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突然過ぎる来客 後編

 午後からは祖父を『紅蓮の鷲亭』に招待した。

 この時間帯、男衆は狩りに出かけ、奥様方は食事の準備で忙しい。店内も閑散としている。


「立派な店を作ったものだ」

「おかげさまで」


 店の外観や内装を褒めてもらった。

 ジークリンデをイメージして作ったことは速攻でバレてしまう。


「どうぞ、こちらのお席に」

「うむ」


 店番をしていたエメリヒに目配せをすれば、注文を聞きに来てくれる。

 ついでに初対面となった祖父を紹介することにした。


「お祖父さん、彼はジークの元同僚で、エメリヒ・ダーヴィットさん」


 エメリヒは緊張の面持ちで会釈をしていたが、侯爵である祖父の名前を聞いて更に表情を硬くしていた。

 祖父はエメリヒの名前に覚えがあったようだ。


「ほう、お前が祖国を出て、ここに移り住んだ思い切りのいい男か」


 以前、祖父にアイナとエメリヒの話をしたことがあった。祖国を捨てて、愛する人の国に行く決意をした彼を、しきりに感心をしていたのだ。

 厨房に居たアイナも呼ぶ。

 祖父はアイナとエメリヒに席に着けと言い、若夫婦のなれそめを聞き始めた。

 ちょうど交代の時間だったので、二人には祖父とお茶をしてもらうことにした。

 アイナが人見知りをしないかと心配だった。暇を見て、ちらりと盗み見る。

 夫婦並んで座る二人は緊張しているように見えたけれど、楽しそうに会話をしているみたいだった。ホッと一安心。


 夕方からは人が増えてくる。ジークと母が手伝いに来てくれた。

 祖父はアイナとエメリヒと別れ、一緒に来ていたアルノーを連れて家に帰る。


 夕刻を知らせる鐘が鳴れば、お客さんがどっと押し寄せる。仕事を終えた軍人や村に滞在する商人などがやって来るのだ。

 もう少し時間が過ぎれば、酒を飲みに村の男達も訪れる。

 アイナ特製の大量の作り置きつまみはどんどん減っていった。最近〆に甘い物を食べるのもブームなようで、閉店間際はパイやクッキーの注文も入る。


 閉店時間は村の最後の鐘(八時くらい)が鳴った頃。支払いをして、客は帰って行く。お持ち帰り用の焼き菓子は完売した。


 閉店後、ジークは机や椅子、床などをブラシで磨く。自分は明日の仕込みをした。

 ザクザクと野菜と肉を刻んでいく。

 日替わりスープは春の根菜とトナカイを刻んで煮込んだもの。パイはブルーベリーのジャムを使って焼いた。


 一時間後、ジークも掃除を終えたようで、額の汗を拭っていた。


「お疲れさま」

「ああ、リツも」

「帰ろうか」

「そうだな」


 夜道は危ないからと、適当な理由を付けてジークの手を握る。

 相変わらず彼女の手は温かくて、触れているとホッとする。

 横目で彼女を見れば、少しだけ疲労が浮かんでいるように見えた。


「ジーク、店の手伝い、大変じゃない?」


 勝手な思いつきで付き合わせていることに対し、申し訳ないと感じていた。

 だが、ジークは思いの外楽しんでいると言ってくれる。


「接客の仕事が出来る自分に驚いた。私は様々な可能性を秘めているらしい」

「そっか」

「それに、リツの料理を食べて、笑顔になる村人達を見られるのが嬉しい」

「……うん」


 泣かせにかかるジークリンデ。

 この場で「うわああああ、好きだーー!」と叫びたくなるけれど、ご近所迷惑になるので止めておく。


「ありがとう、ジーク」


 そう言えば、にっこりと可憐な笑顔を見せてくれる。

 今日以上に夜目が利いて良かったと思う日はなかっただろう。


 ◇◇◇


 帰宅後、玄関の扉を開けば祖父の怒鳴り声が聞こえてきた。


「お前は馬鹿だ、大馬鹿だ!!」


 一体何が起こっているのか。居間へと急ぐ。

 そこには戦闘態勢の祖父と、逃げの姿勢をした父が居た。


「この、どの口が、それを言うのか!」

「父さん、すぐに帰ってくるから」

