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第二十二話 一人じゃない

 帰宅後、どうやって村の女性と仲良くなったかとジークに聞けば、挨拶をするうちに親しくなったというなんてことのない答えが帰って来る。

 だが、小さな頃から異国人に慣れている若い娘はともかくとして、自分の母親位の女性が簡単に心を開くものかと疑問に思ってしまう。


 尚、観光事業を始めたのは数十年前からだ。


 考えても仕方が無いことなので、その話題はそこで終わった。


 翌日、表面に塗りこんだ蜜蝋が乾いている木彫りの小熊を土産屋に持って行くと、おかみさんがジークリンデ教が出来るまでの経緯を教えてくれたのだ。


 ジークの趣味は毎朝の散歩だ。その道中に様々なことに遭遇していたのだという。


「ホルムさん所の奥さん、旦那さんが腰を痛めていてねえ」


 朝から屋根の雪下ろしをしようとしてる所にジークが通りかかり、奥方の代わりに屋根に上って雪を払う作業を代わってくれたのだという。しかも、旦那さんの腰が完治するまで毎日。


「毎朝毎朝やって来ては、雪下ろしだけをして行って、しかも奥さんがお礼をしたいからと名前を聞いても『名乗る程の者ではない』と言って颯爽と去って行ったんだと」


 他にも薪割りを手伝ったり、水を運んでいたご婦人に手を貸したり、犬の散歩を代理で行ったり。ジークの寄り道しまくり散歩は朝から働いている女性達を、ささやかではあったが助けてくれていたのだ。


「なるほどねえ。それでみんな信者になっちゃったという訳」

「そうみたいだねえ。加えて顔も男前だし」

「女性だけどね」

「それもみんな分かっているさ。憧れみたいな感情なんだろうねえ」

「ふうん」


 確かに朝の仕事は辛い。一般的な家庭の男は、朝は何もしないのが普通で、あくせくと働くのは女性ばかりなのだ。そんな中でジークは彼女達のささくれた心を癒す存在なのかもしれないと考える。


「それにしても、ベルグホルムさん所の娘さんは、ジークリンデさんと何があったのかねえ」

「……」


 ジークとアイナとの接点には心当たりがあった。前に猪に追われている女性を森で助けたと、今朝方の食事の席でジークが言っていたのだ。その女性がアイナだったのでは? と推測をする。

 ちなみにジークは森の奥地に居たことを本人から口止めをされていたようで、言おうか言うまいか悩んでいたらしい。


 この村の女性はトナカイを捕まえる縄投げも出来るし、小型動物に限ってだが狩猟も行う。だが、それは本来の仕事ではなく、一家の主が倒れた時などの緊急事態にのみ行うことなのだ。


 ベルグホルム家の主人が倒れたとか病気に罹ったなどという話は聞いていない。

 普段そういった村人の負傷情報は訪問販売を行う商人から聞くようになっている。


 あの家には壮年の男が居ない。アイナの父親は早くに亡くなり、母親と祖父母の四人で暮らしているのだ。

 彼女は一人娘であるが、気の強い性格が災いして嫁にと考える者は居ないという。状況からして、早く結婚をした方がいいと思ってはいるものの、本人にもその気がないので、どうしようもない問題でもあるのだ。


 そんな年寄りしか居ない家だが、彼女の家のお爺様は村一番の狩りの名人だ。なので、アイナが狩りに行く必要などまったく無いのだが、まさか病気や怪我などしているのではないかと不安になったので家を訪ねることにした。


 しかしながら、そんな心配も杞憂に終わる。

 アイナのお爺さんが立派な体躯をした猪をトナカイの曳くソリに乗せて帰って来ていた所を偶然目撃したからだ。


「――あ!」


 アイナ発見! 

 こそこそとしている後姿に声を掛ける。


「そこで何をしているの?」

「ヒッ!」


 彼女の手には使い古したかのような弓と手作りの矢が握られている。昔の狩猟の装備を持っているアイナのしようとしている事は一目瞭然であった。


「アイナ、どうしてお爺さんが元気なのに狩りに行こうとしているの?」

「べ、別にどうでもいいでしょう!?」

「危ないから」

「……」

「さっき、お爺さんが立派な猪を狩って来ていたよ?」


 そんな言葉を掛けた瞬間に、アイナは怖い顔でこちらを睨みつける。

 そして、荒ぶった感情を自分にぶつけてきたのだ。


「領主に、私の気持ちなんか分かりっこないわ!!」


 アイナはその場に弓矢を投げ捨て、どこかへと走り去っていく。


 後は追わなかった。思春期の娘は色々と難しい年頃で、こちらが何か諭しても聞く耳を持たないからだ。


 もやもやとした気持ちを抱えつつの帰宅となる。


 ◇◇◇


「迎えに行こうかと思っていた」

「ごめん」


 ジークは玄関で自分の帰りを待ち構えていた。いつもだったら土産屋への納品後はすぐ帰宅をするので、帰りが遅いと心配していたとのこと。


「雪が降り始めたんだな」

「そうみたい」


 ジークはやさしく肩の雪を払ってくれる。


「……どうした?」

「いや、自分達さえよければ良いって生活って、やっぱり無理があるんだなあって、改めて思ってしまって」

「それは仕方が無いことだ」

「……」


 お年寄り達は古くからの生活様式を変えることを頑なに拒む。だが、若い村人達は変化を望んでいた。


 それは時が解決をする問題だろうとジークは言う。


「困っている家があれば、出来るだけの支援を」

「まあ、ほどほどに。無理はいけない」

「ありがとう」

「一人で抱え込むような問題でもないから」

「……うん」


 その後、ジークはコーヒーを淹れてくれた。

 ホッと心も温まり、また元気に仕事が出来ると彼女にお礼を言った。


 ◇◇◇


 季節は巡り、辺境の地にも春はやって来る。

 春とは言っても、残念なことに雪は溶けきっていない。


 村の女性達は近くの港町である蚤の市へ出かけ、店を広げる。

 そこにはトナカイの角などで作った細工や毛皮で作った帽子や靴、外套なども並び、狩った獲物を使って作った燻製肉なども売られているのだ。中でも比較的安価で入手出来る白樺のカップやトナカイの革を使った伝統工芸品は海を渡ってきた観光客などに人気を博している。


