第二十一話 女神崇拝
ジークの知り合いを迎え入れるという一仕事を終え、またいつもの日常に戻る。
元同僚さんとはどういう関係なんだと疑問に思っていたが、なんてことのないただのお友達だったのだ。
彼、エメリヒはルルポロンの作った食事を美味しいと言ってくれたし、狩った鹿もお口に合ったようで頑張ってよかったと一安心。
お客さんが来てくれたお陰で普段はクールな奥さんの意外な一面が見られたのは良かった。ジークってば結構喋るし、いきなり跳び蹴りしたりとかやんちゃな所もあるんだなあと。
「気を使わせた」
「いやいや、楽しかったよ。でもエメリヒがジークに求婚していた話は驚いたな」
「……」
ジークの元同僚、エメリヒ・ダーヴィットは来た日の晩に話があると言ってあることを告白して来たのだ。
それは彼がジークに求婚をしていたこと。
三人で食事をしている時に突然ぼそぼそと喋り始めたので、どういう反応をすればいいか分からなくなったのだ。
しかしながら、エメリヒは跳び蹴りをされて目が覚めたと言う。ジークに抱いていた感情は愛で無かったと。
「別に、食事の場で申告しなくていいものの」
「そう? でも安心しちゃった」
「どうして?」
「実は心配で。遊びに来る元同僚って男だったし、友達でもないって言うから、一体どんな関係なんだって気になっちゃってさあ」
「あれはただの腐れ縁だ。求婚もすぐに断わった」
「そう、良かった。本当に」
「……」
エメリヒがジークに抱いていた感情は憧れで、その気持ちを上手く理解出来ていない状態で求婚をしてしまったらしい。
彼を家に招く事になってからずっと気になっていたので、自己申告をしてくれて本当に良かったと思っている。
ただ、自分の馴れ馴れしい性格は肝心な時には役に立たないものだと痛感をしてしまった。
そんなことがあったものだから、これからは気になる事があれば勇気を出して聞こうと心に決める。
そして、ジークのお友達であるエメリヒはとても好青年であった。
滞在中は仕事も手伝ってくれたし、こっそりジークの武勇伝も教えてくれたのだ。
「楽しい人だったね。次はいつ遊びに来てくれるかな?」
「さあな。寒くて涙目になっていたから、もう来ないかもしれない」
「そっか~」
「あいつは繊細なんだ」と、そんな風に言いながらジークは笑う。気心が知れた関係って良いなあと思ったが、二人は長い付き合いを経てあのような関係になったのだ。自分にも早く慣れてくれたら嬉しいなと、望んでしまう。
エメリヒとは文を交わす約束もした。彼はこの地の伝承や民芸品にも興味を持ってくれたのだ。
次の際の再会を心待ちにしつつ、客人を迎えるという一大事は何事も無く過ぎていった。
「さて、お仕事をしますか」
「そうだな」
今日も忙しい一日が始まる。
◇◇◇
極夜が終われば
この村での財産と言えばトナカイであったが、近年では銀製品を富の象徴として持ち歩くこと良しとしているらしい。それは服を留める細工だったり、帽子を輝かせる飾りだったり。
市場で得たお金はほとんどの人が銀製品を購入する為に使うのだ。
「興味深い文化だな」
「まあ、自給自足をしているから出来るものだよねえ」
「そうだな。……そういえば、これは?」
ジークは釣り鐘型の外套の前を留めている花の形の胸飾りを指先で撫でながら問い掛けてくる。
「それは母上の。将来お嫁さんにあげてねって言われていたから」
「そうだったのか。良い品だ」
「手入れが大変だけどね」
サーミの民でありながら、自分は銀製品には興味が無い。市場で得た収入は何かあった時の為にと貯めている。
唯一身の回りの品で使っている品といえば、酒を入れる水筒位か。あれは実家がお金持ちの父方の祖父から領主になった時のお祝いにと贈られた品だった。
銀は細かに手を掛けないとすぐに硫化してくすんでしまう。沢山銀を所有している人は大変だなあと思ってしまうのだ。服を留める物はトナカイの角を加工した物を使っているので、手入れをするのは水筒だけでいい。
