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第三十一話 辺境の地の歴史

 古くからこの地で生活を送る遊牧民は、トナカイの餌を求める移動と共に生きて来た。

 春から夏は樹木の新芽、キノコなどを食べ、秋から冬は地衣類や白樺の表皮を食べて過ごすとされている。


 トナカイは自然に在るそれらを求めて、本能的に移動をするのだ。


 遊牧民はそんなトナカイを追って長い時を過ごして来た。


 ところが、平和な生活も異国人の侵略によって奪われてしまったのだ。

 脅されて鉱山開発に送り込まれたり、土地の所有権を主張する複数の国から税金を要求されて大切なトナカイを奪われたり、遊牧すら禁じられてしまったという歴史がある。


 差し迫った状況の中では、仲間同士でも裏切りがあったという。


 そんな中で虐げられた遊牧民が最終的に送り込まれた場所は、人が住めるとは思えない極寒の地だった。


 何もかも失ってしまった彼らは、生き抜くための術を考える。


 ――未来永劫異国人を赦すな。

 ――他人を信じないで、家族だけを信じろ。

 ――子供は宝として崇めよ。


 生存出来た者は、それを実行した者ばかりだったのだ。


 極限の中を生きてきた者達の教えは、いつしか『精霊』の言葉として信じられるようになる。


 何も無い土地で、精霊という存在は先の見えない暮らしをする者達の心の支えとなったのだ。


 信仰を続けていれば幸せになれる。

 精霊が豊かな生活へと導いてくれる。


 時が経ち、人々は精霊をシエイティと呼ぶようになり、願いを込めた石を魂が宿っている存在ものとして奉ったのだ。


 こうして定住生活は始まる。


 遊牧をしない暮らしの中で、彼らと精霊は共に在った。


 子供が生まれたら精霊に感謝をし、村民が病に罹れば精霊に祈りを捧げる。


 精霊歌ヨイクを謡えば精霊と心を通わせることが出来ると言われていた。


 長い長い月日の中で精霊信仰は強まったが、それと共に一族の終焉が訪れようとしていたのだ。


 定住生活が何世紀と続いたある年、村で不治の病が蔓延してしまう。

 原因不明で、体力の少ない年寄りから子供、女性と次々に倒れていった。


 精霊に祈っても容態は変わらぬまま。

 村で病気になった時はトナカイの血を飲むが、それすらも効かない。


 そんな中で、妻を亡くしたばかりの領主はある改革を決心した。


 その人物こそが祖父、リクハルド・サロネン・レヴォントレットだったのだ。


 彼が始めに行ったのは、精霊信仰の象徴である精霊石の撤去。

 精霊は何もしてはくれない。そう思った祖父は信仰を止めるように言って、象徴である石を隠したのだ。

 勿論、とんでもないことであると反対する者も居たが、危機的な状況の中では反抗も長くは続かなかったのだ。


 それからしばらくは停滞期を過ごす。

 トナカイと精霊だけを信じて生きて来たので、何をすれば最善なのか分からなかったのだ。


 そのような状況を変えたのは、異国人の冒険者だった。

 ふらりと村を訪れ、流行り病は薬で治るものだと見抜いたのである。


 異国人は医者ではなかったが世界を旅する学者であり、何ヶ国もの言葉を喋り、豊かな知識を有していたのだ。


 その男の名をルーカス・フォン・リューネブルグ。

 彼の数々の助言により、追われた者達の住む辺境の地は変化を遂げる。


 村の影なる救世主は父だった。


 薬の話を聞いた祖父はトナカイを売って医者を呼び、薬を村人へ配った。不治の病と言われていたものはあっさりと快方へ向かい、しばらくすれば終息を迎えることとなったのだ。


 それから更に祖父は知識を求めた。父の教えることは一般的な知識であったが、トナカイについてと狩猟しか知らない元遊牧民には画期的なものばかりだったのだ。


 土を耕してから作物を得たことにより、病気がちな子供は少なくなった。それから夜空に浮かぶ狐火オーロラは異国人には価値のあるものだという事が発覚し、観光事業を始めるきっかけとなる。トナカイ以外の財を知り、人々は精霊の存在を忘れて生活を改めた。


 勿論、その新たな習慣を受け入れない者もいたが、少数派だったのだ。


 年を追うごとに暮らしは豊かになり、心に余裕が出来た人々は精霊への信仰を思い出す。

 だが、祖父はそれを赦さなかったのだ。


 このようにして、辺境の地を統治する伯爵家と村人との間には溝が出来てしまう。

 祖父が亡くなった後もそのしこりは残ったまま、月日は流れていた。


「この石は、お前が戻したのか」

「……」


 こんなことしか出来なかったと、祖父の言葉に力無く頷く。


 伯爵邸にあった精霊石を村に戻したのは、領主として初めて行った決定だった。村人達には媚びて人気取りをしているのではとか色々言われたけれど、これで良かったと認識している。


