おまけ 番外編後日談
自分の部屋は父親に占領されていたようで、いつの間にか本だらけになっていた。寝台の上にも本が積み上がっているのだから、呆れたものである。
ふと、その中に色褪せて草臥れた本を発見する。それは、とある冒険家の手記のようなものだった。
その冒険者は様々な場所に行き、異国人との交流を深めていた。中でも興味を惹き付けられたのは『イニュイ』という、自分達と同じ極寒の地に住む狩猟民族の暮らしだった。
彼らの暮らす地域はこの村と同じ北極圏にあったが、ここよりも寒さが厳しい地域だと記されている。
狩る対象は氷の下に生息をする生き物。
イニュイ達の主な食料とされる
他にも、
文化についてはここと同じようなものもあれば、違うものもある。子供が宝物なのはどこでも同じらしい。
一番驚いた事は貞操観念について。
彼らは狩猟に長い期間を掛ける為、出かける際は自分の子供や妻を他の男に託してから出掛けるという。そして、狩りに行った夫が帰らぬ人となれば、妻や子供はそのまま男のものとなるという訳だ。確かに狩猟は命がけという面もあるが、そのような風習があるとは信じがたい話でもある。
それだけでも驚きなのに、狩りから帰って来た夫を妊娠した妻が迎える、という事も珍しくないという。父親は預けた男だが、別に気にするべきことではないらしい。子供は一族共通の財産であるという認識からそのような考えを持っているとのこと。
「って話を読んでね」
「この村よりも寒さが厳しい地域があるとはな」
「そう。もうびっくり」
夕食前の時間に『イニュイ』族の話をしながらジークと過ごす。
膝の上に抱きかかえているアルノーはお乳を飲んで満足したのか、目をトロンとさせながらこちらを見上げていた。
「ジークもアルノーも絶対他人に渡したくないと思うけどねえ」
「まあ、色んな地域があるというわけだ」
「そうだけどさ」
「文化の違いを受け入れることは容易いことではないからな」
「ジークもそうだった?」
「いや、言われてみれば、私はそうでもなかったような」
色々と我慢をさせていたのでは、と思ったがそうでもないと言ってくれてホッとする。
そんなことを話しているうちに夕食が机に運ばれて来た。
「お待たせしました~」
母が食事の載った皿を次々と運んでくる。
ルルポロンが居ない日の夕食の支度は母の仕事となっていた。自分やジークが手伝おうとすれば「ここは任せて~」と言って追い出されてしまう。ルルポロン同様、料理に他人の手を出されたくないらしい。
アルノーをゆりかごの中に寝かせて、食卓に着いた。
母は異国で学んできた料理を作り、家族の反応を楽しんでいる。この村には無い調理法は村の女性達も興味があったようで、週に一度は異国の料理を教える会を開催していた。
本日の机の上に並ぶのは、初めて見る料理ばかり。母親は嬉しそうに説明を始める。
「今日は、羊飼いの野菜の取り合わせでしょう~」
羊飼いの野菜の取り合わせとは数種類の夏野菜を香草、豆油、胡椒、柑橘汁で作ったドレッシングで和えて食べるさっぱりとしたサラダだ。羊飼いが放牧地で食べていた事からそういう風に名づけられたらしい。
「それから~、田舎風赤豆のスープに、トナカイ肉とキノコの薄皮包み焼き!」
赤豆スープは素朴なお味。豆にほのかな甘みがあって美味しい。包み焼きは小麦粉を水で溶いて薄く焼いたものに香草で味付けされたトナカイとキノコを巻いてから更にパリパリになるまで焼き目を付けた一品。ナイフを入れたらさっと切り分けられる。どうやったらこのようにトナカイ肉が柔らかくなるのかと聞けば、ヨーグルトという家畜の乳を発酵させたものに漬け込んだだけだと言っていた。異国ではよく使われる下ごしらえの方法だとか。ヨーグルトはソースにも使われており、酸味があって肉に絡みながら味わいを深くするという。今までに食べた事のないあっさりしていて爽やかな風味のあるソースだ。
「母さん、これは?」
