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第六十三話 ジークリンデの活動報告

 数ヶ月間、リツハルドと共に実家で暮らすと聞いたときは本当に嬉しかった。

 ここ一年、毎日のように働いていたし、ゆっくり過ごすのも悪くは無いだろうと、そんな風に思っていた。


 しかしながら、現実の生活は想像していたものよりも満たされるものではなかった。


 リツハルドは働き者で、一日中父の牧場の手伝いに出かけてしまい、あまりのんびりと過ごす暇もなく、あっという間に時間は流れていった。


 出来れば一緒に牧場に行って軽い作業だけでも手伝いたいと言っても母親が許してくれない。安定期に入るまでは屋敷で大人しくしているようにと言って、自由な行動を許さないという困った状態となっていた。


 別に私だって色々と身の上は弁えている。自分の勝手な行動がお腹の中の子供に悪影響を与えるかもしれない、というのも理解していた。

 一緒に出掛けてリツの働く様子を見ながら、ちょっとした作業をする位問題ないだろうと言っても母は首を振るばかりだった。


「雪も積もっているし、冷たい北風も吹いているから、風邪でも引いたら大変よ」

「……」


 辺境の地の寒さに比べたら、ここの冬なんて春の暖かな風のように思える。けれど、そんな事を言っても信じてもらえなかった。


 しかしながら、十回も出産を経験している人の提言なので、素直に聞くことにした。

 リツハルドがやって来てから一日目、二日目と一緒に出掛けたいと我儘を言っていたが、三日目からは大人しく家で過ごすようになった。


 もう一つの予想外な出来事と言えば、うちの家族がリツハルドを気に入ってしまったことである。


 父も休暇中で暇な兄達も、果ては姪までリツハルドは誑し込んで回っていた。

 中でも父は特別に気に入っている様子で、どうしてこうなってしまったのかと頭を抱えるばかりだった。


 リツハルドも言っていたが、家族が居れば誰が一番という訳にはいかない、という言葉を、身を以て体験してしまう。


 早く辺境の村に帰り、二人暮らしに戻りたいと願うが、お腹の子供に無理はさせられないので耐えるしかない。


 けれど、リツハルドと別れたこの一ヶ月間、物足りなさや寂しさを我慢していた。これから先は二年目の新婚生活をじっくりと味わえると、そんな風に思っていた。


 だが、現実は甘くはなく、いつも通りによく働くリツハルドの帰りを待つだけの日々となってしまった。


 こう不満ばかり述べているが、リツハルドは本当に凄いと思っている。普通の人は伴侶の実家なんかに行きたがらず、家族との交流も上手くいかないことが多いと聞く。


 不満なんか漏らしたらバチが当たってしまうだろう。


 夕刻。仕事から帰って来たリツハルドは父と今日一日にあった様子を楽しそうに語って聞かせてくれた。

 牧場仕事をしたがらない兄に代わって父の手伝いをしてくれることを嬉しく思う反面、これまでだったらリツの隣で働いていたのは自分だったなと、つまらない嫉妬心を父に抱いていた。


 同居を始めて二日目にあっさりと我慢の限界も訪れる。こうなったら無理矢理気を引くしかないのだろう、と。


 ◇◇◇


 朝、早く起床してから、ぐっすりと眠っているリツを起こさないようにして私室へと向かう。

 衣装を収納する専用の部屋には、ドレスがたくさん掛けられていた。侍女を呼び、どのような品がいいのか意見を聞きながら身につける品を決めていく。


「こちらの深緑の服はいかがでしょうか?」

「ああ、そうだな。それにしよう」


 侍女の選んだ色は、リツの好きな夏の森のような色をしていた。


 買い集めたドレスはどれも妊婦用のお腹周りを締め付けないような意匠のドレスで、首周りから胸元まで開いており、胸のすぐしたが絞られていて、そこから下はふんわりとした生地が肌に触れないようなスカートが広がっているというものだ。

 ドレスを着用すると、体が冷えないように肩と膝に小さな毛布のような布が掛けられる。


 そこから先は化粧の時間となった。無論、化粧を施してくれるのは侍女のお仕事。ほんのりと薄い化粧をしてくれた。


 胸元を飾るのは父が大昔……、十六の社交界に出るような年齢になった時に買ってくれた大粒のダイヤモンドがあしらわれた首飾り。流行から大いに遅れた品だが、残念ながら手持ちの装飾品はこれしかない。


 肩より少し長い髪の毛は、たくさんのピンを使って後頭部で纏められ、花細工の飾りのついたリボンで留められた。


「ジークリンデ様、お美しいですわ」

「ありがとう」


 鏡で姿を確認していると、背後に居た侍女や女中達がそのようなことを言って来る。


 時計を見れば、ちょうどリツハルドを起こすような時間帯となっていた。地面につきそうな程に長いドレスの裾を掴みながら、隣の部屋へと急いだ。


 ◇◇◇


 リツは寝台の上で体を縮め、丸くなって寝ていた。慣れない牧場の仕事で疲れていたのだろう。よく眠っていた。申し訳ないと思いつつも、大きな声で起こしてしまう。


「リツ、起きろ」

「……はい」


 相変わらず寝起きは悪い。声を掛けたらすぐに目を開くが、返事をした後は数回瞬きをしてから再び瞼を閉じてしまう。


 仕方が無いので片膝を寝台の上に付き、揺さ振って起こそうと接近をした。


「リツハルド!」

「!!」


 瞼をうっすら開いたリツハルドと視線が交わるや否や、目を見開いてからがばりと起き上がった。


「うわ、びっくりした!!」

「どうした?」

「なんだ、ジークか~。いやあ、女神様が天界からお迎えに来てくれたのかと思って驚いちゃった」

「……」


 一応、朝から着飾って来た効果はあったらしい。気を引く以前に目覚ましの役目しか果たさなかったが。


 リツは寝起きとは思えないテキパキとした動きで着替えを済ませ、顔を洗ってくると部屋を出て行ってしまう。昨日のように三つ編みをしたいと思っていたのに、昨日の夕方に編んでいた少しだけ乱れている三つ編みの状態で部屋を出て、綺麗に結った状態で帰って来た。


