第四十一話 祭りのその後で
今日は朝から土産屋兼商店に行き、お菓子作りの材料を購入する。先日ルルポロン特製のブルーベリーパイを食べてから、お菓子がどうしようもなく食べたくなってしまう症状に苛まれていたのだ。
購入をしたのは小麦粉とサワークリーム、バターに牛乳、板状のチョコレート。残りの砂糖や卵、新鮮なベリーなどは家にあるので買わなくても良い。
作り方は土産屋の
このように様々な材料が届くのも、春季から秋季の港からの仕入れが可能となる今の時期だけだ。なので、材料費は惜しまずに買い集める。
帰宅後、昨日摘みに行ったばかりのベリーが入った籠を掴み、鶏舎に行って卵を貰ってから自宅の裏にある簡易台所へと移動した。
使うベリーはレッドカラントとブラックカラント。北欧葡萄と呼ばれている酸味の強い粒が特徴の品種だ。
ブラックカラント――異国で『カシス』と呼ばれている果実には薬効があり、冬に喉などを痛めた時にはカラントのジャムを舐めるといいと言われている。葉にも健康に良い成分が含まれているので、乾燥させた後に蒸して揉み解し、炒ってお茶にして飲んでいた。
そんな健康に良いベリーを使ってお菓子を作る。
まずは砂糖と牛乳に風味付けの香木を粉末にしたものを投入して、鍋で沸騰しないように注意しながら温める。
次にサワークリーム、小麦粉、卵、バターをボウルの中で混ぜ、綺麗に撹拌させたら鍋の中の牛乳を入れる。
ケーキの型にバターをたっぷりと塗り、割ったチョコレートとベリーをざらっと並べて最後に生地を流し込んだ。事前に温めておいた
しっかり焼き目が付いた後で串を刺し、生地が付いてこなければ完成だ。
初めてにしては良い仕上がり。カラントの赤と黒の色合いも綺麗だ。甘い香りがふわりと漂い、何とも言えない気分となる。
熱々出来立てのケーキをすぐにでも食べたい所だが、少しだけ置いてケーキをしっとりさせると更に美味しくなるというので、とりあえず涼しい場所に持って行って放置をする。
しかしながら、今日はケーキなんぞに気を取られている場合ではない日。久々に馬車に乗ってジークとお出かけをする予定が入っている。
朝からそわそわしていて、心を落ち着かせる為のお菓子作りだった。
まあ、お出かけと言ってもお洒落をして行くような場所ではない。特別な服なんぞ着れば知り合いも多い港町で目立ってしまうので、いつもの姿で行く事となる。
玄関に置いてある木箱に座って待機をしていれば、奥さんが出て来る。
「!!」
ジークは、初めて女性用の民族衣装を着た姿で現れた。いつもは男女兼用のような膝丈のものや、狩猟などの動き回る日は男性用の丈の短いものを纏っていたのだ。
これは先日新しく作った夏季用の服で、折角だから何着か丈の長い物も作っておこうと頼んだ品だった。
「うっわ! 凄く可愛い! 良く似合っているよ、ジークリンデ!」
「……」
肩より長めに伸びた髪の毛は結んで後ろに垂らしている。化粧もしているのか、頬には薄く紅がさされており、唇にもほんのりと色が乗っていた。
女性用の民族衣装、コルトのスカートは踝から少し上という長い丈が特徴だ。裾には鮮やかな刺繡テープが幾重にも巻かれ、華やかな印象となっている。
「いいなあ、実に素晴らしい。もっと早く着て貰えば良かった」
「……」
ジークの周りをくるりと回って、じっくりとその姿を堪能させて頂く。
「早く行こう。馬車の時間に遅れてしまう」
「そうだね。あ、手繋いでいい?」
「……」
返事は無いが勝手に手を握る。
このように、うきうきで出掛けた訳だが、向かっているのは港である『
この祭りは年に一度、異国から商船がやって来て開催されるもので、今年は偶然にもジークの祖国の名物が楽しめる内容となっていた。
馬車に乗っている間も頬が緩んでしまって、表情が締まることは無かった。
そんなこんなで会場である港町へと到着をする。
既に会場となっている広場は人で溢れていた。
「そこの通りにあるお店で好きな腸詰めを買って、奥にある天幕で麦芽酒を頼んで食べるんだってさ」
「そうか。では、買いに行くとしよう」
