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第十七話 極夜(カーモス)

 猛吹雪の中、ジークと二人で犬達の餌やりを行う。トナカイは柵付きの森の中へと放して来た。風が吹いていなければこの後散歩に連れて行くのだが、本日はこの天候なので、今日一日は大人しくしているんだよと声を掛けてそそくさと家の中へと帰る。


 またこの後もジークと居間でまったり、と言いたい所だが、貧乏貴族にそのような優雅な一日など許されない。


 家でする仕事は山のようにある。

 そういう風に言えば、ジークは力の限り協力をしようと言ってくれた。

 本当に頼もしい奥さんだと、涙が出そうになる。


 まずは後回しにしていた毛皮衣類の手入れを行う。

 基本的に毛皮は水での洗浄が出来ない。なので、特別な製法で作った粉末石鹸に薬草を混ぜたものを使って綺麗にする。


「まずはこの特製の粉を毛皮に振りかけます」


 本日は生徒を携えての作業だ。前掛けを着けたジークは手帳に毛皮の手入れの方法をしっかり記すという、真面目な教え子だった。


 毛皮全体に特製の粉を振り、馴染ませるように丁寧に揉み込んでいく。


「粉の色が変わったら落とします」


 ぱっと見るだけでは分からないけれど、毛皮って結構汚れやすいんだよねえ、と呟きながら作業を続ける。


 粉振りからの揉み込みは一度ではない。何度か行って徹底的に汚れを落とす。


「粉に汚れが浮かばなくなったら粉を払います」


 優しい手付きで毛の流れに沿いながらブラシを入れる。

 仕上げは石鹸を水で溶いたものに布を浸し、それで毛皮の裏表を叩くように拭いて完成だ。


 説明が終われば今度はジークがする番だ。方法などに間違いがないか確認をさせてもらう。


「うん、上手」


 物覚えの良いジークは初めてしたとは思えない手付きで毛皮を綺麗にしていく。

 不思議に思っていたら、毛皮の洗浄は軍人時代にしていた革製品の手入れに似ていると言っていたので、慣れた様子にも納得である。


 外套に靴、帽子に手袋と二人ですればあっという間に終わった。


「ジークが居て良かった。毎年一人でしていたから」


 ジークが居るので毛皮製品の量も二倍だが、お喋りをしながらの作業はとても楽しかった。一人だからと言って仕事が捗る性格でもないので、助かったと伝える。


 その後は家の掃除だ。

 大貴族の令嬢と言えど、流石は元軍人。掃除なども完璧にこなす。


「基本的に掃除などは自分達でしていたからな」

「そうだったんだ」

「ああ。それで皆掃除が嫌なものだから、休憩時間は遊戯盤を持ち出して敗者に掃除を押し付けるというものが流行り始めて……」


 軍人になったばかりの、十三歳というまだ子供だったジークは掃除が上手くなってしまう程に負け続けていたらしい。

 だが、負けず嫌いの彼女は本を買って勉強までして遊戯盤で勝つ為の知識を付けたのだという。


「勝てない訳だ」

「だが、素質スジは悪くない」

「え、そう? もう少ししたら勝てるかな~」

「それはどうだろうか?」

「だったら何か賭けてみる?」


 そんな愉快な会話をしていれば、すぐに昼食の時間となる。

 お昼は朝の残りのスープを温め、串に刺したトナカイの香草焼きを暖炉の火で作った。


 本日のトナカイは先日ジークと仕留めた個体のものだ。

 我慢出来なくて串に刺さったままの状態で噛み付けば、歯ごたえのある身からはじんわりと旨味たっぷりの肉汁が溢れ、薄めに振った香辛料は肉の風味を邪魔することなく舌の上でほろほろと解れていく。