 リツは私のすぐ隣に腰掛けて、人懐っこい笑顔で覗き込んでくる。


「ジーク、今日はどこかに出かけるの?」

「いや、別に。リツは?」

「チーズ作りをするって」

「そうか」


 折角の着飾った姿も、鈍感なリツの気を引く事は出来なかった。


 しかしながら、昨日のように心配させる訳にもいかないので、しっかりと平静を保ちながら返事をする。


「でも、良かった」

「なにが?」


 リツハルドは私の手の甲を指先で撫でた後に、爪先をやさしく掴んで唇に寄せている。


「……こんな綺麗なジークを、他人に見せたくないから」

「!!」


 前言撤回。

 朝からの努力はしっかりと実を結んでいた。


 ◇◇◇


 その日は姪二人と一緒にお菓子作りを行った。指導を行うのは、屋敷のお菓子専門の料理人。

 本日作るのはトリュフチョコレートという、異国のお菓子だという。


「ねえ、トリュフってなあに?」

「トリュフは小さく丸めた濃厚な生チョコレートを脂肪分の多いチョコレートで覆ってから、仕上げにココアパウダーを隙間なくまぶしたお菓子ですね」

「へえ~、美味しそう!!」


 好奇心旺盛なアーデルトラウトは興味津々とばかりに異国出身の菓子職人に質問を重ねている。比べて九歳となる姉のエーデルガルドは静かに話を聞いているという、性格が正反対の姉妹であった。


「まずは板チョコを細かく刻みます」


 刃物を扱う作業は私とエーデルガルドと二人で行う。アーデルトラウトは離れた位置からチョコレートを刻む様子を台に上って眺めていた。


「次に刻んだチョコレートを湯でゆっくり溶かします」


 ボウルを二枚重ねて、一枚目は湯を張り、二枚目に刻んだチョコレートを入れて混ぜる。


 姉が手袋を嵌めた状態でボウルを押さえ、妹がチョコレートをヘラで混ぜる。その作業をしている間に生クリームを鍋の中で温め、沸騰する前に火を止める。


 綺麗にチョコレートが溶けたら生クリームを混ぜて、滑らかになるまで混ぜ合わせる。


「これがガナッシュ?」

「そうですね」


 生クリームの混ざった柔らかいチョコレートのことをガナッシュと言うらしい。

 仕上がったガナッシュは丸めやすくする為にしばらく保冷庫の中で冷やされる。


 チョコレートが固まるまでの間、しばしお茶をしながらの休憩となった。


「二人は普段から料理をするのか?」

「いいえ、今日が初めてなの! ねえ、お姉様?」


 話を振られたエーデルガルドを見れば、照れたような表情で深々と頷いていた。


 彼女らの両親や祖父母にチョコレートを贈り、驚かせようという魂胆らしい。


「ジークリンデ叔母様も、リツハルド叔父様がどんな風にびっくりしたか、教えてね!」

「了解」


 そんな風に会話を楽しんでいれば、使用人よりチョコレートが固まったという報告が入る。


 器の中でしっかりと固まったチョコレートは、一口で食べられる位の大きさに丸められる。それを串に刺し、クーベルチョコレートと呼ばれる表面をコーティングする為のチョコの液体の中に潜らせてから、ココアパウダーを振り掛けて完成となった。


 綺麗に包装されたそれは、お店で買ったような品に見える。


 昼食を摂る為に帰って来たリツハルドに渡す為に、少し時間をくれとお願いをした。


「ジーク、用事ってなに?」

「ああ、これを、エーデルガルドとアーデルトラウトと作って」

「わあ、何かな?」


 箱に入っていて、包装されたものをリツハルドは開封していく。


「あ、チョコレート」

「トリュフという、異国のお菓子らしい」

「へえ!」


 リツは食べてもいいのかと聞き、こちらが了承をすればチョコレートを口の中に放り込んでいた。


「美味しい」

「そうか」


 口の中が甘ったるくなっていると思い、果物の果実の入った炭酸水を作って来ようかと聞く。


「それよりも、女神様の口付けが欲しいなあ」

「……」


 どこに女神が居るのかと聞いても、飄々とした態度で私の名を呼ぶばかりだった。

 いきなりそんなことを言い出すので、素早く額にキスをする。


「あれ、口直しなのに、額なの~?」

「……」


 そういう意味だったのかと、項垂れてしまった。


 リツハルドはいつの間にか瞼を閉じて大人しくしている。


 軽く触れるだけの口付けならば恥ずかしくないと顔を近づけたが、唇が重なった瞬間に体を抱きしめられ、じっくりと味わうような行為をされてしまった。


 何もしないという顔をしていたのに、近付けば逆に襲ってくるような行動に出てきたので、ひたすら驚く。


 口の中はすっかり甘いチョコの味となっていた。


 そして、またしてもチョコレートの記憶はキスで上塗りをされてしまう事となる。


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