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第十八話 変化の季節

 今日も今日とて太陽が昇らない日はやって来る。


 極夜一日目からの雪は夕方頃には止んだが、今度は立つ事も困難となる嵐のような風が吹き付けるような天候となった。

 そんな数日にも渡る激しい風も止み、外は静謐せいひつな朝を迎えているという。


 今日はトナカイの森へ餌やりと掃除に行く当番となっていた。領主といえど大切な財産を維持する為の仕事は回ってくる。


 朝食を摂ってから犬が餌を食べる様子を見守り、家から連れ出す。行く先は勿論トナカイの森だ。数日振りに外に出られたからか、犬達は飛び跳ねながら小屋から出てくる。

 家の中で朝食に使った食器の片付けをしていたジークに声を掛ければ、ちょうど出て来ようとしていた所だったようで、すぐに扉から返事が聞こえた。


「ねえ、ジーク、足元に気をつけ……ん?」


 外に出たジークは何故か目を見張っている。


「ジークリンデ?」

「これは、なんと……」

「?」

「美しい」

「!」


 ジークが驚いていたのは極夜の時にだけ見ることの出来る、薄明かりの世界であった。一日の中で視界の確保が容易いのはこの時間だけ。しかも短い間でしか見られないものである。


 目の前に広がるのは暗闇ではなく、澄み渡るような青い静寂。朝と夜の狭間であり、幻想的な世界が広がっていると父が言っていたのを思い出す。

 自分にとっては生まれた時から見ている光景なので、オーロラと同様に特別なものでもなかった。


 そんな景色に心を奪われている様子のジークを静かに見守りたかったが、お散歩気分の犬達は待ってくれない。早く行こうぜと自分の周りをぐるぐると走っていたが、ついにジークにも跳びかからん勢いでじゃれ付きに行ってしまった。


「ああ、すまない。行こうか」

「ごめんね、犬が邪魔して」

「いや、時間もない。急ごう」


 手には角灯と餌やり・掃除道具、念の為に銃やナイフを持ち、村までの道のりを歩いていく。


 ◇◇◇


 トナカイの餌は商人から購入をした固形牧草だ。丸くなっているものに、木の実や木の皮、苔などを混ぜて与えている。

 そんな手間隙掛けて作る餌は村の倉庫に保管されている。それをトナカイが暮らす柵まで持って行った。


 牧草の塊はぎゅうぎゅうに固めてあるので結構な堅さがある。大きさも七歳位の子供の背丈以上はあり、それをコロコロと森まで運んで行く。


 犬は柵の外で遊んでおくように言いつけ、ジークと二人で牧草を転がしつつ中へと入った。


 餌場は四箇所。二往復はしなければならない。しかも仕事はそれだけではなかった。

 倉庫の中で保管をしていたとはいえ、暖房設備のない部屋で保存していた牧草の塊はしっかりと凍っているのだ。それを解す為に斧で叩かなければならない。


「そのまま叩いても解れないから、牧草の隙間に刃を入れるようにして叩く」


 ジークにトナカイの餌やりを伝授する。

 額に汗を掻きながら森と村を往復し、凍った牧草を割って餌箱に入れるという作業を終え、糞を回収して歩き、犬を笛で集めて家に帰った。


 帰宅後は汗を含んだ服を脱ぎ、体を薬湯に浸した布で綺麗に拭いてから着替えをする。ここでうっかり適当なことをしていれば風邪を引いてしまうのだ。


 居間に移動をすればジークが湯を沸かしている所であった。


「あれ、コーヒー?」

「家から持って来ていたのを忘れていた」

「おお!」


 この国でもコーヒーは愛され、飲まれている。北欧一の消費量とも言われている程に。だが、ここでの冬の飲み物と言えば素早く体を温めるものであるという認識だ。それは香辛料入りの自家製ベリージュースや酒だったり、森に自生する薬草を煎じて作る茶だったり。どれも雪解けの始まる春から秋にかけて採った自然の恵みを使って作られる品だった。


 自給自足を生活の基本としている我々一族は余計な浪費は行わないようにしている。

 故に、国民の愛する飲み物も、あまり口にする機会は無いのだ。


 ジークがコーヒーの準備をしてくれる。

 手引きの粉砕機でコーヒー豆を砕く。細かな網目の入った深い匙のようなものに水に浸しておいた布を敷き、粗挽き状態の豆をいれていた。

 コーヒー豆の入った匙を注ぎ口と持ち手のある瓶の上部に設置。ずれないように固定をしてから、ゆっくりと湯を注ぐ。


 綿の繊維から作られた使用する布はコーヒーを淹れる為の特別なものらしい。

 初めて見る淹れ方なので、興味深く観察をしてしまう。


 布の中でろ過されたコーヒーはぽたり、ぽたりと瓶の中に落ちて行く。


 瓶に視線を注いでいるジークを勝手に見つめる。前髪の隙間から見える睫毛はくるりと上を向いていて可愛らしい。日の光が出ない時季の彼女の赤毛は、まるで太陽のよう。


 目を細めながら、真面目な顔付きでコーヒーを淹れる奥さんの顔を眺めていた。


「砂糖は?」

「……」

「リツハルド」

「!」


 名前を呼ばれてハッとなる。視線はどんどんと下がっていて、ジークの手元を見ていたので、意識が散漫となっていたのだ。何かと聞き返せば砂糖はどうするかと問われる。


「どうしようかな」

「?」

「いや、前は時々飲んでいたんだけどねえ」


 香辛料入りの甘い飲料が苦手だった父はコーヒーを好んで飲んでいたが、贅沢はいけないと祖父に言われてコーヒー断ちをしたのだ。なので、コーヒーを口にしたのは遥か昔の、子供の頃の記憶。その当時は何も入っていないコーヒーが苦手で、トナカイの乳と砂糖をたっぷりと入れていたような気がすると記憶を掘り起こしていた。今考えたら祖父の言う通り、贅沢な飲み物だと思ってしまう。