そんな感じに銀製品の話をしてから、出かけるジークを見送る為に玄関に向かった。
ジークは村の土産屋で、女性陣から伝統工芸である腕輪作りを伝授して貰うのだという。土産屋の普段は商品を置いている机が今の時季は空いているというので、そこを使わせて貰うらしい。
何故このような事態になったかといえば、ジークが村を散策をしている途中に女性と仲良くなった事が発端だった。彼女の女性を魅了するという特殊能力は異国でも通用するのだ。
ジークが辺境の地でも釣りを嗜んでいたお陰で我が家では作れなかった腕輪の技術を得ることが出来るという奇跡のような話でもある。
堅い白樺の樹から作られるカップや皿、匙などを作るのは男の仕事であったが、腕輪や
「では行ってくる」
「行ってらっしゃい。……お年寄りには気をつけて」
「了解」
異国人嫌いの老人の中には過激な行動に出る者も居ると忠告をしてからジークを見送る。その後、自分も仕事に取り掛ることにした。
本日の仕事は木彫りの置物作り。
これは村の伝統工芸ではなく、自分が勝手に作り始めたものだ。蚤の市で観光客に小動物の剥製が人気だという話を聞いて、似た品をどうにかして作ってみようと思い製作を始めたのだ。
最初に作った白熊の成獣は力作過ぎて長い間土産屋で売れ残っていたが、その次に作った小熊は人気商品となり、土産屋のおかみさんから早く作れと催促がある位だ。
そんな訳で今から観光の時期もやって来る為に、木彫りの小熊を彫っているとミルポロンが部屋に灯りを持って来てくれた。
「あれ、もう外暗いんだ」
気がつけば外は真っ暗。暖炉からの光だけで作業をしていたようだ。
「ねえ、ミルポロン、ジークは?」
母親を意味する人差し指を示してからジークの所在を問い掛けた。ミルポロンは首を振るのでまだ帰宅をしていないということになる。
この村での外の活動は基本的には太陽が沈むまで。
心配になったので用意して貰った角灯を持ち、ジークを迎えに行くことにした。
いつもは暗くなったら早々と閉店している土産屋兼商店の窓からは灯りが漏れていた。
日が暮れたらおかみさんは早々と店を閉めて家に帰って行くので、珍しいこともあるものだと思いながら店の窓を覗き込む。
「――あ、あれ?」
店内には何故か沢山の十代から五十代位までの女性達が居て、その中心にはジークが座っているという、昔絵画で見た異国の後宮のような光景が広がっていた。
一体どうしてこのような状況に、と思いながら土産屋の扉を開こうとすれば、いきなり背後から肩を掴まれて悲鳴をあげそうになる。
叫ぶ寸前で声を殺して振り返れば、そこには『村一番の美しい娘』だと言われている少女が立っていた。
彼女の名前はアイナ・サロネン・ベルグホルム。
村一番の気が強い娘としても有名で、白髪に青目という珍しくもない色彩を持ち合わせていたが、この辺りでは見ないほどに整った顔立ちをしていると出入りしている商人が言っていたのだ。
ちなみに自分の名と姓の間にも付いている『サロネン』は『深い森の人』という意味。この村の出身者であるという証で、ここに住んでいる人は皆サロネンを名乗っているのだ。
そんな娘が何故か自分の肩を掴み、凶相を浮かべているという不思議な状況に首を傾げる。
「え、なに?」
「――でしょ!!」
「へ?」
アイナは十六歳。この村の者にしては背もかなり高くて大人っぽい顔立ちをしているが、まだ少女とも言える年齢。
彼女はどうしてか切羽詰まったかのような顔で、自分の肩を右手でぎりぎりと握り締めているのだ。
「あの、アイナ? もう一回言って」
「……」
「さ、寒いから」
家を着の身着のままで飛び出してきたので外套などは纏っていないのだ。一方のアイナは毛皮の耳当て付きの帽子に手袋、外套という完全防備である。
何度かせっつけば意を決したかのように彼女は言葉を発した。
――あなたもジークリンデ様をお慕いする会に入会に来たのでしょう? と。
「え、なにそれ?」
「知らないでジークリンデ様を覗いていたの?」
「は?」
