第三十話 お祖父さんと!
翌朝。
居間兼食堂へ行けば、朝からお
朝から素敵な淑女とお喋りをして上機嫌な祖父は「今日は村でも案内して貰おうか」と本日の予定を言っていた。やらなければいけない仕事は沢山あったが、「はい、喜んで~」と返事をするしかない。
「あ、お祖父さん、ジークは行けないよ」
「なんだと!?」
「今日は村の女性陣は染物をする日だから」
「むう……」
いや、むうって頬を膨らませてもらっても……。
昨日の酒が抜けきっていないのかもしれない。ジークも困った顔をしていた。
「お
「まあ、仕方がない。今回の訪問は突然だったからな」
案外あっさりと引き下がるお祖父さん。染物について興味を持ったようで、ジークから話を聞いていた。
彼女たちが染めるのは、手作りの
フラックスは夏の前になると森の中に大量に生えるので、採取を行うのだ。
採って来たものは花や葉を除いて茎だけを特別な水に半月ほど浸し、繊維を取れやすくする。
この工程を経てから、茎を洗って乾燥をさせ、それから茎を棒で叩き、木で出来た櫛のような道具を使って梳いて行くと糸のような形状となる。
最後に糸紡ぎ機で紡いで完成となるのだ。
今年染めるのは去年採って来た糸で、女性達は家事の合間に亜麻の糸を作っているという。
染める素材も森で取れた花を使う。
この時季には美しい紫色の花が咲き乱れているので、それを煮立てて色を出し、亜麻の糸に移すのだ。
最後にその糸を織って様々なものを作り、売りに出す。
ここ数年は力仕事をして欲しいと頼まれて、ご近所の奥様に混じって
そんな訳で、我が家の奥様は朝食後に村の作業小屋へと出かけて行った。
「さてと、お祖父さん、一休みしてから出掛けますか?」
「いや、今すぐにでも連れて行け」
「仰せの通りに~」
祖父も自分も出掛けられるような格好だったので、そのまま家を出る。後ろには従者さんも居るので何かあった時も安心だ。
「あ、ちょっと待っていてくれませんか」
「なんだ?」
「トナカイの森に行くので」
そう言ってから小屋の中へと入って行く。今は野生動物が子供を連れ歩いている時期なので、子供を守る為に荒ぶった状態なのだ。念のためにナイフと銃を持って出掛けなければならない。
武装した姿を見て祖父は目を剥いていた。
「子連れの熊が出るんですよ。しかも冬眠明けなので、お腹もペコペコだという」
森に生息する謎の白熊は冬眠をしないが、灰色熊は冬眠をする。熊のお母さんは冬篭り中に出産をするのだ。そして、春になれば子育てと食料確保で非常に凶暴な状態になる。
熊も勘が鈍ってたまに人里にまで餌を取りに来る事もある。そして、うっかり出会ってしまうのだ。
熊と人の双方が「やだ、こんな所で出会うなんて!」という感じになるが、殺られるのは大抵人だ。子連れ熊は一年の中でも最強の戦闘能力を保持していると言われている。
「やっぱり森に行くのは止める?」
「何故、この私が熊如きで予定を変えなければならないのか!」
「お祖父さん、前を見て歩かないと危ないよ」
「分かって――!!」
威勢良く後ろを振り返りながらお喋りをしていた祖父であったが、前を向いた途端に鉢合わせとなったのはテオポロンだった。
だが、幸いな事に彼は本日休暇のようで、仕事着(?)である白熊の毛皮を着用はしていない。ただの半裸のおっさんだ。忘れ物があったようで、それを取りに来たらしい。
もしも、テオポロンが白熊の毛皮を着用した状態だったら、祖父は驚いて失神をしていたかもしれない。危なかったと一息吐いてしまう。
「なんだ、あいつは」
「ここで働いて貰っている人」
「何故、上に何も着ていないのだ」
「……さあ?」
そんな会話をしながらも、案内を開始する。
最初に向かったのはトナカイの森だ。一応危険が無いように犬を三頭連れて歩く。
「この柵がぐるっとある位置がトナカイを放し飼いにしている場所で……」
祖父に途方も無い広さがあると説明をした。
