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第四十九話 テオポロンの活動報告

テオポロンの過去編

 地平線が見えぬ程の荒野は、我々が生活を営む為に無くてはならないものである。


 豊かな緑は無いに等しい。主な食料は大地を駆け抜ける巨大な長毛野牛バイソン。馬で崖まで追い込む猟を行って仕留める。


 古くから伝わる守護精霊に祈りを捧げながら日々の平和を願い、一時的な住み家となる集落では複数の木を地面に立てて、周囲にバイソンの皮を張るという天蓋の中で暮らしている。

 外では羊を飼い、その地の餌が無くなったら移動をするという遊牧生活をしながら生きてきた。


 他の移動民族と相見あいまみえる事があれば、財産である羊や馬を賭けて戦う事もある。


 一つの集落には二十程の家族が暮らしている。それを纏めるのが『偉大なる王』と呼ばれる部族長だ。

 『偉大なる王』は財産である羊を百以上も所有し、妻も二十人ほど迎えている。


 主食であるバイソンは外から来た侵略者の手によって狩り尽され、年々数を減らしている。

 食料が足りなくなり、仕方無しに財産である羊を潰すこともあった。


 そんな環境の中で我々は生きてきた。

 一年のほとんどは乾いた強い風が吹き荒れ、凍える季節は短い。毎年過酷な遊牧生活について行けずに命を落とす者も居たが、このような状況の中でも家族と身を寄せ合い支え合いながら暮らして来た。


 親から譲り受けた財産も多くはなく、ささやかな生活を送っていたが、優しい妻と可愛い娘に囲まれて満たされた毎日を過ごしていた。


 だが、そんな中で事件は起こる。

 部族長が妻を寄こせと言ってきたのだ。


 話を聞いた妻は仕方が無い事だと、偉大なる王の命令は絶対だと言って諦めていた。

 妻を差し出せば羊を十頭、報酬として差し出すという交換条件も示された。


 それだけの財産があれば娘を苦労無く育てることが出来、結婚する時にも沢山の羊を持たせる事も可能だろう。


 しかしながら、そんな未来などありえない、妻と娘の居る人生こそ一番の幸せだと、そんな風に思ってしまった。


 その日の晩、妻にここを出て行こうと言えば、涙を流しながら同意をしてくれた。ここ数日、辛く不安な毎日を送っていたに違いない。もっと早く決断を下せば良かったと後悔をする。


 近しい血を持つ者にことを伝えれば、逃げるのは弱者のすることだと罵られる。


 誇り高い戦士失格だと。


 だが、弱者でいいと、これから先に家族と共に過ごせるなら、形振りなど構っていられないと考えた。


 王と戦う事も考えたが、仮に勝利してしまった場合多大な財産と二十名の女達が自分の物になる。そんなことなど欠片も望んでいない。

 そして、負ければ娘は他の家の奉公人として一生働かなければならなくなる。

 当然決闘の負けは死を意味するので、助ける事も儘ならないのだ。


 ここを去るのが我々にとっては一番に最善なこと。

 戦士の誇りなどどうでも良かった。


 たった七頭の羊は足手纏いになるので置いていく。馬に荷物を乗せて、妻と娘を跨らせる。己は手綱を引いて移動するのみだ。


 最後に戦士の証である槍を折って捨てて来た。これでもう戦士ではない。ただ、家族を大切に思うだけのつまらない男だ。


 このようにして、我々の長い旅は始まった。


 日々の暮らしは自然を生きるモノ達に支えられて来た。

 短剣一本で獣を屠り、水辺に行けば魚を獲った。


 しかしながら、狩猟は最初から上手く出来る物でもなかった。巨大な牛を狩っていたことで、己を過信していた事は深く反省をすべき点だと思われる。


 最初は小さな兎ですら捕まえることが出来ず、家族にはひもじい思いをさせる日もあった。

 だが、そんな時は妻がこっそり作っていた干し肉でスープを作ってくれて、それで飢えを凌いでいた。


 終わりの無い旅は、果てなく続く。


 この先の地域は山岳地帯が続くので、馬は途中の村で売り払う。


 馬という足が無くなり、本格的な流浪の日々が始まった。


 雪が激しく吹き荒れた日も、暗く寒い洞窟の中で妻と娘を抱いてなんとか乗り越える。


 それからしばらく経てば、野生動物の動きも把握出来るようになっていた。

 どのような時間に動き回り、どのように逃げまとうのか。理解していれば、仕留める事などさほど難しいことではない。


 妻や娘に腹いっぱい肉を食べさせてやることが何よりの喜びだった。


 そのような生活が続いたある日、とある異国人の女と出会う。

 彼女はこの辺では見かけない服装や容姿をしていた。


 その者はどうやら困っている状態で、我々に助けを求めているようだった。言葉は通じないが、何故かそういう風に思ったのだ。


 後をついて行けば、木の陰に一人の男が蹲っていた。

 男に近づけば、意識の無い状態でガタガタと震えており、顔面も蒼白状態。


「……安心しろ、これは死の病ではない」

『!?』


 首を振れば女の表情は絶望に変わる。どうやら心配するなという事が伝わらなかったようだ。妻に目線を送り、女を落ち着かせるようにと促す。


 男の生気を奪っているのはこの高い山のせいだ。ここは緩やかな坂のように見えて、進めば進むほど空気が薄くなるという、この辺でよくある地形をしている。その為、吸い込む空気が不足をして、あのような状態となるのだ。


