<< 前へ次へ >>  更新
132/152

突然過ぎる客人 中編

 翌朝、身支度を整えて居間に行けば、家族全員集合していた。

 みなさん早起きで。


「おはようございます」

「おはよう」


 お祖父さんはアルノーを膝の上に座らせて挨拶を返してくれる。

 どうやら朝食を食べさせてくれるようで、腕まくりをして待つという万全の状態で居た。

 ジークが台所から離乳食を持って来る。

 品目メニューは穀物を柔らかく煮込んだ野菜入りのおかゆ、ジャガイモを茹でで潰し、チーズを混ぜたもの、豆のスープ。

 ちなみに、スープは味付け前のもので、具材は潰してある。素材の味を楽しんでいただく一品だ。

 アルノーの食事はいつもジークの手作り。離乳食作りの腕も日に日に上がっている気がする。


 祖父は離乳食の与え方を勉強してきたらしい。その話を聞いて、父が不満そうな顔をする。どうしたのかと聞けば、とんでもない事実が発覚した。


「父さんったら酷いんだ。離乳食を与える練習をさせろって言ってきて。練習になるわけないのに」

「お前は赤子より手がかかるからな」


 結局、父は全力で逃げたらしいが、家に帰るのが怖くて宿に一週間ほど泊まっていたらしい。


「まったく、役に立たん男だ」

「無理だよ、父さん……」


 そろそろ離乳食も冷えた頃だ。アルノーが匙に手を伸ばそうとしている。


「おお、お腹が空いたか。どうれ、じいが食べさせてやろうぞ」


「だう!」と元気よく手を挙げて返事をするアルノー。祖父は笑顔で食事用のエプロンを巻いてやっていた。

 まず、アルノーを食事用の机付きの椅子に座らせる。

 それから、盆に乗った朝食セットを机の上に乗せた。

 最初に大人が一口ずつ食べて、熱くないかを確認する。


「……大丈夫みたいだな」


 おかゆを匙に少しだけ掬って見せる。すると、アルノーは口を開けた。そっと匙を運んでいく。

 おかゆを食べさせてもらったアルノーは、もぐもぐと口を動かし、ごっくんと上手に飲み込んだ。


「まい!」

「ん?」

「お祖父さん、美味しいそうです」

「そ、そうか。だったらよかった」


 祖父は時間をかけて丁寧にアルノーに食事を与えてくれた。食器を片付けながら、ジークはお礼を言う。


「お義祖父じい様、ありがとうございます」

「いいってことよ」


 額に汗を掻きながら、満足気な顔をしているお祖父さん。その様子を眺めていた父が、お願いをしてくる。


「ハル君、お昼の離乳食をやらせて――」

「お前は駄目だ!」

「え~」

「拾って来た猫の世話でもしていろ!」

「猫ねえ……」


 昨晩、大山猫イルベスの子猫と一夜を共に過ごしたらしいが、なかなか眠ってくれず、ニャアニャアと母親を探すように鳴いていたとか。

 その話題に反応した人が約一名。


「にゃんにゃ!」


 父の大山猫の話を聞いて、アルノーのニャンニャン熱に火が点いた模様。

 でも、残念なことに大きな猫はお触り禁止なのだ。

 朝食を食べている間も、アルノーは猫の鳴きまねを続けていた。


 どうにも猫への情熱が収まりそうにないので、ちょっとだけ出かけることに。

 向かった先はエメリヒとアイナの家。

 ちょうどエメリヒが庭で薪割りをしていたので、話しかける。


「エメリヒ、おはよう」

「おはよう、リツハルド君、アルノー君も」


 エメリヒの足元には、割った薪が山積みとなっていた。

 これだけの量を捌いても涼しい顔をしていて、全然疲れているようには見えない。

 さすが元軍人さんだ。


「どうかした?」

「それが――」


 ちょうどアイナが家から出て来たので、とあるお願いをしてみる。


「あら、何しに来たの?」

「ちょっと、ロッサを見せてもらいたいなって」


 夫婦にアルノーが猫に興味を持っていることを伝える。

 触らなくてもいいので、ちょっとだけ観察をさせてくれないかと聞いてみた。


「ロッサなら家の窓際で日向ぼっこしているわ。そこで見せれば?」

「じゃあ、ちょっと窓越しに覗かせて戴こうかな」


 アイナの猫、ロッサは大人しい猫だけど、気分屋なところがあって、エメリヒが抱こうとすれば鋭い猫パンチを繰り出す時もあるらしい。

 なので、直接会うのは危険かもしれないと、エメリヒが言っていた。