 ジークも普段食べていたトナカイとの違いが分かったようで、驚きの表情を見せていた。


「これは、凄いな」

「でしょう?」

「本当に、美味しい」

「良かった、一回食べて欲しくって。というか、今回ありつけたのはジークのお陰なんだけどね」


 その言葉にジークは謙遜をすることもなく、また、肯定をすることもなく、穏やかな微笑みの表情だけを見せてくれた。


 そんな貴重な感情の表れに、思わず魅入ってしまう。


 しかしながら、その笑顔は一瞬で消え、厳しい顔となってしまった。


「単独での野生のトナカイ猟は危険だ」

「……はい」


 せっかく珍しくジークがニコニコしていてこっちもデレっとなっていたのに、すぐに軍人仕様となってしまう。世の中そんなに甘いものではないと、身を以て痛感してしまった。


「だが」

「?」


 話はそこで終わりでは無かったようで、スープを掬った匙を口の前で止めたまま奥さんの顔を見る。


「来年は私も役立つようになっているかもしれない。そうであったら二人で追い込んで仕留めるようにしよう」

「……え!? う、うわ、熱っ!!」


 ジークの言葉に気を取られ、匙の上にあったあつあつのスープを机に置いていた手の甲に零してしまう。


 先ほどの言葉もあり、混乱をしていて一人あわあわとしていると、ジークがこちらへ来てから口を拭う為のナプキンでスープを落としてくれた。それから窓を少しだけ開けて、窓枠にあった雪を掬って布に包み、手の甲に当ててくれたのだ。


「……何をしているのだ」

「ご、ごめ~ん」


 だってジークが来年の予定を言ってくるから、なんてことは言えない。こちらが期待をすれば、彼女の重荷となってしまうのではと思ったからだ。


 とりあえず彼女は一年の間は傍に居てくれる。それでいいではないかと、自分に言い聞かせていた。


 ◇◇◇


 お昼からは工房での作業となる。

 今回も勤勉な生徒、ジークリンデと一緒だ。


「今日はククサを作ります」


 サーミ族に伝わる民芸品、ククサ。

 小さな取っ手の付いた鍋のような形のカップは結構面倒な手順を経て完成となる。


 使う材料は二ヶ月前に採って水分を飛ばした状態の白樺の樹。

 ほどよい堅さを持ち、木目が美しいことから使われ始めたと言われている。が、この辺り自生している木は白樺がほとんどなので、単に選択の余地が無かったのではないかと個人的には思っている。


「まずは表面の樹皮を削ぎ落として、木の塊を作ります」


 樹皮は専用の変わった形のノミの柄をツチで打ちながら削り取っていく。

 木は堅いので女性には難しいかなと思っていたが、ジークはここでも力強い仕事振りと器用な手先を見せてくれた。


 丸っこい白樺の瘤を四角い形に削り、中心に丸い窪みを彫る。

 ジークは一個、自分は三個、時間を掛けて製作をした。


「ジーク、手、大丈夫?」


 白樺の木は本当に堅い。自分も習ったばかりの頃は手に肉刺まめを作っていたものだと思い出しながら問い掛ける。


「平気だ。元より手の平の皮は厚い」

「そう。良かった」

「それよりも」

「?」

「リツの手の方が酷い」

「……ああ、怪我をしても薬を塗ったりとかしないからねえ」

「……」


 傷跡の残った手の甲を見つめながら呟く。辛い雪国での暮らしは生傷の絶えないものであったと。


 この村でのちょっとした傷は綺麗な水を使って傷口を清潔にしてからよく揉み解す、という治療を行うのだ。


 以前、異国での夜会で酔っ払って転倒し、手の平を切ったことがあったが、そこでの治療は傷口に薬を塗布して包帯を巻くという丁寧なものだったので驚いたことを覚えている。

 傷薬を使えば簡単に痛みはなくなり、また、傷跡もほとんど残らないということが分かったので、薬を買ってきて村の店で売るようにしているが、古くからの治療を信じる村人達なので、在庫は捌けていないという現状だ。


 勿論、大怪我や病気にかかれば医者を呼び寄せることもする。

 古くからの精霊の教えによる治療法はそのほとんどが間違ったものであるというのが、祖父によって提唱されていたからだ。


 そんな事情を話せばジークも手の傷に納得をしてくれる。


 部屋の暖炉の火で暖めた香辛料入りのワインを飲みながら一息を付けば、次の作業が待っていた。


 削った白樺の木は四つ。まだ、綺麗に彫ることの出来る段階ではない。


「ここまで削れたら、一晩雪の中で寝かせます」


 吹雪の中ではあったが、外に行って先ほど作ったものを埋め、昨日雪の中に埋めていた白樺の木を掘り返しに行く。


「これで終わりではなくてね」


 一晩寝かせた木は、海水と同じ濃度の塩水の中でまた一晩煮込むのだ。その作業を経れば割れにくくなると言われている。


「煮込んだ後に乾かして、やっと綺麗に彫ることが出来るんだよね。まあ、ここからも時間が掛かる訳だけど」


 カップの成形はさらに時間を要する。


 煮込んでいた木は七日間程乾燥が必要だった。

 一週間前から乾燥させていた木を少しだけ彫って、今日はこれ位にしようと、工房の掃除をしてから作業を終わらせる。


 長い長い極夜の始まりの日の話であった。


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