 幸いここは一番高い位置なので、このまま症状が落ち着くのを待ってから、下って行けば容態もよくなることだろう。


 容態が落ち着いてから、男を背負って下山をする。

 ナイフをすぐに握れない状態で不安だったが、妻が先頭に歩いて周囲の警戒をする。娘も異国の女も、しっかりとその後を付いて来てくれた。


 なんとか地上に下りてくれば、男の意識も回復して元気を取り戻す。


 それから何故かその夫婦との旅が始まった。


 男は博識で我々の言語を理解しており、意志の疎通が可能となる。


 彼らは遠くにある雪国から旅をしている夫婦だった。我々と似た境遇だったので、すぐに意気投合をする。

 異なる点と言えば、終わりの無い旅をしていないということ。彼らには帰るべき家があった。


「あ~、そういうことか~」


 妙に間延びした言葉で異国人の男は喋る。酒が入って深い話をすれば、驚くべき提案をして来た。


「だったらさあ、うちの村に住めばいいよ。ねえ?」


 我々の言葉で喋った後、同意を求める為に男の妻にも同じ内容らしきものを語り掛けていた。


『あら、まあ、素敵~! それがいいわあ~。きっとリッちゃんも寂しい思いをしていると思うから~』


 男の妻も、言葉は分からなかったが妙に間延びしたような言葉を喋っている。きっと似た者夫婦なのかもしれない。


 果て無い旅は、あっさりと終わりを告げる。


 連れて来られた地は極寒と聞いていたが、家族で身を寄せ合っていた時季の方が寒く感じたので、意外と平気だった。


 そして、新たな族長は年若い青年だったという。

 青年の名はリツハルド・サロネン・レヴォントレットというらしい。妻より背が低く、どこか頼りない雰囲気をしていた。


 彼は父親のように我々の言葉を理解していなかった。一生懸命言葉を教えようとしてくれたが、異国の言葉というものは酷く難解で、結局は相手が諦める方が早かったという。


 だが、彼は身振り手振りで我々と意思の疎通を取ろうと積極的に話しかけてくる。

 そんな毎日を過ごすうちに、簡単な会話を動作だけで行えるようになった。


 この村での狩りは妙な鉄の塊を使って行われる。族長の青年はそれを指差しながら名前を教えてくれた。使い方や手入れの方法も習ったが、それを手に取る事も無く、今まで通り短剣一本で狩りを行う。


 ただ、この地域の獣は獰猛なものが多かった。

 残念ながら牛には一度も会えていない。


 族長には毎日兎を狩って来て献上をした。彼は遠慮をしていたが、温かな家を提供してくれる主に兎一羽程度では足りないと、そんな風に思っていた。


 妻はこの家で料理をしている。族長の母に習ったという異国料理はどれも美味しい。

 娘はすくすくと成長して、軽い家の仕事も手伝ってくれる。


 このような生活の場を提供してくれた族長に、大きな獣を差し出したい。己の中で日々そのような欲求が膨らんでくる。


 それからある日の晩、見た事も無いほどの大きな獣を仕留める。四足歩行で茶色い毛並み、耳は丸く、爪や牙は鋭いという未知の生き物だった。


 長い死闘を経て、なんとか勝利を収めた。


 帰って来た姿を見て、族長は仰天をする。全身血だらけだったからだろう。だが、ほとんどは返り血だ。

 そのことに気がつくと、族長は酷く安堵をしたような表情となった。それから何かを思いついたような顔となり、目の前から姿を消す。


 そして、帰って来た族長の手には、槍があった。


『ねえ、テオポロンが強いのは分かったからさ。今度からはこれを使ってよ』

「……」


 族長は何かを言ってから、槍を差し出してくる。


 戦士の誇りも何も、集落を出てきた時に捨てて来た。なので、それを受け取る訳にはいかない。


 槍を手にしないので、困った顔を族長はする。


 それから、彼はいつものように身振り手振りで何かを伝えようとしていた。


 まずはこちらを示してから、肘を曲げて腕の筋肉を指し、何度か頷く。

 狩猟の腕は認めている、と言いたいのだろうか。


 その後は、妻を示す二番目の指、娘を示す三番目の指を示して、それを空いている手でぎゅっと握る。最後に胸を叩いた。


「それで、家族を守れと言いたいのか?」


 族長は微笑みながら、槍を差し出す。


 家族を守る為の力。

 そして、この穏やかな青年も守ることが出来るかもしれない力。


 己の力は役に立てると、そんな風に言ってくれているのだろう。


 気持ちは一瞬で固まる。

 槍を受け取ることにした。


「――分かった。これからは、主を『偉大なる王』として認め、我は戦士として槍を取ろう!!」


 感謝の意を込めて胸を拳で打ち、片膝を着いてから槍を貰い受ける。


 こうして、新たなる地で再び戦士となり、新たなる王へと仕える事となった。


『これからもよろしくね。テオポロン!』


 偉大なる王の言葉に、胸を打って返事をする。


 ここは厳しい環境で、最果ての地だと言っていたが、我々にとっては楽園にも等しい場所であった。


 妻と娘と偉大なる王との共同生活は続く。


 それから数年後に王は素晴らしく逞しい妃を迎え、更に数年後には沢山の子供たちに囲まれる事になるが、またそれは別の話である。


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