人混みで逸れないように、ジークの手を自らの腕に絡ませる。
広場には三十程の腸詰めの出店があり、他にも様々な異国の品を売る店が並んでいる。まずは腸詰めだと、どれを買おうかと目を光らせていた。
「腸詰めだけでも色々あるね」
「祖国で食べられている腸詰めの種類は千以上あるとも言われているな」
「へえ~!」
店には焼いたものから蒸したもの、茹でたものに、揚げたものまでと、調理法も多岐に渡ると言う。
「うわ、白い腸詰めがある!! なんで!?」
「あれは『ミュンヒナー・ヴァイスヴルスト』、仔牛の腸詰め。色が白いのは卵白と生クリームを混ぜているからだ」
「なるほど~」
ジークの国の言葉で『白い腸詰め』という意味があり、皮を剥いでから食べるという珍しいものだ。興味が湧いたので、ジークの分と二本購入をする。茹でた後に水分を切って紙袋に入れてくれた。なんでも調理する前まで非加熱状態らしい。なので、朝から作りたてで、午前中に食べなければ悪くなる一方だという。更に『ヴァイスヴルストは正午の鐘を聞いてはいけない』とまで言われているとか。
他にも焼き目がしっかり入って皮が破れる寸前の腸詰めや、乾燥させた歯応えのあるもの、チーズが練り込まれたものに、ジークの故郷の名産品、炭で炙り焼きにした細長い腸詰め『テューリンガー』も購入をする。
満足がいくまで腸詰めを買えば、天蓋に移動をして麦芽酒を注文する。
「あ、揚げジャガイモも要るかな~、どうしよう」
「好きなものを頼めばいい。毎日頑張っているだろう。それ位の贅沢をしても
ジークに毎日頑張っていると言われて嬉しくなる。まさかこんな所で褒められるとは思ってもいなかったからだ。
「麦芽酒は何かお勧めある?」
「そうだな」
麦芽酒だけでもかなりの数が品目表に書かれていた。何が何だか意味不明と目を瞬かせる。
「麦芽酒の作り方は主に三種類に分類される」
高温で発酵された『
上面発酵の麦芽酒は
「エールは果実のような風味がほんのりとあって口当たりも柔らか、ラガーは透明感があってすっきりとしている。ランビックは祖国ではあまり売っていないものだな。飲んだことが無いので味については詳しくないが、酸味が強いと聞いたことがある」
ジークの分かりやすい説明にうんうんと頷く。
自分は『
ジークは『
しばらく待てば大型の木製容器に注がれた麦芽酒が運ばれて来る。あまりの大きさに思わず目を剥いてしまった。これがジークの国では普通と言うのだから、驚きだ。
頼んでいた
日頃の労働を労い合い、互いの杯を重ねてから飲む。
温めに管理された麦芽酒だったが、驚く程美味しかった。今まで麦芽酒は氷室でキンキンになるまで冷やして飲むのが至高と思っていたが、考えを改めた。
上面発酵酒である白麦芽酒は、柑橘系の風味とほのかな酸味があり、喉越しも良くいくらでも飲めそうな気がする。ジークの黒麦芽酒も一口味見させて貰ったが、うん、大人の味。
腸詰めを食べてから麦芽酒で流し込むと更なる至福の時間が訪れる。
皮を剥いでから食べるという白い腸詰めは、卵白が入っているからかふんわりと柔らかで、香辛料や柑橘類で風味付けがされているのでさっぱりと頂けた。
他にも皮がパリッと弾ける腸詰めは、マスタードをたっぷり塗ってから揚げジャガイモと一緒に食べると美味。しっかりと歯応えがあり、辛めの味付けのあるものはお酒がどんどん進んでしまう。
「あ、そろそろ追加で買ってくる?」
「いや、もういいと」
「ちょっと気になるのがあったから、買ってくるね」
「待て、私も」
「大丈夫~」
そう言って立ち上がり、その場を離れる。
何杯位飲んだのか記憶に無かった。足取りはしっかりしていたが、多分酔っ払っているのだろう。ずっとジークの手の甲を「
無論、ジークは困り顔でこちらを見ていたが、その表情も堪らないと言ってしまう始末。
最低最悪の酔っ払いであった。
そんな状態で腸詰め市場の店に向かう途中、露天の店主に声を掛けられる。
「お兄ちゃん、金属細工は如何かな!?」
「……」