 机の上の砂糖はジークが家から持って来た四角い形のものだった。それは陶器の入れ物の中にあり、専用の砂糖掴みまであったので驚いてしまう。


「ジークは何個入れるの?」

「三個ほど」

「じゃあ俺も三つにしようかな」


 そう言えばジークが砂糖を入れてくれて混ぜてくれた。差し出されたカップを受け取れば、コーヒーの香ばしい匂いに驚くことになる。

 布で漉す方法は、抽出の精度が高い為に、純粋な香りや風味が楽しめるという。


 じっくりと香りを楽しんだ後で、コーヒーを一口啜る。


「うわ、美味しい!!」


 口当たりは滑らか優しく、味は濃厚。今まで飲んだコーヒーの中で一番だと言える美味しさだった。


 ジークも満足のいくコーヒーだったのだろうか。

 ひと口含んでから、ずっと寄っていた眉間の皺を微かに緩めていた。


 彼女の観察は飽きることなく続く。


 砂糖を三つも入れている所から、ジークは甘いものが好きなのだろうかと思ってしまう。ここには基本的に甘いお菓子などは無い。砂糖も小麦粉も卵もバターも、悲しいことにお菓子を作るほど余っていないというのが現状だ。


 不便な生活を彼女に強いている。そんなことが頭をぎった。


 そんな不安を取り除こうと、ジークに問い掛ける。


「ねえ、何か望むものはある?」

「どうした、突然?」

「いや、この村には結婚を盛大に祝う習慣も無いし、異国のように指輪を贈る習慣も無いから、代わりに何か欲しいものは無いかなって」

「……」


 こんなことを聞いても「別に何もない」と答えることは分かりきっていた。


 ジークはこの一年の生活を仮の夫婦で、と言った。

 それは相手に何も望まない、期待をしてはいけないという線引きでもあるのだ。


「ごめん、いきなりこんなことを聞い……」

「この国の言語を教えて欲しい」

「え?」

「出来れば普段の会話はこの国の言葉で出来るようになりたい」

「……」


 思いも寄らないささやかな願いに、言葉を詰まらせてしまう。

 そんな自分をジークは心配そうに覗き込んでいた。


「嫌か?」

「い、いいえ、嫌じゃ、ないです」

「では私に教鞭を執ってくれ」

「はい、喜んで」


 それからちびちびとコーヒーを飲みながら、沈黙の時間を過ごす。


 静かな空間が、何故か酷く心地良かった。


 ◇◇◇


 忙しい日々は毎日のように訪れる。

 熟成していた獣を解体したり、剥いだ毛皮をなめしたり、加工をしたり。


 仕事の合間を縫ってジークにこの国の言葉を教える時間も作った。

 賢い生徒に教える授業はそこまで苦労をすることも無かった。


 太陽の昇らない日々も一ヶ月が過ぎていた。

 初めての極夜を心配していたが、ジークは変わらない様子で暮らしている。


 極夜は人を憂鬱にさせるのだ。

 自分も過去を振り返ってくればそんな傾向があったように思われる。

 朝起きるのが億劫に思ったり、カップ一個作るのにかなりの時間を割いたり、食欲が湧かなかったり。

 学者をしていた父親が言っていた。太陽の光を浴びなければ人はおかしくなってしまうと。


 だが、今年の極夜は気分が落ち込む日は全く無かった。ジークのお陰と言えよう。


 そんな中で、週に一回届く手紙が配達された。

 ジーク宛てだった。


 それを手渡せば、ジークの灰色の目は見開かれる。どうしたのか聞きたかったが、深い事情に首を突っ込んでいけない気がしたので、そのまま黙っていた。


 しばらく静かな時間を過ごせば、ジークから話しかけてくれる。


「リツ」

「ん?」

「私の、軍時代の同僚が、ここに遊びに来ると言っているのだが……」

「え、本当!?」


 どうやらジークの同僚がこの村に観光をしに来ると知らせる手紙だったようだ。不穏なことを知らせる手紙ではなかったので安堵の息を吐きながら、それを誤魔化すかのように「本当にジークの国の人たちはオーロラが好きなんだなあ」と呟いてしまう。


「来るのは一ヵ月後と書いてある。それに私と同じ経路のチケットを取ったと」

「だったら迎えに行かなきゃだねえ」


 ジークが渡ってきた不凍港からうちの村までの移動手段は無いのだ。なので、またトナカイで迎えに行かなければならない。


「……すまない」

「いえいえ、観光のお客様はいつでも歓迎です」

「村の宿も、まだやっていないのでは?」

「大丈夫。うちに泊まればいいでしょう? 部屋はたくさん空いているし」

「……なんと、詫びればいいのか」

「気にしないで。俺もジークのお友達に会ってみたいから」

「いや、彼とはそういう関係では……」

「ん?」


 ……あれ? 同僚って男なんだ。


 それに、『そういう関係ではない』ってどういうことなの!? ねえ、ジーク!!


 な~んて聞けるわけもなくって、楽しみだねと言ってその場を濁してしまった。


 なんという、意気地なしな俺。

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