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第三十四話 開き直った辺境の雪男

 姿勢を正し、デレっとしていた顔を真面目なものにする。

 そして、昨日の抱擁と頬にキスをした説明からすることにした。


「あのさ、ジーク」

「どうした? 急に改まって」

「いや、昨日のことなんだけど」

「……」


 その話題に触れれば、ジークは眉間に皺を寄せていた。蒸し返してはいけない話だったらしい。

 でも言ってしまったので、今更無かったものには出来ない。そのまま続けさせて貰う。


「実は、お祖父さんにジークとの関係を疑われてしまって、それで本物の夫婦に見えるようにした行為だったんだ」

「……そう、だったのか」

「突然相談も無しに不快な気分にさせて、本当に申し訳なく思っているよ」

「……」


 ジークに向かって頭を下げる。

 なにやら重たい圧力が掛っているような気がして、頭を上げることが出来なくなっていた。


「顔を上げろ」

「……」

「今すぐに、だ」

「はい」


 命じられて、下げていた頭を上げる。

 ジークの顔は険しい表情からいつもの精悍なものに戻っていた。


「……」

「……」


 この上なく、気まずい。

 とても、口説いたり、接触を図ったりなど出来る雰囲気では無くなっていた。


 ……おかしいなあ。コーヒーを飲んでいた時は穏やかな空気だったのに。


 そんな事を思いながら、ジークに向かって薄ら笑いを浮かべてしまう。

 どうにもならない状況の中、笑って誤魔化してしまうのは三十を前にしても治らない悪癖だった。恐らく生涯このままだろうなと予想している。


「……それで?」

「はい?」

「お義祖父様はなんと?」

「指摘するまでもなく、夫婦関係では無いな、と」

「だろうな」


 夫婦に見せる為の偽装工作は全てが咄嗟の思いつきであり、衝動的な行動だった。ジークに相談しようという、気遣いさえ無いという最低野郎だ。


「協力出来なくて悪かったな」

「いや、お祖父さんにバレたのは俺が顔を赤くしていたからで」

「本当か?」

「本当です」

「どうして、そのような状況になっていた?」

「ジークが可愛かったから」

「は!?」

「ジークが可愛かっ」

「待て、二度も言わなくてもいい。聞こえている!」

「す、すみません」

「……」


 そう。赤面をしていたのは、思わぬ反応を示したジークにデレっとなっていたからだった。


「それで?」

「お祖父さんは、その、見なかった振りをしてくれるって」

「それは助かる。両親や従姉妹達に情報が回れば面倒な事態になっていた」

「ですよねえ」

「……」


 もはや甘い雰囲気など欠片も無い。

 ジークは腕を組んで何かを考えているかのような格好を取り、再び眉間に皺を寄せて、今度は目付きも鋭くしていた。


 そんな彼女が居るお陰で、ここは劣勢の状況にある軍の作戦会議室のような、暗くて重たい空気となってしまった。


 あとに引けない戦いの作戦を練るのは、若き総司令官・ジークリンデと、使えない部下・その一である。


「ジーク、やっぱり仮の夫婦なんて無理なん」

「待て、私に考えがある」

「え?」


 考える人の格好から、指示を出す上官の顔となったジークは、とっておきの作戦を発表する。


 ――だったら、普段から本当の夫婦のように振る舞い、いつ人が来てもバレない状況を作っていればいい、と。


「今回の失敗はやはり私にあると思う」

「そんなことは」

「いや、ある。こちらが動揺をしなければ夫婦の振りは成功していた」

「……」


 それはどうだろうか。

 あの突拍子も無い作戦が成功していても、祖父の尋問から逃れる事は出来そうに無かったよなあ、と思った。が、また要らぬ事を言えば怒られるので黙って奥さんの話を聞くことにした。


「私達夫婦に足りないものは、やはり、普通の想い合っている男女にある親密さだろう」

「……まあ、そうだね」


 ここで生活を始めて約半年。

 随分仲良くなったとは思うが、なんというか、二人の関係は『近所の気のいいお姉さんと、その人に憧れる子供』感は否めない。


 そんな中でジークは、仮の夫婦を本物の夫婦に見せる為に仲の良い様を装うことを提案して来たのだ。


「それで、作戦の詳細は?」

「……」


 いい作戦だと思うが、仲の良い夫婦ってどんなことをするのか全く分からなかった。ジークも同様なのか、黙り込んでしまう。


 自分の所の両親は、いつも二人でほわ~としているだけで、特別触れ合ったりする事も無かったのだ。

 念のため、上官殿にも聞いてみる。


「ねえ、ジークの言う仲の良い夫婦ってどういうことをするの?」

「それは……」


 またしても、彼女は考える人となってしまった。


 まあ、何というか、子供の居る夫婦は人前で睦みあったりしないだろうなあ、という事に気付いてしまう。


 本当に仲の良い夫婦とはその場の空気で分かるのかもしれない。

 最初から自分達には無理なことなのだ。


 ジークの両親も特別な行為はしていなかったのか、考え中の状態から動かなくなってしまった。


「ジーク、やっぱり思いつかない?」

「……ああ、考えても出て来ないものだな。一体、両親の仲は、どうだったのだろうかと」

「……」


 いや、十人も兄弟が居れば良好としか言い様がないのでは?