自分がサーミだと思い、声を掛けてきたのだろう。近隣では有名な銀などの金属細工好きの民族だからだ。適当にあしらってこの場を離れようとしたが、店主の一言に釣られてしまう。
「珍しい白金の細工だよ。奥さんか恋人に贈ってみては?」
目に付いたのは、雪の結晶を思わせる耳飾り。白金細工に囲まれた雫形の青い宝石がぶら下がっているという一品だ。
片耳用なので、単品での販売だという。
ジークの好きな白と青の色合いのある、冬の結晶を象った耳飾り。
彼女の為にあるような品だと思った。
値段は、当然お高い。なんせ、珍しい白金製のものだからだ。手持ちが無いと言えば、足りない分は後払いで良いと言っている。明日はうちの村に行って店を開くらしい。
「じゃあ、買います」
あっさりと購入。
観光期に木彫り製品で荒稼ぎをしたので、お金には余裕があったからだ。
腸詰めを買う事もなく、ジークの居る天蓋へと戻る。
ジークは戻って来た自分を見て、ホッとしたような顔で迎えてくれた。
店員を呼んで精算を済ませる。
帰宅用の馬車へと乗り込み、大人しく家路に着いた。
◇◇◇
帰宅後は酒が入っていて仕事にならないので、ゆっくり過ごそうと提案をする。
酔っ払っているので風呂は危ないと思い、薬湯で体を拭き取るだけで済ませた。顔も洗ったので、多少は酔いから覚めたような気もする。
ジークはミルポロンの居る中で風呂に入ったとのこと。
酒が入っている時は少しの湯の中でも溺れる可能性があったので、誰かと入ってくれとお願いをした結果だ。
窓の近くに置いてある長椅子に腰を掛けているジークの隣に座った。
「ジーク、これ」
「!」
突然差し出された耳飾りを前に、彼女は驚きと困惑の表情を浮かべている。
「……これは、どうして?」
「だって、自分の物には印を付けなきゃでしょう?」
そんな風に言いながらジークの頬に流れる髪を耳に掛けて、耳飾りを当ててみる。
綺麗な耳だが、所有印を付けていないと誰かに取られてしまうかもしれない。
「どういう、意味だ」
「トナカイと同じ」
「!」
トナカイは大切な財産だ。しっかりと印を刻んでおかなければ、横取りをされてしまう。
そんな事を言ってから、説得の言葉を耳元で囁いた。
勿論、祖父の言っていた『とにかく口説け』の作戦も実行する。
時間を掛ければ、最終的に彼女はコクリと頷いてくれた。
良かった良かったと満足して、耳飾りをジークの手の平にそっと落とし、その日は大人しく私室に戻りそのまま眠ってしまう。
正気になったのは、翌日の朝だった。
「――!!」
アレは夢。きっと夢。そうに違いない。
昨日の愚行の数々を思い出して、顔が羞恥で熱くなるのを感じていた。
そろそろと居間に行けば、まだジークは朝の散歩から帰って来ていなかったので、ホッと息を吐く。
荒ぶっている気を少しでも鎮められたらと思い、昨日作ったケーキを机の上に置いていた。
それからさほど待たずに奥さまは帰って来たのだ。
「ただいま帰った」
「!?」
帰宅をした彼女を見て言葉を失う。
ジークの左の耳元でキラリと輝くものが目に入り、後ろに椅子ごとひっくり返りそうになった。
「……ジークリンデさん、その、お耳は」
「土産屋のおかみに開けて貰った」
押し寄せる後悔。思わず頭を抱えてしまう。
「痛かったでしょう?」
「いや、そこまで痛くは」
「そう」
「……」
「嫌な、気分にならなかった?」
「どうして?」
「だって、トナカイみたいに印を付けるとか」
最早、ジークの顔など見ることは出来なくなっていた。
しかしながら、ジークは自分が座る椅子の横に片膝を付き、こちらを見上げてきたのだ。
そうなれば、彼女の居る方を見ない訳にはいかない。
そのような状態で、ジークは思いも寄らぬ言葉を喋り始めた。
「別に、嫌な気分になったりなんかしない。私は知っている。リツは誰よりもトナカイを大切にしていて、宝物のように扱っていたことを」
「!」
「嬉しかった。ありがとう」
「ジーク」
彼女の笑顔が眩しくって、目を細める。
俺は、本当に彼女のことが好きなんだと、そんな風に痛感してしまった。