「お前は、頑固者ジジイのような、改革を推す領主にはならないのだな」

「……」


 だって人は自由なのだ。


 信仰も、幸せも、生き方も、強制していい訳がない。人生とはその人のもので、進む道を権力者が塞ぐのは勝手だと考えている。


「……でも、結局は領主として、どうあるべきなのか、まだ分かっていないだけなのかもしれない」

「……」

「十年間、村を見守って来たけれど、最近はこれでいいのかなって思ったり、思わなかったり」


 ジークと暮らし始めてから視野も広がっているのだろう。

 しかしながら、はっきりとした答えにはまだたどり着いていない。


 シエイティの前には、今日も供物が捧げられていた。村人達は毎日のように品を代えて、精霊に感謝の意を示しているのだ。


「精霊は、居たら素敵だなあって」

「……」


 精霊について教えてくれたのは母だった。そのお陰で偏った思想にならなかったのだ。


「なるほどな。そういう事情が面倒になって、馬鹿息子は逃げ出した訳だな」

「それはどうでしょう」


 結局、父親が村から出て行った動機は謎だ。

 ここが寒いから嫌だとも言っていたし、研究の素材が必要だとも言っていた。

 母はふわふわした性格の父が心配で付いて行ってしまったのだ。だが、母は父を遥かに超えるふわふわとした性格なのだ。二人旅が十年も成立しているのは世界の七不思議の一つとしてもいいのかもしれない。


「全く、一人息子に領主の座を押し付けて出て行くなんぞ、けしからん奴だ!」

「まあ、特別な苦労は何もしてなかったから大丈夫なんだけどね」


 領主の仕事と言っても表立って行う派手なものは一つも無い。家で夜中にごそごそとするものばかりだ。


 家に帰るかと立ち上がろうとすれば、ある変化に気付いてしまう。


「あ」

「どうした?」


 抱えている鶏の一羽が突然ぎゅっと身を縮め始めたのだ。


「お祖父じいさん、どうしよう……」

「は?」

「う、産まれるかもしれない」

「なんだと!?」


 二羽の鶏は膝に置いた状態で抱いていた。

 果敢にも、その内の一羽が卵を産もうとしていたのだ。


 鶏のお尻は外側に向かっている。このままでは卵は地面に落ちて割れてしまうのだ。


「あの、よろしかったら卵、受け取ってくれませんか?」

「ど、どこから産まれるのか!?」

「お尻から」

「……」

「右の鶏女子です」

「……」


 祖父は産まれたばかりの卵を見事に受け取ってくれた。


「どうして、私がこんなことを……」

「ごめんなさい。とても助かりました」


 お昼を知らせる鐘がなったので、家に帰ることにした。


 ◇◇◇


 帰宅後は食事をして、祖父のお世話をミルポロンに任せ、すっかり荒れ果てていた鶏御殿の掃除をしたり、昨日摘んで来た葉っぱの処理をしたりして過ごす。


 一息ついた所で祖父が休憩をしろと言いに来てくれたので、家に帰って一休みをすることにした。


「毎日こんな感じなのか?」

「と、言いますと?」

「働き詰めではないか」


 そうは言っても、帰宅後から三時間ほど外で作業をしていただけだ。今日はのんびりと過ごしている方である。


「貴族というよりは、ただの村人と言った方がしっくり来る」

「まあ、優雅な暮らしではないけどね」


 元々辺境の地を押し付ける為に叙勲された爵位で、国王より賜った財産も夜空に浮かぶオーロラのみという、残念貴族なのだ。


 そんな感じなので、それなりの生活をするしかない。


「仮の話だが」

「はい?」

「父親の育った国で暮らさないか、と言ったらどうする?」

「それは、どうしましょう」


 父親の祖国はジークの生まれ育った地でもあるのだ。


 ここよりもずっと過ごしやすい場所であるし、ジークも文化や生活習慣の壁に苛むことも無くなるかもしれない。

 しかしながら、異国で生きる術を知らないし、なによりも自分は領主なのだ。この地を離れて暮らす訳にはいかない。


 祖父の問いかけには薄ら笑いで流してしまった。

 真面目な質問に不真面目な態度で返事をしたので、祖父のご機嫌は斜めとなる。


 それからしばらくするとジークが帰宅して来た。

 祖父の不機嫌な様子が一瞬でご機嫌になったので、降臨した女神様に心の中で手を合わせて感謝をする事となる。


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