最終話 感謝を込めて
久々となった辺境の地はすっかり夏の風景となっていた。今頃村の女性達は必死になってベリー摘みをしているだろう。
二日間の長い旅だったが、問題もなく無事に終える事が出来た。
「ジーク、疲れたでしょう?」
「いや、平気だ」
「そっか、良かった」
うちの奥さんは相変わらず頼もしいことで。産まれたばかりの息子もお乳とおむつの御用以外はぐずりもせずにいい子だった。
息子、アルノーは腕の中で大人しくしていた。ぱちぱちと瞬く目付きは赤子だというのに鋭い。さすがは紅蓮の鷲の子供。産まれてから一週間ほど経って開かれた目の色は自分と同じ青。その青い目でこちらをじっと見上げていた。
「アルノー、村ではお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが待っているからね~」
孫を見た両親が一体どのような反応を示すかも楽しみの一つである。
馬車は村の要塞前に止まり、御者が扉を開いてくれた。
「荷物は先にお屋敷へ運んでおきますので」
「ありがとう」
金塊の入った鞄などは持ち運ぶことは困難なので、馬車に乗せて途中まで運んで貰うように頼んだ。ジークの祖国を出てから様々な世話をしてくれたのは、侯爵家から派遣されていた者なので信頼をしている。
アルノーを抱いた状態で要塞の中へと入った。
「あ、領主様!?」
受付をしていたのは比較的若い軍人の一人。その声につられたかのようにして、奥の部屋からぞろぞろと人が出て来る。
「うわあ、良かった、帰って来てくれたんですねえ!!」
「もう、どこにも行きませんよね!?」
「待っていましたよおお~~」
謎の歓迎を受け、ジークと顔を見合わせながら首を傾けた。
「ああ、お久振りですね」
はしゃぎ回る軍人達より少し遅れてアールトネン隊長がやって来る。
「うわあ、可愛いですねえ」
アールトネン隊長はアルノーを覗き込み、蕩けそうな笑顔を向けている。そして、ジークの顔をちらりと見てから真面目な顔で「女の子ですか?」と聞いてきた。
「いえ、男の子です。名前はアルノーと」
「あ、そうでしたか。いえ、伯爵夫人にそっくりだったので、つい」
アルノーはアールトネン隊長を励ますようにニヒルな微笑みを浮かべている。というか、この赤子らしからぬ笑顔はどうにかならないのかとジークに聞いてみるも、笑い方を教える術を知らないと、息子と同じような影のある笑顔を見せていた。
「そう言えば、村の様子は?」
「え!? ああ、まあ、はい。平和でした」
なんだろうか。この言葉に詰まったような報告は。
「あの、もしや、父がなにか?」
「いえ、領主様は、ご立派に務めを果たしておりました」
「本当に?」
「……ほ、本当、です」
隊長はこちらの顔を見ないまま、明後日の方向を向いた状態で報告をしてくれた。
「リツ、そろそろ行こう。長居をしては仕事の妨げとなってしまう」
「あ、そうだね」
そんなジークの言葉を聞いたアールトネン隊長は慌てた様子で「お茶でも飲んでいかれませんか?」と言ってくれたが、両親が待っているからと丁重にお断りをしてから要塞を抜けて村へと進む。
緑に囲まれた村に目を奪われていると、偶然傍を通りかかった第一村人と邂逅する。
「ああ!!」
「?」
自分と目が合った少年が「領主様が戻ったぞーー!!」という叫び声をあげた。
「えっ!?」
瞬く間に村人達に囲まれてしまい、ここでも大歓迎を受けてしまった。
取り囲む中にお年寄りも含まれている。アルノーの顔を嬉しそうに覗きこんでいた。
「領主様はずっとここで領主様をしますよね!?」
「領主様、帰って来て良かった~」
「早く領主様に戻って下さいね!」
子供が産まれた効果だろうか。それにしては喜び方も過剰な気がする。
「あの、父が、なにか粗相を?」
そんなことを問い掛ければ、周囲の人々の表情が一気に曇ってしまった。更にジークが「父君と母君が待っているので」と言えば取り囲んでいた人達は散り散りになって居なくなる。
一体どういうことかと気になったので、土産屋のおかみさんの所へ行って事情を窺うことにした。
◇◇◇
「わあ~ハル君、ジークリンデさん、お帰りなさ~い」
問題の父はのんびりした様子で庭先に生えていた植物の写生を行っていた。その声を聞いた母親も家の中から出て来る。
「まあ、お帰りなさい、リッちゃん、リンデちゃん~!」
母の言う「リンデちゃん」とは勿論ジークのこと。
父はアルノーを見て「すごく可愛い~」と言い、母は目を潤ませながら喜んでいた。
「父さん、どういうことか説明してくれる?」
「はい?」
植物の写生を止めてアルノーを描き始めようとしていた父を問い質す。とりあえず家に入ってという母の勧めを聞き入れ、居間に移動することにした。
「それで?」
ジークと父と自分の三人で話をする。アルノーは母に任せた。
「それで、じゃないよ。どうして勝手なことをしたの?」
頭を傾げる父。怒られている理由が分かっていないらしい。
土産屋のおかみさんから聞いて発覚したのは、父の独裁的な政治だった。
