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第三十七話 残念少女と残念青年

 意外にも、エメリヒは予定よりも早くやって来た。

 季節はまだ春と言ってもいいだろう。自然の緑も若さが残っている。


 村の出口まで客人を迎えに行く。

 数ヶ月振りの再会となった見た目だけ爽やか青年は、はにかんだ顔を見せながら無言で会釈をする。相変わらずの人見知り具合だった。


「今回はゆっくり出来るの?」

「いや、明日の夕方には帰る」

「え、そんなに短い滞在なの!?」

「今の時期は合同演習とかで忙しくしていて」

「そうなんだ」


 少し前から異国間での訓練で慌ただしい毎日を送っているという。アイナに贈った貝殻や花などは演習先で採取をしたものらしい。


 そして、エメリヒは軍を辞めてこの地で暮らすことを決心していた。


「軍を辞めるならと仕事を押し付けられてしまって」

「それは、お気の毒に……」


 今回の休日も無理を言って取ったもので、夏季は一日以上の休日は無し、秋季も同様。冬季は退職をする為に色々と手続きがあるので忙しく、次に来られるのは春位だとか。


「じゃあ、さっさとアイナに会って話をしないとね」

「……」


 エメリヒは嬉しそうな顔で頷いていた。


 そんな風に話をしていると、よく見知った後姿を発見する。


「あ、アイナ」

「!!」


 偶然にも、エメリヒの想い人が前を歩いていた。

 声を掛けられて振り返ったアイナは自分の顔を見てうんざりといった顔をして、次に、隣に居たエメリヒに気が付くと、そわそわと落ち着かないような態度となる。


「エメリヒがアイナに会いに来てくれたよ」

「!!」


 アイナは驚いた表情をしながらエメリヒの顔を見るが、目が合って恥ずかしかったのかすぐに顔を逸らしてしまう。

 エメリヒはにこにことアイナを見下ろすばかりだった。そんな青年に向かって、何か喋ろうかと優しく横腹を突く。


「……あの」

「!!」

「アイナちゃん」


 ずっと大人しくしていた男から話しかけられるとは思っていなかったのだろう。アイナは目を見開き、口をポカンと開いていた。

 そんな中、エメリヒの言葉が「アイナちゃん」と発せられてから続かなくなったので、多少は緊張も解れたのか彼女はとんでもない言葉を発する。


「――か、勝手に気安く呼ばないで!!」

「……」

「……」


 どうしてか、暴言を放ったアイナが一番驚いた顔をするという謎の事態になっていた。

 そして、少女は居た堪れなくなったのか、黙ってこの場から走り去ってしまう。


「えーと、エメリヒ?」


 心配していたエメリヒは――どこか満ち足りたような表情となっていた。


 良かった。アイナの暴言を全く気にしていない。


 ◇◇◇


 とりあえず、エメリヒには家で大人しくして貰う。アイナと接触を取るのは自分一人で行く事となった。


 目的の少女は広場で商売をしている馬車商会から品物を購入して、荷物を抱えている所だった。


「アイナ」

「!!」


 背後から声を掛ければ、ビクリと肩が震えて革袋に入っていた荷物の一つを落としてしまう。


「あ、ごめん」


 袋の中からコロコロと転がってきた野菜を拾い、袋の中へと入れて持ち上げる。

 呼び止めた状態から、ずっと硬直状態になっていたので、再び声を掛けた。


「エメリヒは居ないから」

「な!? それを早く言って!!」


 アイナは勢い良く振り返る。エメリヒが居ると思ってこちらを向くことが出来なかったようだ。


「ちょっと良い?」

「忙しいから」

「まあまあ」


 手にしていた荷物を取ってからアイナの家に向かって歩く。


「ちょっと返してよ!!」

「家まで送りますよ、お姫様」

「誰がお姫様よ!!」


 ちょうど今の時間は恐ろしいお爺さんも居ない。お婆さんは寝たきりなので、外までは出てこないだろう。そう思って、アイナの家まで荷物を持って行くことにした。


「すごいね。今日は何かの記念日?」


 もう片方の袋の中身は鶏だった。コココと元気良く鳴いている。


「違う。お祖母ちゃんとお母さんの具合が良くないから、血のスープを作れってお祖父ちゃんが言って」

「……そう」


 アイナの家の裏手には、桶と包丁、かまどの火に掛かった状態の湯が用意されていた。まださほど時間が経っていないようで、沸騰はしていない。


「鶏、捌こうか?」

「……」


 返事は無いが、勝手に解体をすることにした。


 袋の中の鶏を出して、失神をさせてから屋根の裏より垂れている紐に足を括りつける。それから頚動脈の辺りを包丁で切ってから全身の血を抜く。桶の中にはポタポタと鶏の血が滴っていっていた。


「アイナ、明日さ、うちで昼食会をするから来ない?」

「え?」

「食事会と言っても参加者はジークと、俺と、エメリヒと、アイナの四人だけなんだけど」

「……」


 アイナの顔は暗いままだった。

 ジークが居ても駄目かと肩を落とす。


「……り」

「え?」

「忙しいから、無理」

「うん。そっか」


 アイナの家のお婆ちゃんとお母さんは具合が悪いと言っていた。

 きっと、食事も病人の世話も、洗濯や掃除などの家事さえも一人でやっているのかもしれない。


 沸騰したので竈の火から鍋を取り、鶏の血抜きが終わるのをじっと待つ。

 血が滴り落ちなくなったら羽の付いた状態で鶏を湯に数十秒程浸ける。その後、水の中に入れて冷やし、羽を毟り取った。細かな羽は火の中に入れていた鉄の棒を当てて、焼きながら取り除く。