「あの集まりはジークリンデ様をお慕いする会よ」
「……」
「ああやって伝統工芸を教えると言ってこの場に呼び出して、隙あらばお喋りをしようという」
「へ、へえ」
なんだか知らないうちに凄い組織が出来上がっていたものだと、思わず言葉を失ってしまう。
「それで、ジークリンデ様とお喋りするにはお土産屋のおかみから会員証を買わなければならないのよ」
「え、なんで?」
「そ、それは、異国人とお喋りしたらお祖母ちゃんとかに怒られるでしょう? それで、おかみさんがここを使う為の使用料? みたいなものを請求してくるのよ」
「ああ、なるほどね」
異国人であるおかみさんが商売を行っているこの店には、基本的に古い考えを持つお年寄りは近づかない。それを逆手に取った商売なのだと感心してしまった。
「……で?」
「……」
なんとなく事情は察したが、一応聞いてみる。
彼女の家のお爺さんとお婆さんは異国人嫌いが激しいのだ。なので、ジークには関わるなとでも言われているのだろうと推測をする。
「つべこべ言わないで中に入りなさい! 一緒に入会してあげるから!」
「ちょっと、待っ、ジークは俺の嫁さ」
勝手に扉を開かれてぐいぐいと中へと連れ込まれる。
「おや、珍しい組み合わせだねえ」
「どうも」
「……」
「領主様、子熊は出来たのかい?」
「あ、まだです」
「急いでくれよ」
「はい」
自分の背後に隠れるようにしているアイナは、人の腕を勝手に握り締めて大人しくしている。彼女は祖父母の教えを守り、この店にも今まで近づいていなかったのだろう。
アイナは早く用件を言えと脅すように背中を拳でぐりぐりとし始める。地味に痛い。
「あ、すみません。あの、ジークリンデのあれに入りたいらしくて」
「あ、そうだったのかい!」
店の奥を見れば、ジークを中心に謎の盛り上がりを見せていた。
おかみさんは精算台の引き出しの中から花の意匠が彫られた紐付きの木細工を出す。
「五マルカだよ」
彼女達の作る腕輪の販売価格は四マルカ程。材料費が一マルカなので、結構な値段を取るなとおかみさんの顔を見る。
「バレた時の危険手当も含まれているからね」
「ああ、なるほどね」
もしもお年寄りにこの密会が発覚してしまった時におかみさんが泥を被るという仕組みになっているようだ。
「アイナ、五マルカだって」
「……」
アイナは人を盾にしながらおかみさんに近づき、精算台の上に腕輪と小さな毛皮を置く。お金がないので物々交換をするようだ。手渡された花細工を受け取ると、やっと背中の拳ぐりぐりから解放された。
おかみさんはそろそろ店仕舞いをしようかと言って、部屋の奥で行われている集会の解散を言いに行ったようだ。
アイナに「今日はジークとお喋り出来ないみたいだね」と言おうとすれば、嬉しそうな顔で花細工を見つめていたので声を掛けないでいた。
「あ、そういえば!!」
「ん?」
帰りたくないと泣き始めた幼子を宥めるジークを見ていたら、背後からアイナが話しかけてくる。
「前に村に来ていた変な異国人、領主の家の客だったの?」
「エメリヒの事?」
「名前までは知らないけど!」
「彼がどうかしたの?」
「……名前を教えてくれって、変に勢いのある拙い言葉で話しかけてくるから無視してやったわ」
「……そ、そっか」
綺麗なお姉ちゃんを見つけて、ついつい声を掛けてしまったか。さすが、ジークを追って辺境の地まで追いかけて来るだけのことはある。まあ、気持ちは分からなくも無い。自分も一目惚れで求婚をした男だからだ。
「知り合いだったら二度と声を掛けてこないでって言っておいて」
「なんで?」
「異国人だから!!」
「へえ」
「なによ!」
「今、あなたの手の中に握られているものは?」
「!!」
アイナはハッとした様子で手の平に握っている花細工を見て、ささっとポケットの中にと捻じ込む。
「お、覚えていなさい!!」
謎の捨て台詞を残してアイナは土産屋から出て行った。
その後、小さな子供を泣き止ませ、その子を紳士のように家まで送って行ったジークと帰宅をする事となる。