第四十話 物作りのあれこれ
先日テオポロンから頂いた熊の皮は、祖父に結婚祝い返しの品として
祖父はテオポロンの白熊の毛皮を大変羨ましがっていたのだ。それに気が付いたテオポロンも毛皮を脱いで贈ろうと差し出したが、祖父は「お前の股間を直巻きにした毛皮なんぞいらん!!」と言ってお断りをしていた。勿論それは慎み深い祖父の遠慮の言葉だったが、もっと他の言い方が無かったのかと指摘したかった。
皮剥ぎを終えて、表面の脂肪を軽く削いだ毛皮は付着している虫や獣臭さなどを除去する為に塩と木の皮や葉などを混ぜて作った薬湯に浸けられる。頻繁に湯を変えて濯ぎ、その際に毛皮も揉むように洗って綺麗にしていく。
そんな作業を繰り返した後、数時間風に吹かして水分を取り除き、作業机の上に毛皮を貼り付けてから肉片なども綺麗に取り除く。
その後は、粉末状の炒った火山石と塩を全体に馴染ませるように擦り込んでから、数日間そっとしておく。放置後、粉を振るい落とし、精製した熊の脂を塗りこんだ後に乾燥を行う工程に移った。
乾燥させる時は、家の壁に毛皮を打ち付けて干す。このようにしないと乾燥後、くるくると巻かれた状態になってしまい、加工が難しくなるからだ。
乾燥後は鑢で擦って表面を柔らかくする。昔の人は獲物の脳みそを潰したもので皮を鞣し、歯で噛んで手触りを良くしていたらしいが、そのような工程はとても我慢出来そうに無い。
それらの作業が終了すれば、今度は頭部から被って着込めるようにする為の加工を行う。
テオポロンの白熊毛皮は剥製などにする時に行われる加工方法で作られている為に、頭部の上顎からはそのままの状態で残っている。だが、どうやって作るのか謎なので、後から熊の頭の骨を毛皮に縫い付けるという方法を取った。
綺麗に肉や脂などを削ぎ落とした熊の上顎から上を切り取った骨に
穴を開ければジークが毛皮を骨に縫い付けてくれた。目の部分には父親の部屋に転がっていた丸く黒い縞瑪瑙をはめ込んだ。
手の部分にも甲の骨と爪を縫いつけられるように穴を開け、それもジークが一針一針丁寧に縫う。最後に櫛も入れてくれた。
このようにして、熊の被り型外套は完成となる。
「……これ、さ、ジークの国で着ていく場所なんてないよね?」
「まあ、無いな」
「貰って嬉しいと思う?」
そんなことを喋りながら、そっとジークに完成した熊の毛皮を被せてみる。
……うん。よく似合う。
ジークは熊の毛皮を被った状態で真面目に話を続ける。
「贈り物は様々な感情を品物に込めて相手に渡す行為。大切なのは選んだ品物ではなく、気持ちだ」
「そっか。そうだよね」
ジークに励まされながら、熊の毛皮を祖父に贈る事にした。
それから数日後、祖父から手紙が届く。
「お祖父さん、仮装舞踏会に着て行って、どこで買ったのかとたくさんの人に聞かれて困ったって」
「そうか」
そんな全然困ったように見えない内容の手紙が返って来たのだ。
一応喜んでくれたようなので、頑張った甲斐があったと一安心をする事となった。
◇◇◇
ベリー摘みの後は痛んでしまう前に即座に加工に取り掛からなければならない。その前の時季から様々な準備も必要だった。
ベリー酒を作る為に、冬の時期から穀物を使ったホワイトリカーを作っていた。
まずは脱穀したものを水に浸し、じっくりと蒸し上げる。その上から炒った粉末状の穀物を振りかけ、温度が管理されている小屋の中で数日間放置。
それを大きな樽の中に移し、水を入れてかき混ぜた後に一日置く。そんな状態になれば数時間おきに蒸したジャガイモを入れて混ぜるという作業を繰り返した。
最後に白樺の煮詰めた樹液を加え、水も追加で入れる。数日間放置をすれば泡立ったようになっているので、浮かんだ気泡の状態を気にしながら更に数時間おきにかき混ぜるのだ。
