヵ月振りに会ったジークは変わらない元気な姿を見せていた。


「あらあら、リンデちゃんのお父様にお義父様」


 後から出て来たリツハルド君のお母さんも元気そうだ。


 一歳になったアルノーはお母さんと手を繋ぎ、よちよち歩きで来てくれた。


「おおお!! アルノー!!」


 そんな可愛らしい姿に一番に食いついたのはリューネブルグさん。「大きくなったな!」と言って満面の笑みでひ孫を抱きに走る。


「歩けるようになったか! なんという勇敢な姿! さすがは我がひ孫!」


 リューネブルグさんはアルノーにデレデレのようだ。その様子を見ていると微笑ましい気分になる。


「お祖父さん、お義父さんにもアルノーを見せてあげて」

「あ、ああ、すまなかった!」


 大人しく抱かれるがままだったアルノーをリューネブルグさんは私に見せてくれた。ただし、しっかりと離さずに、腕の中に収めたまま。


「やあアルノー、大きくなったね」


 一年振りの再開となった孫は健やかに成長をしていたようだ。頭を撫でれば、目を細めて大人びた笑みを浮かべている。そういえば、うちの子供たちは揃ってこんな風にニヒルな笑い顔を見せていたな、と懐かしくなってしまった。

 最近は少しお喋りが出来るようになったようで、拙い言葉で話し掛けてくれるのが可愛い。一年振りの孫を堪能させて貰った。


 屋敷の中にどうぞとリツハルド君のお母さんが勧めてくれたので、お言葉に甘えようとしていれば、背後から何者かの気配を感じて振り返る。


 それは、思った以上に近くに接近して来ていた。背後を取られたのは初めてだったので、額に汗が浮かぶ。


「――う、うわ、熊が!!」


 そこには、熊を担いだ白熊の姿があった。


 否、よくよく見てみれば白熊ではなく、白熊の毛皮を被った大男である。


「あ、テオポロン、どうしたの?」


 リツハルド君が白熊男に駆け寄る。

 上半身裸で熊の毛皮を被っている男は、その太い腕で狩りを行い、私達客人の為に歓迎の意を込めた獲物を届けてくれたらしい。


 テオポロンという異国の狩猟民族だという熊の毛皮を纏った男の話は聞いていたが、実際に目の前にしてみればその大きな体と見事な白い毛皮に驚きを隠せない状態となっていた。


 言葉は通じないと分かっていたが、一応名前を名乗り、手を差し出す。が、相手はこちらが差し出した手を握らずに、胸を拳でトントンと打っていた。


「なるほど。それがテオポロン殿の挨拶なのか」


 礼儀に習って自分も拳で胸を打てば、テオポロン殿は口の端をぐっと上げて凛々しくも円満具足な表情を見せてくれる。

 なんとなく、彼とは言葉が通じなくてもいい酒が飲めそうだと思ってしまった。


 ◇◇◇


 いつまで経っても日が暮れないなと思っていたら、今の時季は白夜という一日中太陽が沈まないという不思議な期間らしい。時計をみれば夜と言ってもいい時間だったので、明るいままの外の風景を見ながら、なんとも不思議な気分となる。


「村のみんなは夏の時季を楽しみにしているんですよ」


 冬になれば白夜とは正反対の季節、一日中太陽が昇らない極夜という期間が訪れるという。その間は狩猟も出来ないし、基本的には家の中に引き籠ることになるらしい。薄暗い中での一人暮らしは気が滅入っていたと、リツハルド君は話していた。


 なんだか一人ぼっちだったリツハルド君を想像したら可哀そうに思ってしまい、目頭が熱くなってしまう。

 そういう状態になっていたのは私だけではなかったようで、リューネブルグさんも潤んだ目がバレないように顔を背けていた。


「でも、今は家族が居るので極夜も楽しいです」

「そうか、それは良かった」


 ジークとリツハルド君の奇跡的な出会いに、心から感謝をする事となった。


 夕食が終われば国から持ってきたお土産を広げる時間となる。


 アルノーには絵本と仔アルパカで作った耳あてを。お母さんとジークには化粧水、リツハルド君には台所製品を作っている会社が作った、主婦の間で良く切れると評判の包丁を買って来た。


 リューネブルグさんはアルノーに小熊の姿を模した服を特注で作って持ってきたようで、どうだと言わんばかりの表情で渡していた。


「ま、まあ、今は夏だから、着るのは冬だな」

「あ、でも、夜は冷えるから着せてみますか?」

「!」


 なんとなく、着ている姿が見たくて堪らないのだろうな、ということを察したリツハルド君がアルノーに貰ったばかりの小熊を着せていた。


 小熊の服をそつなく着こなしたアルノーを見て、リューネブルグさんは深く頷きながら「素質がある」と言う謎の言葉を呟いていた。


 その後は遊戯盤を囲んだり、リツハルド君の作った酒を試飲したりと楽しい時間を過ごす。


 このようにして、愉快な異国での夜は更けていった。


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