祖父のように精霊信仰の妨げをすることは無かったが、狩ってきた獲物をこと細かく申請するように命じたり、異国人を嫌う老人たちに厳しい態度で接したり、春の農業の参加を強制したり。
「でも、どれも間違ったことではないよ」
「……」
確かに、森の生き物の統計は必要だ。数の均衡が崩れてしまえば、絶滅してしまうという危機にも繋がる。けれど、村人たちはどの生き物が減っていて、どの生き物が増えている、ということを理解している。その年によって狩る獲物の調整は各自で行っていた。
老人については自由にさせておいた方がいい、というのは領主になった時に自分で決めたことだ。けれど、異国人嫌いの矯正は自分だけでなく、他の異国出身者やジークにとっても良い事なのかもしれない。しかしながら、あのように怯えさせる状態まで持ち込むことはやり過ぎだと思う。
納税代わりとしている農業への参加も強制はしていなかった。全ての家庭に働き盛りの男が居るという訳でもないというのが理由の一つである。
変化を嫌う村人が多い中、少しずつ変えていければいいかな、という考えの中で領主を行って来た。なのに、父は祖父のような村人の都合や気持ちを考えない行いをしていたという。
「まあ、ハル君は甘過ぎる所があったし、それに伴う問題も浮き彫りになったから良かったんじゃない?」
「そうかな?」
「そうだよ。それにさ、悪の領主が統治していた後は、お仕事もし易くなっているんじゃないかな?」
「!」
今まで口も聞いた事の無かった老人達が自分の帰郷を喜んでくれた。これはアルノーの力だけでは無いのかもしれない。
「父さん、まさか、それを狙って?」
「いや~、結果的にそうなっただけ~」
「……」
祖父から父は油断なら無い男だと聞いていたが、父はどこまでも変わらずにふわふわとした男だった。実は切れ者かも、と思ったことを後悔する。
◇◇◇
それから家族五人の穏やかな暮らしが続いていた。
自分は狩りに出かけ、ジークは家の仕事をする。父は研究に没頭するようになり、母は嬉しそうにアルノーの世話をしている。
それから一ヶ月が経ち、父に早く来いという催促の手紙が祖父より届いた。
あのぼんやりとしていて何を考えているのか分からない父までもアルノーが可愛いようで、離れたくないと言い出した。
しかしながら、それから半月後に屈強な侯爵家の使用人が来て、連れ去られるようにして家を出る事となった。
当然母も一緒だと思っていたのに、「アルちゃんのお世話をしなくてはいけないから~」と父に手を振って見送っていたのには驚いてしまう。
父も見た事の無いような悲惨たる表情をしながら旅立って行った。
そんな感じで四人暮らしとなったが、ゆったりとした穏やかな暮らしは変わることなく。
ジークと二人で昼食を済ませ、母親に食事を摂るように言ってから、アルノーを受け取った。
日当たりの良い窓際にジークと揃って座り、腕の中に居るアルノーの顔を覗きこむ。
毎日しっかりとお乳を飲んで、たくさん眠って、泣いて、と元気良く過ごしているアルノーはすっかりむっちりさんになっている。頬は美味しそうな位にふくふくと膨らんでいた。
手の平に指先を置けばぎゅっと握ってくれる。そこに込められた弱々しい力までもが愛おしい。
隣に座っているジークも、目を細めながらアルノーを眺めていた。
「ねえ」
「なんだ?」
「ありがとうって言葉って、どうすれば伝わるんだろうね」
何度礼を言っても気がすまなかった。この幸せな気持ちは言葉では表せない。
「リツが、毎回のようにしていたことがあっただろう?」
「ん?」
お礼をする時にしていたこと。はて、なにかあったか。
「なんだっけ?」
「……初めて、二人で野生のトナカイを狩った時、私が手製の腕輪を贈った時、それから結婚を承諾した時に……まだ分からないか?」
「あ、そうだ!」
嬉しすぎて興奮をした時はいつだって頬に口付けをしていたことを思い出す。
傍に居たジークの頬に唇を寄せて、それからアルノーの額にも最大限のありがとうを込めたキスを贈った。
じわりと温かな感情が心を満たす。
口付けを受けたアルノーが、またしてもニヒルな笑みを浮かべたので、ジークと二人で笑ってしまった。
◇◇◇
それから数年の間に、アルノーに続いて四人の子供が産まれた。
長男のアルノーは顔も性格もジークそっくりで素直で真面目な子に育つ。
長女のヴェロニカは母や父に似てのんびり屋。
次男のウルリヒは大人しい性格で読書が大好き。
次女のクリムヒルデはやんちゃで元気いっぱい。
三男のエレンフリートは甘えん坊でジークや母にべったりだ。
アルノーはジーク似の容姿だったが、後の四人は自分にそっくりだという。
気がつけば村一番の子宝に恵まれていた。
村もゆるやかな変化を遂げていたが、平和なことに変わりはなく。
異国人の永住者も増え、活気のある場所になっていた。
両親は相変わらずだったが、子供達も元気だし、奥さんも働き者だ。
自分は果報者だろうと、日々実感している。
そして、このように満たされた幸せな毎日は、尽きることなく続く事となった。
北欧貴族と猛禽妻の雪国狩り暮らし 番外編 完
参考資料
http://ncode.syosetu.com/n9073cj/2/