第六十二話 テューリンガー
本日は腸詰め作りを行う。
作業部屋は暖炉も何もない、吐く息も白くなるような部屋だ。
食品を加工するというので、髪の毛はしっかりと帽子の中に詰め込み、口には布を当て、昨日着たものとは違う白い作業服に前掛けを付けてからお仕事を開始する。
義父の目は優しいと思っていたが、腸詰め作りを前に灰色の双眸はギラギラと輝いていた。その目付きは、空を旋回する孤高な猛禽類の如く。
ジークと義父は間違いなく親子だと実感をした瞬間だった。
身支度が整えば、腸詰め作りの極意が語られる。
「とにかく、肉を高温にすることが厳禁。なんとしてでも肉の低温を保たなければ美味しい腸詰めは出来ない!!」
「なるほど!!」
義父は腸詰めのことになればどこまでも熱くなる。教わるこちらも同じような熱量で構えてしまう。
「腸詰め作りにおいて大切なモノの一つはこれだ」
保冷庫の中から出てきたのは桶に入った白い物体。一体何だろうと思えば、羊の腸の塩漬けだという。
「これは一時間位塩抜きしてから洗うんだ」
義父が朝食の前に腸を水にさらしていた模様。それを更に水でしっかりと洗い、繋がった細長く透明なものを棒に巻きつけておく。
「そして、一番大切なモノがこれだ!!」
「お、おお!!」
ドン! と机の上に置かれたのは桶に入った大きな二つの肉塊。豚の赤肉と背肉を塩と硝石を揉み込んで二晩置いて凍らせていたお肉だ。
「なんと言っても重要なのは、肉の温度を上げない事!」
腸詰めは低温での加工を行うことにより、肉と香辛料と脂が上手い具合に混ざり合うという。肉の温度が上がってしまえば脂肪分などが分離をしてしまい、食感が悪くなってしまうらしい。
「そして、この肉を細かく切る! 冬はいいけれど、夏は手が温まってしまうから、肉に触る前に氷水に手を浸してから肉を切ったりする!」
「へえ!」
冬でも作業時間が長くなれば手が温まってしまうので、水で手を冷やしつつ工程を進めていくらしい。包丁やボウルなど、使う道具も冷やした状態で使うとか。肉も半解凍状態のものを使用する。
「ここで手間を惜しむと腸の中の肉がぼそぼそとして、噛んだあとのプリッとした食感が出なくなる。しつこいようだが、肉の温度には気を付けて欲しい」
「了解です!!」
細かな角切りにした肉は
「挽肉状になったら粉末にした香辛料を加える」
正統な『テューリンガー』の名に相応しく、森に自生していたものや栽培していた香草を使うという。
ニンニクにマジョラム、キャラウェーにコエンドロ等、初めて見る香辛料がサラサラと加えられた。
香辛料を加えていた肉を羽のような数枚の刃が付いた金属の容器の中に入れて、蓋のようなもので密封をしてから、上に付いている取っ手を回して中身を撹拌する。
この容器の中にも氷が入っている。作業中にも肉の温度はどんどん上昇しているというので、このように冷やしながら加工を続けるらしい。
肉を練っている途中にも氷を追加する。直接手で触れていなくても、刃が素早く回っていればそこから肉の温度は上がり続けるのだ。
交代しながら全力で刃を回して、撹拌が終われば滑らかで艶のある腸詰めの中身が完成をした。
「ふむ。良いエマルジョンだ!!」
「こ、これが、良いエマルジョン!?」
エマルジョン、細引きの錬肉という意味だという。
完成した錬肉を羊の腸の中へと入れる作業へと移る。
腸の片端を結んでから、錬肉を入れた絞り器の先端に腸を入れ込み、ぎゅぎゅっと肉を充填していく。
「リツハルド君、油断は禁物だ!」
「分かりました!」
良い
手早く肉を詰め、程よい長さに揃えて腸を捻っていく。
最後に綺麗に洗ってから拭き取り、熱風機の中で乾燥させる。ここでしっかり水分を除いておかないと、皮がパリっと仕上がらないという。
その後、しばらく加工を行ってから鍋の中の滾った湯の中でグラつかせて、冷たい水で洗ってから身を引き締めれば完成だ。
義父は仕上がったばかりのテューリンガーを数本持ち出して、外にある簡易的な竈の中で薪を燃やし、網を敷いてその上に腸詰めを置く。
「旦那様、こちらがご所望の品です」
馬を駆ってやって来た従僕の手にあったのは布の被さった籠。中身は不明。
義父は無言で籠を受け取り、鋭い目つきで
腸詰めを焼く専用の道具も面白い。鋏のような持ち手があり、先端は平たくなっていて腸詰めが掴み易くなっているという。
パチリ、と音を立てながら、腸詰めの皮が弾けていく。裂けた部分からじわりと油が滴り、網の下へと落ちていった。
香ばしい煙を漂わせながら、義父は真面目な顔付きでテューリンガーをひっくり返す。均等に入った焼き目はまるで芸術品のよう。
バサリと籠の上にある布を義父は取り払った。出て来たのは、中心に切れ目の入った細長いパン。