小瓶に入った黒いペーストをパンに塗り、頬張る。独特な風味があるものの、ぷちぷちとした食感があってなかなか美味しい。何を使って作ったものなのか気になったので、母に聞いてみた。
「それは大麻の
「!?」
飲み込んだ瞬間に聞いてしまい、思いも寄らぬ食材に噎せてしまう。
「リツ、それは大麻の葉や茎が材料ではなく、実を使っているものだ。毒性は無い」
「そ、そうなんだ。びっくりした!」
ジークの国で麻の実はパンなどに練り込んだりなど、身近な食材らしい。
「リッちゃん、美味しくなかった?」
「いや、美味しいけれど」
気を取り直して食事を再開させる。
食後の甘味はジークが森で摘んできたラズベリー。甘酸っぱくて美味しい。
香草茶は母が森で摘んで来たという手作りの品だったが、とんでもなく苦い。薬だと思って我慢して飲む。
「義母上、今日もとても美味しかったです」
「そう。良かったわ~。リンデちゃんの好みに合って嬉しい!」
母と一緒の生活を多少は心配をしていたが、どうやら問題は無かったようで。ジークとの仲も良好のようだ。
夕食後はアルノーをお風呂に入れる。
先にささっと自分の体を洗い、ジークに声を掛けて赤ちゃん用の小さなお風呂を持ってきて貰い、その後にアルノーを連れて来て貰う。
赤ちゃんを入れる湯船には丁度良い温度の湯で満たされていた。ミルポロンが用意してくれたという。
まずは膝の上にタオルを置き、その上にアルノーを受け取って寝かせる。髪の毛から洗い、体、手足と裏表綺麗に洗っていった。痒い所はありませんか~? と聞いたらキャッキャと笑う。最後に湯に浸からせれば幸せそうに目を細めて気持ち良さそうにしているので、こちらまで癒されてしまった。
体が温まったかな、と思った所でザバリと湯から上げる。タオルでしっかりと水分を拭い、浴室に置いて温かくしておいた産着を着せた。
「ほかほかの赤子、一丁上がりました!」
「ご苦労だった」
アルノーはジークが受け取り、そのまま母の手に渡って寝室に運ばれる。
浴室から外に出ればジークがタオルを手渡してくれた。
「ありがとう」
ジークと母は既に入浴済みだ。あとは眠るばかりである。
寝間着に着替えて部屋に戻る。
「あ、アルちゃん眠ったみたい」
「そっか」
寝転がっていたアルノーを寝かせる為に体をポンポンとしていた母は嬉しそうに言う。
母は夜もアルノーの世話をしたいと言ったが、お乳が出るわけではないので辞退して頂いた。昼間面倒を見て貰っているだけでもありがたいものである。
名残惜しそうにアルノーの寝台から離れ、おやすみと言って部屋に帰って行った。それから母と入れ変わるようにしてジークが入って来る。
ぐっすりと眠っている息子の顔を覗き、淡く微笑んでから布団の中へと潜り込んで来る。
ジークが寝転がった瞬間にコロコロと近くに移動してから、体を抱き寄せた。
「やっと二人きりになれたね」
「まあ、そうだな」
母親の前でベタベタする訳にもいかないので、ジークに触れられるのは夜だけとなってしまった。
でも、もう父親なのでいつまでもジークにデレデレしてはいけないと自分を戒めていたが、我慢をしていた方が夜になった時の嬉しさも倍増なので、これはこれでいいのかもしれない。
「アルノーね、もう少ししたら朝まで眠れるようになるって」
「そうか」
赤ちゃんにお乳をあげる回数は一日に十回以上。お腹が空いたら泣いてくれるので、とても分かりやすい。
授乳させる時間は昼夜問わずなので、母親はどうしても寝不足となってしまう。せめておむつ交換だけはしようと、アルノーが泣いたら自分も起きるようにしていた。
「赤ちゃんのお世話って本当に大変だね」
「だが、苦労以上に満たされる何かがある」
そう。子供は可愛いし、毎日の成長を見守ることは楽しくもある。
「あと四人は産めそうだ」
「またまた~」
近い将来、五人の子供に囲まれていることを、この時は夢にも思っていなかった。
人生とは何が起こるか分からないものである。