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追加話 豚さんと!

 本日は義父とハム作りを行う。


「今から作るのはキュアード・ハムと言ってね、燻製しないで食べるものなんだよ」

「へえ~」


 普通のハムと違って燻製しないハム、通称生ハムと呼ばれるものは非加熱で作るもので、保存出来る期間は三年間程だという。普通のハムとは違い、しっとりとしていて味わいも豊か、とろけるような美味しさは癖になると義父は語る。


 使うものは豚の骨付きモモ肉。牧場から連れて来て解体し、熟成させる前のものを使うらしい。

 しかも、この豚は特別な豚だという。


「これは、乳清ホエーを混ぜた餌を食べさせて育てた豚だ」


 チーズを作る時に出来る乳清ホエーには様々な栄養分が含まれており、それがお肉にも反映されるという。それから生ハム作りには生後一年未満の豚を使うらしい。


「工程に熟成も含まれているから、出来れば三日以内に捌いた新鮮な肉がいいね」


 モモ肉には血抜きの為に塩を擦り込んでしばらくの間冷えた場所に放置する。

 血抜きが終われば綺麗に水で塩を洗い落し、再び塩を擦り込んで今度は一日置いておく。


 次に作るのは塩漬けピックル液。これに漬け込むことによってハムの味わいが豊かになり、長期保存も可能となるという。

 ピックル液の材料は数種類の香辛料に木の実、塩、廃糖蜜モラセスシュガー、硝石、水に麦酒。鍋の中に水と麦酒を三対一で入れて、枝付きの葉を乾燥させただけの香辛料は紐で結んでから中へ投入。細かい粉末状のものは煮沸消毒をした布に包んでから加える。少しだけふつふつと沸騰しだしたら、それ以外の材料をざらっと入れるように指示された。

 しばらく煮込んだら火を消して、完全に冷めるまで待つ。鍋の中が冷えたら濾して液体だけの状態にした。

 出来上がったピックル液は大きな壺の中へ。そこに塩を綺麗に落した豚もも肉を入れて半月から一か月程涼しい場所で保管をする。気温によって途中でピックル液が駄目になっている場合もあるので、一日に一回は確認を忘れないようにと指導を受けた。


 ピックル液に漬け終えれば、風通しの良い場所に持って行って吊るす。二、三日風に吹かせていたら表面も乾燥するらしい。


 だが、まだここで終わりでは無い。

 乾燥させた時点で加工をすれば食べることも可能だが、長期保管をさせておくにはまだまだひと手間掛けるという。


「豚肉の切断面に小麦粉と塩、水を混ぜ合わせたもので塞ぐんだ」


 この工程をすれば更に肉の風味が増すという。


「まあ、時間はかかるが生ハム作りは極めて簡単だ。だが、監視をおろそかにすれば、異臭に気がつかなかったりする」


 生ハム作りの最中にはいつでもハムの良い香りが漂っているので、その状態を維持しろと義父は教えてくれた。


 そして、義父は生ハムの保管庫の奥から赤子を抱くような姿でハムの塊を持ってくる。


「お義父さん、それは!?」

「三年物の、生ハムだ」

「わあお!」


 生ハムは半年から一年寝かせてから食べると言われている。だが、その中でも三年以上寝かせたものは滅多に出回らない高級品として取引されていた。


 そんな至高のハムをお義父さんは今から食べようと言う。


 ナイフで薄く切り分けた生ハムを一枚手の平に置いてくれた。

 熟成に熟成を重ねたハムは室温にさらされたからか、白い部分にじわりと脂が浮かんでくる。脂が滴るようなハムを口の中へ。

 ハムに秘められていた肉の旨味がぎゅっと濃縮されて、ほどよい塩味と香草の風味が舌の上を楽しませていたかと思えば、すぐに溶けて無くなってしまった。一瞬の出来事である。