それに、焼きあがったテューリンガーを挟み込む。パンよりも腸詰めのほうが長く、両端が綺麗に納まっていないのが何ともいえない。仕上げにマスタードが塗られ、義父より手渡された。
「食べてみろ!!」
「はい!!」
まずは一口。長い腸詰めなので最初の一噛みではパンに到達しない。
マスタードも掛かっていないそれは、テューリンガーそのものの美味しさを味わう事となる。
パキっと音のするほど張りのある皮は素晴らしい歯応えだ。そして、じわっと中から香辛料の風味のある肉汁が溢れ出てくる。身もプリプリとしていて、噛めば噛むほど旨味を感じるという。
肉汁で舌先を火傷をしそうになるが、それでも食べるのが止まらぬ美味さだ。
「お義父さん、これ、凄く美味しいです!!」
「そうだろう、そうだろう!!」
そう言いながら義父も焼きたてのテューリンガーに齧りついていた。
三口目位でパンとマスタードが塗ってある部分に到達する。
「――!?」
そのままのテューリンガーでも十分美味しいのに、パンとマスタードと合わさったものは、想像を絶するものだった。
硬めの白パンは腸詰めの肉汁と合わさって程よい食感となる。ピリッとしたマスタードは香辛料の効いた塩気のあるテューリンガーとの相性も抜群だ。
美味しい。とにかく美味しい!! この一言に尽きる。
「どうだ?」
「ここの家の子供になります!!」
そんな事を言えば、義父は白い歯を見せながら朗らかに笑い、いつもの優しいお父さんに戻って行った。
◇◇◇
「昼食にリツが居なかったからアーデルトラウトが拗ねていた」
「あらら」
伯爵家のお姫様は昼食の後におっさん妖精と秘密話をしたかったらしい。悪い事をしてしまった。
あれからお昼になっても屋敷に帰らずに、三つも腸詰め入りのパンを食べ、満腹になった後にまた一仕事してからの帰宅となった。外はすっかり暗くなり、あれだけ満杯だったお腹もすっかり空っぽになっているという。
「それにしても、今日も父と風呂に入るとは思わなかった」
「うん。まあ、こっちもびっくりしたけれど」
帰宅後。再び昨日と同じようなやり取りが行われ、結局また仲良く入浴、という感じになってしまった。
昨日同様、髪も乾かさずに風呂場を飛び出てきて、タオルで水分を拭っていればジークが部屋に訪れたという状況であった。
そして、ジークはまたもや髪の毛を綺麗にしてくれた。
指先で頭皮を揉むように拭いてくれるのがとても気持ちが良い。このまま寝入ってしまいそうになる。
どうにか意識を保つ為に、今日一日の牧場での出来事を語った。
髪の毛が乾けば綺麗に櫛を通してくれて、最後に三つ編みにまでしてくれる。
「ありがとう、ジーク」
「……ああ」
隣に座るジークの声色は暗い。もしかして無理をしていたのでは、と慌てて顔を覗き込んだ。
「ジーク、どうしたの? 具合悪いの?」
「いや、そういう訳では」
「髪の毛拭いて疲れたとか?」
「違う」
「だったら、どうしてそんな悲しそうな顔をしているの?」
覗き込んだジークの唇はぎゅっと結ばれたまま、開こうとしない。
「ジーク、言わなければ分からないよ」
「……」
「ジークリンデ、言って」
これだけお願いしても頑なな態度を解こうとしなかったので、ふっくらと柔らかな下唇を指先でなぞるようにして刺激をする。
「!!」
「早く言わないと、大変なことになるからね」
「……違う、これは、私の我儘で」
「へえ、そう。でも、ジークの我儘聞きたいなあ」
そんな事を言いながら、手触りの良い布地の下にある太ももをゆっくり撫でた。相変わらず素晴らしく肉つきの良い脚である。
「リツハルド、待て」
言われた通り、腿を撫でる行為を止めて姿勢を正す。
それからしばらく沈黙の時間を過ごしてから、ジークは話を始める。
「これは、真面目に働いている人にいう事ではないが」
「?」
「……この二日間、父と仲良さそうにしていたから、気分が悪かった」
「そ、そっか」
「……」
ジークの落ち込み様は自分が義父と仲良しさんになっていたからだという。
だからと言って義父と今までと違う触れ合い方に変える訳にもいかない。難しい問題である。
ところが、妙案が浮かんできたので、そのまま良く考えもせずに口にした。
「よし、分かった。明日から毎日お風呂はジークと入るようにしよう!!」
「そうだな」
「!?」
「そういうことではない!!」と怒られるのかと思いきや、あっさりと了承するジークリンデ。
口が滑ったと言おうとすれば、使用人に夕食の支度が出来たと呼ばれてしまう。
どうしよう。明日からどうなるのだろうか。
そんな事を思いながらも、無条件に顔がニヤけてしまったことは言うまでもない。