 とても指摘出来ることではないが。


「リツのご両親はどんな風だったのか?」

「……」


 うちのぽややん両親は斜め上の行動しかしないので、残念ながら参考にならないのだ。


 そんな風に思考を張り巡らせていると、ふと、思いつく。

 ここで、自分のしたいことを言えば、ジークは本物の夫婦を装う為にその行為を許してくれるのではないか、と。


「言いたくないのなら、無理に聞かないが」

「いや、大丈夫」


 ――そう。我が家の両親は目も当てられない程の熱々夫婦だった。

 常にぴったりと寄り添い、少しでも離れようならば、頬にキスをして別れを惜しむ。

 ずっと手も握っていたし、膝枕とかもしていた。


 そんな馬鹿みたいな妄想をジークに伝える。


「そうか。ご両親は仲が良かったのだな」

「ええ、まあ」


 ジークは本日三度目の考える人となっている。自分は仕様も無い嘘を言ったので、心の中で反省中の格好を取っていた。


「分かった」

「!?」

「可能な限りやってみることにしよう」

「本当に!?」

「ああ。嘘は言わない」


 どうしよう!! ジークが騙されてしまった。不謹慎なことだけど、嬉しい!!


 早速長椅子でも買うべきなのか。

 残念なことに、我が家には一人掛けの椅子しかないのだ。これでは膝枕が出来ない。


「どうした?」

「い、いえ、何でも」


 また顔がニヤついていたのではと、危機感を覚えて口許を手で覆い隠す。


「全てをこなすのは難しいとは思うが、少しずつ慣れていけばいいと思っている」

「……うん」


 本当に、本当に、ありがとうございます!! と言いたいのを必死で堪える。

 駄目だ。完全に自分しか得をしない作戦になってしまった。


 少しだけ罪悪感を覚えたので、最終確認を取ることにする。


「ジーク、本当にこんな事をして大丈夫なの?」

「どういう意味だ?」

「だって、されて嫌な事もあるでしょう?」

「……」


 真剣な夫婦ごっこをして、いつか渾身の力で蹴られる日が来るのではないか、と考えてしまう。

 多分、歯止めが利かなくなるだろうな、とも予測していた。


 蹴り飛ばされて、心も体も傷ついて、再起不能になった自分がありありと想像出来てしまうのだ。


「ねえ、もう少し考えてから答えを出し」

「いや、問題はない」

「はい?」

「されて、困ることはない」

「……」


 このお姉さんはこちらの好意に気付いている筈なのに、自分がどういう目に遭うかもしれないとか、分かっているのだろうか。


 これが最後の質問だと決めて、ジークを問いただす。


「ジーク、本当にいいの?」

「いいと言っている」

「逃げないって、約束する?」

「しつこい奴だな。逃げるわけがないだろう」

「だったら、キスしてもいい?」

「!?」


 見開かれる灰色の目。

 言質は取ったのだ。今更撤回なんか許すわけが無い。


 ジークの居る方向に回り、立ち上がるようにお願いをする。今の状態では机があるので何も出来ないからだ。


 反抗されると思いきや、彼女は従順で指示通りに立ち上がってくれた。


 手を引いて窓際に置いてある一人掛けの椅子に連れて行って座って貰う。


 下を向いているジークの頬を両手で包み、顔をこちらへと向かせた。そして、赤色の艶やかな髪に口付けをする。


 それから、前髪を片側に寄せてから額にキスをして、瞼に、頬に、それから口の端のすぐ横にと、何箇所も唇で触れていった。


 意外にも、ジークは大人しくしている。

 瞼は閉じられていたが、微かに睫毛が震えていた。手も膝の上でぎゅっと握りしめており、緊張しているのが分かる。

 そんな様子がとてつもなく可愛かった。


「あの、夫婦は、人前でこのようなことはしな……!?」


 早くもこの行為を不思議に感じたジークが、疑問を言い掛けていたが、発言が終わる前に口を唇で塞ぐ。


 腹部を膝で蹴り上げられるのでは!? と危機的に思っていたのは僅かな時間で、それから先は行為に夢中になっていた。


 満足がいくまで堪能してから体を離す。すると、どこからか視線を感じて、首を傾げる。


 熱い眼差しは、窓の外からだった。


「――!?」


 それは、コンコンと窓を叩いて、己の存在を更に主張していた。


 そんな、思いもよらぬ邂逅に叫んでしまう。


「――熊ッ!!」


 ……いや、まあ、テオポロンだけどね。


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