最終仕込みを終えてから一週間後。これ位の段階になると結構な酒臭さとなっている。それに加えて気泡の泡立ちも活発になっていた。が、しばらくすれば泡立ちも収まる。
このままの状態では飲めないので、不純物を取り除かなければならない。その作業を蒸留という。
大きな鉄の鍋に濁酒という完成間近の液体を入れ、その上に密封出来るように作った皿を載せた木製の容器を重ねて置く。
鍋に火を掛けて濁酒を沸騰させて、出来た蒸気から生まれた水滴が混じりけの無い酒となる。
木製容器には水滴を受け止める皿があり、それは管を通って外に滴り落ちる。
とまあ、こんな感じで地道な作業を経て、酒を作っていた。
その酒を使ってベリー酒は作られる。
使うものはどのベリーでも良い。今回は沢山採れたブルーベリーとクランベリーを使って作ることにした。
作るといっても作業は至極簡単なものだ。煮沸消毒をさせた瓶の中に酒と氷砂糖、ベリーを入れるだけという。それを三ヵ月程涼しい場所で保管をして、仕上がったら中の果実を漉して完成するという。冬になればこのお酒に香辛料を入れて体を温めるという、大切な飲み物でもあった。
「酒作りといえば、一回酷いものを作ってしまって」
棚の奥から一本の酒を取り出す。伝説のジャガイモ酒だ。
「これは?」
「アクアヴィット。ジャガイモと香草を使って作ったお酒」
祖父の書斎にあったメモから作り方を発見して、興味本位で作ってしまったという。
異国語で生命の水という意味のあるお酒は非常に癖があり、かつ度数も高いという残念な一品だ。
苦い薬草を噛んでいるかのような風味が広がり、舌を刺激する味わいがある。作り方の端に「薬のような味がする」という祖父の走り書きがあったのに気が付いたのは完成後だった。
「昔の異国では消毒液として使っていたんだってさ。だったら薬品扱いでいいじゃん、これっていう」
「へえ」
「……飲んでみる?」
「頂こう」
怖いもの知らずな奥さまだと思いながらククサにジャガイモ酒を注ぐと、礼を言ってから受け取ったジークはあろうことか中身を一気に飲み干したのだ。
「どう?」
「いや、悪くない」
「本当に?」
「ああ。
出来る夫だと思われたいので、棚の中にあった魚の瓶詰めを取り出してから皿に出してそっとジークの前に出す。
「……本当にあるとは思わなかった」
「ちょっと前に作ったやつなんだけどね」
香辛料と酢、タマネギ、塩、砂糖を三枚下ろしの魚の身と一緒に漬けて食べるというもの。マスタードをちょこんと乗せて食べるのも美味しい。
ジークのククサに酒を注ぎ、他にもチーズを持って来て切り分ける。
「飲まないのか?」
コクコクと頷きながら、皿に載せたチーズを差し出した。
ジークは珍しく酒がどんどん進んでいる。甘い酒よりも辛い酒が好きだということが発覚した。今まで甘いベリー酒や彼女の実家から持って来た葡萄酒しか家に無かったので、知る機会も無かったのだ。確かに葡萄の酒は辛味や苦味の強いものばかりだったような気がする。
数ヶ月と一緒に暮らして今更明らかになるジークの生態。
だが、彼女にはまだ多くの不明な点に包まれている。
謎の女、ジークリンデ。
その実態は、元軍人で射撃の腕は一流、手先も器用で基本的には無口だが、人当たりは柔らかい。
そんな奥さんを見れば、木の器に満たされた酒を飲んでいる所だった。
「……どうした?」
「いや、良い飲みっぷりだと思って」
ジークが酒の瓶に手を伸ばしたので、それを取ってククサに注ぐ。
「リツは甲斐甲斐しい妻のようだ」
「またまた、そんなお戯れを言ってから」
……甲斐甲斐しい妻って。と思ったが、手製の酒と魚の酢漬けを振る舞い、しきりに世話を焼くのは出来る夫のやることではない。良く出来た妻のやるようなお仕事だ。
どうしてこうなったのかと頭を抱えつつも、ジークの杯が空けばまた酒を注いでしまうのだった。