「にゃにゃ」

「うん、ニャンニャン見に行こうね」


 家の裏に回り込み、出窓を覗き込んだ。すると、日向ぼっこをするロッサの姿が。

 アルノーに猫さんですよと紹介すれば、にっこり笑顔になった。

 だが、ロッサは窓に背中を向けている。名前を呼んでみたが、反応はなし。

 なんというつれない猫様なのか。だが、猫の生態は本で読んだことがあった。

 地面に生えていたペンペン草を摘んで、窓を指先でコンコンと軽く叩く。

 すると、ロッサは振り返った。

 こちらを向いた瞬間に、ペンペン草を素早く振る。ロッサは左右に首を動かし、視線で追い始めた。これは猫の狩猟本能らしい。

 アルノーはロッサを見て、嬉しそうにしている。


「にゃんにゃん!」

「猫さんだね~、可愛いね~」


 アルノーは窓に手を伸ばし、にぎにぎと指先を動かしている。

 ペンペン草を追うのに飽きたロッサは、くわ~っと欠伸をしていた。


「猫さん、次は何をして遊ぶのかな~」

「かにゃ~」


 サービス精神(?)があるロッサは、窓にぺったりと肉球をくっつけてくれた。

 肉球サービスを見たアルノーはきゃっきゃと笑い、手を叩いて喜んでいた。


 これで満足しただろうと思いきや、窓の奥に居るロッサに手を伸ばし、手先を一生懸命にぎにぎしていた。……もしかして、お触りをしたいのだろうか?


「アルノー、ロッサは触れないんだって。猫パンチされるよ」

「あう~」


 じりじりと距離を取っていたが、視線はロッサに釘付けだった。

 確かに猫は可愛いけれど、気まぐれだからモフモフは出来ないんだよ。

 そんな猫業界の切ない事情を息子に語り聞かせる。


「アルノー、ごめん!」

「にゃんにゃ~~!」


 エメリヒ・アイナ邸から回れ右をして、家に帰ろうと歩き出す。

 猫が見えなくなったので、アルノーはぐずりだした。


 ……困ったなあ。まさか、アルノーの中で猫ブームが来るなんて。


 ついに、わんわんと泣き出してしまう。


「ごめん、ごめんってば!」


 もう少ししたら店の開店時間になってしまう。

 アルノーはジークに任せようと、あやしながら家まで早歩きで帰って行く。


 家の門を開き、玄関に向かっていたら、目の前に白い生き物の姿が見えた。

 それを見たアルノーはぴたっと泣き止み、目を輝かせる。


「にゃんにゃん!!」

「……ニャンニャン?」


 こちらの存在に気付いて、振り返ったのは白い猫ではなく、白い熊の毛皮を纏ったテオポロンであった。


「にゃんにゃ~ん!」

「?」


 手を伸ばすアルノーを見て、首を傾げるテオポロン。


「ア、アルノー、あれはニャンニャンじゃなくて、ガウガウ? ……は違うか」


 優しい熊さんですよ、と伝える。……いや、テオポロンだけど。


 アルノーは熊――テオポロンに夢中になっていた。もう、触りたくてたまらないといったご様子だった。


「あの、テオポロン、ちょっと毛皮に触ってもいいかな?」


 アルノーを抱いていない方の手で、身振り手振りで伝えた。

 テオポロンはこくりと頷き、触りやすいようにこちらに背中を向けてくれる。


「テオポロン、ありがとう! アルノー、触ってもいいって」


 テオポロンの背中に近づけば、アルノーはフカフカな熊の毛皮を触りだす。


「にゃん~~」

「これはね、熊さん」

「まっさん」

「惜しい!」


 熊の毛並みを十分に堪能したのか、だんだんとうつらうつら始めた。

 テオポロンにお礼を言い、しばらく揺らしてあげたら眠ってしまった。


 ひとまずホッと一安心。


 父の連れて来た大山猫を発端にこんな展開になるとは。

 帰宅後、祖父に熊とテオポロンの話をしたら、自分も熊を持ってくれば良かった! と大変悔しがっていた。今回は以前贈った熊の外套を持って来ていなかったらしい。


 それから、アルノーはテオポロンを見れば「くまっ!」と、初めての言葉を喋るようになった。


 テオポロンは祖父の熱い視線に気づいたからか、滞在中、白熊の毛皮を貸してくれた。

 白熊外套を纏い、子守をするお祖父さんは嬉しそうだった。


 毛皮を貸して半裸状態になってしまったテオポロンは、祖父とアルノーを優しい目で見守っていた。

<< 前へ次へ >>目次  更新