「肝心のトナカイは居ないではないか」
「呼べば来るよ」
柵の中へは入らない。万が一祖父が角で突かれでもしたら大変だからだ。
笛を吹けば家で世話をしていた白トナカイがやって来る。しかも、四頭のトナカイ女子を侍らせた状態での登場だ。
「ほう、これは美しいな。白いトナカイは珍しいのか?」
「うーん、世界的には珍しいけど、この森の中では白トナカイは結構居るかな。鹿とか熊だったらかなり希少かも」
毛並みを確かめたいと祖父は言ったが、トナカイは繊細なので家にある毛皮で我慢をしてくれとこの場ではお願いをした。いくら飼い慣らしていても、愛玩用ではないので気軽に触ったりは出来ないのだ。
「馬とは勝手が違うわけだな」
「そうだね」
とりあえず満足して貰えたので、トナカイ達には解散を言い渡す。
次に向かったのは村の周囲を守る要塞だ。
「立派なものだな。ここはかつて国の重要地点であったのか?」
「いや、ただの獣避け」
「は!?」
この要塞についての文献は残っていないので詳しく話をしようがないのだ。分かっているのはその昔害獣被害が多発した為に、村民を守る為に作られたものだとしか伝わっていない。当時被害が多かったのは熊と狼で、現在は人里に下りてくるクズリと狼退治を行うこともある。
「なんでも、国の予算で作られたという噂です」
「当時の馬鹿王が作るように命じたのか。信じられない」
村の七不思議の一つである。
それから何も無い村を案内する。
子供達は投げ縄をしながらトナカイを捕まえる練習をしており、女性達は染物をする為に忙しくしている。男衆は家で伝統工芸品を作ったり、湖や川に出かけて釣りをしたり、畑仕事をしたりと様々だ。
「ここは村唯一のお土産屋さん兼商店」
祖父が興味ありげな様子だったので、店の中に入る。
「いらっしゃい、って領主様かい」
「どうもこんにちは」
「そちらの方は?」
「祖父です」
「あらまあ!」
一年の中の繁忙期を終えたばかりの土産屋は、見事に商品が無い状況にあった。
極夜の後にある市場に出さないで、観光時期に工芸品を取っておけばいい話だが、村人にとっての蚤の市は一年に一度の祭のようなもので、皆開催を楽しみにしているのだ。
奥にある商店は品物が充実している。おかみさんの旦那さんが馬車を使って港町から野菜や肉などを仕入れるのだ。値段も村に来るぼったくり商人よりも安い値段で売られているという、良心的なお店だ。
「あ、おかみさん、店の表に居た鶏を二羽買いたいんだけど」
「まいどあり」
入荷されているのは全て雌鳥。冬になるまでの半年間飼って卵を産んで貰うのだ。ジークの分と二羽、購入する。
「籠は別料金だけどどうするかい?」
「そのままで」
大人しそうな鶏だったので、そのまま両脇に抱えて帰る。
珍しくも無い鶏ですら祖父は不思議そうな顔で見ていた。
「それは食べるのか?」
「冬になる前にね」
雪が降れば外での家畜の飼育は出来なくなるので仕方が無いのだ。
鶏はコココ、と控えめに鳴いている。
そして、最後の村の名所に到着をした。
「なんだ、これは」
「精霊シエイティ」
「……」
祖父は訝しげな表情をしながら精霊石を眺めている。
「お前は信じているのか?」
「精霊を?」
「そうだ」
「……」
鶏を抱いたまま、精霊の前に片膝をついていつもの祈りを捧げる。
――村が平和でありますように、家族が健康でありますように、これからも自然を恵みが齎されますように。
精霊の返事なんか聞こえる訳がない。
話を逸らそうと、別の話題に持って行った。
「……何十年か前に、亡くなったお祖父さんが突然この精霊石を撤去した事件が発生して、それはそれは大変な騒ぎになって」
「お前の母方のジジイは変わり者だったらしいな」
「まあ……」
前領主、リクハルド・サロネン・レヴォントレットは精霊信仰を否定し、新たなる生き方を提示した人でもあった。
そんな母方の祖父の話を、ぽつり、ぽつりと語り始める。