「そう言って、ここから逃げる気だろう!?」

「そうじゃない。ただ、夜の森の様子が気になるだけで……」

「お前の言い訳は聞きたくないわ!」


 父は祖父に杖で猛烈に叩かれていた。

 アルノーと母は居ない。きっと上の部屋で寝かしつけているのだろう。

 慌てて父と祖父の間に割って入る。得物となっていた杖はジークが鮮やかな手つきで没収していた。


「リツハルド、止めるな! 私は今日こそこいつを成敗する!」

「待ってください、冷静になりましょう」

「お義祖父じい様、コーヒーでも飲みませんか?」


 ジークは母が用意していたであろうコーヒーを淹れ、祖父に差し出していた。

 父にも椅子に座るように言う。


 落ち着いたところで、一体何を揉めていたのかと聞いてみれば、父が夜の森の様子を見に行きたいと言っていたらしい。それを、祖父は逃げ出すのではないかと疑っていたと。


「父さん、さすがにもう逃げないって」

「信用ならん。それに、夜の森は危険だとリツハルドが言っていた。そんな場所に行きたいなんて、大馬鹿者としか言いようがない」

「ちょっと見て帰ってくるだけだから」

「お前はまだ言うのか!!」


 立ち上がって拳を振り上げる祖父を宥める。激し過ぎる親子喧嘩だった。

 けれど、父は言い出したら聞かないだろう。

 よって、解決策は一つしかない。


「父さん、俺と一緒に行こう」

「え、ハル君、本当?」

「な!?」


 武装して、犬を連れていれば獣も近づいて来ることはない。夜目も利くので、危険なことはないだろう。母方の祖父、リクハルドの戒めで夜の森に行くことは禁じられているけれど。まあ、多分大丈夫。


「リツハルド、父親を甘やかしてはならん!」

「父の我儘を聞くのは最初で最後ですから、許してください」


 立ち上がって頭を下げれば、祖父は舌打ちをする。

 黙って座り込み、それ以上言葉を発することはなかった。


 ジークに目配せをして祖父のことを任せると伝え、父に行こうと言う。

 角灯を手に持ち、夜の森に向かった。


 ◇◇◇


 夜の森は暗く、怪しい雰囲気だった。昼間の温かな光に包まれた緑は見当たらない。

 別世界のように感じる。


 父は虫の鳴き声や、柔らかな初夏の風を確かめるように、一歩、一歩と慎重な足取りで進んでいる。

 手の中にあるメモは、常に何かが書き込まれていた。暗闇の中、きちんと見えているのかは謎だった。

 やはり、研究目的で夜の森に入りたかったようだ。


 途中、森の空気が一瞬で変わる。

 全身に鳥肌が立ち、辺りを見渡した。


「――!!」


 少し離れた位置にとんでもない存在ものを発見して、その場にしゃがみこむことになった。

 犬も飛び出して行かないように、近くに抱き寄せる。


「ハル君、どうかしたの?」

ひぐまが居た」

「……わ~お」


 ここで大人しくしておけば、向こうから去って行くだろう。

 突然の出会いに、心臓がバクバクと高鳴った。


「何をしていたの?」

「白樺の木で、背中を掻いてた」

「なるほど~」


 ざざっとメモを取り出す父。背中が痒い熊の情報を一体何に使うというのか……。


「ねえ、ハル君、羆って、何を食べるの?」

「鹿とか、猪とか……」

「へえ、だから体も大きく育つんだねえ」


 森の大型熊が居るというのに、父は呑気だった。本当に、良い性格をしている。


「ハル君、熊が居なくなったら、帰ろうか?」

「それがいいね」


 ……良かった。このまま森の探検を続けると言えば、父を引きずって家に帰らなければならないところだった。


 そのまま沈黙の時間を過ごすことになるかと思いきや、珍しく父が話しかけてきた。


「――ハル君は偉いね」

「え?」

「きちんと、家族の中で父親をしている」

「え、なんで? 普通にしているだけだけど。……父さん、突然どうしたの?」

「そう思ったから」


 夜の怪しくも幻想的な森の中では、人を感傷的にさせるのだろうか?