 今回はジークにとって初めての市場なので、二人で売り子をする事にした。

 売っているのは木製カップに匙、極夜に作った木彫りの鷲は一番の目玉だ。ジークの作った腕輪に、刺繡入りのハンカチも並べる。


 どんどん客に声を掛けて商品を見るように引き込み、隣に居るジークが淡く微笑めば商品はあっという間に売れていく。お昼過ぎにはほとんどの商品が売れてしまった。


「すごいな、もう匙が三つ残るばかりだ」

「びっくりだよね。普段は二日掛けて売り切るのに」


 全てはジークリンデ効果なのか、それとも夫婦二人の合わせ技なのか。どちらにせよ、二日目の出店料は払わなくて良さそうだと安堵をする。


「お腹空いたね。なんか食べられる物を買ってくるよ」


 そう言って屋台に食べ物を買いに行く事にする。


 今回の集客は例年以上だった。というか、今まで参加した中で一番多いのでは、と思うほどの人混みである。


 人を掻き分けながら食べ物を売る屋台街へと到着をした。

 まず目に入ったのは豚挽き肉の腸詰めマッカラを売っている店だ。直火で炙っている串刺しの腸詰めには切り目が入っていないので、パリパリになった皮が今にもはち切れそうな焼け具合であった。

 それを二本注文すれば、マスタードを塗った状態で紙に包んでくれる。


 次に向かったのはパンを売る屋台だ。

 いつもと違うものをと思った時に、山盛りに積まれたある品が目に飛び込んでくる。

 『平手打ちコルヴァされた耳プースティ』という名のパンは、表面にバターをたっぷりと塗り砂糖と香辛料を振った生地をくるりと巻いて焼くというもの。この国の人たちはみんなこのパンが大好きだ。外はさっくり中はふわっとしていて、独特の甘い香辛料の香りが鼻腔をくすぐる。ランゴ一家のお土産にもしようと思って、可愛らしい大きさのパンを二十個程購入をする。


 最後に購入をしたのは、『鮭のスープロヒケイット』だ。今まで食卓に上がっていた魚は燻製にしたものだった。なので、店主の新鮮な鮭のスープだよという言葉についつい釣られてしまう。

 癖の無い牛の乳を使って作られていると店主は言っていた。牛の乳は村では手に入らないので贅沢な品なのだ。スープの中には季節の根菜と新鮮な生の鮭を煮込んだものに、チーズや香辛料がふんだんに使われているものが湯気をあげながらぐつぐつと煮立っていた。そんなスープを二人分購入する。


 どんどん食べ物を買っていたら両手はいっぱいになってしまった。飲み物は後でまた買い行こうと、人の少ない通路を探して帰って行く。


「あら、完売したんだ」

「今さっき売れてしまった」


 売れ残っていた匙も完売したようだ。何も無い机の上に買って来た食べ物を並べる。


「飲み物は私が買って来よう」


 そう言って返事も聞かない間に出て行ってしまった。数分後、ジークは二人分のコーヒーを持って帰って来た。

 瓶入りで販売していたコーヒーには牛の乳と砂糖がたっぷり。飲むと体の中がじんわりと温かくなる。


 買って来た屋台の食事はどれも美味しかった。たまにはジークと出かけて外で食事をするのもいいなあと思ったりもしたが、これからはオーロラ観光の時季が始まるのでまた忙しくなる。ゆっくり休める暇もないのだ。


 食後の休憩をして、さあ、帰ろうかと立ち上がった所に、ジークに手首を掴まれてしまう。


「どうしたの?」


 ジークは何やらごそごそとポケットの中を探っている。一体どうしたのかと思っていると、手首に何かを巻き始めた。


「あ!」


 それはトナカイの革を使い、編んだ錫で飾った伝統工芸品だ。留め具にはトナカイの角が使われている。


「ジーク、これは?」

「初めて上手く出来た品だ」

「ジークの、手作りってこと?」

「ああ」


 ジークが手作りの腕輪を贈ってくれた。


 嬉しくて、言葉に出来ない喜びが込み上げてきて、何も言葉を発することが出来ないまま呆然としてしまう。

 そんな自分を見たからか、ジークはまだまだ拙い品だと言ったが、それは違うとぶんぶん首を振って否定をした。


「ジーク、本当に、ありがとう。嬉しい」

「そうか」

「……」

「……」


 それからお礼のキスをしようとジークの頬に顔を近づけたが、唇が触れる寸前で前に困った顔をされたことを思い出す。


 なので、キスは一旦止めて、耳元でお伺いを立ててみることにした。


「あの、ジーク、口付けをしてもいい?」

「……」


 見事なまでに無反応。やっぱり駄目なのね、と顔を離す。

 ジークの顔を見て、適当に笑いながら謝ろうと思えば、その瞬間に彼女は口を開く。


「――家でなら、構わない」

「!?」


 ジークリンデの思わぬ許可に、聞いたこちらが激しく動揺をする事となる。


 こうして、そわそわとした状態での帰宅となってしまった。

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