「アイナ、だったらさ、お茶会はどう?」

「なに、それ?」

「エメリヒがさ、美味しいコーヒーとお菓子をお土産にくれたんだ。それを四人で楽しまない?」

「コーヒーって、お茶会ではないじゃない」

「だったら、飲み会?」


 いや、飲み会は違うか。

 そんな風に心の中で自分に指摘を入れる。


「少しだけでもいいからさ」

「……」


 しつこくお願いしたのが良かったのか、アイナは最終的に来てくれる事になった。


 そして、翌日。

 異国の青年と村の少女をお招きしたお茶会は、なんとまあ、残念な事に失敗となって幕を閉じた。


 エメリヒとアイナを向かい合わせに座らせたのは良かったが、一度も目を合わせず、会話もせずに終わってしまったのだ。


 こうしてアイナとの会話が「気安く呼ばないで」という一方的な宣言で終わったエメリヒは帰国の途に着く。

 気の毒過ぎて涙ながらの見送りとなった。


 そんな事件から日を跨いだ朝に、アイナが訪れた。


「あれ、どうしたの?」

「……」


 アイナの手には籠が握られていた。布が被さっているが、隙間から焼き菓子のようなものが見える。


「これ……」

「も、もしかして、エメリヒに?」

「……」


 アイナは躊躇いの表情を見せた後にコクリと頷く。


 ――うわ、どうしよう。


 アイナにエメリヒが一泊で帰る事を伝えてなかった事を思い出す。


 半笑いでアイナの籠を受け取った。

 しっかり手に取ったのを確認すれば、アイナは振り返って帰ろうとしたので、腕を掴んで家の中へと引き入れた。


「ち、ちょっと、なにをするのよ!!」

「ごめん!!」

「離して!! 私は忙しいの、あの人になんかに会っている暇はないんだから!!」

「違う、アイナ、ごめん!! エメリヒはもう居ないんだ!!」

「……え?」

「昨日の夕方に帰国をして」

「嘘ッ!!」

「嘘じゃない。ごめんね、言ってなかったね」

「……」


 放心状態のアイナを居間に連れて行き、窓辺の長椅子に座らせた。


「……エメリヒ、忙しいみたいで、その、一日しか滞在出来なくて」

「知らなかった。手紙にも、書いていなかったわ」

「……」


 なんと言葉を掛けていいものか分からずに、そのまま時間だけが過ぎていく。

 このままでは気まずいので、適当に話題を探して話しかけた。


「あ、あの、ここに移り住むって言っていたね」

「誰が?」

「……エメリヒ」

「聞いていない」


 地を這うようなアイナの声に、ヒッ!! と叫びそうになった。


 というか、エメリヒよ。どうして大事な事はいつもアイナに言わない。

 うっかり屋さんな現役異国軍人を憎らしく思う。


 ふと、アイナの顔を見て、今度は本当に「ヒッ!!」と短い悲鳴を上げてしまった。

 彼女は、見た事もないような恐ろしい怒りの形相で居たのだ。


「アイナ、エメリヒは悪気があった訳じゃなくて、多分気を遣って……」

「違うの。悔しいから。自分の、意気地がなくて」

「?」


 アイナは震える声で言う。

 押し花のしおりのお礼を言いたかったし、絵葉書にあった城はどんな名前でどこにあるものなのか聞きたかった。それに、貝殻の腕輪を見てもらいたかったし、色々と話をしたいこともあった、と。


 二人は手紙の中で互いを知るということを文を通じて行っていたようだ。

 だが、実際に会って話をするのと、文章で交流をするのとでは事情が違う。

 顔を見合わせれば、どうしようもなく照れてしまったり、どう接すればいいのか分からなくなったりしたのだろう。


「アイナ、エメリヒはまた来るから」

「でも、でも、私、酷いことを、言ったのに、謝って、無い」

「大丈夫。エメリヒは気にしていないよ」

「……」

「次は春、だったかな」

「!?」


 思いのほか、次に会える日が遠かったからか、アイナはついに涙を溢れさせてしまう。


「うわ、アイナ、ちょっと!!」


 彼女の涙が頬を伝ったその瞬間に、居間の扉は開かれた。


「……これは」


 入って来たのは、朝の散歩から帰宅をしたジークリンデ。

 その姿を確認したアイナはジークの胸に飛び込んでいく。


「……!?」


 ジークはアイナを片手で抱きとめ、どういう事かと言わんばかりの視線を向ける。

 自分が泣かせたのではないと、即座に首を振って容疑を否認した。


 ジークはアイナの背中を優しく撫で続け、落ち着くのを静かに待っている。

 自分もふらふらと二人に近づき、どうにかしようと考えていた。


 アイナは小さな子供のように泣いている。


 彼女のことは幼い頃からよく知っていて、村一番のやんちゃな子供だったのだ。

 そんな娘が大きくなって、どうしようもない未来に悲観していたが、一人の青年との邂逅から手紙を交わすようになるうちに恋を知り、そして、救済の道を見つけ出した。


 毎日辛い中で、送ってくる手紙だけが楽しみだったのかもしれない。


 そんなアイナが、思うように振舞えなくって後悔しながら泣いている。

 可哀相で、いじらしくて、色々な思いが込み上げてきたので、情けない事だが泣きそうになってしまった。


 どうしようかと涙目でジークを見れば、彼女は空いている手で自分までも優しく抱きしめてくれたのだ。


 ジークリンデ、なんという包容力のある女性。


 ジークに抱かれたまま、俺とアイナは切ない気分を噛み締める事となる。


 エメリヒ・アイナ問題はまだまだ解決しそうになかった。


 そして、最大の問題はアイナが素直になることではない。異国人嫌いのじじいばばあなのだ。


次話、要塞にやって来た隊長視点のお話になります。

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