 父が他人に関心を示すのは珍しいことだった。


「ハル君は、怖くない?」

「何が?」

「自分の発言や行動のせいで、誰かが不幸になることが」


 父は語る。

 かつてこの村に迎えられ、様々な知識を与えながら暮らしていた時のことを。


「教えてあげた方法で病気が治らなかったり、農業が失敗したり、薬草が毒草かもしれないとか、いろんなことが怖かったんだ」


 父は専門家ではなかった。本で読んだ知識を提供しただけに過ぎない。

 なので、それを実際に行い、結果が分かる日が恐ろしくて堪らなかったと言う。

 それから、どうすれば家族を幸せに出来るのか分からなかったとも。


「家中の本を読んでも、どこにも書いていなかったから……」

「だから、父さんは村から出たがっていたんだ」


 こくりと頷く父。


「俺も、怖いよ」


 自分の一挙一動で誰かが不幸になるなんて、恐ろし過ぎる。

 でも、そういうことはたいてい杞憂に終わることが多い。


「父さん、要は、気持ちの持ちようなんだと思う」

「そういうこと、あるの?」

「あるよ」


 幸せは逃げも隠れもしていない。


「例えば、天気が良かったり、庭に花が咲いたり、朝食のスープが美味しかったり……」

「普段、当り前のように身の回りにあることが、幸せだと思う、心の在りよう、か」

「そう」


 だから、自分のせいで誰かが不幸になるかもしれないと考えることは無駄なことだし、怖がっていたら心も沈んでしまう。その間、幸せに気付く余裕なんてなくなってしまうのだ。


「ハル君は、やっぱりすごい」

「普通だって」

「さすが、リツェルの子だ」

「父さんの子でもあるよ」

「……そっか。そうだった」


 父も母に見放されて、いろいろと心境の変化があったのかもしれない。

 こうして、心の内を語ってくれたのは、嬉しいことだと思った。


 会話が止まったところでそろりと立ち上がる。

 先ほどの白樺の木の前から、熊は居なくなっていた。


「――帰ろう」

「そうだね」


 親子並んで歩いて行く。

 空を見上げれば、満天の星空が広がっていた。


 ◇◇◇


 翌日、父と祖父はこの国の首都に出発した。

 もちろん、城塞前で拾った大山猫イルベスの子供も一緒に連れて行く。


 玄関先で母とジーク、アルノーと共に、見送りをした。

 祖父は元気で居ろ、また手紙を書くと言っていた。父が大変世話になったとも。


「馬鹿息子、お前もリツハルドにお礼を言え」

「分かっているって」


 父はまずジークに迷惑を掛けたお詫びだと言って、旅でとある部族の長から貰ったという短剣を差し出した。


「いえ、そんな大切な品を戴くわけには」

「これで家族を守って下さい」

「……でしたら、はい。ありがとうございます」


 どうしてジークに家族を守れと言って短剣を渡すのか。父のセンスを疑った。

 それから、母の方を見る。


「リツェルさん」

「はい」

「家族をよろしくお願いします」

「はい」


 母には深々と頭を下げていた。こんな姿、初めて見た。


「アルノー君も、ありがとう」


 母が抱いているアルノーの頭を優しく撫で、元気に育つように言っていた。


「リツハルド君」

「はい?」


 自分にも何かお言葉があるらしい。何を言い出すか分からなかったので、つい構えてしまった。


 父は予想外の行動に出る。

 腕を広げ、三十にもなる息子を抱きしめたのだ。

 そして一言、耳元で呟く。


「――ごめんなさい」


 いろんな前科があり過ぎて、何に対する謝罪か分からなかった。

 けれど、「いいよ」と言って許してあげた。


 こうして、嵐のような親子は去って行く。

 その後ろ姿を、以前とは違う気持ちで見送った。


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