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第二十九話 突然の訪問者

 本日は森の散策。――とは言っても様々な目的があった。


 春一色となった森の中は雪解け水を吸って新しい葉が芽吹き、全体が若草色で覆われている。


 そんな中で行うのは、香草や薬草を摘む作業だ。

 自然に自生する葉は、料理に使う香辛料や生活に使う品を作る材料となる。


 ジークに葉の種類を説明しながら静かな森の中を進んでいく。


 お昼時になれば、葉っぱを種類ごとに入れている革袋は満杯となっていた。


「そろそろ帰らないとな」

「そうだね~。あ、待って」


 昨日川に魚を捕まえる為の罠を放っていたのだ。それを回収したいので、川の方角を目指す。


 罠は蔦を叩いてから煮込んで柔らかくした後に編んだものである。入ったら出られない構造となっており、中にパンくずを入れておびきき寄せるという単純なものだった。


 川べりに打った杭に結んである紐を引き、仕掛けていた罠を回収する。


「あ、結構掛かってる」

「大漁だな」


 籠状の罠の中には白鱒ムイックと呼ばれている小魚が二十匹程びちびちと跳ねていた。良く水を切ってから革袋の中へと入れて持ち帰ることにする。


 帰宅後は、摘んで来た一部の葉を乾燥させる為に袋の中から取り出し、太陽の下で日干しにする。葉を鉄板に並べて風で飛ばないように、網目のある蓋を被せて放置するのだ。


 他のものは煮たり、炒ったり、蒸したりと加工方法が違うので、とりあえずその辺に置いて作業は後回しにする。


 白鱒ムイックはルルポロンへ持って行き、昼食を作る時に使ってくれと頼む。勿論二人では食べきれないので、残ったものは持って帰って欲しいと伝えた。


 半日葉っぱを摘んでいたので、指先は緑色に染まっている。三日ほど経てば自然と綺麗になるが、春は毎日葉摘みを行うので、色が抜けるのは夏の前になってしまうのだ。


「酷いでしょう?」

「まあ、私は気にならないから大丈夫だが」

「良かった。でもね、夏は夏でベリー摘みがあるからねえ」


 ベリー類は派手な色に染まってしまい、最終的には混ざって何とも言えない指先になるのだ。


 紫色のブルーベリー。

 薄紅色のリンゴンベリー。

 赤色のクランベリーに、黄色のラズベリー。


 この周辺には様々なベリーが自生しており、ソースやジャム、ジュースを作る為に桶に何杯分も集めるのだ。


 そんなベリー摘みは女性のお仕事とされている。


 『ベリー摘みの上手な嫁を探せ』、という言葉がある程この地域では重要な仕事の一つとなっているのだ。真夏の恵みは一年の食生活を支える大切なものでもある。


 一方でベリー摘みを憂鬱に思う奥様も多いという。満足に集める事の出来ない女性は『使い物にならない嫁』だと呼ばれることもあるとか。


 毎年ベリー摘みは一人で行っていた。


 夏真っ盛りの森には作業に夢中になっている状態で獣とうっかり出会うこともあるので、注意が必要だと伝える。

 ベリーは野生動物の食料でもあるのだ。


 そんな話をしていると、昼食が運ばれて来た。

 品目は白鱒ムイックのフライにタルタルソースが掛かったもの、茹でたジャガイモに、スープはトナカイ肉と春カブを煮込んだ透明な香草風味のもの。


 白鱒ムイックはきちんと腸が抜かれており、苦い頭部も切り落とされていた。衣を付けてさっくりと揚がった淡白な身に、刻んだ野菜の入った濃厚なソースがよく合う。

 スープの中のトナカイは柔らかくなるまでじっくりと煮込まれており、噛めばホロリと口の中で解れる。異国産の春先に採れたカブはほっくりしていて筋もなく、噛めばほのかな甘みが広がった。


 本日も素晴らしい食事だったと、食器を片付けに来たルルポロンに伝え、お礼を言う。


 お昼からは畑の様子でも見に行って、雑草取りでもしようかと話をしていると、ミルポロンがやって来て、玄関の方向を指で示す動作をしていた。


「あら、お客さん?」


 商人や手紙の配達人以外あまり伯爵邸を訪れる人は居ないので、珍しいなあと思いつつ玄関へと向かう。


 扉を開けば、よく見知った顔があった。


「アイナ?」


 客人はアイナだった。

 緊張の面持ちをしていたので、ジークに何か相談でもあるのかと思いきや、彼女は「お客さん」だと言って後方を見るように雑な仕草で示したのである。


「……え?」


 アイナの後ろに居たのは、とんでもない人物だった。


「――お、お祖父(じい)さん!?」


 客人はアイナではなく、父方の祖父だったのだ。


 ◇◇◇


 祖父に結婚をしたと報告の手紙を送ったのは極夜の前だったか。

 こっちに来てジークを紹介をしろ、という返事が来ていたが、今の時季はトナカイの出産やら薬草摘みやらで忙しいので行けないという返事を出したのがつい最近であった。夫婦関係が仮契約なのも紹介出来ない理由の一つであったが。