「これは凄い、美味しい!」

「そうだろう」


 義父の牧場手伝いを始めて何回交わしたか分からない会話をしてしまう。

 どんどんと手の平に生ハムを乗せて来るので、餌付けされている犬のような気持ちになりつつも、美味しすぎて止まらない状態となっていた。


「お、お義父さん、大切なハムが無くなってしまいます」

「気にするな。どうせ刃を入れたらそんなに長くは保たないから」


 なんという素晴らしく寛大な御方。

 ああ、ここの家の子供になりたい。お義父さんと一緒に牧場が出来たらどんなに幸せなのか。


 だけど、ジークが辺境の村に帰りたいというので仕方がない。それに両親の様子も心配だった。


「そういえば」

「はい?」

「今日はジーク達に付き合う日だろう」

「そうでした」


 この後お義母さんのお友達が遊びに来るというお茶会に招待をされていた。

 慌てて準備をする為に帰る事となる。


 ◇◇◇


 とりあえずお風呂に入ってから、異国的なお洒落服に着替え、丁寧に髪を梳いていればジークが部屋にやって来る。


「あ、ジーク!」


 扉を閉めようとしているジークに駆け寄ってから体を支える。


 お腹の子もずいぶんと大きくなった。歩くのも大変そうだが、先日、あまり過保護にするなと義母からこってりと叱られた。誰も見ていない時くらいはいいかなと思って、ついついジークを甘やかしてしまう。


「平気?」

「ああ、心配するな」


 今思えば、病院が近くにある所で出産を決めたことは良かったと安堵するばかりだ。村の女性たちが協力してくれるだろうが、なにかあった時に頼りになるのはやっぱりお医者さんだ。初産は色々と不安なので、安心することが出来る。


「名前はどうしようか?」

「まだ、男と女、どちらが生まれるか分からないからな」

「そうだね」


 祖父もひ孫が生まれるのを楽しみにしていて、頻繁に遊びに来ていた。


「またお祖父さん、来るって。昨日、手紙が」

「そうか」


 先日の訪問では羊祭りを行った。祭りと言っても庭で羊肉を焼いて食べるだけというものであったが、ヴァッティン家の方々と共に大層盛り上がった。


「そうだ、リツ」

「はい?」

「子供の名前はお義祖父様に決めて貰おうか」

「ああ、いいね」


 そんな訳で、第一子の名前は祖父にお願いをすることにした。


 その後は義母主催のお茶会へ参加をする。

 ここでは大人しく口数の少ない異国人であれとご指導が入っている。この国で『辺境の雪男』という恥ずかしい呼び名が付いているので、撤回させる為の作戦だという。


「まあ、不思議な髪色ね。それに綺麗な目をしているわ」


 義母と同年代の奥様方に囲まれて、愛想良く、薄ら笑いを浮かべる自分。なかなか己を押し殺しつつ在るのは難しいことでは、と思っていたが、それは杞憂に終わった。

 なぜかと言えば、お茶会では常に聞き役に徹しているからだ。


「それで、大変な事態になって!」


 ジークと二人で奥様方の話を聞くだけの簡単なお仕事をしながら、のんびりとした時間を過ごす。たまに手作りのお菓子を出せば、男が料理をするなど珍しいと褒められたりもした。


「うちの人ったら競馬と狩猟ばっかり。面白くないったら」

「お菓子作りが趣味なら一緒に楽しめるのに、ねえ」

「ジークリンデさんが羨ましいわあ」


 日々、なんとか面目を潰さないように頑張っている。義母も、なんとか自分の汚名を晴らそうと、色々手を回してくれているようだった。


 なにもかもが終わった夜は気を張らずに落ち着くことが出来る唯一の時間。


「御婦人方の相手は疲れただろう?」

「いやいや、とんでもないことでございます」


 そんなことを言えば、ジークはふっと噴き出すように笑っていた。


 なんとなく、意味も無しにジークの手を取って、指先に口づけを落とす。


 それから頬に掛っている髪をかき上げてから耳に乗せ、露わになった頬に指先を這わせた。ジークはされるがままで、上瞼の線をそっとなぞれば、灰色の目は閉ざされる。


 どうぞお好きになさって、という状態になっても、ジークに負担が掛かるのでじゃれつくことは出来ない。


「ジーク、好きだよ」


 なので、とりあえず気が済むまで耳元で愛を囁くだけにしておいた。


 そんな感じで異国の暮らしは続いていく。

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