 白くて立派な髭をたくわえた祖父は、荒ぶった表情で睨みつけて来た。

 言おうとしていることは何となく想像出来る。


 そして、頭の中にあった台詞をそのままに祖父は言ってくれたのだ。


「――全く、こちらの要請に応じないものだから、直接こちらが来てやったわ!!」

「う、うわあ、嬉しいなあ」

「何が嬉しいだ!! 全く、か弱い年寄りに過酷な旅をさせてからに!!」

「ご、ごめんなさい」


 祖父は今年で七十七。

 背中はピンと張っているし、顔色も良い。本人の言うか弱い状態とは程遠かったのでとりあえずはホッとする。


 玄関先で騒いでいたのを不審に思ったジークが玄関へとやって来た。


「あ、お祖父さん、彼女が奥さんのジークリンデさん」


 驚いた顔を見せていたジークにも祖父を紹介する。

 ジークはすぐに名前を名乗り、綺麗な角度のお辞儀をしてくれた。祖父は偉そうにしているだけであった。


 ここでは何なので、と家の中へと案内をする。

 祖父は従者を二名連れて来ていた。すれ違ったミルポロンに、至急客室を準備するようにと何となくの仕草で伝えた。彼女は承知したと胸を拳で打ってくれたが、正確に伝わったかは謎だ。


 祖父に会うのは夜会の晩以来だ。

 ジークと出逢った夜会に参加することが出来たのは、祖父を通じた縁のお陰だった。


 祖父の名はアーダルベルト・フォン・リューネブルグ。異国の侯爵様なのだ。


 さきほどから祖父はジークに質問をぶつけている。


「実家はテューリンケン地方だったか」

「はい」

「ヴァッティン家は軍人の家系だったが、お主ももしや軍人であったのか?」

「ええ。十三歳の時から十八年間、軍に籍を置いていました」

「ほう。何故、辞めてここまで来たのか?」

「結婚をしろと、上司に言われたもので」

「そうであったか」


 ルルポロンが持って来た香辛料入りの果実酒を祖父は一口飲み、不味いと言って杯を空にする。他の飲み物は無いかと棚を探れば、口の中と喉、時間差で胃が痛くなる酒があったが、これは駄目だと奥に仕舞いこんだ。

 ジークが家から持って来た赤ワインがあったので、それを開けることにする。


「おい、瓶の中身を直接注ぐな!」

「ん?」


 ワインを開封してそのまま杯へ注いだら、何故か祖父のお怒りを買ってしまった。

 理由を聞けば古いワインの瓶の中には何かの成分が結晶化して浮かんでいる状態となっているらしい。それを除かないと美味しく飲めないというのだ。

 一つ勉強になったとお祖父さんにお礼を言ったら、常識だと怒られてしまった。あと酒を注ぐのは給仕の仕事だという指摘もされてしまう。


 それからは、ひたすらジークへの質問攻撃に、不甲斐ない孫への説教、父が行方不明だという事実への怒り、それに母を巻き込んでいたということへの驚愕、様々な話題が次から次へと飛び出してくるのである。


 酒も飲む。とにかく飲む。飲みすぎは良くないと言えば、素直に認めて飲酒を止める扱いやすい酔っ払いであった。


 夕食の時間となり、ルルポロン特製の食事が運ばれた。


 来客時には陶器の皿や銀のナイフやフィークを使って料理を振舞う。

 銀の食器はルルポロンが丁寧に手入れをしているのでピカピカだった。


 食前の祈りを終えると、祖父はトナカイの肉は食べても大丈夫なのかと言い始めた。

 そんな祖父にジークが優しく教える。


「美味しいですよ、とても」

「ふうむ」


 祖父はジークが食べる様子を眺めている。

 トナカイの肉は異国人には珍しいものみたいで、このような反応は珍しいものではない。

 料理は他にも沢山あるので、食べなくても大丈夫かな、と考えていた。


「それにしても」

「ん?」


 祖父はまだトナカイ肉を食べるジークを見ていた。

 早く食べた方がいいと言おうとしたが、祖父の発言に遮られてしまった。


「……最初は大きな嫁を貰ったものだと思ったが、いや、あれはいい女だ」


 ジークに聞こえないように、わざわざ近づいて耳元で囁いていくお祖父さん。そして、またジークを見始める。


 お祖父さんの言葉に何を返したらいいか分からずに、ついつい自分もジークを見てしまう。


 ……うん、いい女だ。


 お祖父さんと二人して不躾な視線を送ったにもかかわらず、ジークは平然と気付かない振りをして食事を続けてくれた。


 緊張の中での食事は、なんとか終わった。

 祖父は、変な風味の酒は最悪だがトナカイの肉は悪くないという評価をくれたのだ。


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